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【完結】リリー・ガーランド・ゲイン -林檎姫の呪いと白百合の言祝ぎ-  作者: 冬原千瑞
第五章 冬編

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サイケデリック・アルカディアⅠ



 治療室が開放され、マーガレットとリーンが寝台にシーツを敷いていると、ジョシュアが忙しない足取りで花束の入った花瓶を運んでくる。

「ヨークは今?」

「天空都市ですって。すぐに戻って来てくれるって言うけれど……、ああもう本当にタイミングが悪い!」

 気を揉むマーガレットの背後で、リーンは棚の引き出しから紙札をいくつか取り出して、キャスターワゴンの上に並べていった。

「あの、メグ、解呪符(ソーサラーコード)はここに?」

「ええ、いつものものをお願い。今日の数値は――」

「キャンベル様、お連れしました!」

 到着した荷馬車から担架で運ばれてきた患者が、治療台に寝かされる。華美な身なりの恰幅の良い男だった。

 喉を逸らしつつ、声なき声を上げている。痙攣を繰り返す身体は窮屈そうに藻掻き苦しんでいた。四肢や腹部をロープで縛り付けられているのだ。

「暴れるので固定しています」

 渋面で告げた使者に、マーガレットが安心させるように微笑みを浮かべていく。

「ご苦労様でした。ここからはキャンベル家が責任をもって対処いたします」

「奥方様もご一緒に付き添われておりまして……」

 使者が流した視線の先の、入口付近の廊下には、青褪めた顔つきで佇む中年の女性がいた。

「夫は……夫はどうなりますか……っ」

 怯えるように震わせる肩をジョシュアがそっと包んで、客間へ案内していく。

「僕らにお任せを、マダム。治療にはしばらくお時間がかかります、どうぞこちらへ」

 治療室の扉が閉じられると、マーガレットは鋭い眼差しをロープの綻びに定めた。のたうち回る身体のせいでぎしぎしと悲鳴を上げ、今にも引き千切れてしまいそうだ。

「随分と馬鹿力。プリム、お願い」

「アイアイ、ねえちゃま。其は天より課せられし苦難の茨――エンコード:『ソーン・バーネット』」

 蔓草が患者に巻き付けられ、固定し直していく。続けてマーガレットが声を張り上げた。

「世界の規律を見せよ、我らに偏りを示せ――キャリブレーションコマンド起動、測定ッ!」

 瞬時に大小様々な砂時計が空中に浮かび上がった。その内の取り分けて大きな三つの砂時計――赤、黄、青、それぞれの中身の様子を窺う。

 赤い砂は随分と落下の流れが遅く、黄の砂時計はひたすらくるくると回転を続ける。青い砂は膨れ上がり、煮えたつようにぼこぼこと音を立てていた。

 マーガレットが遠慮もなく眉をしかめていく。

「……酷いわね」

 夫人をどうにかなだめ、治療室に戻ってきたジョシュアが慎重そうに呟く。

「……やっぱり、今回もかい」

 プリムローズも患者の身体を見やりながら、口元を苦々しく窄めた。

「マナが、全部めっちゃくちゃのけちょんけちょんなのよ」

「花のマナ減少、月のマナの不規則運動、雪のマナの分解。――これまでの中でも一際惨いわね。どうしてこんなことになるまで……」

 マーガレットが嘆かわしくため息をつくと、ジョシュアが手に握るものを差し出してきた。

「奥方から、これをお借りしてきたよ。肌に貼って使うらしい」

 幾何学模様の描かれた、小さな紙切れだった。切手のように、裏側に粘着性のある成分が塗られている。マーガレットはしかめ面で摘まみ上げた。

「……これが例の? ともあれ、後で解析に回すわ。まずは患者が優先よ」

 言いながら、ガラス製の保存容器に収めていく。

 横たわる身体をじっと見続けているプリムローズが、静かに投げかけた。

「嬢ちゃま、見えるかどうか、お願い」

「う、うん」

 後ろに下がって様子を見守っていたリーンは、一歩踏み出して患者をじっと見つめた。静謐な蒼い眼が何かを見定めるように瞬きを繰り返したが、やがて困ったように目尻を下げていく。

 黄色の砂時計が益々回転の速度を強め、青い砂時計の沸騰が激しくなった。それに合わせて巨体が跳ねるようにのたうち回る。

「まずいわね、ひとまず応急処置よ。プリム!」

「アイアイ。其は清爽たる雪融け水――エンコード:『アクアマリン』、其は導き委ねる旅人の石――エンコード:『ムーンストーン』!」

 解呪符(ソーサラーコード)から光が撒き散らされ、患者の身体全体を覆っていく。痙攣は少し治まったが、砂時計は依然として異常な反応を示している。マーガレットは汗で冷える手をぐっと握り締めた。

「……時間稼ぎにもならないわ」

 舌打ちしそうになった矢先、ヨークラインが息を切らして治療室に入ってきた。

「すまない、今戻った」

「兄さん! 意外と早かったわね」

 振り返ったマーガレットが心から安堵の表情を見せたが、手に抱えられた飛翔装(バードコート)に気付くと口元を曲げた。

「アイツのこういうとこ、マジで気に食わない」

「こちらに都合の良い厚意は素直に受け取めろ。腹の内がどうであろうと」

 ヨークラインは淡々と告げ、患者を見つめるリーンの隣に立った。

「リーン=リリー、分かるか」

「……ごめんなさい。やっぱり、見えないの」

 申し訳なさそうに、それでも何とか感じ取れるものを口に出していく。

「良く分からないのだけれど、閉じられている……、そんな気がするわ」

 口元に手をやりながら、ヨークラインは考えるそぶりをする。

「成程。急所が、解呪の介入場所として機能していない可能性が高い。――ならば、致し方ないか」

「ちょっと、兄さん」

 マーガレットの咎めるような呼びかけを振り切り、自身の胸元に手を添えて呟く。

「其は永遠浄土に咲き綻ぶ不朽の花――エンコード:『オール・パーパス・フラワー』」

 若草の匂いが立ち込め、部屋全体を包むように温かく柔らかな風が舞い起こった。

 患者の苦悶の表情は、徐々に安らかなものへと変わっていく。砂時計も異変を止め、全て正常値を示した。

 こめかみから汗を幾筋も垂らし、たっぷりと息を吐くヨークラインに、ジョシュアも眉をひそめて呼びかける。

万能(オールパーパス)だからって、この間から連発しすぎやしないかい。身体の負担を考えておくれ」

「寝れば元に戻る。問題ない」

「あたしにのたまった御高説、今ならそっくりそのまま返せるのよ。『自分の力を過信しすぎるな』って」

 末妹のぼやきにはさすがに気まずさがあるのか、ヨークラインは苦り切ったため息をつく。

「だからとて、他に(すべ)があるとは言えまい。この奇怪な呪いの因子が掴めていない現状では」

「兄さん、そのことなんだけど――」

 マーガレットが口を挟もうとして、噤んだ。

 患者の男が、突如目を覚ましたのだ。ゆっくりと天に両手を伸ばしていく。

「……でぃあ……」

 月光だけが室内を柔く染め上げる中で、濁った眼差しをぎらぎらと輝かせていく。ヨークラインはそっと神妙に投げかけた。

「……何が見える?」

「……ある、かでぃぁ」

 男の恍惚を帯びる呟きに、プリムローズが眉根をきつく寄せた。

「『アルカディア』……。確かに聞こえたのよ」

「天なる神々の住まう楽園の名前だね」

 ジョシュアがひっそりと零し、リーンは半分身を乗り出して尋ねる。

「他には、何が見えますか? もしくは、何か聞こえますか?」

「……つばさが……祝福が……ことほぎ……が……」

「あの、他には?」

 夢見るようにうっとりと目を細める男は、おかしそうにくすりと唇を綻ばせる。

「……わからないなあ」

 マーガレットが切手サイズの紙札を掲げ、男のすぐ目の前に持っていく。

「こちらは、何処で手に入れました?」

 男はそこで困ったように眉をひそめた。

「……わからない。……ああ……どこだった……だろう……」

 ヨークラインが苦り切ったため息を吐いた。

「やっぱりか」

()()、だね。これで、何件目だい?」

 ジョシュアの憂える声につられるように、マーガレットも暗いため息を落とす。

「少なくとも、十件以上は。……ここのところ毎日よ、どうなっているの」


 冬の始まりから、原因不明の呪いを解呪する案件が続いていた。七大都市の貴族や商人などの裕福層が主な依頼主だった。神経を酷く冒され、意識を朦朧とさせながら身体をのたうち回らせ、かと思えば寒々しく震わせ続ける。痛みを取り除けば、恍惚の表情となり、夢見るような眼差しでうっとりと語るのだ。神々しい翼が見えた、福音が聞こえた。――これは(こと)()ぎなのだと。

 それでも、誰にもたらされたものかを尋ねてみるが、皆が首を横に振る。分からない、知らないと。

 男の奥方は語った。

「天使からの賜りだと、夫は言っていました。これは楽園(アルカディア)へ導く天なる鍵だと。――夫は深酒をする癖がありまして、それを防ぐためのものとして入手したそうです。始めは心穏やかに振る舞っておりましたが、あれの効果がなくなると、深酒した時よりも乱暴を振るうようになりました。わたくし、とても怖くなりまして、これを隠したのです。すると、『あれがないと悪魔が来る』と叫びながら床にのたうって、それで――……それでも、もうわたくし、あんな思いは……っ」

「……お辛かったですね、マダム。旦那様の解呪は無事に終えておりますので、しばらく安静にしていれば健やかを取り戻されます。お話を聞かせてくださり、心から感謝申し上げます」

「わたくし……わたくしは……!」

 咽び泣く奥方の相手を引き続きジョシュアに任せ、リーンは客間の扉を閉めた。台所で紅茶を淹れ、茶器一式をトレイに載せて書斎へ向かう。窓際の角に位置する作業机で、ヨークラインがカルテを作成していた。

「ヨッカ、治療室の片付けが終わったわ」

「そうか、ご苦労」

 リーンがカップに注いだ紅茶を机の隅に置くと、喉が渇いていたのかすぐに飲み干していく。

「お腹も空いたかしら? 確かアップルパイの余りがあった筈だから……」

「いや、構わん。奥方の様子はどうだ」

「落ち着くまではもう少しかかると思うの。それと、あれは天使からの賜り物だって……」

 奥方の言葉を伝えると、ヨークラインは眉をひそめて机に両肘をついた。手の甲を額にあてて、考えこむ表情になる。

「楽園に導く天なる鍵、か」

「要はうっとりメロメロになるって感じなのよ、胸くそ悪いぐらいにね」

 プリムローズが部屋に入ってくるなりそう告げた。疲労の帯びる顔つきで、簡易椅子に腰掛ける。リーンから手渡された紅茶に角砂糖を数個入れ、たちまち飲み干してしまった。

「分かったのか」

「詳しい話はねえちゃま待ちよ。あたしは、見て感じたものを正直に伝えるまでだから」

 不機嫌そうな顔つきは空腹なのもあるのだろう。リーンが台所へ戻ろうとすると、その前にマーガレットも苛立たしげな足取りで書斎に入ってきた。

「ああもう、本ッ当に、一体全くもってどうなってるのよ」

 その手には、台所で見繕ってきたらしいアップルパイがあった。目をきらめかせて傍まで駆け寄ったプリムローズが、一切れを手掴みして嬉々と頬張っていく。

「ちょっとあんた、行儀悪いわよ……って珍しく説教しないのね、兄さん」

 マーガレットが物珍しそうに投げかけても、疲れた表情の兄は一つため息をつくだけだった。

「今だけは構わん。それより報告を聞きたい」

「そ。じゃあまずカルテを見せて」

 ヨークラインから用箋ばさみを受け取り内容に目を通すと、自分の報告書を挟んで差し戻す。

「さて、ここのところ我がキャンベルに舞い込む異常なまでの依頼――その原因となるものをようやく入手したワケなんだけれど。正直、結構うすら寒いシロモノなのよ」

 ガラスの小皿に収まっているのは、切手のような小さな印紙。それを作業机にそっと置く。

「完全なる悪意によって作られた呪具――もとい、純然たる劇毒成分のエネルギーが検出されたわ」

「純然たる、劇毒のエネルギーって……?」

 リーンが困惑の表情で首を傾げる。

 しかめ面のマーガレットは、紅茶を注いだカップにミルクを一垂らしした。

「毒殺するってなると、その材料である植物を煎じて抽出したものを食べ物に盛る。または絞り汁を軟膏に混ぜ込んで得物に塗る。大抵は、何らかの媒介を用いて凶器に仕立て上げるものよね。……でも、これは、この紙自体が毒物なの」

「ええと、貼り付ける場所に、毒物が塗られていないってことで……?」

 いまいち要領を得ないリーンに、プリムローズがひっそりと緊迫の声を落とす。

「嬢ちゃま、紙きれそのものがね、おまじないなの。あたしたちが一番良く知ってるでしょ?」

「え……それって……」

 報告書をまくるヨークラインが静かに口開く。

「瞳孔拡大・頻脈・幻視・意識混濁・言語障害……成程、高揚と幻覚作用に長けた毒草と同一の効果があるようだな。お前が一時期入れ込んで開発していた劇毒作用に、良く似ている」

 マーガレットが皮肉そうに口角を曲げる。

「コードにするなら、『エンゼル・トランペット』とでも名付けましょうか。天使からの賜りのようだもの」

「メグ……じゃあこれは……」

 リーンの蒼白になっていく表情を、マーガレットは苦々し気に受け止める。

「我がキャンベルの解呪符(ソーサラーコード)に、中毒作用を誘発させるコードがあるでしょう。植物の劇毒成分を抽出して、感受性の高いプリムの協力を得て言語化(デコード)し、再構成してコードとなる。この切手に刻まれた文様は、それと同等の効果をもたらすものみたいなの。……つまりこの呪具は、ウチと同じ、もしくは似たような秘技で作られたものよ」

 ヨークラインが頭痛を抑えるように額に手をやった。

「……技術の流用か?」

「ねえちゃまが商売道具として触れ回るからなのよ。開発費もの欲しさに、このごうつくばり」

 妹からの辛辣な物言いを、マーガレットは気まずそうにしながらも睨み返す。

「あたしが提供しているのはあくまで商品としてよ。きちんとシステムロックだってかけてるわ。企業秘密を易々と教えるわけないじゃない」

「誰かが分析したのかも? 聖草都市エルベルトの製薬技術は結構ヤバいって聞いたのよ」

「ウチの秘技は、元はヨーク兄さんの――クラム家に伝わる門外不出の技術が源泉機構(ソースコード)なのよ。いくら七大都市の研究機関でも、門外漢が簡単に解析も研究も行えるものじゃないわ。しかもこんな短期間で。それこそ、お伽話に出てくる賢者か魔女の扱う、よほど卓越した魔術技術(ウィッチクラフト)でもなきゃ……」

「ふうん、じゃあきっと、あいつよ」

 プリムローズが苛烈に瞳を吊り上げた。

「少しだけ、キラキラしたものを感じたもの」

「成程な。その予測ならばまだ納得が、……っ」

 ヨークラインが立ち上がろうとしたが、不意に眉間が苦渋に寄った。倒れ込むように机にしがみつき、崩れた膝が床面についてしまう。

「ヨッカ……!」

 リーンが傍まで駆け寄って身体を支える。胸元に視線を下ろして、ハッと息を呑んだ。

「これ……」

「……ただの立ちくらみだ」

 強がりとしか思えない発言をマーガレットが諫めた。

「何言ってるの。ここんとこしょっちゅう解呪コードを使っているから、負荷で身体が参っているのよ。とりあえずベッドへ急行!」

「ジョシュアちゃん呼んでくる!」

 プリムローズが飛び出そうとした矢先、突如扉が乱暴に開かれる。

「失礼する」

 靴音を重く鳴らし、数名の兵鳥(バード)が部屋に入ってきた。突然の乱入にプリムローズがいきり立つ。

「こんな夜更けに何の御用なのよ。今日はとっくに店じまいよ」

「天の御使いといえど、招待もなく屋敷に土足で上がり込むのはいかがなものかしら」

 マーガレットも吊り目を鋭くさせて睨む。すると兵鳥(バード)の背後から兵鳥(バード)隊長エルダーが姿を見せた。

「無礼はお詫びする。が、こちらも火急の任務故にご容赦いただきたい」

 リーンに支えられながらうずくまるヨークラインを、エルダーは顔をしかめて見下ろした。

「ヨーク……君に審問を行う」

「審問……だと……?」

 控えめだが呼吸を荒くするヨークラインは、たちまち瞠目した。エルダーが懐から取り出したのは、切手大の大きさの印紙だった。

 プリムローズも声を荒げる。

「それ……どうしてっ!?」

「強い依存性を伴う多幸感を与えて精神を侵し、やがて身体機能を破壊させてしまう。近頃頻繁に出回り始めている正体不明の呪具だ。天空都市は『サイケデリック・アルカディア』と名付け、我々兵鳥(バード)はこの呪具をばら撒いた招呪師の捜査を命じられた。従って、該当の呪具に似通う技術を持った、君たちキャンベル家に嫌疑がかかっている」

「そんな……」

 マーガレットが弱々しそうに口零し、足をよろめかせる。プリムローズが慌てて姉の腰元を支えた。

 エルダーは苦々しく、だが毅然と言い放った。

「キャンベル領主、ヨークライン・ヴァン・キャンベル。解呪師キャンベル家の代表よ、――天空都市に出頭を命ずる」




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