ままごとの温もり
しゃらり、しゃらりと繊細な音を立てる銀細工が、窓辺からの淡い陽光を浴びて一層清廉な白みを帯びている。
髪を覆うような半円型の作りで、長い髪を彩るように幾つもの蒼玉と真珠、水晶が連なって実っている。白銀の台座には研磨された金剛石が多く散りばめられており、絢爛な目映さは女神の心も奪うだろう。
荘厳なきらめきを放つ純銀のヘッドドレスは、天空都市の彫金細工師が拵えたものだ。発注者のマーガレットが、満悦そうにうっとりと目を細めた。
「ん~~、匠の技が光る特級の一品ね」
その煌びやかな銀細工を頭に乗せられたリーンは、その重さに比例する途方もない価格を想像して肩を縮こまらせた。
「あ、あの、本当に、私に……?」
マーガレットがあくどそうに微笑む。
「拒んだって駄目よ。あなたのサイズに合わせた特注の一点ものよ。つまり、あなた以外に被れるワケがないのよ。大人しく観念なさいな」
「で、でも……」
一歩後ずさると、リーンの裾周りにうずくまる仕立屋の婦人がぎろりと睨んだ。
「リーンお嬢様、動くと針が刺さりますわ。どうかお控えなさって」
「ご、ごめんなさい」
小さく身じろぎする程度に留めると、真っ黒な横髪に沿う蒼と乳白、透明色の宝石がしゃらりと揺れる。棒立ちになることを強制されたまま、白蝶貝の耳飾りも耳たぶに添えられた。
冬を安寧に越えるため、春を再び迎えるために、天と大地を見守る神々に祈りを捧げる。
一年の中で陽の光が一番弱まる日――冬至を暦とする日に行われる祭祀。『冬至祭』と呼ばれ、人々は家に籠もって明かりを灯し続けながら夜明けを待つ。領主とその家族はつつがなき一年を願い、領内の聖堂で夜通し祈り続ける。
その準備が着々と進む中、祭儀の際に身を包む衣装合わせが行われていた。
キャンベル家の奥間にひしめき合っているのは、色とりどりの布地と衣装箱。エルベルトリネン、マーレ更紗、クックリア正絹といった地方名産の織地は、隣街の仕立屋が持ち込んだものだ。そして天空都市の名工が拵えた装飾品の数々。
夏の騒動の際に天空都市より賜った、ヨークライン曰くの気の進まない臨時収入。キャンベル当主本人の承認の下、マーガレット持ち前の気前良さであっさりと使われたのだった。
「どうかしら、やっぱりちょっと派手じゃない?」
仮縫いの衣装を纏いながらマーガレットが首を傾げれば、仕立屋の一人がとんでもないと思い切り首を横に振る。
「いいえ、お嬢様の並々ならぬ麗しさを神々が思し召す、格好の機会にございます。これぐらいで丁度良いのですわ」
「そ? ま、色味の口出ししたのはあたしだしね」
マーガレットは本人たっての希望で、薔薇をモチーフにした真紅の布地に金糸の刺繍を施した重厚で華やかなデザイン。首回りを彩る紅玉の金細工が更なる鮮麗さを浮かび上がらせている。
特にこだわりのないプリムローズは、仕立屋の婦人たちが目を輝かせてあれこれとおもちゃにされた結果爆発し、結局、黒地のシックなミニドレスで落ち着いた。それでも上品に留める程度にだが、チュールレースやフリルがこれでもかとあしらわれている。
リーンもさして希望はなかったが、満場一致で白一色に決められた。引きずるほどに裾が長く、ドレープの豊かなシルエットだが、仕立ての腕がいいのか不思議とあまり重みを感じなかった。
夏の天空都市観光で見つけてしまい、確かに断った筈の宝飾品と、雪化粧のようなドレスを纏わされ、戸惑うばかり少女にプリムローズがきゃらきゃらと笑う。
「んふふ、嬢ちゃま、とってもきれい。お姫さまみたい」
「もしくは花嫁かしらね、ヨーク兄さんの」
マーガレットのあっけらかんとした軽口に、仕立屋の婦人たちが満面の笑みで応える。
「ええ、ええ。領主様もこんなお綺麗な姿をご覧になったらさぞお喜びになりましょうね」
「そんなこと……」
リーンは苦笑し、ふっと僅かに瞼を伏せた。
「……私は、ヨッカのお嫁さんにはなれないわ」
「まあ、ご謙遜を」
「本当に控え目なお方ね」
婦人たちの温かみのある微笑みを見返しながら、少女は申し訳なさそうに、悲哀にも似た儚い笑みを浮かべている。それをプリムローズだけが静かな眼差しでじっと窺っていた。
調整を終え、仕立屋たちが屋敷を後にすると、ジョシュアがリビングでお茶の支度をしてくれていた。着せられているだけであったが、とてもつもない疲労感を覚えた三人娘は嬉々とアフタヌーンティーにありついていく。焼きたてのアップルパイのさっくりした生地と、味わいの濃い酸味のおかげで、口にするすると入っていく。
「でもま、実質、ヨーク兄さんの身に呪いがある以上、兄さんはリーンに傅く身の上なワケよね。だとすれば、解呪を果たすのがこの恋路の一番の万々歳。我がキャンベルのつつがなき安泰のためにも、林檎姫の呪いは是が非でも取り除かなくっちゃ」
「言うは易く行うは難しってやつなのよ、ねえちゃま。実際問題、手段はあるわけ?」
妹から淡々と口を挟まれ、姉は大いに深く眉間を寄せた。
「そこなのよね~。あの呪いは身体の心臓部分にあって、呪いの主軸となる高エネルギーを身体全体に循環させているの。つまり、動力が体内の器官や神経、全てに繋がれているってワケ。それを取り除くってなると、解呪符で下手に蹴散らしたり除去するのは、得策じゃないのよね。別の作用の、新しいコードの開発に目を向けないと……」
「……それでも、解けるものかしら……」
ふと呟かれた憂いの言葉に、姉妹たちがきょとんと眼を瞬かせた。視線を一斉に注がれて、リーンはおろおろと困り顔になる。
「あ、違うの、メグを疑ってるわけじゃないの。……ただ、エミリーも封じるのが精一杯だって言うから、そんな途方もない力をどうにか出来るのか、不安で……。ごめんなさい……」
肩を落とす少女に、マーガレットが優美な笑みを浮かべてみせる。
「安心なさいな、あなたの言いたいことはきちんと分かっているわ。それでもどうにかしなくちゃ兄さんの命は危ういんだし、やれることはとことんやらなくちゃ」
「やれることは……」
リーンは瞳を瞠ると、俯きがちになりながらも強く頷いた。
「そうよね。そうなのよね……」
膝に乗る手を密かに握り固めると、突然横から軽い衝撃がもたらされた。プリムローズがしっかりと抱きついてきたのだ。
「あの、プリム? どうしたの?」
「……ううん、何でもない。ただ、ちょっとこうしたくなっただけなのよ」
更に抱き込めるようにして、リーンの懐に深く身を寄せていく。
「嬢ちゃまってこんなに温かいんだってこと、ちゃんと覚えておこうと思って」
マーガレットが呆れたように口元を上向かせる。
「あんたっていきなり甘えたになるわよねえ。そのスイッチが未だに良く分かんないわ」
「ねえちゃまも抱きつけるうちに抱きついておいた方がいいのよ。後々に後悔したって知らないんだから」
くすりと微笑みを浮かべるプリムローズは、紅玉の瞳を緩やかに柔めてリーンを見据える。
「嬢ちゃまも、このあったかいの、良かったら覚えておいてね」
「う、うん……」
戸惑いながらもリーンが頷いた矢先、反対側からも衝撃がやってきた。マーガレットにも抱きつかれたのだ。
「なーんか二人だけの世界なのは微妙に面白くないってのよ。あたしにもこの子を半分分けなさい」
「わ、分けるって……」
「んふふ、やっぱり羨ましがった。ねえちゃまって単純」
「るっさいわね、焚きつけたくせに。……あー、確かにこれはぬくいわ」
「あ、あの……」
両隣から遠慮なくしっかり身を寄せられて、縫いぐるみ代わりにされている気持ちを覚えてしまう。それでももたらされる柔らかな温もりは、陽だまりの中に浸るように優しく穏やかで、心地良い。
だがふと耳元に降りるのは、マーガレットからの寂しげな音色。
「……ねえ。こんな温かなものが自分の傍にあるなんて、たまに夢みたいだと思ったこと、ない?」
「え……」
リーンが思わず二の句を継げずにいると、身体に顔を埋めたままのプリムローズが小さくかぶりを振った。
「夢で終わらせたくないのよ。……これは『おままごと』じゃなくて、本気だから」
リーンは口を噤んだまま、静かに俯いた。夢のようだと思ったことはある。母とも仲間とも離れ離れになった自分が、もう一度誰かの手を取って、笑い合って暮らすことは奇跡のように思えたのだ。
それでも伯領たるこの家は実質存在しているし、生真面目のヨークラインがきちんと管理している下で、嵐で簡単に吹き飛ばされるものだとは考えられない。それが夢と似通う儚いものに果たしてなり得るのだろうか。何かを怯えているような姉妹の様子が不安を募らせる。
(私たちの暮らしは、本当に『おままごと』なのかしら……)
――『おままごとはお終いにしなさい』
キャンベル家の祖父からの伝言だという言葉は、確実にこの家全体に暗がりを落としていた。
突如、玄関ホールからけたたましい音が響く。
電話特有の甲高い音響に少女たちはすぐさま身を張った。ジョシュアが取り次いでくれたのかすぐに止んだが、固唾を呑むマーガレットが強張る口調で投げかける。
「……また、かしら」
「……分かんないけど、きっとそう」
ただならぬ予感に、姉妹は険しく目を吊り上げた。腰を上げて間もなくドアがノックされ、緊迫の表情のジョシュアが入りがてらに告げた。
「レディたち、急患だよ。すぐに支度をしておくれ」
天空都市の夕闇が差し迫る一刻は取り分けて物々しい。大理石の床に鋭い斜光が反射し、黄昏色に帯びた通りの日影は一層黒々しく、街の明暗をはっきりと浮き彫りにさせていた。
漆黒の暗闇にも似た狭い路地には、古びた酒場がひっそりと佇んでいる。ピックスは観光区のパトロール中の気休め、もといサボりのために赴いたが、途端顔をしかめた。手狭なカウンターに見覚えのある姿を見つけてしまったのだ。
靴音をぞんざいに響かせれば、全身真っ黒の出で立ちの青年が顔を上げた。
「来たか」
待ち伏せされていたのかと、内心で舌を打つ。それでもピックスはヨークラインの隣に座った。特に逃げようとも思わなかったからだ。
テーブルに置かれたカップとソーサーを見やりながら、意地悪く口角を上げる。
「酒場に来ておいてコーヒーかよ」
ヨークラインは肩をすくめて淡々と返す。
「生憎と、呑んでも身にならないからな」
林檎姫の呪いの解毒作用は、度数の高いアルコールでも瞬く間に分解してしまう。酒の席で振舞われるものは全て水と同一だ。おかげで成人しても酔っ払うという感覚を知り得なかった。
ピックスはフンと鼻を軽く鳴らし、「ワクめ」と毒づく。
「じゃあ俺もコーヒー」
「俺に付き合う必要はない。好きなものを頼めば良かろう」
「シラフの奴の隣で酒を嗜むつもりはねえよ」
下戸であるのをしれっと隠すピックスは、ついでにチョコレートケーキも注文した。
芳醇な香りを纏う苦みと、疲れを癒す甘みを舌で弄んでから、ゆっくりと口開く。
「……で? 俺様、野郎に付き纏われて喜ぶシュミはねえから」
さっさと用件を言えと暗に告げると、ヨークラインはふうと小さく息をつく。
「受け取るのと、奪われるのと、どちらか選びたまえ」
「は?」
ピックスが顔をしかめて視線を合わせようとした刹那。
ひたりと、己の首筋に解呪符が撫でつけられていた。
その反対の手がゆっくりとした動作で、ピックスの強張る手のひらに小ぶりの皮袋を乗せる。冷え冷えとした無機質な声が、重ねて問う。
「どちらか、選びたまえ」
薄っぺらい紙ごときで首は切れない、精々薄皮が向けるだけだろう。只の紙であるならばの話だが。
ピックスはゆっくりと口角を上げた。
「……そりゃあ分かり切ってる。こちとら、命あっての物種、わが身可愛さにが信条だ」
重みのある子袋を握ると、ヨークラインはすぐさま解呪符を懐に仕舞った。事もなげに言い放つ。
「手荒な真似をすまない。だが、俺たちの内々を聞きかじったとなれば、相応の沙汰は下さねばならんからな」
前から一目置いていたつもりだったが、やはり油断のならない相手。背筋にひやりと汗が垂れ落ちるピックスは、ひっそり胸を撫で下ろした。冗談でも相手の意に染まぬ真似をしていたら、首が繋がっていたかどうかは怪しかった。
「それと、君に問わねばならないことがある」
「俺に答えられることは、存外少ねえぞ」
ピックスはやれやれと肩を仰々しくすくめてみせる。
「俺が知ってるテメーの内々は、あの夕方の出来事が全てだ。テメーの身体に神の呪いがあるってことと、お嬢の根っからの下僕だってことぐらいだ」
「君はリーン=リリーと距離が近しいだろう、俺なんかよりも」
「……は?」
一体何を言っているのかと、思わずまじまじと見つめてしまう。
眉を気難しそうに寄せるヨークラインは、バーカウンターの正面を見つめ続けながら、ぽつりと神妙に声を落とした。
「収穫祭から、彼女の様子がおかしい。上の空なことが増えたらしいし、部屋に閉じこもって一人になる時間も多いらしい。かと思えば、一人で村の中を巡り回って楽しそうに過ごしているらしい」
「らしい、らしいって、何で情報源がまた聞きばっかなんだよ……」
「仕事で出かけてばかりだから、把握が出来ていない」
「……お前さん、時間の使い方を、もちっと器用に使えねえの?」
つい呆れた表情で伺えば、ヨークラインは「俺のことはいい」と睨み返した。
「寂しそうにする表情が増えた。秋の火祭りで、君と何やら会話を重ねていただろう」
「は、俺のせいだとでも?」
今度こそ惜しみなく嘲笑を浮かべてみせる。
「寝とぼけたこと言ってんじゃねえよ、守護者。十五の歳で、無理くり大人にさせられる身になってみろってんだ」
「俺がキャンベル領主になったのも十五の齢だ。己を取り巻く環境が、年齢を理由に変わるとでも?」
淡々とした物言いに、ピックスは苦々しそうにだが舌打ちする。
「身に覚えのある道理だが、お嬢に背負わせる必要があんのか」
ヨークラインは一瞬押し黙ったが、コーヒーを口に含んで密かな息を落とす。
「……彼女の身を確実に守るには、どうしても大義名分が必要だ。伯領を治める後見人ということですら生温い」
「あいつの気持ちはどうなるんだよ。テメーとの主従を望んでなかったぞ」
「了承はもらった」
「本音な訳ねえだろ、めでてえ奴」
隠さない皮肉を言い捨てられても、ヨークラインは僅かに眉をひそめる程度だった。
「彼女の望みは、こればかりは叶えようがない。主従を解けば家の盟約は失せる。保呪者としての存在意義も。そして呪いを返すということは、彼女の死と同義だ」
「……何で、そこまでする?」
ピックスは神妙に眉を寄せる。何処となく、似通うものを感じたからだ。リーンのために尽くそうとする謂れが、この男にもあるのだろうか。
「厄介なもん背負い込んじまうくらいには、お嬢を特別に思う理由があるのか?」
「当たり前だろう、俺の盟約相手だ」
「上っ面の筋通しは今は置いとけ。だから、憎からず思ってんのかを訊いてんだ」
ピックスのもどかしそうな言い募りに、ヨークラインは目を不思議そうに瞬かせたが、やがてため息交じりに告げた。
「宿命に、好きも嫌いもあるものか」
「……は、私情は挟むなってか? このマゾ級のクッソ生真面目野郎め」
勘違いだったかと、ピックスは侮蔑を滲ませてケタケタ笑った。勘が外れるのは珍しいが、こんなややこしい感情を抱く男が二人もいたとてリーンが哀れなだけだ。
だがピックスにとっては都合の良い感傷だった。憧憬と執着を抱えながらであれば、どうしたって守り抜けるであろうから。
無機質な高音の羅列が高らかに響き渡った。男二人はすぐさま懐に手を伸ばし、紙札を取り出す。軽く一撫ですれば、それぞれの紙札から音声が弾き出された。
『ヨーク兄さん! 急患よ、すぐに戻って!』
「分かった。なるべく早く向かう。とりあえず応急処置で場をしのいでおいてくれ」
『隊長、どちらに? 緊急ミーティングを間もなく行いますのでお戻りを!』
「チッ、ったく、分かったよ。ちゃんと行くから先に始めとけ」
再び一撫でして回線を切ると、ピックスはうんざりとため息を零していく。緊急連絡手段として、解呪符を持たせられているのだ。鈴付きの首輪を付けられているようで心底煩わしかった。
「マギーはしょうもねえもんばっかりウチにもたらしやがる」
『聞こえてるわよ、キリギリス。黙ってキリキリ働きなさい。それと、兄さん、やっぱり今回も――例のアレだから』
「……そうか。なるべく持ちこたえてくれ。今から戻るとなると、早馬車でも半日以上かかる」
「そんなら、コレ、使えよ」
ピックスが投げ寄こしてきたのは飛翔装だった。ヨークラインは目を瞬かせながら、ピックスと外套を交互に見やる。
「いいのか? 一点ものだと耳にした」
「隊長の俺様には予備があるもんなの、気にすんな。それに、テメーのことは高く買ってんだよ。……色んな意味でな」
「……すまない、恩に着る」
墨色の外套を羽織ると、威勢良く飛び出していった。その後ろ姿を見送るピックスは、皮肉げな笑みを浮かべて小さく言い零す。
「別に着なくていいぜ。こんぐらいの塩は送っとかねえと、あんまりにも気の毒だろ」




