第47話
早坂くんがこの島を脱出してからちょうど一ヶ月。葉がひらりと枝から落ちて、いよいよ身に着けるそれもほとんどなくなってくる季節になってしまった。ブレザーの下にセーターを着ないと凍え死んでしまう。
いくら待っても助けは来ない。早坂くんは今どこで何をしているのか、気にならないはずはなかった。早坂くんは助けを呼んでくれたのだろうか、それともまさか国側のスパイは早坂くんで、そもそも助けなんて呼んでいないのではないか。僕はそんなことまで考えるようになっていた。
早坂くんが脱出した日、それは業者が来た日だった。それからちょうど一ヶ月の今日、必ず業者は来る。僕は寮に戻ることもなく、放課後は適当に辺りを散歩して時間を潰し、夜になった今、こうして校舎の入口横から様子を窺っている。本当は遠くの木の影に隠れて観察していようと思ったのだが、夜は暗く顔が判別できない可能性があった。ある程度近くでその人物を見なければならない。今回失敗すれば、次はもうない。国家プロジェクトは残り一ヶ月のところまで来ていた。業者が定期的に来るのは、今日が最後だった。
息を潜め、背を壁にぴたりと着け、首だけ校舎前に向ける。動かずじっとしているには風が冷たい。息も白く濁る。
首の筋を痛めながらも辛抱強く待っていると、校舎の中から一つの人影が姿を現した。月明かりに照らされて、その人物の姿が露わになる。メガネをかけて白衣を纏う男だった。彼は業者の人間が持っていたものと同じ、大きめなケータイをその手に携えている。暫くしてそのケータイを耳に当てて会話を始めた。男がこちらを向かない限り、ここからでは顔がよく見えない。
男は短すぎる会話を終えると、一度校舎の中へ消えていった。それから数分後また外へ出てきて、今度は男から通信を図った。その後は暫く、二段しかない階段に腰かけながら退屈そうに空を見上げていた。
三十分程そうしていただろうか。男に動きがあった。といっても、業者の人間から連絡が入っただけなのだろうけど。男はまた校舎内に入って行き、数分で戻って来てケータイを耳に当てた。
この一連の動きを観察していると、幾つかのことが見えてくる。あの男が業者の人間とやり取りしている内容は、恐らくフェンスに張り巡らされた電流の解除。業者の人間がフェンス前で施錠の話をしていたことからもきっと間違いない。そしてもう二つ判ったことがある。それは、その電流の解除装置は校舎の中のどこかにあるということと、業者の人間と連絡を取れるのは外だということだ。その二つの前提がないと、校舎を出入りする男の不可思議な行動の説明がつかない。
男が最後の連絡を終えて、校舎の中に入っていく。僕は唾を呑み込みながら、意を決したように男の尾行を図る。なるべく足音を立てないように、そして相手との距離を空け過ぎないように全身の神経を尖らせる。
靴のまま中へ入り、壁に沿って並ぶ下駄箱に背を着ける。男が曲がったのは右。でもその方には職員室と保健室、そして何もない一室しかない。
僕は僅かに顔を壁から覗かせ、白衣の男に照準を合わせる。彼はちょうど、例の何もない一室に向き合っていた。外の薄暗がりとは違い、校舎内は蛍光灯の明かりで男の顔がはっきりと見える。僕は彼の横顔を捉えた。
――――え……?
自分の鼓動が大きく脈打つのを感じた。瞳孔が大きく開き、高鳴る鼓動は止むことを知らない。息苦しさが体を覆う。目の前の現実を受け止めることを必死に拒む僕がそこにいた。謎の男は僕の知っている人物だったのだ――。
彼は部屋の中へ入っていった。僕が乱れた呼吸を整えようと必死で自分の精神のコントロールを試みているところに、保健室から大崎先生が姿を現した。こんな時に……!
僕が心の中で毒づいて、急いで逃げようと身を翻した時だった。
――全身が透明になった。
体の感覚はあるし、視界もいつも通り。だけど、自分の体が見えない。両手を自分の目の前に持ってきても何も映らない。映るのは、下駄箱の風景だけだった。
心臓付近がやけに熱くなり、そこから血液を巡り〝新しい何か〟が脳に伝わる。そこで僕は理解した。自分に覚醒した〝能力〟を。みんなが今まで経験してきた〝無の時間〟。彼らはその後自分の能力をコントロールできるようになると言っていた。言葉では上手く伝えられないけど、解るようになるのだと。僕は今、それを身を持って体験している。別に理屈ではない。呼吸をしたり、手を動かしたり、口を開けたり、自分がしたいと思ったことを脳を通して実行できるのと同じように、透明化をすることができるようになるのだ。
僕は大崎先生に見つかる前に、取り敢えずその場から飛び出して寮に戻る道を辿った。
月夜の下を走りながら、僕はにやりと笑みを溢す。
「例え自分の命を削ることになっても、このプロジェクトを終焉へと導いてやるよ……!」
謎の男の正体を突きとめた僕は、翌朝早速行動を起こしたのだった。




