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【完結】リリー・ガーランド・ゲイン -林檎姫の呪いと白百合の言祝ぎ-  作者: 冬原千瑞
第五章 冬編

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Decision Bell Ⅰ



 

 寝室のベッドに横たわりながら、ヨークラインは手元の札を軽く掲げていた。砂のようなざらついた声音が、そこからゆっくりと発せられる。

『事情は分かりました。間違いなく、呪いは進行しております。遠からず、あなたの身体から芽吹くでしょう』

「スノーレット卿……あなたと力では、もうどうにもならないのか」

『一度芽吹いた種が果たして元の殻に戻るものでしょうか。――ひとまずは、金の林檎を食べてください』

「金の林檎……」

『呪いの根源であり、絶対たる力を秘めた果実。芽吹いた呪いから、それが実ります。口にすればあらゆる病が直り、不老長寿の運命すら与えてしまう。その実態は保呪者(キャリア)の生命エネルギーが集約されたもの。そして果実にエネルギーを奪われた保呪者(キャリア)は枯渇する――つまり死に至るのです』

 ヨークラインは過去を思い返し、眉をひそめた。

「呪いから、不老長寿の実? エマ=リリー・ガーランドからの授かりは、別の方法だったのだが」

『果実は他人へ生命力を分け与えるためのもの。呪い自体は王家に連なる一族にしか受け継がれません』

「……その林檎を食べれば、未苗に戻るということですか」

『恐らくは。ですが、あくまで応急処置に過ぎません。一度枯渇した、壊れかけの身体に劇薬をねじ込むようなものですから。これまで呪いに蓄積された、代々の保呪者(キャリア)の膨大なエネルギーを受け入れるということでもあります』

「脆い器では、重荷に耐えられないという訳か……。どれくらいの猶予をもって保てるものですか」

『あなたは元々、器自体は相当なもの。安静にしていれば十数年は固いかと。あくまでも、絶対安静が条件ですが』

「――そうか……それでも幾ばくもない」

 苦々しい声音から感じたものがあるのか、エミリーはためらいがちな声を発する。

『呪いは消せません……が、弱める方法はあります。ですが、あなたは嫌がりそうなので』

「吸呪――あなたに呪いを送り込むようなものか」

『正解に、近いですね。適うのならば良かったのですが、私の身体ではもう無意味な方法ですから』

「無意味……?」

『……まずは、林檎を。お食べになったらご連絡してください』

 そう告げると、エミリーからの通信は途切れた。

 乾いたような簡素な雨音がより明確に、ヨークラインの鼓膜を穏やかに撫でていく。クッションに身体をもたれさせると胸元を押さえ、小さく息をついた。

「痛みはあれど……実感が今一つ湧かんな……」

 部屋の入り口からノック音がして、少女の控えめな声が扉越しに小さく響く。

「ヨッカ、まだ起きてる? 遅くなっちゃったけど、ジョシュアに教わりながら薬湯を作ってみたから……」

「……ああ、貰おうか」

 リーンは寝台の傍の丸椅子に座り、持ち運んできたトレイをヨークラインの膝上に乗せた。ホットグラスの中には濁った緑色の液体があった。手渡されてすぐさま口に入れると、ヨークラインの眉間に大層しわが寄っていく。すぐ隣の小皿には、キャラメルが一つ添えられていた。

「苦いからお口直しにって」

「子供ではないんだが……まあ気休めにはなるか」

 そう言って、素直にキャラメルを口に放り込んだ。

 グラスを空にしても、リーンは椅子から立ち上がらなかった。まだここを離れたくない様子を見てとったのか、ヨークラインは静かな声音を落とす。

「……カタリナの暴言に仔細がいるなら説明するが」

「ううん、大丈夫。子捨て橋のこと、皆から聞いたから……」

「……そうか」

「……ヨッカもそこにいたって」

 消沈する少女を横目に、ヨークラインは遠くを眺めるような眼差しを窓辺に向けた。相変わらず寒々しそうな雨粒が硝子窓を静々と叩いていた。

「クラム家が潰れてからは、色々あったからな。行き着いた先があそこだった次第だ」

「それで皆と会って……、皆の力でキャンベル家を作って、守ってきたのね」

「そうだな。……傾いた伯領を立て直して、あいつらの面倒も見て、がむしゃらだったがおかげで食うに困らん生活にはなった。君の十年が色々あったように、俺もそれなりに怒涛の日々を送っているな。こうして君に再び相見えるとは、微塵も思わなかったが」

「そうなの? 私はいつか会えたらって思っていたけれど」

 リーンが無邪気に小首を傾げるので、ヨークラインは渋い表情になる。

「キャンベル領の立て直しに奔走しながらも、エマ=リリー大公が卒去したと風の便りで耳にして……、天涯孤独になった筈の君の行方を必死に追っていた。だが、何処を探しても見つからなかった。だから、この目で君の姿を見るまでは、君は死んでしまったものだと思っていたんだ」

「え……じゃあ、ヨッカは、孤児院にいた私のことって……」

「同姓同名の他人で、君にあやかった偽名の子だと思っていた。お家取り潰しに見舞われた一族の名は、乱用されやすいからな」

「え、あの、でも、私てっきり……」

 リーンは訳が分からないと言うように、困惑の声を押し出していく。

「私を引き取ったのって、私がガーランドの姫だからじゃないの? 私の特殊な力に期待しているからじゃないの?」

 ヨークラインは訝しげに眉をひそめた。

「……何故そんなことを気にする? ガーランドである君を守るのは、俺には当たり前で果たすべき責務だぞ」

「そんなことは分かってる。でも、エミリーから聞いたの。他にも候補者がいたって。その中で、偽物かもしれないガーランドを選んだのはどうしてなの……?」

「……何故そんなことにこだわる」

 ヨークラインの妙に答えを渋る様子に、リーンはむっと顔をしかめた。きっぱりと声を張る。

「質問に質問で返さないで。ちゃんと答えて、ヨッカ」

 有無を言わさない勢いにヨークラインはたじろいだ。視線が逃げるように逸らされるが、リーンも頑として譲らず睨み続ける。根負けしたのか、やがて仏頂面の口元から諦めたようなため息が押し出された。

「君の名には、リリー……――花の名前が入ってるだろう?」

「……うん」

「我が家のわんぱく姉妹も、同じく花の名だ。マーガレット、プリムローズ。なれば三人目の子も、同じく花の名で揃っていると、……なんかいい感じになるなと思ったんだ」

 リーンはぽかんと大口を開けて、いっそ気の抜けた口調で返してしまう。

「……そ、そんな理由だったの?」

「くだらんか?」

「く、くだらなくはないけど、ヨッカにしては単純すぎる気がして……」

「単純なのが俺らしくないっていう見解は、いささか失礼な気がするんだが」

「ご、ごめんなさい。あの、でも、本当に意外で……。カタブツでいつもむっつりしてて、楽しそうなことをちっとも考えそうにないのに……『いい感じになる』からって……ふふっ」

 思わずくすくすと笑いが零れてきてしまう。肩を揺らす少女にヨークラインは気難し気な渋面を決め込んでいるが、頬が気恥ずかしそうにうっすらと赤い。

「本当に失敬だな、君は。家長が自分の好みに選り好みして決めて、何が悪い」

 もはや開き直ったと言わんばかりの態度だった。それも何故だかおかしくて、更に笑いが込み上げてくる。口元を覆ってみるが、どうしてだか堪えられなかった。

「ごめん、なさい……ちょっと止まらないわ……」

「本当に失礼極まりないぞ、君。……まあ、いいか」

 リーンの笑い声につられるように、ヨークラインの口元にも僅かな綻びが生まれていく。遠く思いを馳せる視線をぼんやりと宙に向けた。

「たとえ偽りであろうとも、あの時の郷愁に浸りたかったのかもしれんな。……かつて君は、俺におまじないをくれたから」

「おまじないって……前に言っていた、痛いの痛いの飛んでけの呪文のこと?」

 転んで泣いていれば、母が良くかけくれたおまじないだった。それを自分がヨークラインにとなえていたとは、俄かに信じがたい。彼が怪我をして介抱されている記憶は、少なくとも思い当たらなかった。リーンが首を傾げていると、ヨークラインの口の端が皮肉げに上向く。

「覚えていないなら構わない。……些細なことだ」

 リーンが覚えているのは、ヨークラインがいつも助けてくれたことばかりだ。母と、幼い自分は確かに救われた。感謝してもしきれない恩があって、どうにか返せないものかとずっと抱えていく想い。リーンだけが抱えるものだと思っていた。けれど、再び出会って青年となった彼は、少女との追憶を大事そうに握っていて、なのに寂しそうな顔を向けている。それがリーンの心を歯痒く、たまらなくさせる。

(どうして私は、ヨッカにこんな顔をさせてしまっているのだろう……)

「とにかく、俺が受け取ったおまじないは、今の俺の支えの一つなんだ」

「わ、私だってヨッカがくれた言葉で負けずにいられたの。辛い時は、顔を上げて空を見ていたわ。だから、私の方が助けられてばっかりなのよ。なのに、私はヨッカを困らせてばかりで……」

 呪いも家の盟約も、自分のわがままでも、ヨークラインをがんじがらめにさせてしまっている。キャンベル家の一員として別の人生を始めている彼に、ガーランドの重荷を背負わせていい筈がない。

「……だから、本当にごめんなさい」

「そこで途端に泣くのか、君は……」

 呆れたように告げられて、頬に滴る冷たい雫に気付く。

 顔全体を慌てて手で擦った。ひりひりとした痛みが、更に瞼を熱くしていく。

「やだ、もう、こんなことでずっと……」

 泣くばかりの役立たずな涙も、そんなわがまま姫のままなのも沢山なのに。これでは時を迎えても、ちっとも大人になんかなれやしない。 

「擦るな、眼が傷付いてしまうぞ」

 嘆息と共に伸びてきた大きな手は、少女の頬に触れる寸前で思い留まり、懐に引っ込んでしまう。

「……あまり俺の傍にいない方がいい。呪いは、近い内に芽吹く。そうなれば、君に呪いが感染(うつ)りかねない」

「ご、ごめんなさい……でも、まだ、少しだけ傍にいさせて。涙もすぐに止めるから……」

「いい、別に構わん。何度だって泣いても構わんが……。泣き虫リリ――君の涙はいつも苦そうで……時々たまらなくなる」

 苦渋の面持ちで口零すヨークラインは、手元のチェストから取り出したハンカチをリーンの膝元に置いた。耐え難く目をそばめてシーツに横たわり、は、と熱い息を落として瞼を閉じる。

「その泣き言ごと君を守るのが俺の確固たる使命だというのに、このザマではな……。クラムの名が泣いている。本当に、不甲斐ない……」

「……ううん、そんなことない。そんなことないわ、ヨッカ」

 懲りずに頬から滴り落ちる雫が、真っ白なハンカチに染み込んでいく。それをぎゅっと握り締めて、リーンは嗚咽の込み上げそうな口元から、濡れた声を震わせる。

「あの時ヨッカがいたから。泣き虫弱虫いくじなしの私のそばに、ヨッカがいてくれたから。私は今まで生きてこられたの……」


 ――だから今度は、私があなたを助けたいの。

 ――守りたいの。死なないでほしいの。

 ――生きていてほしいの。

 ――心からの祈りを、ただひとりのあなたへ捧げたいのに。



 涙を止められないまま、リーンはヨークラインの寝室を後にする。小さく鼻を啜りながら台所へ向かう廊下を歩いていれば、廊下の角で大柄な身体と鉢合わせになった。

「随分しみったれた顔だこと。……神の剣(エル・グラン)に栄誉は与えても、慈悲も涙も必要ないんだけどねえ」

 リーンを何処か呆れた様子で、けれど憐れむように見下ろしていた。

「カタリナおばあさま……」

 リーンは今一度涙を懸命に拭うと、カタリナを強く見据えた。

「おばあさま、……ガーランド家のことを知っていたら、教えてくれませんか」

「お断りだよ、泣き虫お(ひい)さんのお相手なんかね」

 すげなく少女の隣を通り過ぎようとするその片腕を掴み、潤んだ声で訴える。

「お願いですから……! 私、本当に何も知らないの。何も知らないまま、泣き虫姫のままで、この冬を越せないわ」

 カタリナは面倒そうにため息をついた。けれども顎をしゃくって、リーンを奥間へと促す。

「まずはそのみっともない顔をどうにかおし」

 カタリナに手招かれたのは屋敷一階の奥にある客室だった。水汲みで濡らしたタオルを手渡される。

「これでお冷やし」

「ありがとうございます……」

 氷のような冷たさだったが、やるせなく昂る熱い瞼を穏やかに慰めてくれるようだった。リーンが大人しくタオルで顔を覆う傍らで、カタリナが紅茶を淹れ始める。

「生憎、あたしゃ肝心なことは知らないもんでね。エマとは上っ面の茶飲み友だちだっただけさ。社交の場でさえ笑い声ひとつも上げやしない、大人しくて物静かでツンツンしてる気難しい子だったよ」

「そうなんですか? お母さん、私には良く笑ってくれたけれど……。きっと、人前に出るのは好きじゃなかったのね」

 ティーカップに注ぐ手が意外そうに、僅かだけ止まった。くつくつと喉奥で笑い声を上げていく。

「はん、そういう見方もあるのかねえ。ま、物事なんぞ自分の勝手都合に好きに捉えればいいこったな。ほれ、冷めないうちにおあがり」

 手狭なテーブルに茶器が置かれ、リーンは腰を落ち着けた。鮮やかな紅色にミルクを数滴垂らし、角砂糖を一つ入れ、静かに口を付けていく。

「お母さんも十五歳で当主になったんですよね……」

「そうさね。お姫さんも直にそうなる」

「……どうしたら、大人になれるのかしら」

 カタリナは小さく笑うと、あっさりと言い放つ。

「簡単さ。覚悟を決めることだねえ」

「覚悟……?」

「決断、とも言うね。目の前の問題を、一体どうしたいのか。決め方は人それぞれだし、好き嫌いなのか損得なのか、そこにこだわりがあって、譲れないものがある。紅茶の飲み方ひとつにしてもそうさ」

 あたしゃミルクは嫌いだよ、と言って自分のカップに角砂糖を三個入れていく。

「こだわりは根本の欲求になればなるほど、何処までも貪欲に、這いつくばってでも追い求めていくものさ。地位、名誉、金、色欲、食欲、生きるか、死ぬか――その瀬戸際で、人は本能の赴くままに獰猛になるもんだ。お姫さんだってそうだろう?」

「獰猛……」

 リーンはカップに視線を下ろしながら、思い返すように瞳をぼんやりとさせた。

「……今年の夏。ヨッカが蛇に食べられて、死んでしまうって思った時、私、心が嵐みたいにばらばらになったの。気付いたら、蛇を操る人の急所に狙いを定めていた。怒りで煮え滾って、自分でもどうしようもなくて、でも後悔すらしなくって……自分で自分が怖くなった」

「そうかい。その獰猛さが常に心で飼われていることを、ようく覚えておくこった。分かってさえいれば、覚悟が定まる。自分がこれから何をしでかそうかってところに、決断を下せる」

「それが、大人になるってこと……?」

「ま、ならなくたって図体はでかくなるし、シミも皺も出来るよ」

 カタリナの飄々とした口調は、少しだけ誰かを思い出させた。だからなのか、少女は気付けば程良く力の抜けた笑みを浮かべている。

「おばあさま。お話を聞かせてくださってありがとうございます」

「別に何の変哲もない茶飲み話だよ。お姫さんが勝手に納得しただけのことさ」

「うん、それでも、色々と分かったことがあるから。カタリナおばあさまがいてくれるのなら、安心して任せられる」

「何だい、藪から棒に。お姫さんの勝手な頼まれごとなんざあたしゃ御免だし、聞きゃしないよ」

「聞いてもらわなくて大丈夫です。これは、私のただのお願いごとだから。……だから、どうか皆を――ヨッカのことを、よろしくお願いします」

 丁寧に頭を下げられて、カタリナは心底苦々しそうに顔をしかめていく。

「……本当に、エマにてんで似てないねえ。あっちはまだ分かりやすい可愛げがあったってのにさ。お姫さんは正直、あたしの苦手なタイプだよ」

「ええと、そうなんですか?」

「そうさね、そうやって何もかも分かった風な顔して、けったいなことをしでかすあたし以上の厄介者さ」

 カタリナの眼差しが、三日月のように鋭く細くなった。

「お姫さんは、これから何をしでかすつもりだい。……ヨーク坊やを、一体どうする気なんだい?」

 少女は唇を上向かせた。わだかまりも泣き言も、全て覆い隠すように。心の表面を雪化粧でまっさらにして、自分は大丈夫だからと信じさせるために。

 スカートのポケットから取り出したのは、局留めで受け取った一通の手紙。それに視線を下ろす蒼い瞳が、翳りを帯びる。

「……私は、いつの間にか贅沢が当たり前になってたの。だから、元のリーン=リリーに戻らなくちゃ」




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