3-3 末路
貧しい大家族で育ったために早くから独り立ちを望まれていた。
兵士になれば寮に入れるし、衣食住の心配はない。
ゆえに自分はその道を選ぶことに躊躇いはなかった。
はじめて魔女と遭遇したのは、北の小国の兵士として所属したてのときだった。
北の村の山小屋に人のいる気配がする。
村人の通報を受けて自身を含む兵士十名とその山小屋にむかった。
人が多いのは盗賊の可能性があったからだ。
誰もが皆、それはすぐに済むはずだと思っていたし、いつもと変わらない業務のはずだった。
誰もいないはずの山小屋の扉を開けると、そこには一人の女性が座っていた。
誰かが「魔女だ」と叫ぶ。
その途端周囲の兵士が一斉に逃げ出す。
私はわけがわからかったが、周りの雰囲気のその時は一緒に逃げ出した。
全力で走っているのに、その魔女は一向に引きはがせない。
状況がよくわからずその時はみなとともに逃げ始めた。
自分たちのいた国の近くでは魔女のコミュニティが近く、脱走する魔女が後と絶たないという。
魔女の力はその魔法の習熟度に比例する。
ほとんど人間と変わらない者から、一軍と渡り合える者まで幅があるという。
今回遭遇したのは明らかに後者。
突然隣を走る同僚の頭部がはじける。
同僚の頭部の一部がだったものが顔をかすめていく。
雪原がまるで赤い液体を樽でぶちまけたように、赤く染まる。
ひどい悪夢を見ている気がした。
戦場でもこんな死に方はするまい。
自分は必死で駆けた。
背後からのわけのわからない攻撃を前にして一人一人仲間が消えていく。
一方的な悪意をむき出しにされて、なすすべがなかった。
野生の魔獣でさえ、人間相手にここまで悪意をむき出しにしてくることはないだろう。
自分は怖いと感じた。同時に助かりたいとも強く願った。
気が付けば周りを走っていた仲間はもう一人もいない。
体はいつの間にか傷だらけで、走りまくったせいで心臓がつぶれそうだ。
その影はゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
「ずいぶんと手間をかけさせてくれたわね」
息を切らしながらその魔女は一歩一歩こちらに近づいてくる。
そして、魔女はゆっくりとその手をこちらに向ける。
死を覚悟した時、不意に魔女の躰がのけぞり、糸が切れたようにその場に倒れ伏した。
次に一人の男が魔女の横に現れ、魔女の心臓に剣を突き刺す。
「あの距離で一撃かよ」
あまりの展開の早さに、頭がおいついていけない。
「おい、あんた立てるか?」
急に背後から声をかけられる。
それがグレコという『狩人』との出会いだった。
自分だけはどうにか命を取り留めたらしい。
それがはぐれ魔女との初めての遭遇の記憶だ。
あとで聞いた話では魔法抵抗力が常人よりも高かったために致命傷を免れたという。
俺はたった一人の生き残りということで軍に居づらくなり、自ら身を引く。
そんな宙ぶらりんの中、俺に声をかけてきたのはグレコという『狩人』だった。
そして、それから訓練を受け、異端審問官『狩人』になった。
「なかなかやるじゃない。私の人形五体も倒しちゃうなんてさ」
街道から少し離れた森の奥。
そこには仮面をつけた五人の魔女がいる。
魔女の周囲には数人の仮面をつけた男が取り囲むように立っていた。
もう一人いた相方は既にこの世に足だけしか残っていない。
『真夜中の道化』の追跡は失敗したのだ。
何処で見つかったのか。
変装は完璧だったはずだし、追跡は今まで以上に慎重に行ってていたはずだ。
思い返してもこちらの落ち度は無かったはずだ。
右足は仮面の男たちとの戦闘であり得ない方向にねじれていた。
逃げることなどできない。
ここにあるのは絶望だけだ。
あの時とは違う。
ここにあの男はいない。
奇跡など期待してはならない。
希望など持ってはならない。
ただし、覚悟をするのと死を受け入れるのは似ているようで全く違う。
好機は必ず来る、そう信じて男は魔女たちを注視する。
「いささか期待はずれだったわね。ここまで追跡できたのだから上位の『狩人』かと思ったのだけど」
真ん中にいる髪の長い魔女が言う。
「キャハハハハ、私たちが強すぎるだけじゃない?」
仮面の男の肩に座る少女の姿をした魔女が愉快そうに声を上げる。
仮面の男たちの動きには流派など存在しない。動きも素人で動きにも無駄が多い。
ただ明らかに人間の速度を越えた動きから繰り出される攻撃と、
幾ら手足が折れていようとも、行動に一切の怯みがない。
意識が魔女により、乗っ取られているのだとすぐに気づいた。
「そうだ、生かして情報を絞り出すってのはどうよ?」
少女の姿の魔女が思いついたような声を上げる。
もうすでに自分たちの優位は揺るがないことを確信しているのだろう。
「どうせろくな情報もってないでしょうし、こいつら口を割らせるまでに手間よ」
若い男の姿の魔女がそれに応える。
「こいつを私らの道化にするってのは?」
「ふう、解ってないわねえあなた。『狩人』ってのはね魔法抵抗力だけは馬鹿みたいに高いから。
私たち程度じゃ、改造するまでに時間がかかり過ぎるのよ。
逃げるのに面倒だし、とっとと廃棄してしまいなさい」
男の姿をした魔女が声を出す。
「ちぇ、もったいないなあ。これだけの素体、あまりないのに」
「もうめんどいからとっとと終わらせちゃおうよー」
眠そうな顔をした魔女がそう言って欠伸をする。
「…カロリッサは面倒なだけでしょ」
「こらこら、任務中は名前を呼び合うものじゃないわよ」
男の魔女が少女の姿をした魔女の頭を叩く。
魔女たちの視線が一瞬だけ自分から外れる。
男はしめたと思った。
このタイミングしかないと思った。
男は隠し持ったありったけの鉄の塊を、魔女たちの顔面めがけて放つ。
それを片手で鉄の塊を腕を組んでいた大柄な女性の姿をした魔女が素手で叩き落とす。
「ったく、戦闘中に隙見せてるんじゃないよ」
「ほーら、みなさい、あんたがもたもたしてるからこの躰に傷がついちゃうところだったじゃないの」
男の姿の魔女が悲鳴を上げる。
「私のせいかよ」
「廃棄してとっとと行くよ。」
中央の魔女が告げる。
「だね」
そして魔女たちは息の根を止めるべくこちらに向き合う。
「おめえはもうちっと融通効かせた方がいいぜ。
もっと外を見れば見識が広がる、見識は光だ。
見識が広まりゃいろいろみえてくるもんもある。なあクワン」
そして男の意識は闇に染まっていく。
「…グレコさん」
男はあの時助けてくれた者の名を呼ぶ。
それは声になったのかすらわからない。
それが一人の『狩人』の断末魔だった。




