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【完結】リリー・ガーランド・ゲイン -林檎姫の呪いと白百合の言祝ぎ-  作者: 冬原千瑞
第五章 冬編

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ままごとの綻び



 自らを災厄と謳う老女と面しながら、少女はゆっくりと言葉を繰り返す。

「……カラミティ・カタリナ……キャンベル……。じゃあ、あなたはキャンベルの皆のご家族……?」

 問いかけは、くつくつと心底愉快そうに笑われた。

「家族、ねえ。あのおままごとを家族って言うのなら、いささかむず痒い心地だねえ」

「おままごと……」

 言い回しがキャンベル伯爵の伝言と同じだった。胸騒ぎが止められず、リーンは言い募る。

「どうしておままごとなんですか。プリムは本気だって言ってたわ。メグもジョシュアも、ヨッカだって、きっと同じ気持ちなのに……」

「知りたがりのお(ひい)さん。あたしの口が語るのは、災禍を呼ぶまじないだ。それでも知りたいかい?」

 くすくすと笑いながら伸ばされた手は、リーンに届くことはなかった。その手首に蔓が絡み付いたのだ。

「――彼女に触れるな」

 解呪符(ソーサラーコード)を掲げるヨークラインが、鋭利な眼差しで見据えていた。老女は片腕に巻き付く蔓と青年を見比べながら、侮蔑の笑みを浮かべていく。

「おや、淑女相手に随分なご挨拶だね、ヨーク坊や。てんで礼儀がなっちゃいない」

「カタリナ、あなたが何処にでもいる淑女であるならば、礼節は弁えていた」

「生意気言うんじゃないよ、青二才。居場所を与えてやった恩を忘れたかい」

「それはあなたの兄――キャンベル伯爵に抱くものだ」

「おやおや、本当に飛んだ恩知らずだ」

 カタリナの身体が戯れにゆらりと(かし)いだ、その瞬間だった。携えた杖を宙へ放り投げればその中心で半分に割れ、内部に仕込まれた刃物が蔓を割いた。解放された片手に柄を持ち直しながら身を翻し、青年の懐へすぐさま飛び込む。胸部の寸前に、刃物の先端をぴたりと突き付けた。疾風のごときの身のこなしに、ヨークラインは身動きも呼吸一つもままならなかった。

「……ッ」

「みなしごや、スノーレット卿への口添えは、一体誰がしてやったと思ってんだい?」

 次いで杖の柄で頤を持ち上げられ、ヨークラインは苦虫を嚙み潰したような表情になる。

 リーンはたまらずカタリナの服を縋るように引っ張った。

「あの、やめてください……!」

「おどきよ、お前も杖でつっかかられたいかい?」

「そんなことは絶対に許さない」

 ヨークラインはぴしゃりと言い切って、カタリナを睨み下ろした。

「俺のことはどうとでも扱ってくれて構わない。だが、彼女には丁重に接してくれ。無礼な真似だけは、決して許さない」

 カタリナは愉快そうに目を細めた。

「……はん、見上げた忠誠心だ。守護者(ガーディアン)の何処までも骨身を惜しまぬ献身には、落涙を禁じ得ないねえ」

 ヨークラインから一歩引き、二つに分かれた仕込み杖も繋ぎ合わせて元の形状に戻していく。

「そうさね、正直なところお姫さんに興味はないし、用もないからね」

 喉元を押さえて軽く咳き込んでから、ヨークラインは不審な眼差しを向けた。

「……何をしにお見えになった」

「道端で話すもんでもない。まずはおもてなしをおし」

 そう素っ気なく言うと背を向けて歩き出した。一人でさっさと屋敷へ向かっていったカタリナを気にしながらも、リーンはヨークラインの傍らでそっと呼びかけた。

「ヨッカ……大丈夫……?」

「俺は別に問題ない。また性懲りもなく到来する、訳の分からん嵐の方が問題だ」

 そう言いながらも、眉を盛大に寄せて、苦々しそうにため息をついていく。リーンは彼の胸部をそれとなく見下ろし、口元をぎゅっと引き締めた。やがて視線を上げる。

「あの人は……? お兄さんが伯爵ってことは……」

「そうだ。彼女、カタリナはキャンベル伯爵の妹御。我がキャンベル家においては、言わば祖母というものになるのだろうな」

「おばあさま……。あの、でも、ヨッカとは本当の血の繋がりはないってことよね?」

 元はクラム家の人間なのだと、リーンは知ってしまっている。義理の祖母に向けて、ヨークラインはにべもない。

「あの野蛮さが俺の血族である訳がなかろう。……まあ、寛容な兄だったら気に入ったやもしれんが」

 かつては三男坊であったということも知ったリーンは、期待を込めて見上げた。

「あの、ヨッカのお兄さんたちって一体どんな……」

 不意に、頬に冷たいものが触れた。いつの間にか雨空となった昏い曇天から、ぽつりぽつりと水滴がいくつも落ちてくる。

「そんなことより、俺たちも家に帰るぞ。濡れて身体が冷えでもしたらかなわん」

 愛想もなく言い切り、ヨークラインは少女の手を取って歩き出した。聞いてみたかった身の上話は脇に放られ、リーンは多少がっかりしたのだった。



 夜の帳が落ちると雨は激しさを増し、リビングの格子窓に大きな音を叩き付けていく。室内は暖炉の柔らかな灯火で温められているが、ガラス窓から忍び込んだ冷気の片鱗が背筋を危うげに撫でていく。窓辺近くのソファに座るリーンと仏頂面のプリムローズは、暖炉の傍のダイニングテーブルに訝る視線を向けていた。

 レースのテーブルクロスに広げられるのはラム肉のロースト、キドニーシチュー、ショウガとイチジクのプディング、ルバーブのジャムがたっぷりと挟まれたサンドイッチケーキ。

 ダイニングテーブルに一人腰据えるカタリナは順々にぺろりと食べ、今はサンドイッチケーキを片手に喜悦の微笑みを浮かべている。

「はぁ……、お前の作るふわふわのスポンジはいつだって最高だねえ」

「恐れ入ります、レディ・カラミティ」

「カタリナとお呼びよ、ジョシュ坊。お前にだけはすべてを委ねても構わないってのに」

「お気持ちだけ受け取っておきます、レディ」

 優美な微笑みを浮かべるジョシュアは紅茶を注ぎ足しながら、さりげなくカタリナから距離を取った。

 同じメニューをプリムローズがローテーブルで頬張りながらも、しかめ面でぼやく。

「ジョシュアちゃんが嫌がってんの、分かんないのかな。このこびこびばばあは」

「何か言ったかい、ちびローズ。そのコットンキャンディみたいなふわふわ髪は、相変わらず食っちまいたくなるくらいに艶やかだねえ」

「な、何も言ってないのよ、カタリナばばしゃま」

 震え上がったプリムローズは、隣に座るリーンの背とソファの隙間に潜り込んだ。

「あの、プリム、潰しちゃいそう」

「ごめん嬢ちゃま、少しだけお願い」

 ここまで怯える様子を見せるのは珍しかったので、リーンは目を丸くするしかない。小刻みに震える小さな背をなだめるように、思わず撫でていた。

 暖炉近くの壁にもたれるヨークラインに、ジョシュアが耳元でひっそり尋ねる。

「メグには?」

「一応、簡潔に報告してある。間もなく戻ってくるらしいが……」

 玄関の扉を強く締める音が響き、けたたましい足音がこちらに向かってくる。雨除けの外套をむしり取ったマーガレットが、大荷物を抱えながらリビングに勢い良く入ってきた。

「ちょっと兄さん、どういうこと! あの傲岸不遜で傍若無人な唯我独尊の災厄ババアがウチに来てるって……!」

「おやおや、メグ、てんでなっちゃいないねえ。貞節を重んじるレディの使う言葉とは到底思えない」

 涼しい表情で紅茶を啜るカタリナにようやく気付き、マーガレットは慌てて笑顔を取り繕った。口元は引きつっていたのだが。

「げ……あら、おほほほ失礼いたしましたわ、おばあさま。ようこそ歓迎いたします、天国の方へ」

「召されるのを期待するなら餞別が必要だねえ。その美味しそうなチョコレート、あたしにもわけとくれ」

「……毒入りですけれど、よろしくて?」

「ねえちゃま、それだとあたしたちも諸共くたばるのよ」

 食べ物には必ず口を出すプリムローズに、マーガレットは肩をすくめて応じた。

「冗談よ、残念ながら。しこたま買ってきたから、別に一つや二つあげたって構わないわよ」

 面白くない態度を露わにしながらも、チョコレートの箱を渋々差し出した。同じ土産が、プリムローズとリーンの手にも渡った。途端に妹は頬に喜色を取り戻し、大箱をすぐさま開けて何粒も口に入れていく。

「ねえちゃまってば、大盤振る舞い。よっぽど口車が上手く回ったのね」

「まあね。結構楽勝だったわ。天園鳥(クレイドルバード)が思いの外にきちんと仕事してたし、正直なところ拍子抜けなのよね。あの若さで断罪機関の最高責任者ってのは信じられなかったけど」

「きちんも何も、真っ当なものであらねばならんだろう、査問機関は」

 ヨークラインはやれやれとため息をつく。だがその口調には安堵の色が浮かんでいた。

「最近になって代が変わったと聞いていたが、どんな人物だったんだ」

「やたらキレイな男の子だったわ。きっとリーンと同じくらいの歳かしら」

 リーンは手指の強張りを感じながらも、土産のチョコレートをそっと一粒口に入れた。

 思い返しながら、マーガレットは首を傾げる。

「そう言えば、局長からは『鳥に気を付けろ』って忠告を頂戴したけれど――一体何だったのかしら」

「ゴミ屑箱の方じゃないの? 断罪を執行するのは実質兵鳥(バード)だし、ねえちゃまの足を引っ張りたいって思ってやがる筈なのよ」

「いくらあいつでも、天の御使いである以上は私怨で動けないわよ。……ま、これで我がキャンベルの疑いは晴れたと思っていいわ。やっと心置きなく研究に勤しめると、そう思っていた矢先だったのに……」

「ほんとに、何しにやってきたのよ。ばばしゃま」

 姉妹からじっとりと睨まれても、カタリナはテーブルに頬杖をついたまま薄い笑みを浮かべていく。

「『おままごとはお終い』って伝言、右から左に聞き流しているみたいだからねえ」

 カタリナの背後から突き刺すような眼差し向けるヨークラインは、訝しげに眉を寄せる。

「……伯爵の使いか。こうも頑なに、何故本人が伝えに来ない」

「は、全くもって同意だよ。あたしをこんなつまらない伝書鳩に仕立て上げるんだもんさ。ま、でも、それ相応の見返りは貰ったからね」

 懐から取り出した書状をヨークラインに手渡した。中身を検める青年はゆっくり目を見開いていく。

「……キャンベル伯の代行令状、だと?」

 マーガレットが駆け寄って書状を覗き見た。

「嘘よ、しらばってくれてるんじゃないの」

「……伯爵直筆のサインがある」

「つまり、この伯領の裁定権はあたしにあるってことさ」

 得意げな声に、ヨークラインは書状を潰しかねない勢いで拳を握った。嫌悪を隠さずカタリナをねめつける。

「俺に切り盛りさせておきながら、今更随分なご身分に成り上がるつもりか?」

「別に取り上げようって魂胆じゃないさ。今まで通り、領内はお前の勝手都合に好きにおし。けど、そっちの小娘共にはちと働いてもらわないとねえ」

「な、何させようってのよ……」

 視線を寄越されて、マーガレットが怯みながらも睨み付ける。その様子にからかい混じりの笑みを向けながら、また懐から別の書状を取り出してみせた。

「ほれ、こっちはちびローズにもだよ」

「い、嫌な予感しかしないのよ……」

 プリムローズも嫌々にだが、大人しくカタリナの傍へ寄った。二人は巻かれた書状を恐る恐る開いていく。

「『アンジェリカ・アカデミー特別講師推薦状』……?」

「『セント・ジョンズワート・カレッジ慈善事業団体職員応募要項』……?」

「それぞれお前たちの母校だものね、要領は分かってるだろう? 欠員が出たそうでねえ、ちょっくら出稼ぎに行っとくれよ」

 姉妹は一斉に書状を床に叩き付けた。

「何で過剰労働させられなきゃならないのよ。あたしはあたしの研究開発で稼いで食べてるの、無意味だわ」

「無意味も何も、世話になった母校に恩を返すってのが道理じゃないのかい?」

「強引だって言っているのよ。恩はあっても、あなたに命令される覚えはないわ」

「そうよ、ふざけないで、ばばしゃま。あたしたちはあたしたちだけで、ここで充分やってける。ここから動く気は全くないのよ」

「……は、いつの間にやら、しっかりと小賢しい口をきく」

 「早いものだね、十年は」と独りごちながら、カタリナは床に散らばる書状を拾い上げる。それをテーブルに叩き付けながら、苛烈な声で怒鳴り散らした。

「そっちこそふざけてんじゃないよ――このみなしご共が!」

「……ッ」

 マーガレットの顔色がさっと変わった。身を刺されたように息を止め、怒りで赤らんだ頬が蒼褪めていく。プリムローズも凍り付いたようにその場で立ち竦んだ。

 少女たちを嘲笑うようにカタリナは口端を曲げ、ねっとりした声を揚々と響かせていく。

「お前たち全員、このキャンベルの血を引いていないのに。良くもまあ大層太々しく、この家に我が物顔で住めるものだねえ?」

「え……?」

 成り行きを見守っていたリーンは、戸惑いの視線を皆に送った。姉妹は勿論、ジョシュアも沈黙し、表情を悲痛に曇らせている。

 ヨークラインだけが激高して身を乗り出した。

「口が過ぎるぞ、カタリナ! 今更のこのこと出てきた者に、道理を不条理に説かれる筋合いは……――ッ」

 胸に鋭い激痛が走り、その場で背筋を丸めて唸った。リーンが駆け寄って、具合を探る。

「ヨッカ! ……やっぱり、呪いが進行してるのよね?」

 ヨークラインは何も言い返さなかったが、リーンから気まずげに視線を逸らした。カタリナはやれやれと呆れたような眼差しを送る。

「その覚束ない身体で領主なんてやってのけるのかい? あたしが口出しせずとも、元々時間の問題だったのさ」

「だからとて、キャンベル伯領をあなたに委ねるつもりは微塵もない……ッ」

 静かな怒声でそう言い切ると、じくじくと込み上げる痛みを振り切るように姿勢をしゃんと立て直す。リビングを出ていこうとする後ろ姿へ、リーンが慌てて呼びかけた。

「ヨッカ、何処に行くの?」

「……部屋で寝る。ここにいたとて、休まるものも休まらんからな」

「あの、じゃあ私、眠りやすくなる薬湯でも淹れようかしら」

「……そうだな、そうしてくれ」

 扉を開けて先にリーンを通しながら、青白い仏頂面でカタリナを睥睨する。

「屋敷では好きにしててくれて構わない。が、野放図な真似は許さない」

 扉は乱暴な音を立てて閉じられた。しばし沈黙の間が降りるも、やがて小さな啜り泣きがリビング全体を包んでいく。プリムローズが肩を小さく揺らし、しゃくり上げていた。

「ばばしゃまのくそ意地悪。あたしたちは、ほんとの本気で、キャンベル家をやってるのに。フラウベリーで、楽しく暮らしていたいだけなのに……っ」

 そのままジョシュアの懐にしがみついて、わんわんと大きな泣き声を響かせていく。カタリナは眉をひそめると、冷ややかなため息を落とした。

「はん、哀れなもんだよ。ままごとなんざのまやかしの中に、覚悟を見出すなんてねえ」

 プリムローズを抱き留めながら、ジョシュアは苦り切った顔でカタリナを見据えた。

「レディ・カラミティ……あなたは災厄を、このキャンベル家にも招くつもりですか」

「そうさね、そのつもりだよ。――さ、客間に案内しとくれ。しばらく当分はそこで厄介になるよ」


 窓を叩く雨粒は次第に細やかなものへと変わっていく。激しさは鳴りを潜めていたが、空がさめざめと泣いているような雨音は寒々しい廊下に良く響いた。

 ヨークラインを寝室まで見送ったリーンは、何となしに足音を潜ませて台所までやってきた。

 作業台に腰掛けるのは、蒼褪めたまま沈黙するマーガレット、すんすんと鼻を小さくすするプリムローズ。ジョシュアは憂い顔だったが、少女の足音に気付くと控えめな笑顔を向けてくれる。

「レディ、ヨークの様子は?」

「寝てれば治るって……」

「相変わらずの言い草だね。……実際のところ、どうなんだい」

「……詳しくは分からないけれど、夏よりも急所の呪いが酷くなっている気がするわ」

 ジョシュアは今度こそ盛大にため息を落とした。

「やっぱり力の使い過ぎだね……病人だって自覚はあるのかな」

 見るからに憔悴した様子の三人を見渡しながら、リーンは手をもどかしそうに擦り合わせる。

「……皆、お茶飲む? 少しだけでも落ち着くかもしれないわ」

「……そうだね。すまないけど頼めるかな、レディ。僕も珍しく参ってしまっている」

 リーンは頷くと、ケトルをキッチンストーブの上に置いて湯を沸かしていく。

 戸棚に連なる香草のボトルの二つを取り出し、それぞれの中身をさじで掬ってポットに入れた。そこに沸かしたばかりの湯を注いでいく。

 儚く甘い香りが立ち昇る若草色のハーブティーが三人分のカップに注がれた。そこにミルクを多めに垂らしていく。

 気落ちしていた三人は、ゆっくりながら一口含んでいく。途端、目を大きく瞬かせた。

「あら、意外と甘くて美味しいわね。蜂蜜も入っているのかしら」

「匂いがほんわかしてて、ついごくごく飲めるのよ」

「カモミールとエルダーフラワーかな。レディの優しさそのものを味わっている気分だ」

 三人の気が僅かながら和らいでいくのを感じ取り、リーンは口元を綻ばせる。

「エミリーから教わったものなの。孤児院に来たばかりの頃、いつも泣いてばかりだった私に良く淹れてくれたの」

「そっか。ひとりぼっちの嬢ちゃまは、こうやって慰められたのね」

「ありがと、リーン。おかげで少しだけ落ち着いたわ」

 マーガレットは優しく目を細めると、ティーカップで暖を取るように両手を添わせて、窓辺から漆黒の雨空を覗いた。

「……こういう日だったのよね。十年前の、しとしとと、けれどたっぷりと降る寒い雨の中、あたしたちは出逢ったの」

 『寒い雨』――秋口にマーガレットが漏らした言葉だった。不穏に高鳴る胸の鼓動を感じつつ、リーンは少しの勇気を使って恐々と口開く。

「カタリナおばあさまが言っていたことは……」

 マーガレットはちらりとプリムローズとジョシュアに目配せした。二人が小さく頷くのを確かめてから、肩の力を抜くような苦い笑みを浮かべていく。

「クソむかつくけど、本当のことよ。このキャンベル家に住んでいる人間はね、全員、血の繋がりがないの」

「メグねえちゃまは、あたしの本当のおねえちゃまじゃなくてね」

「僕もヨークたちの従兄弟っていう配役」

「あたしたちみーんな、貰われっ子の拾われっ子なのよ」

 テーブルに頬杖をつきながら、マーガレットは再び窓の外を見やった。

「フラウベリーの中心街へ向かう道の、小川を渡る橋の近くに水車小屋があるでしょう。あそこはね、元々『子捨て橋』って呼ばれていたところよ。何らかの事情で子供たちがそこに捨て置かれて、それを都合良く目を付けた誰かが好き勝手に拾う」

「それって……」

「まあ人道的じゃあないわよね。少し前まではこの界隈でも、そういう胸糞悪い文化がまかり通っていたのよ。あたしは捨てられた訳じゃないんだけど、――母親に先立たれて一人で途方に暮れていたところをお祖父様に保護されて――あの人と一緒に馬車で揺られているところで、子捨て橋にいたヨーク兄さんと、ジョシュとプリムに出逢った。お祖父様はあたしのついでと言わんばかりに皆も拾ってね、まるで犬みたいに」

「だからじじさまには恩があるのよ。……恩だけじゃあないけども」

「そうだね、あの人は良くも悪くもいい加減だから……」

 プリムローズとジョシュアも何処かげんなりと思い返している。どうやら、キャンベル伯爵は想像以上に癖のある人となりらしい。そして、その妹であるカタリナも、恐らく厄介な人物であるのだろう。

「ごめんなさい」

 ふとリーンが頭を下げるので、三人共面食らってしまった。

「いきなり何よ、びっくりするじゃない」

「私、『どうしておままごとなのか』って尋ねてしまったから……だからおばあさまは話してしまったかもしれないから」

「嬢ちゃまは悪くないのよ、ばばしゃまがくそ意地悪いってだけなのよ。嬢ちゃまのおねだりにこじつけて、あたしたちに嫌がらせしようって魂胆なのよ」

「でも、黙っていたかったことでしょう? 私に詳しく話しても良かったのかしらって……」

 「そうよねえ」とマーガレットは思案しながらも、開き直るように肩をすくめてみせる。

「ま、タイミングってのはあるわね。でも遅かれ早かれ打ち明けていたと思うわ。だって、あなたはもうキャンベル家の人間なんだもの」

「君に隠し事をしていて申し訳なかったね。何せ誰が聞いても楽しくない話なものだから」

 ジョシュアから哀しげに見つめられ、リーンはかぶりを振った。

「謝らないで。……誰にだって、言いたくないことはあるもの」

 そして、自分はそんなことばかりだと、リーンは言葉に出来ない歯痒さと情けなさに俯いてしまう。

 うなだれる少女の頭を、マーガレットが優しく撫でていく。

「……そうね、カッコつけて意地張って弱いところ見せたくなくって、あたしたち言いたくないことばっかり。……それでも、そうだとしても」

 白磁器から儚く立ち昇る湯気を見つめながら、そっと呟く。

「これだけは知ってもらいたかったのかも。誰もが自分にしか分からない苦さや切なさを――独りの痛みを抱えているものなんだって」

「独りの痛み……」

「あなただって、ヨーク兄さんにだって勿論あるものよ。生きていく中で、どうしても独りで抱えていかなくちゃいけないもの。……それを安心して誰かに打ち明けられるのは、もしかしたら随分と幸せなことなのかもしれないわ」

 ジョシュアとプリムローズがくすりと笑う。

「痛みを分け合うってことだね」

「んふふ、仲良く痛み分けするのね」

「それはちょっと意味合いが違うわよ、変な覚え方しないの」

 小さな笑い声がようやく台所を温かく満たしていく。リーンは静かに微笑みを零し、ヨークラインの薬湯を準備するために今一度湯を沸かしていく。寒い雨が吹き付ける窓辺を見やりながら、ぼんやりと考えを巡らせた。

(独りで抱え込むしかないヨッカは……私は……どうしたらいいのかしら……)




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