第4話
翌日。
始業のチャイムが鳴り響く校舎。僕は息を切らして階段を駆け上り、チャイムとほぼ同時に乱暴に自席に着いた。家から学校までは徒歩十五分程度で、近いせいかどうしても出るのが遅くなってしまう。だから毎日ジョギング紛いの全力疾走で鍛えている。
呼吸を整えながら、鞄から筆記用具を取り出した。
「………………」
左隣りの席から強い視線を感じる。それはもう僕の体に穴が開きそうなくらい。強力な眼力光線が放たれると、意地でもそっちの方を見ないようにしたくなるっていうのが人間の心理だと思う。
僕の左隣りの席に座るのは、片瀬涼葉。きれいな顔立ちだが、どこか可憐さがあり、学校の成績も良いため結構モテる。剣道部に所属していて、性格は明るく社交的。だけど僕にはいつも我儘を言う。幼稚園からずっと一緒の幼馴染だ。
何とか気づかないフリを装い、朝礼は乗り切った。が、終わった途端、立った脚で椅子を後ろに押しやり、こちらに何色か判らないオーラを放ちながらやって来る人物約一名。
目の前に涼葉が現れた!
「さっきからずっと無視してたでしょ」
僕の視界コマンドに『こうげき』『ぼうぎょ』『どうぐ』『にげる』の四択が浮かび上がる。『こうげき』を選択すれば、間違いなく迎撃され死亡。『どうぐ』なんて今は筆箱くらいしか手元にないし、教室という限られた空間で『にげる』と捕虜確定だ。
「……無視なんてしてないよ。気付かなかっただけだって」
消去法で『ぼうぎょ』を選択した僕。日和ってると言われても返す言葉がない。
涼葉は僕の返答がお気に召さないのか、じっと睨み付けてくる。だけど、それも僅かな時間だった。ずっと言いたいことを我慢していたのか、ぱっと笑顔になり、うずうずした様子で僕の机の上に腕を組んで顔を乗せてきた。
「ねえねえ、昨日からニュースになってる国家プロジェクトの話知ってる?」
ああ、その話ね。
「知ってるけど」
涼葉は今度は僕の返答に満足したように、にへらと笑って見せた。
「実はわたしね、そのプロジェクトの協力者に選ばれたんだー」
「!?」
涼葉の台詞に僕は思わず硬直した。体は正直だ。驚きすぎると脳がショートし、全ての器官が停止するらしい。一瞬、涼葉の言っている意味が解らなかった。
「えーっと、パードン?」
取り敢えず、カタコト英語で聞き返してみる。
「だーかーらー、昨日からニュースになってる文科省が実施する国家プロジェクトの協力者にわたしが選ばれたんだってば!」
どうやら聞き間違いではないらしい。
「……………………」
さて、どう返答すべきか。
それにしても、全国の高校生の中から十名しか当選しない抽選で、自分が残念ながら当選してしまったことだけでも驚愕の事実なのに、幼馴染でずっと一緒の涼葉までもが当選者とは。世の中は意外と狭いと結論付けるべきなのか、涼葉は僕の人生のストーカーだと認めてしまえばいいのか……。うーん、判らないけど、どっちもヤダ。
昨日両親が帰って来て、僕はすぐさま手紙のことを話して親展の封筒を開けてもらった。そして両親が読み終えた後、僕に回してもらった。
手紙の中身自体、僕が貰った物と大きく変わるところはなかった。だけど、このプロジェクトに参加すれば、僕たち子供の将来は保障する、と書かれていた。将来の保障、とは一体どういう意味なのか。益々怪しい。
僕が腕を組んで渋面を作る中、両親はというと缶ビールを片手に二人で乾杯していた。
「ゆーくんが選ばれるなんて、ママ感激!」
「そうだぞ、悠介。十名しか選ばれないのに悠介が選ばれたなんて、人生の運を全て使い果たしてもまだ足りないくらいだぞ? 父さんも鼻が高い!」
全く喜べないんですけど。というか、僕の人生の運って全部消えたの!? むしろ今マイナスなの!?
結局のところ、是非行って来い! こんなチャンス二度とないぞ!? というのが両親の統一見解だった。大いに予想していたことではあったけど。
彼らはどちらもネジが少々足りていないんじゃないかと、その二人から生まれた僕は分析している。じゃあ、そのネジが足りない二人から生まれた僕の脳構造はどうなっているんだ? と考えかけて、凄く危険な結論しか出なさそうだったので、すぐに思考を停止させた。
「ちょっとー! 聞いてんの?」
涼葉が立ち上がって、机の上に両手を乗せる。あ、そろそろ一時間目が始まる。
「奇遇だね。実は僕もそのプロジェクトの協力者に選ばれたんだ」
キーンコーンカーンコーン、とここでチャイム。ちょうどのタイミングで吐かれた僕の軽くて重い台詞。笑顔だった涼葉の表情が固まり、瞳が大きく見開かれる。
先生が教科書を抱えて教室に入ってきた。僕の席の前で突っ立ている涼葉を残して、ヤバいヤバいと教科書を取りに急いでロッカーへ向かう。中から英語の教科書を取り出し教室に目をやると、さすがに彼女も自席に座っていた。だけど、人形のように魂が抜けた表情をしている。どうやら重症のようだ。