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【完結】リリー・ガーランド・ゲイン -林檎姫の呪いと白百合の言祝ぎ-  作者: 冬原千瑞
第五章 冬編

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キャンベルズ・ラズル・ダズル



 天高い街の停留所に、北方からの駅馬車が到着した。大理石のタイルに降り立ったのは、すらりとしたシルエット。喪服のような全身真っ黒の装いで、肩上に真っ直ぐ流れる蜂蜜色の髪とのコントラストが際立つ。清涼な冷風に煽られて、ひらめきながら踊る髪の内側には澄明な美しさをたたえる蒼空色のピアス。

 燦然ときらめく少女の周りに、たちまち人だかりが出来ていく。待ち構えていた多くの記者が興奮気味に取り囲み、写真機のフラッシュが幾つも焚かれていく。

「マーガレット・キャンベル嬢でいらっしゃいますね!」

「我々は記者クラブの者です」

「少しだけお話をよろしいでしょうか」

 少女の琥珀の瞳がゆっくり細められ、麗しき微笑みが広がっていく。

「――ごきげんよう、天空都市の皆々様」

 その目映さにうっとりしかけながらも、記者たちは言葉を重ねていく。

「此度の嫌疑についてどうお考えですか」

「今のお気持ちをお聞かせ願えますか」

 途端、きらびやかな目映さはふっと翳りを帯びた。憂いを帯びる眼差しを伏せがちにしながら、儚き微笑みをたたえていく。

「この場で詳しいことは申し上げられませんが――大いに物悲しく、残念な気持ちである、とだけ」

 人だかりに気付いて現れた二名の兵鳥(バード)が、厳めしい表情でマーガレットの両隣に立った。

「審問前の取材は慎んでいただきたい。ミス・キャンベル――どうぞこちらへ」

「ええ、参りましょう。それでは皆さま、ごきげんよう」

 兵鳥(バード)に従って、学徒区の方角へ颯爽と足を向ける。その凛とした後ろ姿を見やりながら、記者たちは焦心のため息をついた。

「ああ――神よ、どうかあの誇り高き少女に、寛大なる慈悲を」



 学徒区の奥部に位置する枢機部の入り口は、体格の良い警固の兵鳥(バード)が複数人配置されていた。

 ひんやりとした空気に包まれる大会議室の部屋角と、審議席の近くにも同じく多くの人員が割かれている。

 審議席に座る陪審員の解呪師たちは、何処か居心地悪そうに身を捩った。

「むさ苦しくて、息苦しさも覚えそうなんだが」

「夏の二の舞は避けたいからな、仕方ない」

「今年は夏も冬もキャンベル祭りか……異端相手に騒がしいものだ」

「シッ、言葉を慎め。アルテミシア侯もお見えになった」

 靴音を甲高く鳴らして現れるのは、金糸の刺繍を誂えた白衣を身に着ける女性。銀髪をきっちりと結い纏め、氷のように冷ややかな眼差しをたたえている。天空都市の顧問官であり、全解呪師を束ねる責任者だ。審問席に座ると、陪審員たちはひそめた会話を打ち切った。

 程なくして、金の少女も姿を現した。被告席の前に佇むと、明朗な声を響かせていく。

「マーガレット・エレナ・キャンベルと申します。キャンベル家当主、ヨークライン・ヴァン・キャンベルの名代として参りました」

「要請に応じていただき感謝いたします、ミス・キャンベル」

 そう穏やかに声を響かせるのは、審問席の奥の階段上にある判事席から。翡翠色の柔らかな髪と、硝子玉のように透き通った瞳を持つ少年だった。天使のような風貌に、あどけない微笑みが浮かんでいる。

「我が名は天園鳥(クレイドルバード)、エマニュエル・クレメンテ。神の傍に在ることを許されし身は、彼の者を公平な目で見定め、善性をもって審判を行うことをここに誓う。ひいては、彼の者に清浄(しょうじょう)なる心による発言を求めます」

「汚れなき、偽りなき発言をここに誓いますわ」

 そうきっぱりと口にしたマーガレットは、一礼してから席に座った。

「ではこれより、キャンベル家異端審問を始めます。まず審問官よりお話をお願いします」

 エマニュエルに促され、審問席から銀の女性が立ち上がる。

「此度の審問官を務める解呪師ミルクシスル・ホーリー・アルテミシアですわ。ミス・キャンベルの尋問を担当いたします」

 傍聴席の解呪師たちがひそひそと声を交わし合う。

「クジ運悪すぎだろう……」

「局長としては、異端を追い出す格好の機会だからな……」

 冷徹な面持ちのアルテミシアは、淡々と述べていく。

「まずは、此度の騒動の発端となった、忌々しき呪具に関して。名を『サイケデリック・アルカディア』。服用することで、並々ならぬ快楽を与えるもの。作用が抜け切ると大きな脱力感と絶望感を覚え、恒常的な服用を求めるようになる依存性をも兼ね備えている。それはやがて身体の生理機能を大幅に低下させ、人としての暮らしもままならなくなる。非常に末恐ろしい呪具なのですわ。享楽を餌に人としての尊厳を疎かにさせる――かような悪意と暴虐をのさばらせておくなどもっての外。甚だしき非道にして、許しがたき蛮行――万死に値するものでございます」

 室温が一段と下がった気がする――傍聴席の皆は、無言で唾を飲み込んだ。

 アルテミシアはマーガレットを冷淡に見やる。

「お前たちキャンベルの秘技は、どういったものになるのかしら」

「……紡いだ言葉通りの効果を得られるものにございます。分かりやすくお伝えするならば、毒消し草の名を言葉にすれば、毒消しの効果を得られる。そういった技術にございます」

「その詳細は?」

「秘技ゆえに多くは申しかねますが、植物や鉱石などの自然物のエネルギーを抽出し、言語(コード)として術式を作ったものを特殊な札に落とし込みます。それを用いることで、己の身のエネルギーをコードと同じエネルギーとして変換させる。それが我がキャンベルの解呪符(ソーサラーコード)です」

「種類によっては毒消しとしても、劇毒としても、用いられるということかしら」

「仰る通りです。薬は薬、毒は毒として効果を得られます。ただ、使う人間のエネルギーが高くないと効果は得にくいものです。元より、高エネルギーに値するコードは、システムロックで制御しております」

 アルテミシアが手元にある切手大の紙切れと、紙札を持ち上げた。審問用に提出されたサンプルだった。

「――お前たちキャンベル家の妙技の紙切れと、この呪具は、形状と機能が酷似している。この点についてはどう弁明するつもり」

「似ているというだけで、同一ではありません」

「あくまで別物だと?」

「はい。偽造を防止するために、天空都市の特別許可局に解呪具として許可を求めました。その証明として、解呪符(ソーサラーコード)には違い羽の印章がございます」

 マーガレットは懐から取り出した金印を手に掲げ、優美な微笑みを浮かべていく。

「我がキャンベルの秘技を天空都市にお認めいただいたこと、とても誇らしく感じております。正規に認められし解呪具を真似たとなれば、……偽りの呪具にはそれ相応の沙汰が下されましょうね」

 金の女神の眼光に一瞬の鋭さを感じ取り、傍聴席の皆は息を呑んだ。だがアルテミシアは淡々と返す。

「確かに認めているけれど、それは解呪符(ソーサラーコード)に関して認めただけということ。だが、似通う『別物』を作ったとなれば、それは適用にあらずと言える。同じ効果を持てども、名などいくらでも変えられるのだから」

「……ほほ、面白いことを仰いますわね」

「愉快なのは、玩具にはしゃぐ愚か者だけでしょう」

 金の女神と銀の女神の鍔迫り合いを前に、誰しもが縮こまった。固唾を呑んで、ただ成り行きを見守るしかない。

 アルテミシアが別の質問を手向けた。

「『サイケデリック・アルカディア』は、貴族や商人を中心に出回っている。それ故に多くの財源も流出した。資金使途の行方を追っているが、現状不明であると兵鳥(バード)から報告が入っているわ。――最近キャンベル家は、我が天空都市の宝飾店で多く買い求めたそうね。辺境伯領の何処にそんな財源があったのかしら」

 マーガレットは神妙に声を返す。

「――夏の騒動にて、我がキャンベルの奮闘を称えられ、天空都市より報謝として賜ったものにございます。小切手には枢機部からのサインもございますが、提出いたしますか?」

「ふん、結構よ」

 アルテミシアは面白くなさそうにツンと返した。

「あの、それって……」

 審議席の解呪師が隣席に小さく声をかけると、高等解呪師がしかめ面をした。

「……猊下の尻拭いだ、皆まで言わなくとも分かるだろう」

「し、失礼しました。ですが、それですと……」

「ああ、……キャンベル家は我々の懐に入りすぎだ。もはや異端と蔑み、悠長に弾き出していてはならぬ存在だ」

 キャンベル家の処遇は慎重にならざるを得ない――議席の半数以上がその予感を抱えていた。采配の一つでも誤れば、天空都市そのものの立ち位置が揺らぎかねないのだから。

 アルテミシアは手元の資料に視線を寄こしてから、再びマーガレットを見据える。

「一つ問うわ。審議用に提出を求めた解呪符(ソーサラーコード)――中には随分と攻撃性の高いものがあるわね」

「はい、植物毒を元にしておりますので」

「人へ使用するには、あまりに過剰な攻撃性を秘めているわ」

「あくまで、防護、防犯用に作成したものです」

「悪意はないと? それを証明出来るの?」

「それを毒とするか薬とするかは、人の定めるところではありますが……私の携わる解呪符(ソーサラーコード)は、人を傷付ける道具ではございません。キャンベルの名に誓って申し上げられるものです」

 アルテミシアの声音が更に険しさを滲ませていく。

「傷付けるのがたとえお前でなくとも、人が道具として扱う以上、必ず悪意を手招くわ」

「手招かないためにも、重々に管理し、けれど皆に分け与えたいものなのです。解呪符(ソーサラーコード)はキャンベル家の、――私の誇りですから」

 少女は真っ直ぐな眼差しで力強い意志を込めてみせた。だが、アルテミシアは冷笑し唇を曲げる。

「誇り? 随分と仰々しいわね、その誇りとやらは。わたくしから見れば、安っぽい代替を求めた未熟者の言い訳に過ぎぬ。――解呪の素質がないからと、ここからおめおめと逃げ去った臆病者の追い求めたものが、その魔法かぶれの妙技ではないの」

 マーガレットの顔が強張った。それでもアルテミシアは追い打ちをかけていく。

「素質がなくともここで日々努力し、研鑚を積む解呪師もいるというのに。己の不甲斐なさから目を背け、異端に軽々しく走る弱さを正当化するでないわ。所詮は傲慢よ。誇りを騙り、驕って、お前の自己顕示欲を満たしているに過ぎないわ!」

 少女は唇をぎゅっと引き締め、何度も瞬きしながら金の睫毛を震わせていく。俯きがちの悲愴を露わにした表情は怯える幼い少女のようで、日々の目映い笑顔で周囲を照らすマーガレットらしさは微塵もない。場内が騒然となっていく。

「あんな顔もするのか……」

「事実だとしてもあの言い方は……」

 不安と焦燥と同情が、泣き出しそうに震える金の少女に寄せられていく。

「そう捉えられても仕方のないことかもしれません。……それでも、解呪符(ソーサラーコード)は私の誇りなのです。何故ならこれは、私の救いなのですから」

 アルテミシアは訝し気に眉をひそめた。

「……救い、ですって?」

「元々は、私の家族のためのもの。――初めて作った解呪符(ソーサラーコード)は、台所の火種代わりとなるものです。この冬を無事に越せるのかと、湿った薪を数えながら、食事の支度をする家族のために。偽りの火種を(おこ)した瞬間、ぱっと輝くような笑顔が眩しくて、嬉しくて、今でも忘れられません。その微笑みは、確かに私を救いました。私に意味を与えてくれました。だから他にも、もっと役立てるものを作れないかと、夢中で開発に勤しみました。もっと喜んでくれないかしら、もっと笑ってくれないかしらって」

 震える睫毛の中心に揺るぎなく光る琥珀が、より冴え冴えと訴える。

「家族だけでなく、領民にも、万人にも隔てなく。もっと、もっともっとと、膨れ上がって止められません。非力でちっぽけな私でも、少し手を加えるだけで大きな力になれるのだと、この喜びは私の救いとなって、膨れ上がってとどまらないのです……!」

 琥珀からみるみると湧き上がった雫が光って、一粒、二粒と真下のデスクへ滴っていく。その切実なきらめきを、誰しもが目を離せない。

「それは、誇りではなく驕りというものでしょうか? 私の喜びは、私の救いは、傲慢と咎められるものなのでしょうか? 神の御業に程遠いこの力は、赦されざる軽挙妄動に過ぎないのでしょうか……ッ!」

「――ミス・キャンベル、少し落ち着きましょうか」

 エマニュエルから穏やかに呼びかけられ、マーガレットは我に返ったのか目をハッと瞬かせた。すぐさま恥じるように顔を背け、潤む目元をハンカチで押さえた。

「……御前で大変失礼いたしました。気が昂りすぎるといけませんわね……」

「いいえ、あなたの偽りなき言葉、大変感銘を受けました。解呪に携わるあなたの、そのあくなき探究心は、人の喜びと己の救いのためのものだと――それはとても羨ましく、とても眩しい想いです」

「羨ましい……?」

 マーガレットが目を瞬かせながらぽつりと繰り返せば、エマニュエルは澄みやかな微笑みを向ける。

「はい。――アルテミシア侯、他に問いただすものはありますか?」

 アルテミシアはいささか忌々しそうにだが、淡々と返した。

「わたくしからはもう特にございませんわ」

「そうですか。尋問のご協力、誠にありがとうございました。では、これより審議の時間に入ります。陪審員の皆は速やかに意見を取りまとめて――」



  学徒区と観光区の境の通りには、隠れ家のような小さな酒場があった。審問後の夕刻時、人気の薄い閑散とした奥間のテーブル席で、ブラウンは嬉々と記事の下書きを書き進めていく。

「『キャンベル家・栄光の裏側――金の女神の語りし涙の備忘録』――見出しはこんなところかねえ」

 酒場のドアが開き、ブラウンの隣にどっかりと腰を落ち着けたのは渋面のマーガレットだった。滞在ホテルで着替えてきたのか、朽葉色の目立たないワンピースを身に纏っている。椅子の背にだらしなく身体を預け、すぐさま出されてきたシードルの瓶に口を付けて、一気に飲み干していく。

「……っぷぁ~~、仕事を終えた後の一杯は格別だわねえ……」

「あははお疲れ、随分と女優だったじゃん。涙なんて流せたんだね」

「ホホホ、失礼な奴ねえ。人間の生理機能なんだから流せて当然でしょ」

「ニコニコ笑うだけが取り柄のお人形――かつてそう嗤ってた奴らもキミにはメロメロさ」

「あんたはそういう軽口もゴシップ好きも相変わらずね」

 マーガレットが幾分愉快そうに口元を歪めた。注文した紅ハッカの根を摘まもうとした矢先、真後ろからカツンと甲高い靴音が鳴った。

「――メッキが剥がれているわよ、大言壮語の見栄っ張り小娘」

 マーガレットは怯えるように肩を跳ね上げた。緊張感も剥がれた今、一番に聞きたくない冷徹な声音だった。

 恐る恐る首を回して、真後ろに佇む女性を仰ぐ。

「き、局長……どうしてここに」

 冷淡な表情のアルテミシアは、マーガレットの背後のバーカウンターに腰を落ち着けた。

「わたくしの行きつけの酒場に、お前がいただけということでしょう」

 マーガレットはすぐさまブラウンを睨んだ。

「どうしてここを落ち合い場所にしたの。あんたどうせ知ってたんでしょう?」

「いやー、だって、共闘を呑んでくれた銀の女神のお声も拝聴したかったし?」

 ケタケタと笑うブラウンは、爛々とさせる眼差しをカウンターに注ぐ。

 アルテミシアはふんと鼻先で冷ややかに笑った。

「狂言回しだと言いたいようね。だがあの場で話したことは、わたくしの真実で、本音だわ」

 チョコレートを一つ摘まみ、蒸留酒を舐めてから、アルテミシアは神妙に声を落とす。

「決して忘れないわ――かつて学徒だったお前が、わたくしに無断で解呪を施したこと」

 マーガレットは不意を突かれたように息を呑み、物静かな眼差しで問う。

「強心効果の解呪符(ソーサラーコード)……のことでしょうか」

「あれがなければ助からなかった、それは事実。一歩間違えれば、命を落としていた。それも曲げようのない現実」

 マーガレットは今度こそ怯まなかった。物怖じせずにはっきりと告げる。

「綱渡りなことをしているつもりはありません。未熟であろうとも、――これからも」

「口車に乗せられるつもりはないわ」

 差し向けられるのは決して融けることのない氷の(かんばせ)だった。それでも固く結ぶ口元から、力を抜くような吐息がゆっくり押し出されていく。

「……そうね、お前はどの道、どうあろうともしたたかであれる。だが、キャンベルの若造はどうなのかしら」

「……それは、どういう意味でしょうか」

 矛先が逸れて面食らいながらも、マーガレットは慎重に投げかける。アルテミシアは横目だけを向け、ひっそりと小声で言い渡した。

「……『鳥』に気を付けなさい。悧巧な白痴ほど末恐ろしいものはないのだから」



 ピックスは、裁決印が押された書類を硬い床面に投げ打った。

「だからそこで何で無罪判決なんだよ! 上告だ、上告すんぞ畜生めが」

「異端審問にそんなシステムはありませんよ、ピックス」

 ホスティアがさも鬱陶しそうに返した。判決そのものよりも、鳥籠に戻ってきた主の身体の方が心配だったからだ。

 体調に問題のないエマニュエルはきょとんとピックスを見上げて、心底不思議そうに首を傾げている。

「何で? 彼女の言葉に嘘偽りはなかったもの。お仕事する以上、そこは公平さを前提にきちんと執り行わなきゃ」

「彼女は民衆を味方につけました。そしてこの街において、天なる神は民の味方です」

 天空都市の立場として、エマニュエルとホスティアの言い分はおしなべて正しい。

 それでも納得がいかないピックスは、歯を剥き出しにして唸った。

「あのな、あいつは狡猾な女なの、魔女(マギー)なの。平気でペラペラあることないことくっちゃべられる悪女なの。何重も被った外面で周りの奴らを平気でかどわかす血も涙もないクソアマなの」

「それはむしろあなたではないですか、ピックス」

「ふざけんな、俺は男だ」

「性別のことなど問うてません、愚直な頭だ」

「テメーこそ空気読めねえ阿呆だな。んなこた分かってヘソ曲げてんだよ、察しろ唐変木」

「ふ、構って坊やとは薄気味悪い」

「んだと、もっかい言ってみろ、この偏執狂の色眼鏡が」

「も~~、カラスがぎゃあぎゃあとうるさいなあ。君ら喧嘩なら他所でやってくれる?」

 魔術師(マグス)が煩わしそうにソファで寝返りを打った。

「まあいいじゃんか、目的は果たしたんだからさあ。後は時間の問題なんだから、大目に見てあげなよ」

「時間って、どんくらいだよ?」

 仏頂面のピックスに、魔術師(マグス)は得意げに微笑む。

「……そうだね、『お迎え』に行く時かな」

 エマニュエルの無垢な表情が、さっと変わる。虹色の光を放つ瞳が大きく見開かれ、唇に深々とした笑みが浮かんでいく。

「ピックス、伝えてくれてるんだよね」

「……ああ、ちゃんとな」

「そう。……じゃあ、いよいよ会えるんだね」

 


 フラウベリーの大通り沿いには、小さな郵便局があった。リーンが顔を見せると、老爺の局員がゆっくりと立ち上がる。

「すみませんな、お嬢様。ご足労いただき恐れ入ります」

「いえ……。私が頼んだことですから」

 リーンが申し訳なさそうに告げると、局員は目を細める。

「手紙を望む形で送り出すのが、わしらの使命ですからの」

 局留めにしていた手紙を受け取り、リーンは深々と頭を下げる。

「ありがとうございます。確かに受け取りました」

 郵便局の外に出ると、偶然通りすがった村娘たちがリーンに笑顔を向ける。

「リーンお嬢様、こんにちは!」

「キャンベル家のお仕事?」

「う、ううん。友だちの手紙を受け取りに来たの」

 リーンの手にある封書を見やった一人の少女が、含んだ笑みを浮かべる。

「ふうん、ラブレターじゃないの?」

「えっ、そんなものじゃあ……」

 リーンが戸惑いながら言葉を返せば、村娘たちはきゃらきゃらと笑う。

「あはは、そうよね、お嬢様にはご領主様がいるんだし」

「でも、お嬢様に想いを寄せるお相手が別にいるのかもしれないわ」

「しかし横恋慕を領主様が許す筈もなく……」

「『彼女には指一本触れさせはしない』って言うのね、素敵!」

「ええと、本当にそういうものじゃあ……」

 本人を前に無邪気な想像を働かせる少女たちに、リーンは苦笑するしかない。


 大通りの入り口まで送ってくれた村娘は、何度も手を振りながらフラウベリーの中心部へと帰っていった。リーンはその姿が見えなくなるまで、手を振り返しながら見送った。やがて、その朗らかな笑顔がみるみると沈んだように寂し気なものへと変わる。中心街から背を向けて、夕陽に染まる家路をゆっくり進んでいく。

 昼間の穏やかな陽気は薄れ、木枯らしの寒々しさが全身を覆った。冷え冷えとした空気は自然と両肩を縮こまらせていく。毛織物のコートの袖に手を潜り込ませ、かじかむ指先に息をかけて温もりを求めた。

「……とうとう冬が来るんだわ」

 小川を越えて、水車小屋の前まで辿ったところで、見慣れない姿を発見した。小屋の壁を細身の杖でコツコツ叩きながら、何やらぶつぶつと文句を垂れている。

「あれあれあれ、みすぼらしかったのがえっらく綺麗になっちゃってまあ」

 体格の良さで遠目では分かりにくかったが、目鼻立ちのはっきりした初老の女性だった。縮れたような細かに波打つ赤茶けた髪が、肩下までたっぷり下りている。少女と視線が合うと、その皺の刻まれた目尻が柔らかく笑んだ。

「おや、お嬢ちゃん。こんな村の外れまで道草食ってると、人買いに攫われちまうよ。良い子は早うお家にお帰り」

「いえ、あの、今の私の家は、こっちなんです」

 言いながら、リーンは道の先に佇むキャンベル家の屋敷を指し示した。

 すると緩んだ目尻が三日月のように細くなり、何処か探るように少女を窺う。

「……お嬢ちゃん、名は何て言うんだい?」

「……リーン=リリー・ガーランドです」

 眼光の鋭さに怯みながらも、恐る恐る口に出す。すると老女は意外そうに瞬きしたが、やがてくつくつと喉奥で笑い声を響かせていく。

「おやおやおや、そうかいそうかい、お前があの……? ――エマにてんで似てないねえ。そのおぼこいお顔は父親譲りかい?」

「え……?」

「荷物持っといてくれよ、ガーランドのお(ひい)さん。腰にきてしょうがないもんでねえ」

 ぽいと放り投げられた革鞄をリーンはとっさに受け止めた。キャンベル家に向けて歩き出したその大柄な背を、慌てて追う。

「あ、あの、エマって……、私のお母さんを知っているんですか? あなたは一体……?」

「――災厄を連れてくる女」

「さ、災厄……?」

 リーンがおっかなびっくり繰り返せば、老女は立ち止まった。振り向いて、濁った黄土色の瞳が少女を鋭く射抜く。

「あたしがまかり通れば最後、残るは荒野か、焼け野が原。カラミティ・カタリナ・キャンベル――人はそう呼んで、あたしに恐れ(おのの)くのさ」




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