プロローグ 勇者が迎えたバットエンド
その場所には闇が広がっていた。
どこまでも果てのない、無明の闇が。
その闇の中、光が瞬いた。
始めは一つ、二つの本当に小さな光だった。
だが、時をおうごとにその瞬く光の数が増えていった。
やがてその光は、闇を斑に染め上げるまでになった。
その瞬いている光の一つに目を凝らしてみると、そこには二人の男女がいた。
片方は、全身をあちこち破損している白銀の鎧でかため、右手に精緻な細工を施された黄金の剣を持った、背中から光の翼を生やした金髪碧眼の二十代前半くらいの、凛々しい顔を憤怒と憎悪に歪めた表情の青年。対するのは、豊満な肢体を白い布のような物で覆っている赤髪紅眼の、妖艶な二十代前半くらいのとても人とは思えない美しさの美女。
青年と違い、対する美女の方には傷の一つ、汚れの一欠けらもついてはいなかった。
そして、自分に明確な怒りと憎しみを向けている青年を見る美女の顔には、愉悦と嘲笑が浮かんでいた。
「うふふっ。そろそろ諦めたらどう、勇者様?」
「断る!俺は、お前を倒すまで決して諦めない!」
青年は、美女の言葉にボロボロの身体を震わせながら、拒絶の言葉を吐き出した。
「アラアラ、威勢がいいわね勇者様。けれど、あなたが私を倒すなんて、不可能だということがまだ理解出来ないのかしら?」
「そんなことは、お前に言われずともわかっている」
「わかっているのなら、何故そんなになってまで私と戦うの勇者様?」
美女は、ボロボロの青年を見ながら小首を傾げた。
「お前と戦うのをやめない理由は簡単なことだ。お前を倒すこと、それが俺が救えなかった人々に対して、今俺がしてやれるただひとつのことだからだ!」
「あなたが救えなかった人々?・・・ああ、あの人形達のことかしら?」
美女は、青年が言ったことが最初は理解出来なかったようだが、少し考えて青年にそう尋ねた。
「人形だと!」
「そうよ。あなたが救えなかった物達は、私の掌の上で踊っていた、ただの人形よ」
「違う!みんなは人形なんかじゃない!」
「いいえ、人形よ。だって、彼らの誰一人として私の思惑を越えるものはいなかったのだから。あなたを含めてね。ねぇそうでしょう、勇者様?」
美女は、それが当然のことように青年に言った。
「それは・・・」
青年は美女の言葉に反論せずに沈黙した。
それは、青年が美女の言葉を事実だと認めたことと同義だ。
青年は俯いた。
が、青年はすぐに顔を上げた。
「いいや、やはりみんなは人形なんかじゃない」
「どうしてそう言えるの?」
「もしも、みんながお前の言う人形だったのなら、みんなは俺の足下にはいないからだ」
青年の足下にも周りと同じように無明の闇が広がっていて、何も見えない。
いや、違う。青年の足下には、何か大きな塊が存在していた。
それは、骸の塊だった。人間、エルフ、ドワーフ等の人間種。ドラゴン、ペガサス、グリフォン等の幻獣種。天使、悪魔、精霊等の上位種。それら、ありとあらゆる種族の骸が集まって、一つの大陸ほどもある塊になっている。
「みんなが、お前が言うとおりの人形であったのならば、みんなは俺の足下にはおらず、俺がお前の前に立つことも叶わなかったはずだ!」
「うふふっ、その彼らの意思さえも私の掌の上だとは思わないの?」
「関係ない!俺は、お前を倒す!!」
そう叫んで、青年は美女に斬り掛かった。
美女は、青年の攻撃を避けず、真正面から斬り付けられた。
だが、青年の攻撃は美女の身体はおろか、美女の身を包む布さえ斬ることは叶わなかった。
「だから言っているでしょう勇者様。あなたが私を倒すなんて不可能なのよ。だって、あなたをこの世界に招き、勇者の力を与えたのは他でもないこの私なのだから」
そう、青年は彼女が別の世界からこの世界に連れて来た転生者だ。
青年は、本来の自分の世界から、彼女に今いる世界を救ってほしいと頼まれて、この世界に転生した。
青年が彼女と初めて会った時、彼女は自らをこの世界の女神だと名乗り、未来において滅びる自分の世界を救ってほしいと頼んだ。
だが、それらは全て偽りだった。
彼女は女神などではなく、この世界は彼女の世界でさえなかった。そして、青年の足下に広がる闇の中に消え、もはや存在しない世界を滅ぼしたのも彼女だ。
そして、青年の足下の骸の山は、彼女のもたらした滅びの被害者達だ。
彼女が世界にもたらした滅びとは、青年をこの世界に招いたように、あらゆる世界から無差別に意思ある者達を世界に召喚することだった。
数多くの罪なきもの達が召喚され、言語も価値観も理も違う世界に放り出された。彼らは、生きる為、そして故郷の世界に帰る為に召喚された世界の中で様々な行動を起こした。
その結果は、この世界の生物達との衝突、その果ての度重なる闘争だった。
青年は、戦った。突如現れた彼らが、この世界に滅びをもたらす者達だと女に言われて。
青年は勇者として戦い、数多くの罪なき者達を殺し、その手を血に染めた。
青年が全ての真実を知ったのは、もう取り返しのつかない段階になってからだった。
全てを知って、青年は苦悩した。
自分がしてきたことの愚かさと、自分が殺して来た者達のことを想って。
青年は苦悩して、そして立ち上がった。
青年は、全ての元凶である女を倒す為に行動を始めた。
青年は敵味方、この世界の住人、召喚された者達を問わず真実を話、協力を頼んだ。
最終的には、彼らは青年に協力した。彼らには、青年に不信感があった。怒りも憎しみも恐怖もあった。だが、彼らは最後には青年を信じ、おのが種族を、家族を、仲間を、友を、愛する者達を死に追いやった女を倒す為に青年に協力した。
彼らの協力を得た青年は、女に戦いを挑んだ。
幾度も戦い、幾度も敗れ、それでもなお青年達は女に挑んだ。
その果てに今の状況がある。
青年を女の前に立たせる為に、彼らは進み、女を守る為に女の配下は彼らの前に立ち塞がった。それゆえに、彼らと女の配下は激突した。そして、両者はともに全滅し、青年の足下の骸に変わった。
青年の言うとおりだろう、こんな彼らが女の人形のわけがない。たとえ彼らが女の思惑から外れることが叶わなかったのだとしても、彼らは自分の意思で生き切ったのだから。
「この身が砕散るまで付き合ってもらうぞ!」
青年は、再び剣を振るった。
女もまた、避けずに受けた。
それが幾度となく繰り返され、そしてとうとう終わりの時が訪れた。
青年の身体が限界を迎えたのだ。
青年は最後の力で剣を女に突き立て、そのまま崩れ落ちた。
剣を突き立てられた女は、崩れ落ちる青年の身体を抱きしめた。
「お疲れ様、私の勇者様。どうかやすらかに眠ってね」
そう言って、女は青年を足下に向かって解放した。
女から離れた青年の身体は、骸の塊の上に落下した。
そして、骸の塊は闇の中に消えていった。
それを見届けて、女も闇の中に消えていった。
「ねぇ、これがこのおはなしのけつまつなの?」
先程とは別の場所で、幼い声でそんな言葉が紡がれた。
「そうですマスター。これがこのお話の結末。マスターの住んでいる世界の終わりです」
幼い声に対して、平坦な声がそう返した。
「しあわせなけつまつにはならないの?」
「あなたがそれを望むのならば、私はいくらでもお手伝いします」
「ほんとう?」
「ええ」
「わかった!このおはなしを、このせかいを、みんながしあわせになれるようにしてみせる!」
そう、希望を胸に抱いた幼い声がその場所に響いた。
くすり。
そんな笑い声が小さく響いた。
「では始めましょう。新しい物語を、私とマスターで」
「うん!」
これは始まり。一つの世界のバットエンドが、ハッピーエンドに変わるまでのお話。