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【完結】リリー・ガーランド・ゲイン -林檎姫の呪いと白百合の言祝ぎ-  作者: 冬原千瑞
第四章 秋編

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the harvest hazard Ⅷ



 さらりとしたなだらかな風が、踊るように軽々と舞う。

 巨大な銀月は消え失せて、暮れへと向かう蒼穹の空がうろこ雲をたなびかせていた。何処からともなくそよぐ甘い香りは、雨上がりの若草と、野原に零れ咲く秋の花々から。常花の村の穏やかな気配が、そこかしこに満ち満ちていた。

 湿り気を帯びる草原に膝をつく魔女は、蒼白の表情で目を瞬かせる。歯を食いしばり、リーンの腕から一目散に抜け出した。すかさず少女目がけて杖を軽く一振りする。が、何も起こらない。杖を投げ打って、憎しみ込めた低いうめき声を上げる。

「おのれ……抑制魔術(アンチマジック)か……ッ!」

「……やれやれ、古代法(エイシェント)なんて久しぶりだからくたびれた」

 魔術師(マグス)が岩壁の隙間からひょっこり姿を見せる。よっこらしょと言いながら、気だるげに石の台座へ座った。

「時間稼ぎと陽動と、急所探しをありがとね、雪のお嬢さん」

「ううん、こちらこそありがとう、魔術師(マグス)

 リーンは胸を撫で下ろしながら小さく微笑んだ。

「急所……?」

 魔女のおさげ髪はほどけてしまい、ラベンダーグレイの細かに波打つ髪が大きく広がり舞い上がる。風で弄ばれるままにしながら、マッジーは唇をわななかせる。

「……日和っこちゃん、そんなものが見えるの?」

「……はい。あなたの攻撃を食い止めるには、魔力の元となる場所を抑えなくてはいけないと」

 魔力の原動元となる急所を見定める。それが魔術師(マグス)からお願いされていた、少女の一番の重要な役割だった。

「魔法使いは、己の何処かに魔力を溜め込むからね。そこは欠点(コンプレックス)や急所となる場所が多い」

 魔術師(マグス)の言葉にマッジーの頬が憤懣と朱に染まったが、うねる髪を首周りへ巻き付かせるようにして抱え、下唇を噛んだだけだった。

 硝子細工のような繊細な面差しが、深々と笑う。

「これで此処ら界隈では、あの子は魔法が使えない。まあ、陣の内側にいた私もだけれどね」

「こんの……! ルナリアのくせにルナリアのくせにルナリアのくせにッ!」

 これ以上術のないマッジーは、その場で歯痒そうに地団駄を踏んだ。魔術師(マグス)は幾分憐れむようなため息を零す。

「君は私に恨みがあるようだけれど、生憎昔のこと過ぎて覚えてないんだ。理由を問うことすら億劫な程にね。どうやら並々ならぬ因縁だろうと見てるけれど――残念ながら憎しみも悲しみも、いつかは風化する。君だって本当は忘れているんだろう。魔法使いも千年万年の忘却には勝てないものだからね」

 マッジーは皮肉気に、けれど不遜に微笑む。

「そんなの百も千も承知の上よ。お前を許さないことだけを覚えていられれば、それで構わないわ」

「……やれやれ、本当に随分と因縁が深そうだ」

 魔術師(マグス)はまるで他人事のようにぼやいて、肩をすくめた。

 マッジーは投げ捨てた杖を拾い上げると、ローブの中へ仕舞い込んだ。そこから入れ替わるように、取り出した手の内に紙札を握る。

「え……それって……」

 リーンが困惑に目を瞬かせるが、マッジーは有無を言わさず掲げる。

「其は全てを蹴散らす荒野の烈風――エンコード:『トルネード』ッ!」

 草原の葉を散らし、何もかも吹き飛ばさんとする荒れ狂う風がマッジーを包み込んだ。ブーツのつま先を風に乗せて浮かび上がると、石の遺跡から背を向ける。

「一先ず戦略的撤退ッ。この恨み、晴らさでおくべきかッ!」

「ま、待って!」

 リーンは立ち上がると、その姿を追う。魔術師(マグス)が面食らう表情になって声を張り上げた。

「ちょっと雪のお嬢さん! 退く相手への追い打ちはよろしくないよ!」

解呪符(ソーサラーコード)を持ってるなら、放っておけないわ。それにヨッカのこと、詳しく知ってるみたいだから……!」

 リーンは駆け足を止めないまま、振り向きざまにそう答えた。キャンベルの秘技は門外不出の筈だ。それを持っているとするなら、やはりヨークラインとの面識があるのだろう。彼の過去やガーランドにまつわる話をもっと詳しく聞いてみたかったのだ。

 魔女と同じく、突風に身を委ねているかのように少女は軽やかに突き進む。二人はあっという間に草原の果てまで姿をくらましてしまった。

「雪のお嬢さんたら……。もう、ああいう隠し玉の上手い手合いに、深追いは禁物だってのに」

 魔術師(マグス)は頬を掻きながら弱ったため息をつく。

「私は兵鳥(バード)君みたいなお節介焼きじゃないんだけどなあ……――あ、」

 視界の隅に偶然入ったものを、腰掛けながら丁寧にもぎ取る。岩場の影に見え隠れしていたのはまだら模様のキノコだった。肉厚な傘に二本の細い糸が垂れ下がっており、その先には小さな球体が付いている。まるで子供の玩具のような出で立ちの――てんてこマイタケだった。

「やった、あの子へのお見舞い見っけ」

 嬉々と微笑むと、暮れなずむ空を見上げた。村の大通りから続く林の方角から、黒い大きな翼をはためかせて迫り来るものがある。薄い笑みを浮かべてぽつりと独りごちた。

「……そうだね、雪のお嬢さんは、あの子の愛しい愛しい白百合(リブラン)だものね。君は、ほっとくワケにはいかないんだよね」


 吹き荒れる風に乗って逃げるマッジーに、リーンはどんどん追い付いていく。幻惑境からフラウベリー戻ってきてから、更に脚が速くなった気がする。

「魔女さん! どうして……あなたもそれを持ってるの!」

 マッジーの方は、体内の魔力がもうそれほど残っていないらしい。突風は徐々に弱まり草原へ降下していく。

「魔法だけが取り柄で千年万年生きていられるわけないでしょ。溺れる者は、藁でも紙でも掴んでふるってやるわッ!」

 ブーツのつま先が地面に触れるや否や、後方へ振り向きざまにマッジーは解呪符(ソーサラーコード)を放った。

「其は焼け野が原に棲む貴人――エンコード:『サラマンダー』!」

 紙札から猛烈な勢いの炎が迸ってリーンの周りを包み込む。天まで覆い尽くすような火柱と黒煙に少女はさすがに立ち止まった。だが負けじとカードケースから一枚取り出して振りかざす。

「其は清爽たる雪融け水――エンコード:『アクアマリン』!」

 地面より大量の水が噴出し、燃え盛る炎は氷壁に一変。次いで蒸気となって掻き消えた。

 マッジーは忌々しげに舌打ちすると、威嚇するように杖を差し向ける。対するリーンも解呪符(ソーサラーコード)を再び手に構える。

「しつこいわね、日和っこちゃん。神の花嫁(エル・フルール)って人種は、ほんっと忌々しいし鬱陶しいたらありゃしない」

「ごめんなさい、でも聞きたいことがあるの。……どうして私は、あなたの都合に悪いの。ヨッカが私を迷惑と思う理由を知りたいの。ヨッカは私を引き取ってまで、何をしたがっているのか……もしかしたらあなたは知っているんじゃないかって」

「その何一つ分かってない、カケラも知らないってツラが一番癪に障るわ。何も見えず、見せられもせず、ヨークちゃんの下でぬくぬくと安穏に過ごす大事に大事に囲われたお姫様」

「違う、誤解よ。私は……ヨッカに守られたいなんて思ってない。そんなこと、望んでなんかないわ」

 眉をひそめたマッジーは一層強くねめつけた。

「馬鹿馬鹿しい妄言吐かないで。ガーランド家を命を賭して守り通さんとするのは、クラムの一族の使命であり宿命。それを捻じ伏せようというの」

「ガーランド家はもう存在しないわ。ここにいるのは、ガーランドの七光りだけを受け取った、何も分からない私だけだもの。ヨッカだって、今はキャンベル家の一員だわ。一族の繋がりは消えた筈なのに……ヨッカもあなたも、どうしてガーランドにこだわるの? 一体何を求めているの?」

「……アタシが求めているのは、ヨークちゃんの呪縛が解かれることよ」

 不意に魔女はそっと慈しみ込めて、優しく微笑む。そして緩ませた唇を歪に上向け、やたらに甘い響きを唱えていく。

「ねえ、ガーランドの日和っこちゃん。ヨークちゃんの秘密、教えてあげよっか」

 嘆くような風が吹き荒れ、雨上がりの色濃い草原の匂いがぶわりと舞う。瑞々しく甘い、豊潤な香気が胸いっぱいに満たされていく。

 少女は、魔女に差し向けていた札を思わず留めた。

「ヨッカの秘密……?」

「そ。……こーんな僻地のキャンベルなんて片田舎で、どうしてひっそりと暮らしているのか。どうしてその身に呪いなんか持っているのか。よわっちい日和っこちゃんなんかを、どうして守ってやっているのか」

 草原をぐるりと見渡す魔女は、杖を高らかに振り回した。絵本に描かれた姿さながらに、あくどい真似事をしでかすかのように。

「それはね、ぜーんぶ、日和っこちゃんのせい」

 だから、きっと、これはうそぶいているのかもしれない。この甘く辛い口振りは、単なる戯言なのかもしれない。

「金の林檎を知っている?」

「ヨッカが植えたっていう、あの木のこと……?」

 サマーベリーの付近に植えられていた一本の小ぶりの木を思い返す。リーンが問い返せば、マッジーは「本当に何も知らないのね」と、嘲るように苦笑いする。

「それは特異的な解毒剤。神の叡智の詰まった知恵の実であり、万病を治し、永遠の命すら与えてしまう。その根源となるものを、王家に代々受け継がれてきたそれを、俗に『林檎姫(メーラ)の呪い』と言う。絶対たる力を得る代わりに、保有者の命を徐々に削る。そんな諸刃の剣をヨークちゃんにもたらしたのは――先代ガーランド家当主、エマ=リリー・ガーランド」

「私の……お母さんが……?」

 呆然と口零す少女の手前で、マッジーは恨めしげに視線を横に落とす。

「崩壊した王家から、どうやって林檎姫(メーラ)の呪いを授かったのかかっぱらったのかは知らないけれど、呪いの作用でエマ=リリーの身体は弱った。死を予感し、後の保呪者(キャリア)となるであろう跡取り娘に林檎姫(メーラ)の呪いが感染(うつ)らぬ前に、別途白羽の矢を立てた。犠牲に選ばれたのは当然の如く、代々仕えてきたクラム家。そこの三男坊だったヨークちゃんが、体良く呪いの受け皿となった」

「…………うそ」

 まことしやかな戯言にするには、魔女の言葉はあまりに迫真だった。けれど、真実にするには残酷で、俄かには信じられない。決して信じたくない。その胸中を零した呟きにマッジーは目を吊り上げ食ってかかる。

「嘘なもんか。先代ガーランド当主であるお前の母が、お前に呪いを感染させない代わりにヨークちゃんへとなすりつけた。絶対たる力故に、劇毒にもなり、呪いにもなる、そんな非道なチカラを押し付けた。お前たちガーランドの一族を守るために、守護者(ガーディアン)のクラム家がその生贄となったのさ!」

 札を掲げる手を震わせるリーンは、力なくかぶりを振る。

「違う……だって……お母さんの呪いをヨッカは解いたのよ。お母さんの心臓をヨッカの使う真っ直ぐな光りが貫いて……それで呪いは消えた筈じゃ……」

「神の呪いは、人の(すべ)では決して解けない」

 冷徹な声音で魔女はぴしゃりとはね返す。

「お前の眼が節穴なだけよ、日和っこちゃん。その何も知らない(オツム)で、何を見ていたというの。お前に都合の良いだけの、幸福気取りな美しき物語となっていただけでしょう?」

「けれど、だって……ヨッカは……」

 ヨークラインの胸に巣食っている呪いをリーンは知っていた。きちんと治すように告げてみても、さして問題ないと彼は気にも留めない風に言ってのけた。それは本当は治したくても治せない、決して解けないものだったからなのか。伸ばされていた手が、脅えるように胸内に引っ込められる。

「でも……私……私は……」

 眼差しを揺らす少女を、魔女は憤然の形相のまま嬉々と追い詰める声音を漏らす。

「知らなかったなんて言い訳は、いくらなんでもお話にならないでしょ? その名の下に、いつまでヨークちゃんに解けない呪いを背負い込ませるの? ねえ、神さまなんて馬ッ鹿馬鹿しいものを信じた一族のお姫様。神の花嫁(エル・フルール)なんて冠されたものをいつまでも誇示する傲慢な一族」

 マッジーが新たに紙札を構えると、そこから伸びた蔓草がリーンの足元に絡みつく。その反動で少女の手から力なく解呪符(ソーサラーコード)が離れていく。掬われた足は、そのまま引き摺られるようにして怒りに塗れた魔女の足元へ辿る。

「そんなお前たちを信じて擦り切れていった一族が、代わりに呪われてしまったのさ。そしてそのまま、荒んで、滅んで……ヨークちゃんだけ命辛々逃げ出して……。すべてはガーランドからもたらされた、かなしいさびしい呪縛。クラムをがんじがらめにして、全部全部搾取しようとしたわがまま姫の一族共を……アタシは絶対に絶対に許さない」

 新たな解呪符(ソーサラーコード)を取り出して、魔女は凍った声音で沙汰を落とす。

「ここを末代にして滅びなさい、忌々しきガーランド」

 揺れるアイスブルーから、滴がひとつふたつと零れる。その曖昧にふやけた眼差しには、風で翻る紙札が映っていた。





 野原に鎮座する平石に腰掛けながら、拘束されるタッジーは白状を始める。

「ガーランドの嬢ちゃんへのちょっかいは、あくまでオマケですよ。マッジーがマジになってるだけ。オレの気の迷いも、魔導趣味が高じただけのちょっとした好奇心っていうか……」

「じゃあお前の目的は何なの」

 少しでも下手な真似をすれば即刻討つと言わんばかりに、プリムローズは解呪符(ソーサラーコード)を己の手の平にペシペシと一定のリズムで打ち、見せつけるようにしている。

 タッジーは怖い怖いと苦笑いして首をすくめた。

「ヨーク坊ちゃん宛の、キャンベル伯爵からの言付けを預かってきてるんでさあ」

「じじさまの……!?」

 プリムローズの紅玉の瞳が一層大きく見開く。

「伯爵は、今のオレたちのパトロンなんだよね。まあお互いケチケチだから飯のタネ程度が精々だけれど」

「にいちゃまの昔を知っていて、じじさまが支援者。……じゃあお前は何故、あたしたちキャンベルに楯突いたの。嬢ちゃまを狙ったのは、一体何処からの私情なの」

「そいつはねえ……っと、おーおー、こりゃまた荒れ狂ってるねえ」

 タッジーは風に煽られる方向を見上げた。草原の果てに炎が舞い踊り、黒煙が濛々と立ち昇っていく。暮れる空の茜色すら塗り潰し掻き消していく有様に、半ば呆れたように苦笑を滲ませていく。だが、やがて横目で不敵に微笑みかけてきた。

「仕える者にこの上ない栄誉を与える筈のガーランド家は、クラム家の疫病神に成り果てた。それが古きよりクラム家に忠義を尽くす、ベイリーフの双子魔導士の見解なんでね」

「そんな決め顔したってうすら寒いだけなのよ、このくたびれハゲ茶瓶。あたしたちの秘技を掻っ払っておいて、盗っ人猛々しいにも程があるのよ」

 プリムローズは一層冷めた眼差しで、タッジーの頬を紙札でひたひたとはたく。男は表情を歪ませ首を逸らした。

「おっかないものをチラつかせないでおくれよお。っていうか、いきなりバグったのは一体どゆことなのよ。オレが言うのもなんだけど、おたくんとこの開発品、ホントに世に出して大丈夫?」

匿名方式(アノニマスモード)だからよ。三回使ったら、個人方式(ユーザモード)に書き換えないと効果は望めないの」

 聞き覚えある麗しい声がタッジーの鼓膜を慄然と振るわせた。気品ある足運びの聞こえる方へ、恐る恐ると首を回す。

「こ、これはこれは……マーガレット・キャンベルお嬢様……」

 タッジーは引きつった笑みでマーガレットを仰ぎ見た。少女は柔らかな毛織物のショールに包まれた両腕を組み直し、愛想の良い優美な微笑みを湛えて佇んでいる。

「こういう悪徳業者が立ちどころに湧いて出てくるのは想定内よ。乱用防止対策は徹底しておかなければね」

「いやはや、そのう、さすがはお嬢様……実に才気煥発(さいきかんぱつ)でいらっしゃる……」

「ああ、そうそう。これからも手を替え品を替え、偽造品を作るのはあなたたちの勝手自由だけれど」

 取り繕うような笑みを浮かべるタッジーに見せつけるよう、マーガレットが懐から取り出したのは革紐の首飾りだ。末端に括られているのは、二本の羽が斜めに交差する模様の刻まれた金印である。タッジーの赤黒い眼が、恐怖と驚愕で見開かれる。

「そっ、その印章は……まままままさか」

 マーガレットは更に目元を柔め、女神さながらの目映く輝く絢爛の笑みを手向ける。

「天空都市の特別許可局の承認が降りたの。これをもって、我がキャンベルの解呪符(ソーサラーコード)は、天下の天空都市が認める解呪具として周知されるわ。それを(いたずら)に勝手気ままに模造してご覧なさいな。尻の毛まで抜かれる程度で済んだなら、幸運でしょうね?」

 親指で喉元を掻き切るような仕草をする姉に、「ねえちゃま、こわあい」と妹がきゃらきゃら笑う。

 片田舎の伯領といえど、油断は何一つしてはならないのがあのキャンベル家である。旅商人たちの間で伝わる噂が真実であったと悟ったタッジーは、がっくりと肩を下ろして白旗を上げるのであった。





 解呪符(ソーサラーコード)をかざしても、マッジーの手から力が発動することはなかった。三回使用して安全装置が作動したからだが、魔女はまだ知る由もない。

「……ちょっとお、肝心な時にポンコツになるとか、ウチのへっぽこタッジーじゃないんだから。くそ忌々しいッ」

 投げるように放り捨て、目の前で蹲る少女を改めて見下ろす。俯いた内より小さく啜り泣く音、それに合わせて震える肩。そこにうねることなく真っ直ぐと流れる滑らかな長い髪を睨み据えて、「ほんっと忌々しい」と独りごちる。リーンの横髪を一束鷲掴み、無理矢理顔を持ち上げた。やがて溜飲を少し下げるように、魔女は唇から甘ったるい声音を出す。

「なんてかわいいツラなのかしら、日和っこちゃん」

 光を閉ざしたアイスブルーが、揺れることすらままならず固まっている。抗う気力もないのか、細身の身体はぐったりと微動だにしない。頬筋からひたすらに雫が滴り落ちてゆくばかりだ。

 マッジーはローブに深く仕舞い込んでいた小刀を取り出し、その白刃を少女の黒髪にぴったりと宛がった。

「信じられないわよねえ、怖いわよねえ。まさか自分がヨークちゃんに災いの種を与えただなんて、考えもしなかったものねえ。けれど真実は、いつだって知らないところから信じられない装いで姿現すものよ。覚えておきなさい、ガーランドの忌々しい日和っこ姫」

 握る柄に更に力を込めたところで、幾ばくかの黒い羽が舞い降りて視界を遮った。目の前の泣き崩れる少女は、翼に抱きかかえられて連れ去られる。予想外の乱入に魔女はぽかんとするが、途端に首周りが拘束されて息が詰まる。締め付けるものに動転して小刀は取り落としてしまう。

「――今何してようとしてやがった」

 若者の尖る声色は殺意さえ帯びていた。

「俺の目の前で、二度もその姿を拝ませようとすんな」

 ピックスはその胸ぐらを掴んで、小柄な少女を宙に持ち上げる。つま先をばたつかせるマッジーは、喘ぎながら身を捻った。

「っけほ……、このっ……、離しなさい……ッ」

「喉元は緩めたまえ、ピックス。殺すつもりか」

 リーンを抱えたもう一つの黒い翼――飛翔装(バードコート)を羽織ったヨークラインが落ち着いた声音で投げかける。背後に振り向いたピックスは、水を差されたような表情をしていた。

「七割ぐらいはそのつもりだったんだがな」

「『それ』は俺の責任下にあるものだ。俺の顔に免じて、拘束を解いてほしい」

「けっ、随分慈悲深いこったな、キャンベル」

 ピックスは投げ打つようにマッジーを草原に転がし、皮肉気に睨む。それと似かよう表情を浮かべたヨークラインは口端を歪めた。

「慈悲深くはない。無益な血を流して、我がキャンベル領を穢すのが疎ましいだけだ。無論、彼女には相応の沙汰を下すしな」

 そう言ってリーンを足元にゆっくり下ろし、冷然とした瞳を魔女に差し向ける。青年の憤慨を肌全体で感じ、身震いするマッジーは瑠璃の瞳をこれ以上なく潤ませていく。

「よ、ヨークちゃん……」

「マッジー……貴様、」

「あーん、そんなに怒らないでえ! だってだって、ヨークちゃんの仇を討ってあげたかったのお、許せなかったのお!」

「煩い喚くな、忠義のつもりなら見下げ果てた見当違いだ、この愚か者」

 ぴしゃりとマッジーをはねつけ、冷ややかな眼差しを一等に鋭く細める。

「お前は俺の何だ?」

「ヨークちゃんに一番にお仕えする身でございますう」

「ならば俺の意思を捻じ曲げることなく、一切相違なく汲み取れ。お前の私情を俺と言う大義名分で振りかざすな、見苦しい」

「いやあん、その相変わらずな居丈高口調ったら、痺れるぅ~」

 今度は嬉々として身を捩る魔女に、ピックスはこめかみを引き攣らせる。

「……やっぱムカつくなコイツ。一発殴っていいか?」

「殴るよりもっとずっと良い方法があるのよ」

 凛とした鈴の音が秋風に乗ってくる。何処からともなくふわりと降り立ったのは、カウスリップに抱えられたプリムローズである。解呪符(ソーサラーコード)を手に持ち、酷薄に魔女を見下ろした。

「あたしの大事なお庭(フラウベリー)で好き勝手するなんて、とっても良い度胸してるのよ。……其は森の王の寛大なる慈悲――エンコード:『イットキイタイダケ』」

 光線がマッジーの腹部を貫いた。瞬間、胃腸が絞り捻じれるように痛み始める。

「あたたたたた!? ちょっとお、何よお、チャンバラごっこ甚だしいわね……ッ!」

 その場で力なく蹲る魔女にプリムローズはくすくすと愛らしい声音を零しつつ、悪魔のような微笑みを浮かべる。

「毒キノコの解呪符(ソーサラーコード)なのよ。でも安心して。お腹は壊すけど、一時間で治るから」

「ってことは、この痛みが後一時間……ッ!?」

「ある種の拷問よねえ、くわばらくわばら」

 マーガレットが他人事ながらの軽々しいコメントを口寄せる。新たな乱入者に、腹部を抱えるマッジーは目を白黒させるしかない。

「次から次へと、何処から湧いて……ッ?」

「ごめんね、マッジー。お縄を頂戴したオレの計らいでーす」

 地面に浮き出る魔法陣から、最後に顔を見せのはタッジーだった。へらりと笑う男に、マーガレットは麗しい表情でにっこり微笑みかける。

「誘導ご苦労様」

「いえ! この愚鈍な犬めにお役目与えてくださり光栄至極に存じます!」

「おのれ、長いものに巻かれたか」

 相棒の手の平返しを魔女は忌々しそうに舌打ちする。その矢先、腹部が更に捻じれて鋭い痛みにもんどり打つ。

「あうあうあうッ、こんなの一時間もなんて無理無理無理の腹くだりッ、助けてヨークちゃあん……」

 捨てられた子犬のような眼差しを向けられても、ヨークラインはにべもなかった。

「耐えろ。一時間ぐらい容易い。六十秒をたった六十回繰り返すだけだ」

「いやあん、これだからクラムって一族は忍耐辛抱甚だしい……ッ!」

 プリムローズはカウスリップの腕から降りると、草原にへたり込んで動かないリーンの傍まで顔を寄せる。

「嬢ちゃま、大丈夫?」

 優しい鈴の声音に促され、ようやくリーンは弱々しく顔を上げた。

「プリム……」

 泣き腫らして真っ赤になっている少女の顔を覗き込みながら、プリムローズは苦笑する。

「癇癪のあたしより、もっとずっとひどいお顔なのよ。そんな泣きっ面にした不届き者は、あたしがとっちめちんにしてあげたから、安心して」

 リーンはかぶりを振って、魔女のせいではないことを訴える。

「ううん、違うの、酷いのは私なの。私のせいなの。私のせいで、ヨッカは……っ」

「――俺がどうした」

 ヨークラインもリーンの濡れた頬を正面から見やり、顔をしかめた。膝をついて、少女の身体を起こそうと手を伸ばす。けれど少女はその手を取らず、翳るアイスブルーから大粒の涙を止め処なく零していく。

「……君は一体、『あれ』から何を聞いた」

「ヨッカ……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 顔全体をくしゃくしゃに歪め、痛々しく繰り返す少女の言葉だけで、ヨークラインは悟った。全てを聞いてしまったのかと、音もなく嘆息する。

「……君はいつだって泣いてばかりだな、泣き虫リリ」

 差し伸べた手は戻された。懐でぐっと握り締め、ここが秘密の分かち合い時なのだと腹を括る。

「マッジーから何を吹き込まれたのかは、おおよそ見当がつく。だが、それは間違いだと思いたまえ」

「……何故? 嘘じゃないんでしょう? ヨッカの呪いは……私の、ガーランドの……私のせいで……」

「君のせいだと、俺がこれまで一言たりとでも言ったか」

 無機質な低い声が淡々と、間髪入れずに投げ返す。

「俺こそが、奪ったんだ。本来君が授かる筈だったものを、俺が是非にと奪った。先代ガーランド家当主、エマ=リリー・ガーランド大公が同意の下でな。大公には大公の、俺には俺の目的があった。利害が一致した、ただそれだけのことだ。君が気に病む理由はひとつもないんだ。泣く理由などには、してはならないんだ」

 一際に大きく瞠るアイスブルーから、またひとつ、清らかな雫が零れて落ちていく。青年は、不意に惹かれるように再度手を伸ばそうとして、けれど思い留まる。代わりに眉を寄せ、苦々しく声を振り絞る。

「だからいつまでも泣くな。いつまでもそんなことで……、いつまでも……そんなことでは……」

 喉に通る声が一瞬強張り、詰まる。だが、無理にでも押し通していく。

「……いつまでも、そんな幼稚な振る舞いをなさるものではありません。ガーランド家次期当主として、心を強くお持ち下さりますようお頼み申し上げます、我が主」

 口調を畏まらせ、その場で跪いて首を垂れるヨークラインを、リーンはぼうっと見下ろす。頬から顎へはらはらと落ちる雫は、ようやく止まった。

「ヨッカ……?」

 たどたどしく呼んでもヨークラインは頭を上げない。代わりに応じたかのようなひやりとした風が、音を鳴らして少女の頬を打つ。

 雨上がりの驚く程の涼風は、肌寒ささえ呼び起こす。秋も気付けば半ばなのだ。冬とて、もうすぐそこまでやって来ている。時とは刹那の瞬間さえ止まらずに進むもの、そう告げるような寒々しい夕風が、茜に染まりきる世界へ強く吹き渡る。

「事情を隠すためとは言え、これまでの無礼の数々、平にご容赦を。キャンベルは借りた名。真なる名をヨークライン・フォン・クラムと申し、ガーランド家に代々仕える守護者(ガーディアン)――クラム一族のたった一人の生き残りにございます」




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