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【完結】リリー・ガーランド・ゲイン -林檎姫の呪いと白百合の言祝ぎ-  作者: 冬原千瑞
第五章 冬編

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episode; Land's End Rhapsodia



 少女は尋ねた。

 この海の向こうには、一体何があるのかと。

 滑らかな黒髪を冷たい潮風にそよがせて、透き通った蒼い瞳に鉛色の海原を映して、崖の上から焦がれるように見つめ続けていた。

 そしておまじないのように、ヨッカ、と呟いた。

 その寂しそうな横顔を見ていると、少女がいつか何処かに行ってしまいそうで、ひとり置き去りにされてしまいそうな気がして、いつももどかしかった。


 所詮己は幼い子供で、ここから何処かへ行ったとしても、生き抜けられないことは分かりきっていた。

 だから少女に嘘をついた。この先には何もないよと。

 世界の果てだから、たとえ行けたとしても誰もいないし、見つからない。待ち望むものは何一つない。

 だからここで一緒に暮らすしかないと。いつまでも泥のような寂しい海なんか見ていないで、家に帰ろうと。

 きれいな白百合を、そうかどわかして塔に閉じ込めた。

 いつも何処か遠いところを眺めている少女を、どうにか留めておきたくて。子供である己には、そんなことしか思い付かなくて。

 だから天罰が下った。

 白百合はへし折られてしまった。

 花びらを散らしながら、白百合が必死に守ってしまったから。嘘つきの己なんかを外へと逃がしてくれたから。

 ここから何処にも行けないと思い込もうとした場所から、解き放ってくれたのだ。

 何処へだって行けるのだと教えてくれたのに――そんなことはとっくに知っていた筈なのに、どうして己は世界の果てに閉じ込めてしまったのだろう。


 自由になって、天高い場所を飛び回るようになっても、後悔ばかりが消えずに残る。真白の雪が深々と積もるように、時を経れば経るほどに、柔らかな花びらのような願いと祈りも綯い交ぜになって、冷え冷えと降り積もっていく。

 今度こそは守る。守ってみせる。だからどうか、どうか今度こそ、この手を――。



「……――ッ!」

 瞬間的に取り込んだ空気が喉奥をキンと冷やす。

 視界は泥海でも花びらでもなく、寒々しい白い世界のみで覆われていた。

 半球状の天窓を白亜の格子が支える、鳥籠のような部屋。は、と生温い吐息が、薄暗がりのだだっ広い空間に霧散していく。高い天井から漏れ入る薄明を何ともなしに見上げ、繰り返し冷えた酸素を送り込みながら、腹の底で燻る澱みを取り除くように吐き出していく。いつもの空気、いつもの硬い寝床が、現実の身の置き所を促してくれる。

「ピックス?」

 春の陽だまりのような、柔らかな声音で呼びかけられた。籠の主たる少年が、ソファに寝転ぶピックスの身体を揺さぶって、心配そうに見下ろしている。

「どうしたの、随分うなされてたよ」

「……何でもねえよ。このソファの寝心地はあんま良くねえからな」

 ピックスは身を起こすと、億劫そうに頭をがりがりと掻いた。その額に薄っすらと汗が浮かんでいたが、平然とした口ぶりの若者へ少年は穏やかに微笑む。

「また白百合(リブラン)の夢でも見たんでしょ」

 押し黙ったピックスがじろりと睨んでも、少年はくすくすと清らかな笑い声を奏でていくばかりだ。

「お前の考えてることなんか、すぐ分かるよ」

「テメーが聡いだけだろ」

 つい小さく舌を打った。内心を隠くす上手さの自負はあるというのに、この少年にだけはいつも見透かされてしまう。

 ピックスの苦々しい態度には取り合わず、寝間着姿の少年は分厚い毛織物のショールを抱えて外へ目配せした。

「ね、外に出ない? 夜明けを見ようよ」


 凍てついたような寒さの中、かすかな吐息が静寂の早天に薄っすらと立ち昇っていく。星の輝きは潜み始め、遠くの山脈の頂を覆うのは濁りなき純白。昏い蒼空が少しずつ、けれど着実に明るく澄み渡り始める様を見渡しながら、ピックスはしかめ面で言い零す。

「嫌になるくらい、雲一つねえな」

「僕は好きだよ。空のずっと何処までも見渡せるから」

 少年は焦がれるように、仄暗いアイスブルーとまっさらな雪山を見つめ続ける。

「何処までも飛んでいけるって思える。世界の果ての、そのずっと向こうまでも」

 ピックスは懐から紅ハッカの根を取り出し、噛み潰しながら淡々と返した。

「飛べたって何が見つかるかは分かんねえぞ。ろくでもねえもんばっかり目についてきやがるし」

「へえ、その根拠は?」

「単なる経験論だ。兵鳥(バード)ならではのな」

 少年は面白くなさそうに頬を膨らませた。

「ちぇっ、すっかり可愛くない奴になっちゃった。名前を変えたのは、やっぱり良くなかったよ」

「だからって呼ぶんじゃねえぞ。永遠にな」

白百合(リブラン)の前でも?」

「ご法度だ、分かり切ってるだろ」

 きっぱりはねつけるので、とうとう少年は声を上げて笑い出した。

「やあい、何処までも見栄っ張りい」

 ガキの挑発かとピックスは苦く笑ってあしらう。

「お嬢にくだらねえ重荷は必要ない。俺だって昔話なんざいらねえんだ」

「恩人なんだから、お礼ぐらい言っちゃってもいいと思うのに」

「それで罪滅ぼしになると思うか?」

「……そうだね、お前はそう思わないか。納得」

 頑として取り合わない様子に少年は肩を竦めたが、あっさりと頷いた。そしてうっとりと続ける。

「ねえ、もうすぐ会えるんだよね。嬉しいな」

「林檎が熟して食べ頃になったらな。……だが忘れんなよ、あの保呪者(キャリア)――キャンベルは死なせるな。それこそお嬢のご法度だ」

 少年は口元を綻ばせる。

白百合(リブラン)の善き賢者だもんね、分かってるよ。……ね、彼ってどんな奴?」

「堅物のクッソ生真面目野郎だ。神の花嫁(エル・フルール)に何処までも忠義を尽くす、昔風情の騎士といったところか」

「そう。……なら神さまの子供にも忠義を尽くしてくれるかな。白百合(リブラン)をお嫁さんにする僕にも、誓ってくれるかな?」

「そりゃ本人に訊けよ。白百合(リブラン)が命ずるなら、忠犬よろしく頭を下げて従ってくれるだろうがな」

「だって、白百合(リブラン)の施しを受けたお前は、誓ってくれただろう?」

 ハッカ根を噛み締める口元が、いよいよ強張った。

「……それが最善だったからだ」

 真っ白できれいな花を守れなかった己には、神の子に捧げるしかなかった。ただそれだけのことだ。

「林檎を食べたお前なら、あいつを一人にしないし、何者からも守ってやれる。そうだろ」

 目映い黎明を背に受けた少年は、満面の笑みで頷いた。

「当然だよ。それにね、僕にはお前やホスティアや、魔術師(マグス)がいるんだもの。お前たちが僕の傍にいるんだから、白百合(リブラン)だって絶対に一人にはならないよ」

「……そうだな」

 突如、少年がくしゃみをした。すぐにその額に手を当てたピックスは、慌てて自分の外套を少年に羽織らせる。

「やべ、冷え過ぎだ。そろそろ中に入るぞ」

「ええ、もうちょっとだけ……」

「駄目だ。お前に何かあると俺がホスティアにネチネチ嫌味を言われんだよ。いいから戻るぞ」

「もう、仕方ないなあ」


 鳥籠の中に戻ると、テーブルに朝食の支度を整えるホスティアが微笑みを浮かべて出迎えてくれた。

「おはようございます、御前。朝焼けは美しかったですか?」

「うん、とってもきれいだった。……ね、頼んでたものは?」

「こちらに」

 ホスティアがテーブル脇のトレイを差し出してくる。切手のような親指大の薄い紙だった。そこにはインクで幾何学模様が刻み込まれている。

魔術師(マグス)が夜なべして完成させたそうですよ。本人は今から寝ると」

「そう、後できちんとお礼を言っておくね」

 少年の横側から、同じく切手に目を落とすピックスが神妙に囁く。

「……どう駒を進めるつもりだ」

魔術師(マグス)が言うには、あくまで限定的に。でも影響が強くて、流れがあるところ。なら、決まってるよね」

 ピックスは眉を寄せて、今度こそ盛大に舌打ちした。

「……あの古ぼけ天外魔野郎、えげつねえ知恵ばかりテメーに授けやがる」

「あはは、まあまあ。でもそろそろちゃんと、僕もお仕事しなきゃと思っていたし」

 少年は清らかな微笑みを浮かべながら、切手を摘まみ上げた。そしてあっけらかんと言い放つ。

「それに、異端って、審問するものでしょ?」



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