設定調整と姉
さて、マスターの選択の結果、『私』は『世界大全集』アンサラーとなりました。ああ、これでようやくマスターに『私』を読んでいただけます。『私』から得た知識を使ってマスターが何をするのか、今から楽しみでなりませんね。
『マスター、内容の登録及びダウンロードが完了しました。ご自由にお読み下さい』
『私』がそう言うと、マスターは『私』をめくり始めた。
が、すぐにマスターの顔が歪んだ。
『どうかしましたかマスター?』
マスターは、いったいどうされたんでしょう?
「よめない」
『え?』
「もじがわからくてよめない」
『読めませんか?』
「うん。あんさらー、このもじってなんてかいてあるの?」
マスターが読めないと言うので、『私』は今マスターが開いているページに記載されている文字を確認した。
そこには、この世界では使用されていない文字が記載されていた。
『すみませんマスター。ダウンロードする時に、言語の翻訳を行うのを忘れていました。今からこの世界の言語に翻訳して再表示いたしますので、少しお待ち下さい』
「わかったぁ」
『それでは翻訳を開始します』
『私』は、表示されていた内容の内、この世界に存在する言葉で現せるものはその文字に変換し、逆にこの世界に存在しないものは、固有名称扱いとしてそのまま表示していった。
マスターが開いていたページの中の文字は、すさまじい速度でこの世界のマスターの知っている言語に書き変わっていく。そして、一、二ページの翻訳が終わった。
『マスター、とりあえずマスターの開けているページの翻訳は完了しました。大丈夫だと思いますが、確認をお願いします』
「うん!。ええと、せかいとはゆりかごである」
マスターは、『私』の念話に元気よく頷き、『私』が翻訳したページの最初の一行を読み上げた。
『問題はなさそうですね』
「うん、ちゃんとよめるよあんさらー!」
『それはよかったです。それでは、他のページの翻訳も進めて行きますね』
「うん、おねがいあんさらー!」
マスターは、そう言って『私』を読むことを再開した。
『私』も、後のページの翻訳と表示に取り掛かった。
その作業のかたわら、マスターの読んでいるページの内容を『私』も読んだ。
そのページに書かれている内容は、別の世界のある存在の認識した世界についてのものだった。内容は、書かれているままだとこんな感じだ。
世界とは揺り篭である。
我等、今だ生まれ落ちし地を飛び出すこと叶わぬ者達を抱き、やがて訪れる旅立ちの日まで我等をその身に乗せて揺れる揺り篭。
揺り篭に抱かれし我等、全てのいと小さき者達は、揺り篭たる世界の恩恵たる、『フォース』を使い発展を遂げた。
全てはいつの日にか、揺り篭たる世界に抱かれし赤子たる今より、他の揺り篭たる世界にたどり着く幼子になる為に。
我等、今だ世界の恩恵なくば、生まれ、生き続けることさえ叶わぬ赤子なれば、いつの日にか揺り篭より立ち上がり、外へと旅立つことを夢見る。
ーーー中略ーーーー
我が生きる今の時代にその夢が叶わぬことがただただ無念の極み。
今より繋がる未来にありし我等が子らよ、願わくば汝らが揺り篭より旅立つ幼子になれることを、我はせつに願う。
何と言うか、マスターのような幼い子供が読むような内容ではないですね。次のページからは、別の世界の創世神話辺りを物語形式で表示した方が良いかもしれません。
『私』はそう思い、マスターに相談しようとマスターに感覚を向けて見た所、『私』の予想が外れていたことを一瞬で理解した。
なぜなら、マスターの目は楽しそうに今『私』が読んだ内容を追って行っていたからだ。
「ねぇあんさらー」
『何ですかマスター?』
「せかいって、ぼくのいるここいがいにもあるの?」
『ええ、たくさんありますよ。それこそ夜空に浮かぶ星などよりも大量に』
そう、世界は無数に存在している。意思ある者の数だけ世界はあり、観測者ごとに違った世界は存在する。そして、選択の数だけの平行世界もまた存在する。
世界がどれだけ存在するのか、それは『私』にもわからない。けれど、世界は今この時にも増減を繰り返している。世界大全集たる今の『私』には、数多の世界の全てが記載されている。が、『私』はそれらを理解してはいない。また、理解するつもりもない。なぜなら、『私』はただの本なのだから。
「たくさんのせかいかあ、いつかいってみたいなぁ」
マスターは、まだ見ぬ世界を幻視しながらそう言った。
『いつか行けるといいですねマスター』
「うん!」
けれど、『私』と契約しているマスターならば、いつの日にか他の世界に行くことも可能だろうと『私』は思った。なぜなら、『私』には世界間の移動方法についても記載されているからだ。もっとも、どの方法も手間隙がかかるものばかりなので、マスターがこの世界から旅立つのは、とうぶん先になるだろうけれど。
マスターは、『私』を読むことを再開し、『私』は次のページをどうしようかと思っだが、マスターの様子を見るかぎり問題は無いようなので、そのまま残りのページを表示していった。
「ただいま」
それからしばらくして、遠くから扉の開く音と、そんな声が聞こえてきた。
『おや?マスター、誰か帰って来ましたよ』
『私』は、『私』を読むのに夢中になっていて、声に気づいていないだろうマスターに呼びかけた。
「え、なにかいったあんさらー?」
『私』に呼ばれ、マスターは顔を上げた。
『誰か帰って来たみたいですよマスター』
「あれ?もうそんなじかん」
『そうですね、もうお昼にはなりますね』
『私』とマスターが出会ったのは朝方だったが、マスターが『私』を読んでいる内にもう昼になっていた。
「おひるなら、かえってきたのはたぶん、フェニシアおねいちゃんだよ」
『マスターのお姉さんですか』
「うん。おねいちゃんは、いつもおひるにぼくのごはんをつくるためにいちどかえってきてくれるんだ」
『ご両親は、今家にいないのですか?』
幼いマスターを残して出かけているのだろうか?
「うん、おとうさんとおかあさんは、ぼうけんしゃで、あさはやくにでかけて、いつもゆうがたにかえってくるんだよ」
『・・・そうですか』
いつもということは、マスターは普段から家に一人ぼっちということですか。
『マスターは寂しくないのですか?』
いえ、マスターのような幼子が寂しくないわけないですね。
「うーんと、べつにさびしくはないよ」
『え!?』
寂しくない?
『本当に寂しくないのですかマスター?』
「うん!だって、ほんをよんでいたらすぐにかえってきてくれるもん!」
『・・・そうですか』
本を読んでいたらすぐに帰って来てくれるとは、マスターはひょっとしてものすごい本の虫ということでしょうか?
この時の『私』は知りませんでしたが、マスターの集中力と読破スピードは、かなり異常でした。マスターにとっては、本さえあれば待つということは苦でもなんでもないのは、揺るがしがたい事実であるということを後に『私』は理解しました。
「アスト、ご飯出来たわよ」
『私』がマスターの返答に悩んでいると、部屋の扉が開かれて十代前半の少女が部屋に入って来ました。
『私』が扉の方に意識を向けると、そこには緋色の髪を腰まで伸ばし、少しきつく見える炎のような紅蓮の瞳をマスターに向けた、透き通るようなと表現出来る色白の肌とそれらの色彩がよく栄える端整な顔立ちを持つ、誰が見ても美少女と認めるだろう美しい少女がいました。
「うん、おねいちゃん。いまからたべにいくね」
そう言ってマスターは立ち上がり、『私』を持ったままお姉さんのもとまで歩いて行きました。
「アスト、いつも言ってるけど、食事の時まで本を持ち歩かなくてもいいんじゃないの?」
「や!あんさらーもいっしょがいい」
「あんさらー?アスト、アンサラーってその本のこと?」
彼女は、『私』を指差しながらマスターに問い掛けた。
「うん♪」
「そう。はあっ」
彼女は諦めたようで、ため息を一つついてマスターと一緒に部屋を後にした。
どうやら、このやり取りは何度もしていてもはや諦めの境地のようだ。
マスター達が移動した先は、ダイニングのようだ。真ん中にあるテーブルの上には、パンと湯気が立ち上るスープが置かれている。あれがマスターの昼食のようだ。
それにしても、パンとスープだけというのは、育ち盛りのマスターにはいくら小柄だとはいえ、少な過ぎる気もする。それともこの世界では、この分量が普通なのか?後で調べておいた方がいいかもしれませんね。
『私』がそんな風に思っている間にマスター達は席に着いて、昼食を食べ始めていた。
マスターがパンをかじっていると、お姉さんがマスターに声をかけた。
「アスト」
「なあに、おねいちゃん?」
「私、これ食べ終わったらすぐに学校に戻るから、いい子でお留守番していてね」
「うん、わかってるよおねいちゃん」
「まあ、アストなら大丈夫よね。そういえば、今日はバリュクスは早く帰ってこれるみたいよ」
「バリュクスおにいちゃんが?」
「ええ、今日は冒険者ギルドには行かずに、真っ直ぐ家に帰るって言ってたわ」
「そうなんだ」
「もしも外に出かけたかったら、バリュクスにおねだりしてみたら?アストが可愛いらしくおねだりしたら、バリュクスはイチコロよ」
そう言って彼女はマスターにウインクした。
「アハハ、たしかにおにいちゃんなら、ぼくのおねだりをきいてくれるね」
「でしょう」
どうやらそのお兄さんがマスターに甘いのは、彼女にとっては周知の事実のようだ。
「さてと、それじゃあ私はもう戻るわね」
「うん、いってらっしゃいおねいちゃん」
「行ってきますアスト」
そう言って彼女は部屋を後にした。
お姉さんが出かけた後は、マスターは黙々と食事を続けた。
「ごちそうさまでした」
そして、食事を終えたマスターは『私』を持って、真っ直ぐ先程の部屋に戻って、再び『私』を読みはじめようとした。
『私』は、マスターが再び『私』を読むのに没頭する前に、マスターのお姉さんとお兄さんについて聞いてみることにした。
『マスター』
「なあに、あんさらー?」
『先程のお姉さんや、話に出てきたお兄さんは、家にいないのですか?』
「うん、おねいちゃんもおにいちゃんも、がっこうにおべんきょうしにいってるから、いえにはいないよ」
『そうなんですか』
「ねぇ、あんさらー」
『何ですかマスター?』
「あんさらーには、もくじとかないの?」
『目次ですか?あるにはありますよ』
「じゃあ、もくじみせてよ」
『わかりましたマスター』
けれど、目次はマスターの役に立つのか、かなり微妙だとは思いますけどね。
『私』は、マスターが開いているページに、目次を表示した。
「うあー、なにこれ?」
目次を見たマスターの第一声がそれだった。
マスターがそう言うのも無理はないだろう。なぜなら、マスターが見た目次には隙間が無いと言えるほどに大量の文字がびっしりと羅列していたのだから。
「あんさらー、なんなのこれ?」
『目次です』
「いや、それはわかるけど」
『申し訳ありませんマスター。世界大全集としての私に記載されている内容が広すぎて、目次にして表示すると、どうしてもそんな感じになってしまうんです』
「そうなんだ。・・・じゃあ、さっきあんさらーがあるにはあるって、いいかたがビミョーだったのって?」
『ええ、ご覧の有様で目次としての役割を真っ当出来るか、はっきり言って微妙なんです』
そう、記載される知識が増えると、逆に個別の内容は見つけるのが面倒になるんですよね。
「じゃあ、どこになにがあるのかは、じみちにもくじからさがすしかないの?」
『いえ、検索という方法があります』
「けんさく?」
『はい、一定のキーワードでそれに関する情報の絞り込みが可能です』
「よかった」
マスターはそう言うと、再び『私』を読み始めた。
『私』は、そんなマスターをそばでゆっくりと見守った。