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【完結】リリー・ガーランド・ゲイン -林檎姫の呪いと白百合の言祝ぎ-  作者: 冬原千瑞
番外編Ⅱ

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天空都市日誌




 前代未聞のおぞましい事件から一週間近く経とうとしていた。

 悪しき輩によって穢された食堂は、完全に解呪されたものとして再び開放された。まばらではあるが人々が出入りし、憩いの場としての役割を取り戻しつつある。しかし厨房はまだ閉鎖中であり、各々は外から持ち寄ったもので食事を取っていた。


 広々とした空間の、二人掛けの小さな区画には、購買部で調達してきたハムエッグサンドを味気なさそうにもそもそと食べる者がいる。その大きな体格に似合わず、背筋を盛大にしおれさせ、浮かぶ表情にも覇気がない。

 此度の騒動における哀れな被害者の一人、兵鳥(バード)隊長、エルダー・C・ベネディクト。体調は回復していたが、医師からは依然として安静の指示が出ている最中であり、隊務には戻れず無為なオフを送っている身の上であった。

「景気の悪いツラしてっと、幸せが逃げてくって言うよ」

「ブラウンか……」

 真向かいに座ったのは、エルダーの同輩であり、今は天空都市の広報部に所属する男だ。労わる声を振りまかれても、エルダーは力なくため息をつくだけだった。

「幸せなんてとっくに逃げてるさ。俺は不運の星の下に生まれてるからね……」

「またえらく消沈してるねえ。得体のしれない呪いにかかっちゃ、しょうがないかあ」

「しょうがなくないさ。……俺が無様に倒れ込んでいる間、遊撃鳥(リベラルバード)やアルテミシア候、そしてキャンベル家――互いが力を合わせて、皆の呪いを解いてくれたって言うじゃないか。責務を何も果たせず、ただひたすらのうのうと役立たずにおねんねしてた俺が、しょうがないわけないじゃないか……」

 また盛大にため息を吐くと、大きな体躯を更に曲げて机に突っ伏した。ブラウンは幾分眉をひそめると、面倒そうにあっさり一言、「まあ運が悪かったんだよ」と返した。


「それはそうとさ、号外作ったんだから見てくれよ。お前のマドンナの麗しいスナップ付き!」

 エルダーがものすごい勢いで顔を上げた。目の前に差し出された機関紙には、写真が半面にもわたって掲載されている。モノクロームの中でさえ強く輝く存在感に、思わず釘付けになる。

 白い翼を背に纏う見目麗しい少女が、きらびやかな眼差しを向けていた。燦然とした神々しさで圧倒されるのは、直立不動に並ぶ遊撃鳥(リベラルバード)たち。そのきらめきに半ば惚けている者も見てとれる。

 同じく目をうっとりさせるエルダーも、つい言葉が震えた。

「て、天使……? いや、女神が……降臨してるんだが……??」

「見映えるよなー。今回は奮発していつもの倍は刷っちゃった。保存用にも観賞用にも布教用としても、是非是非しこたま貰っていってくれたまえ!」

 ブラウンが号外記事を宙へとばらまいてみせると、周りにいた他の解呪師や兵鳥(バード)たちもわらわらと手に取っていく。『異端にして異彩の技術、苦難の中での快進撃』――そんな見出しから始まる特報は、先日の事変で活躍したキャンベル家を大きく取り上げたものだ。

「やっぱりすごかったよな、噂のキャンベルは」

「マーガレット嬢は言わずもがな、プリムローズ嬢も侮れなかったぞ。食堂へ躊躇なく入っていく姿はなんとも心強くて……」

「妹の写真はないのかよ」

「それは裏面ね。ちゃんと二人とも被らず切り取れるよう、レイアウトは考えてあるよ」

 ブラウンの抜かりない仕事ぶりに、皆は分かってるじゃんかよと歓声を上げた。

 解呪師の一人が、思い出したとばかりに呟いた。

「そういえば、ミス・キャンベル、事件の前に解呪師局に来てたんだよな」

「何ぃ、マジかよ! どっちが!」

「姉妹どっちも」

「めっちゃレアじゃん! くっそ、何で知らせてくれなかったんだよ」

「局内に届け物したら、すぐに出てっちゃったしさ。それに、その……」

 あの時解呪師局に居合わせた者たちは、計ったように顔を見合わせると、たちまち神妙な面持ちで口ごもった。気まずそうではあるが、眼は喜色めいてそわそわしている。

 野次馬根性高いブラウンは、すぐさま勘付いた。

「何だよ、何のオモシロを見たんだ、吐け」

「その……同じ時にアルテミシア局長もいらしてたんだ。例の如く、キャンベル嬢には嫌味たらたらに応対していたんだと、思うんだが……」

「歯切れが悪いな、見てたんじゃなかったのか」

「彼女たち、隣の局長室にいたんだよ。硝子窓越しに会話してるのは見えたけど、内容までは分からないじゃないか。盗み聞きしようなんて雰囲気でもなかったし。局長とマーガレット嬢の『間』は、特に緊迫というか……、得も言われぬ緊張感があって……」

「得も言われぬ?」

 引っかかる部分をブラウンが繰り返せば、解呪師はしどろもどろに続ける。

「その……局長がな、責めるような面持ちでマーガレット嬢に段々と近付いていってだな……」

 そこで沈黙してしまったところを、もう一人の目撃者が代弁する。

「隅に追い詰められたマーガレット嬢は、厭うように目を伏せ、局長を拒む」

「そして、それを咎めるように、局長は彼女のおとがいに手をかけて、クイっと持ち上げて、」

「耳元近くで何をか囁けば、マーガレット嬢はさっと頬を染め、悩ましげな表情を浮かべる」

 ざわっと食堂全体が震え上がるようだった。どうやらいつの間にか、室内の全員が『二人』の密なるあらましに耳を傾けている。

 目撃組の解呪師たちは、蒸し返された記憶を味わいながら、ほうと恍惚の帯びる息をついた。

「見てはいけないものを見てしまった」

「秘めやかなやりとりだったというのに」

「告げ口する罪深き我々をお許しください、神よ」

「嘘だッ!」

「よりによって何で局長!?」

「やだ……絵になる……」

「私は妹派だから……ギリギリセーフだから……ッ」

 ある者は蒼白になり、ある者は打ち震え、また胸を高鳴らせ、またとある者は涙する。食堂内は、再び阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。

 その中で蒼白組に属してしまったエルダーは、逃避するように呟いている。

「まさか……そんな……いや、でも、ヨークが言ってたじゃないか、彼女の好みは胸板が薄い男って、男って……」

「ハハ、実際は好みじゃないタイプとデキるとかザラじゃん」

 ブラウンが軽々しく追い打ちをかければ、エルダーは頭抱えて絶叫を上げた。





 早朝のためか、ホテルのロビーラウンジは人の気配が薄い。食事は隣室の大食堂で用意されているが、ここでも軽食なら食べることが出来る。手狭ながらも、落ち着いた空間で朝食を楽しみたいジョシュアのお気に入りの場所だった。

 キャンベル家では早起きの部類である彼は、同室のヨークラインをおいて、一人その憩い場へと向かった。

 柔らかな木漏れ日のあたる窓際の席には先客がいた。見慣れた後ろ姿を捉え、おやと目を少し瞠る。

「おはよう、珍しい姿があったものだね」

「……ジョシュ」

 真向かいから呼びかければ、マーガレットは気だるげな声を発した。まだ眠気がとれないのか、ぼんやりとした表情をしている。重い瞼を清々しい朝陽に浴びせつつも、その口先は僅かにとがっている。

「体力が戻って来たから、ぼちぼち体調管理をしようと思ってね。手始めに、昼夜逆転しそうな体内の調子を整え直すのよ」

 夜更かしを好物とする少女とは思えない発言だった。ジョシュアは心配そうに眉尻を下げる。

「……どうしたんだい、メグ。お願いだからこの時期に吹雪を味わわせないでおくれよ」

「あたしだって砂漠を氷河にしたいわけじゃないわ。のっぴきならない事情があるのよ」

「のっぴきならないって……」

「ねえちゃまのカラダ、局長からぽんこつ車よろしくダメ出しされたのよ」

 間に入って理由を告げたのは、隣の食堂から朝食を見繕ってきたプリムローズだった。不機嫌なマーガレットの隣に座って、すぐにクロワッサンにかぶりつく。

「別に変わらないと思うけどなあ?」

 ジョシュアは首を傾げたが、プリムローズは小難しい表情を取り繕って「局長曰く、」と続ける。

「肌荒れがひどい、目元がサイアク、腹回りと二の腕がたるんでる、爪がガサガサ、血の巡りが悪い、前会った時より体重が2.56キロ増えてる」

「ああっ、言わないで! それ以上あたしの不摂生を開けっぴろげにしないでッ!」

 マーガレットは頭抱えて絶叫を上げた。それでも、妹の寄越したフルーツ盛り合わせと紅茶のカップを手の内に寄せる。

 ジョシュアはやんわりと苦笑を形作った。

「……話には聞いてたけど、アルテミシア局長は、随分な慧眼の持ち主なんだね?」

「あの人、自己管理の鬼なのよ。己の身体の完璧な仕上りぶりを、あたしにも同族たらんと強要してくるのよ。一目見ただけで体組成計並に体調をずばり言い当てるし……たまったもんじゃないわ」

「ずぼらなねえちゃまにとっては耐え難い鬼門なのよ」

「メグの天空都市嫌いの一端を担ってるようだね」

 この街には、マーガレットの繊細なプライドを逆撫でする厄介な相手が多いのである。

「そういうわけだから、ジョシュアちゃんは、ねえちゃまのフォローをよろしくどうぞなのよ」

 朝食をあっという間に平らげたプリムローズは、すぐに席を立った。

「プリム、何処に行くんだい?」

「ごはん食べたから、お外にお散歩よ」

「あんたと見習うべきだと、少し思えてしまうわ……」

 苦々しく眉をひそめる姉からそう呟かれ、プリムローズは得意げにきゃらきゃら笑った。


 街道を軽やかに駆けてゆく妹の姿を見送りながら、マーガレットはいじけた声で悲壮な決意を固める。

「うう、あたしも後で散歩行かなきゃ。しばらくはジョシュの美味しいお菓子もお預けかしらね……」

「食べすぎなければ問題ないさ。僕も材料に気を配るしね。健やかを願う君が、もっと美しくなれるようにしてみせるよ」

「ジョシュ……」

 優美にウィンクする様は何処までも決まっている――馬鹿みたいに、そう密やかに思うぐらいには、マーガレットの心は彼の傍らにあった。

「ありがと。ジョシュのお菓子が世界一好きよ」

「光栄の至りだよ、僕の大事なレディ」

 気障な台詞をくすぐったそうに耳澄ます少女は、紅茶のカップを傾けつつ、ひっそりと口元を緩ませた。






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