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【完結】リリー・ガーランド・ゲイン -林檎姫の呪いと白百合の言祝ぎ-  作者: 冬原千瑞
第四章 秋編

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the harvest hazard Ⅳ



 耐え難い熱気が、四肢の隅々へ、両指の切っ先まで纏わりつく。

 ここに四季という変化はない。永遠不変に灼熱の燦々たる陽射しが降り注ぎ、全てを蒸し殺さんとばかりにたっぷりの湿気が屋敷中に蔓延っている。

 純白の雪景色と、透き通るような氷の木々の並ぶ清廉な世界とはまるで真逆の、全てを焦がし焼け付かせる酷暑の日々。屋敷の主人たる女性には絶望的な環境下であった。

 ここで過ごすようになってから、頭は泥水に浸かりきったように終始ぼんやりしている。鋭敏であろうする思考は形纏まらずふやけ、身も心も崩れ腐っていく気がする。――きっとここは、地獄の入口なのだろう。

 下郎に追われ隠遁(とんぴ)する先で、このような無様な最期を遂げようとは。甚だしい口惜しさに、女性は唇を噛む。

 だが最早、己の哀れな末路を嘆く間も今は惜しい。

 遅々と、けれど刻々と迫る最期は、この身だけで良い。我が子にだけは、(まか)り通してはならない。

 弱々しい筆跡なれど、時間をかけてしたためた手紙をきっちり封書に仕上げる。そして、傍らへ目線を配った。籐の長椅子で横になり、暑さに負けてぐったりしている我が子に呼びかける。

「……リリ、――リーン=リリー」

 幼い一人娘は起きていたのか、すぐに身体をもたげた。滑らかな黒髪を小さな肩先に流し、清涼なアイスブルーの瞳を大きく瞬かせている。娘を近くに手招いて、手紙を託す。たった一人だけの我が子に、次期の当主としての、初めての役割を告げる。

「この手紙を、クラム家に送って」

 事の重大さも何も分からず、きょとんと再び大粒のアイスブルーを瞬かせる娘を、女性はそっと抱き締める。込み上げる胸内の不快感に歯を食いしばりながらも、現当主としての最後の沙汰を下す。

「いいこと、リリ。お前にだけは、この忌々しき神の御業(みわざ)感染(うつ)させる訳にはいかぬ。そのためなら、……守護者(ガーディアン)とて使役(つか)わせてもらう」

 幼い少女からの呼びかけにより、事を悟った侍女の手を通して手紙は内密に運ばれた。

 そして幾日も経たず、若者が地獄へやって来る。頭から爪先まで全てが黒曜石のように硬質で、厳めしい佇まい。我が子と同じ黒髪かと、女性は思わず目を細めてしまう。

「存外早かったこと」

「申し付けあるのならば、息せき切って馳せ参じるものでございます。お目通り叶い、大変恐悦至極に存じます。クラム家の代表として参りました」

 目前で跪く若者の、命令を請う真摯な瞳は己と似通う頑なさがあった。ならばこちらも誇示して見返す。冷然と、酷薄に告げる。

「ガーランド家当主、エマ=リリー・ガーランドより、我が守護者(ガーディアン)に申し渡す。――その忠義の下に、絶対たる力と、苦難を授けよう」





 己の胸元を親指でトンと軽く指し示し、ヨークラインは白状を始める。

「お前たちと出会った頃には、とっくにあったものだ」

「それって、十年前からってこと!?」

 マーガレットは呆れたと言わんばかりに仰々しくため息をつき、その金の眼を吊り上げる。

「あたしにはずっと黙ってたってワケ。……いくらなんでも水臭過ぎるんじゃない、ヨーク兄さん」

 恐らくジョシュアは聞き及んでいるのだろう。そして、自分と彼らを引き合わせた祖父も。知れず感じる疎外感を隠さず、声を尖らせる。だがヨークラインは淡々としたものだ。

「今でこそ、俺たちはキャンベル家として連携が取れているが、出会って間もない頃はまだバラバラだった。そんな時分に、命を左右する秘密を打ち明けたとして、お前たちの理解と余裕を求めるのは土台無理な話だろう」

 その過去を思い返して、きちんと余裕があったと言い切るには全く白々しい言葉になるだろう。ぐうの音も出ないマーガレットは気まずそうに目を逸らした。

 ヨークラインは小さくため息をつくと、近くの書棚に背もたれた。台座に肘を寄りかからせ、視線は自然と己の胸元へ下りる。

「この呪いは、王家に連なる者にしか受け継がれない。俺の出自に関わるものだから、おいそれと口に出来なかった」

「やんごとなき身分だったのかしら。ならリーンとはお似合いね、王子様」

「馬鹿を言うな、俺如きが彼女に釣り合う訳ないだろう」

 憤慨の色さえ滲ませて、軽口をぴしゃりと諫める言い分は、己より少女をずっと上に立てるもの。マーガレットはつい眼を何度も瞬かせるが、論点は今そこではない。話を元に戻す。

「徐々に命を削るってスノーレット女史が仰ってたわね。身体が朽ちて――つまり、兄さんが死んだら、呪い自体はどうなるのよ」

「次なる宿主を探す」

 間髪入れずに帰ってくる言葉は苦々しい。

「そして、次なる宿主に選ばれるのは、恐らく、いや十中八九に、ガーランド家の生き残りであるリーン=リリーだ。だが、俺は、この呪いを彼女に感染させる訳にはいかない。絶対に、明け渡す訳にはいかないと、決めている」

 その確固たる口調が、とうに腹を括ったものなのだと暗に示す。爪が食い込みそうな程に拳を握り締めているヨークラインを、マーガレットは困惑のまま見返した。兄の献身をこれ以上なく受ける少女の存在が、少しだけ恐ろしい。たまらずそっと呼びかける。

「どうして、そこまで、リーンのことを……?」

「……彼女は、俺の――」

 ヨークラインの言葉は、リビングのドアを控えめにノックする音で遮断される。ゆっくりと開かれた向こう側より、ジョシュアが顔を出した。

「取り込み中すまないんだけど、ヨーク、ちょっとだけ頼まれてくれるかな」

 申し訳なさそうに苦笑するジョシュアに、ヨークラインは不思議そうに眉をひそめた。だが、彼の背後から続けて顔を見せた人物を捉え、小さく目礼する。

「ミスター・バーフォード、いかがいたしましたか。収穫祭に、何か支障でも?」

「いいえ、祭りの方は順調に支度が進んでおります。例年通り、賑やかなものになりましょう」

 フラウベリー村長・バーフォードは首を横に振ったが、弱った声を出した。

「息子のウィリアムが、こちらにお邪魔しておりませんかお伺いしたかったのです。リーンお嬢様と一緒にお見かけしたと、村の者が申しておりまして」

「リーン=リリーと?」

 ヨークラインが仏頂面で少女の名を零せば、ジョシュアが困り顔になる。

「僕の代わりに村へ使いを頼んだんだ。プリムのことで落ち込んでいたから、気分転換も兼ねてね」

「あなたがここへいらっしゃったということは、二人とも、村の何処にも姿が見えないと?」

 ヨークラインの静かな問いかけに、村長は頷く。

「近くの雑木林にも足を運んでみたのですが、全く……。息子は良く一人で、あの森林で遊んでおりますから。ですがあそこでないと、果たして何処へ行ったものやらと。お嬢様までお連れして非常に申し訳なく……」

 ひたすら面目ないとうなだれる村長に、ヨークラインは顔を上げるように促す。

「いや、早めに知らせてくれただけでもありがたい。すまないが、村の者にも声をかけて、彼女たちを探してやってほしい」

 勿論ですともと村長は何度も頭を下げ、キャンベル家を後にしていく。そのはやる後ろ姿を、格子窓から気の毒そうに見つめるマーガレットが面白くなさそうにぼやいた。

「っていうか、仮にも兵鳥(バード)の精鋭である筈のヤツが、道草食ってるリーンを迎えに行くって豪語してたんだけどね。結局サボりなのかしら、肝心な時にほんっと当てにならない」

「……嬢ちゃまがどうしたって?」

 屋敷の騒々しさが気になったのか、プリムローズもリビングに姿を現した。後ろにカウスリップも控えている。

「村長の息子さんと一緒に、村の何処かへ消えちゃったみたいなのよ」

「は? ウィル坊やと?」

 プリムローズはたまらず不機嫌な声を吐き出した。舌打ちでもしそうな苦り切った顔つきで、盛大なため息をつく。

「あのはなったれ小僧、まあた何か厄介事を運んできたのね」

 マーガレットは苦笑して、溌溂とした少年の様子を思い返す。

「ああ、アンタたまに手を焼かされているって言っていたものね。ちょびっとエキセントリックな物言いするだけの男の子に見えるけど」

「エキセントリックなのは口だけじゃないのよ。所謂、『好かれやすい体質』ってこと。あそこのおばあしゃんの血を、色濃く継いだようだから」

「ああ、ミセス・ヴァイオレット・バーフォードは秀でたフェアリー・ドクターだったからな。ならば致し方ないということか」

 ヨークラインは納得の声を寄せると、プリムローズに向き直った。

「お前にリーン=リリーの捜索をしてもらいたい。頼めるか?」

 プリムローズは信じられなさそうに紅玉の眼を真ん丸と見開いた。よもや、ヨークライン自らお達しされるとは夢にも思わなかった。

「お外に……出てもいいの?」

「あくまで捜索隊の人員だ。勿論、付き添い人も必須という前提でな。申し訳ないが、カウスリップ・アイヴス、君にもご助力願いたい」

「かしこまりました。プリムローズ嬢の護衛はお任せください」

 カウスリップが敬礼で返し、プリムローズがはにかみながらもヨークラインを見上げた。

「にいちゃま、ありがとね」

「礼には及ばん。彼女を必ず見つけ出してくれ」

「モチのロンで、合点承知なのよ!」

 プリムローズは不敵な笑みを浮かべ、カウスリップと共に意気揚々とリビングから飛び出していく。きらきらと華やぐ眼差しを向け、晴れ渡る青空の下で飛び跳ねる姿を、ジョシュアは頬を緩ませて格子窓から覗き見る。

「野原の花々に潜む愛らしい妖精(プーカ)を、やっぱり鳥籠に閉じ込めるのは良くないね」

「彼女は妖精(プーカ)ではない。が、村の中なら多少無理したとてフォローは容易いからな」

 むず痒い台詞を聞き流しつつ、それよりと、ヨークラインは眉を寄せる。

「村人の目を掻い潜って行方不明とは、何とも不可解だな。村内の伝播がいつもより機能していないということか。……妙な輩でも立ち入ったか?」

 幾分思い当たるマーガレットが、首を傾げつつ口開く。

「妙な輩、ねえ。……さっきまでそんな奴と対面はしたけど、小物って感じだったけれどね」

「お前の商談相手か? 名と素性は」

「タッジー・ベイリーフ。本人曰く、お伽話の街『魔法都市サザンベル』出身」

 マーガレットが客人の名前を伝えた途端、ヨークラインは呆気に取られたような表情でしばし固まった。黒曜石の冷厳たる瞳が、珍しく切なげに揺れている。

「……兄さん?」

「タッジー……。彼は今、何処に?」

「村の収穫祭に合わせて店を出すって言ってたから、まだ村の中にいるんじゃないかしら」

「出てくる」

 勢い良く飛び出していきかねない兄を、マーガレットが腕を掴んで引き留める。

「ちょっと、兄さん! 諸々説明してから出ていきなさい、せっかくイイところだったのに中断されたんだから!」

 ヨークラインは歯痒そうに睨むと、早口で答える。

「彼とは旧知の間柄だ。恐らく、リーン=リリーとウィリアムの行方知れずに一枚噛んでいる」

「えっ、そうなの!? あの胡散臭さ、やっぱり油断ならないわね……ってそれだけじゃなくて! それも含めて、どうしてそんなにリーンには必死になるの。単なる昔馴染みにしては肩入れし過ぎだわ。あの子は、兄さんにとって何なのよ?」

「それは僕もちゃんと聞いてみたかったな。彼女を、キャンベル家に招いた理由」

 ジョシュアも涼しい顔で問うてくるので、ヨークラインは増々苦々しく顔をしかめる。

「いつになく何だ、お前まで」

「だって気になるだろう。僕らは偶然集い合ったけれど、彼女はお前の働きかけで連れて来られた。それは、キャンベル家のため? それともお前自身の望みのため?」

「そもそも彼女の招致は天空都市の計らいがあってこそ。俺の目的で招いた訳じゃない」

「違うのかい? お前が彼女を特別視しているのは誰もが知ってる。一体、何を目論んで、何を望んでいるんだい?」

「望みなどあるものか。……人に縋る望みなど、願ったところでどうにもならん」

「兄さん……?」

 吐き捨てるような物言いがらしくなく、マーガレットが不安げに呼びかける。自分でも感情的になっているのは分かっているらしく、ヨークラインは心落ち着かせるようにたっぷり息をつくと、二人を無機質な眼差しで見返した。

「――彼女は、俺には過ぎた存在だ。只それだけのことだ」

 ヨークラインは妹の手を振りほどき、きっぱりとそれだけ告げた。勇ましい足取りで屋敷を出て行ってしまう。リーンが絡むと、兄はいつも行動が忙しなく、余裕がない。マーガレットはもどかしく嘆息し、ソファに全身をぐったりと預けた。

「もう、答えになってないってのよ……」

「本当は、答えにしたくないのかもしれないじゃないか」

 窓辺に寄り掛かるジョシュアがそうのんびり告げる。

「ヨークはあのレディを特別大事にしている。けど、それはあいつに課せられたものであって、本来の望みじゃないのかもしれないじゃないか」

「ジョシュまで回りくどいこと言わないで。良く分からないけど、望みじゃないって言うなら、さっくりさっさと切って捨ててしまえばいいだけの話でしょ。リーンの世話役が本望じゃないなら、何をこだわっているのよ」

 ねめつけるマーガレットを、ジョシュアはなだめるような表情で微笑みかけるだけだった。

「人に縋る望みは、願ったところでどうにもならない、ね。思い知ったヨークは、そう信じているんだろうな」





 仄暗い茂みの中を縫うように進んだ先に、妖精の隠れ家はあった。

 茅葺の屋根のこじんまりとした小屋だった。ベージュの壁には、縦に繊維ばった木材らしき素材が使われており、触れれば少しだけ柔らかい。不思議そうに瞬きするリーンに向けて、小人のクッカは穏やかに声をかける。

「お化けキノコをそっくりそのままくり抜いて作ったんじゃよ」

「えっ、ということは、これはキノコの柄の部分……?」

「傘部分は何処行ったんだよ、そこだけ食っちまったのか?」

 ピックスの揶揄めいた尋ね方に、小人のクッカは肩を竦めた。

「猛毒の胞子を吐き出すもんでの、切り取っちまったわい」

 壁を撫で上げる手をぴたりと止めて、ピックスは小人を睨み付けた。

「安心せい、そこは無害じゃ。多分な」

 何処か信用ならない物言いをする好好爺は、キノコの柄の部分に嵌め込んだ木製のドアを開けて、中へと誘う。

「ガーランドの姫君、どうぞこちらへ」

「待て、まず俺が先に入る」

 慎重に口挟むピックスが長身を半分程度屈めて、中の様子に気を配りながら入っていった。幾分の間もなく、手だけが入口から伸びてきて、大丈夫だと手招く。

「わぁ……!」

 少し背を曲げて小屋に入ったリーンは、思わず歓声を上げた。

 深緑の苔の絨毯が一面に広がっていた。柔らかな質感を踏みしめ、改めて奥内を見渡す。張り出し窓には虫除け用の愛らしい花の植わる花壇。その近くには藁に葉を被せて拵えた小さな寝台。反対の奥間には煮炊きが出来る小さな調理場もある。

 壁全面には乾燥させた草花とキノコが所狭しと吊るされている。調理場の隣の作業台には、薬でも作るのだろうか、乳鉢の中に材料が入ったままで幾つか置かれていた。

 小石に土漆喰を塗り固めて作った(かまど)の傍には、木製の細長いテーブルが一台とスツールが四脚。草花を編んで拵えたテーブルクロスが愛らしい。

 キノコの中の家にお邪魔するなんて、絵本の中にでも迷い込んだ気分だ。

 甕からケトルに水を汲んで、火の入った竈の上に置いたクッカは、髭を撫でつつ思案顔になる。

「ちと席が足らんかの?」

「ああ、じゃあ私は寝転がってるよ。このふかふかさはなかなかどうしてラグジュアリーだもの」

 窓辺近くに身を寄せていた魔術師(マグス)は寝転がり、嬉々と絨毯を撫で回している。手触りが余程気に入ったようである。

 残りの三人は丸椅子に腰掛けた。ウィリアムが席に着くと、その肩でじっとしていたコマドリのクーは、羽根を広げて天井近くの止まり木に身を置いた。白鼠のルミは相変わらずぴっとりと少年の首筋に身を寄せている。

 支度した熱いハーブティーを木のカップに注ぎ、人数分を配るとクッカも椅子に腰を下ろす。

「まあ、飲んでくだされ。摘み立てでないのが申し訳ないが、風味はさほど変わらぬ」

「い、いただきます」

 リーンはカップを手に取って、そろそろと傾けていく。薬草より染み出た檸檬のようなスッとした香りを吸い込んでから、少しずつ口付ける。清廉でまろやかな口当たりは、ジョシュアが入れてくれるものと似ている気がした。

「うむ、お茶があると何か摘まみたくなるな。クッカ、何かお菓子はないのか?」

 ウィリアムがカップにふうふうと息を吹きかけながら尋ねれば、小人はたちまち顔をしかめた。

「坊は、ほんに見境がないのう」

「やめときなよ、坊ちゃん村長。妖精(プーカ)の作る食べ物を口に入れたが最後、元の世界に帰れなくなるから」

 魔術師(マグス)から遠巻きに呼びかけられて、ハーブティーを一口含んだピックスが、途端に咽せた。

「心配無用じゃ、鳥の若造。ヒトの飲むものを敢えて淹れておる。神の花嫁(エル・フルール)を無断で我らの領域に手招くのは、いささか無礼が過ぎるでの」

 クッカが可笑しそうに肩を揺らした。リーンは思い出したように、手を一つ叩く。

「あ……そうだ。私、パンを貰っていたわ。良かったら皆で食べましょう」

 仏頂面のパン屋が持たせてくれたバスケットをテーブルの上に置く。布の覆いを外せば、中からは茶褐色の大きな丸いパンが姿を現した。程良い焼き加減のかぐわしい香りにクッカは鼻をスンスンと鳴らすと、相好を崩す。

「これはかたじけない。どれ、確か採れ立てのヒースの花蜜があったかの。それなら坊たちも食べられよう」

 蜜蜂に手伝ってもらったのだと嬉しそうに言いながら棚を物色し、赤茶けた蜜の入る小瓶を取り出してくれる。

 パンを竈の熱気で少し蒸して温め直し、切り分けて木の器に並んだものをウィリアムが一番に手掴んだ。花蜜をたっぷり付けて大口で頬張ると、蕩けるような顔つきになる。

「うむ、この香ばしさ、小麦の豊かな味わい! これは顔面お化けのパン屋の味だな!」

「やっぱり村でも大評判なのね……」

 リーンは納得しながら、手元のパンを小さく手でちぎった。それをウィリアムの肩に乗る白鼠にそっと近付ける。綿毛の身体がもじもじしながらも、パンくずをさっと奪い取り、美味しそうに頬張っていく。

「こら、ルミ。ちゃんとお礼は言わねばならんぞ」

 ウィリアムが咎めても、白鼠は知らんぷりを決め込んでその身体を丸めた。

「ふふ、いいのよ。そっちのコマドリさんは食べるのかしら」

 リーンがもう一つパンをちぎって手の平に乗せると、舞い降りたコマドリが素早く口ばしで摘まみ、元の止まり木に戻っていく。

「へっ、愛想のねえ小鳥だな」

 ピックスが気に食わないように皮肉を叩けば、クッカはやれやれと眉尻を下げた。

「すまんの、姫。神の花嫁(エル・フルール)の賜りに、幾分緊張しておるようじゃ」

「あの……神の花嫁(エル・フルール)って、そんなにすごいものなんですか」

 いまいち腑に落ちないリーンがおずおずと尋ねると、カップを傾けていたクッカは優しい眼差しで少女を見返す。

「姫の血筋は、この世界の中でも取り分けて特殊じゃ。古来より神と繋がりし一族、――言うなれば神の巫女であり伴侶であり、生贄でもあった」

 生贄という言葉に、リーンの身体が知れず強張る。

「神と繋がるということは、世界と繋がること。天の声を聴き、予兆を感じ取り、物事を願えば天へと届けられる。神と通ずる特殊な素質は、非力な者への知恵として、人々から崇め奉られる存在よの」

「どうして、生贄なんかに……」

「その崇高なお恵みを悪巧みによろしくやってく極悪人が、いつの時代にもいるってこったろ」

 パンを齧りつつピックスがすまし顔で口挟めば、クッカは歯を剥き出しにして獰猛に笑う。

(いにしえ) の物騒な時代はの、私欲を撒き散らす輩が一層蔓延っておってのう。一族の姫たちは格好の餌食となっておった。そこに救いの手を差し伸べたのが、今は亡き王家の初代の王と、その伴侶であった神の娘、林檎姫(メーラ)じゃ」

林檎姫(メーラ)……」

 リーンもぼんやりとしか知らないが、王家の建国神話に欠かせない名前だった。人智を超えた不思議な力を使って、初代の王を覇権に導いたとされている。天から舞い降りたのだと伝えられ、素性不明の美しい女性の存在は、今も尚人々の間で語り継がれている。

 そしてその神と言わしめるべき林檎姫(メーラ)が王にもたらしたとされる、林檎姫(メーラ)の呪いと呼ばれるもの。途方もない力を引き換えに、宿主である王の命を徐々に削る。王家のお抱え解呪師だったエミリーでさえ解くこともままならない、神の呪い。

「神の娘、ねえ。……ま、お嬢みたいに、ちとみょうちきりんな力を持ってたんだろうが、尾ひれと龍のたてがみがついて仰々しくなったってとこか?」

 ピックスの冷めた言い分を、クッカはケタケタ笑い返した。

「さてのう。信じるも信じないも、己の心持ち次第じゃ」

「僕は信じているぞ。初代王の武勇伝は、何度聞いても心沸き立つ思いがするからな!」

 満たされた腹を撫でて、ウィリアムが威勢良く口にする。クッカは「さようかの」と優しく相槌を打ち、リーンを見やって続ける。

「王家はガーランド一族を手厚い庇護の下に置いた。庇護の実質的な役割を命じられたのが、王の親戚筋にあたる若者クラム。ガーランド家を護る守護者(ガーディアン)、クラム家として代々繫栄していくことになる。神の花嫁(エル・フルール)に害を及ぼさんとする何もかも全てを薙ぎ払う剣、神の剣(エル・グラン)と名を冠しての」

「じゃあ、ヨッカは……その、クラム家の一族ってことなのね。……私が神の花嫁(エル・フルール)の血を継いでいるから、キャンベル家に引き取ってくれたのね……」

 どうしてヨークラインが大勢の孤児の中から自分を選んでくれたのか。後見人(ガーディアン)と称し、どうして自分を取り分けて過保護に扱うのか。その理由がやっと分かって納得出来た。けれど――。

 途端に消沈してうなだれるリーンを、テーブルに頬付くピックスが訝しげに見やった。

「何しょぼくれてんだよ、お嬢」

「だって……私自体は、すごくないもの。お母さんからも何も教えてもらってない。由緒あるものなんて、何一つ知らされていない」

 膝上に置いた両手をぎゅっと握り締めて、少女は抑揚薄く呟く。

「誰かに護ってもらえるような謂れなんか、本当はないの。何が出来るのかちっとも分からない私は、ヨッカに護ってもらう資格なんてない……」

「お嬢、つまらねえへりくだりはよせよ」

 眉根を寄せるピックスの声を遮るように、上向いたリーンは悲痛な眼差しを向けてくる。声色に、必死な切迫が込み上げていく。

「ガーランド家って、そんな立派なものなの? ヨッカは、勘違いしているんじゃないの? ……ヨッカは、本当は忘れたかった筈なのよ、私との幼い頃のことを。あの頃の自分は死んだことにして、キャンベルと名を変えて、このフラウベリーで暮らしていたのだから。事情は分からないけれど、それを我慢してまで、ヨッカが手に入れたかったすごいものが私にあるなんて、……どうしても思えないわ」

「――怖いのか?」

「……え?」

 不意に言葉を返す若者の純な瞳が、リーンを静かに見据えている。

「その言い分だと、お嬢はキャンベルに、何も持たねえ自分を認めて欲しそうに聞こえる。つまりは、キャンベルに認められることを期待している。けど、それが望めないから不安になってんだ。違うか?」

「……そうなのかしら」

「キャンベルに期待されないことが、お前の今一番恐ろしいことか? おぞましい呪いをかけられるよりも?」

 リーンはくしゃりと表情を歪め、力なくかぶりを振った。

「……一番怖いのは、隠し事が、ヨッカに伝わっちゃうことだわ」

「隠し事? 何だそりゃ」

「ええと、その、……誰にも言わない?」

 恐々と見上げてくる眼差しが、心細く揺らいでいる。けれど、その色はほんの少しの期待をない交ぜにしている。心の奥底では、誰かに話したくてたまらないのかもしれない。

 人の口には戸が立てられない、そんなことすら知らないのかとピックスは苦笑する。けれど下品に垂れ流す趣味は持ち合わせていないので、肩を竦める仕草で応じた。

「これでも口は堅い方だ。そんでもって、後ろ暗いこともちっとは経験してる。通りすがりの赤の他人、もしくは開けっ広げな身内とでも思ってさくっと話しちまえ」

「ピックスさんは……不思議な人ですね」

 彼の軽快な口調は、少女の重く凝り固まった心に風を吹き込ませ、淀んだ気持ちは自然と薄らぐ。まるで古くからの知り合いを相手にしたように、安心感にも似た心地を覚えてしまう。

「……本当は、うそ」

 小さく呟かれる声は弱々しい。けれど、音の一つ一つが空気をゆっくりふるわせる。

「何も出来ない訳じゃないの。一つだけ、教えてもらったの。……これは言祝(ことほ)ぎなんだって言われた。私の眼は、私の手は、祝福へ導くための尊いもので、人を幸せにするためのお手伝いなのだと」

 澄んだアイスブルーの瞳が翳っていく。やがて耐えかねるように、目尻に潤んで浮かぶ光ごと落として伏せられる。


 ――ただ、願えばいい。

 ――何が見える?

 ――その目に、何を見る?

 ――何を見たい?

 ――胸の内側で問いかけて、しっかり心の声を聞いて。

 ――分かったら、この指で示して。

 ――それがお前の言祝ぎとなろう、白百合(リブラン)


「お母さんが亡くなってからは、私は暑いところから――遠く遠くの、世界の果てに連れていかれたの。そこにただ一つだけあった大きな塔の中で、『祝福』を願っていたわ」




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