第36話
重富航輝がシーツを手にフェンスから少し離れた場所に立つ。風は吹いている。風向きはフェンスの向こう側に向かって吹いている所を探した。
「じゃあ行くぞ!」
航輝が助走を付けてフェンスに向かって走る。そして踏み込む刹那体重を重くし、直後極限まで軽くした。腕を上に広げ、シーツが風を受けて航輝がふわりと宙を舞う。だが、樹が多いため今の高さでは上手く飛べず、仕方なくフェンスのその先で下り立つ。
「すげぇ!! ホントにフェンス越えられた!!」
航輝が感動しながらフェンスの方に戻って来る。
「二人も早く来いよ!」
航輝に急かされるまま、今度は早坂瞬がフェンス越えを試みる。勇和馬が腕に力を集中させ、シーツを手にした瞬を上方に投げる。瞬はシーツを広げ、パラシュートの要領で着地する。
和馬は助走をつけ、踏み込む足に力を込めて高く飛び上がった。着地の際も足に力を入れて無事。彼が踏み込んだ大地は、靴の形に深く掘られていた。
「重富くん、今度は勇くんに遠くに投げてもらって町がどっちの方向にあるか探ってよ」
瞬の言葉に反応するように、和馬が軽くなった航輝を早速持ち上げる。そして、空高く投げ飛ばした。
「うわぁ、ちょっと高い高い!」
誰に聞こえるわけでもないのに、航輝は思いの外高く放り投げられたことに慌てつつ、シーツを広げて遠方を俯瞰する。東西南北、三六〇度。何度も、何度も見回した。そして彼は瞠目し、茫然と言葉を漏らす。
「これって――――」
空からはこちらの方に走って来る大崎先生が見えた。
*
「先生、どこ行くんですか!?」
購買で小鳥先生と話をしていた天音雫は、訳も分からず彼女を追いかける。
突然どこからかピーピーという音が繰り返し鳴り、それを合図に小鳥先生が勢いよく購買を抜け出したのだ。雫が必死に問いかけても、小さな背中が答えてくれる様子はない。
学校の敷地から出て、木々の間をすり抜ける。どうやらフェンスの方に向かっているらしいことが判り、雫は焦燥に駆られる。
「先生、待ってください! あっ!」
雫は落ちていた小枝に滑り、転倒してしまった。膝から鮮血が流れている。泣きそうになりながら、前方に小さくなる小鳥先生を視界に映す……かと思いきや、そこには小鳥先生の心配そうな表情が飛び込んできた。
「大丈夫かしら?」
小鳥先生は近くの小川にハンカチを浸し、絞って雫の膝に巻き付けた。
「行きますわよ」
小鳥先生はしゃがんで自分の背中を雫に差し出した。雫はぽかんとしながら、その場で動けずにいる。
「早くなさい。先生が負ぶってあげますから。こう見えても体力には自信ありますのよ」
おしとやかな先生からは想像もできない言葉。雫は考えるよりも先に体を動かし、言われた通り小鳥先生の背中に自分の体を預けた。
*
「ちょっと一体何だっていうのよ!?」
息せき切らして、文句を言いながらも水川先生に走って付いてきた一条愛加。先ほどまで寮で芸能人トークをして盛り上がっていたはずなのに、何が起こっているのか愛加には全く理解できていない。
やっと止まったかと思ってその場を見やると、既に自分たち以外の六名が揃っていた。小鳥先生、大崎先生、都築先生、天音雫、西園寺未来、片瀬涼葉である。
「現状どうなってるの?」
水川先生が先生方の輪に入る。
「あそこら辺を重富が浮遊しているのが見えて、ここに来たんだ」
大崎先生が空高くを指差す。水川先生はその指の先を目で追う。
「どうする? 捜索する?」
水川先生の言葉に、都築先生が首を振った。
「このフェンスを越えて行ったのが何名か分からないが、数人出て行ったとて問題ない。どうせこの場に戻って来るだろうからな」
「そうね……」
水川先生が溜息交じりにそう言うのを聞いて、都築先生は、ただ、と付け足した。
「生徒だけでこのフェンスを越えることができると判ったのは収穫だな」
そう話す都築先生を小鳥先生は黙って見上げていた。
*
あの場にいた生徒は先生から質問攻めにあって拘束されるかと思いきや、そうならなかったことに西園寺未来は安堵していた。
ぬいぐるみを胸元でぎゅっと握りしめながら、フェンス伝いに校舎の方へ戻るみんなに付いて行く。
気になることと言えば、先ほどの都築先生の言葉である。フェンスを越えた三人が無事に助けを呼んでくれればいいが、どうせ戻って来る、という確信めいた台詞に不安を覚えてしまう。
だが、そんな不安よりも先に違う衝撃的な出来事が未来の心を苛んだ。学校の敷地に戻るとすぐに、無気力にこちらへ歩いてくる透谷悠介が目に入った。白い制服には赤い液体が所々浸み込み、煤のような黒さは前面を汚していた。彼はその手に何かを握りしめている。
全員が彼に気付き、足を止める。嫌な予感が生徒たち全員に伝染する。
虚ろな瞳、涙の痕、魂の抜けたような表情。悠介は未来たちの前に来ると、その場に崩れるように跪いた。
「宮本さんが……」
枯れた声はそれしか言わなかった。だが、それだけで充分だった。
*
今回の計画は、大が付くほどの失敗に終わった。犠牲者を出した上、誰も脱出できないという最悪の結果をもたらしたのだった。
都築先生の予想通り、脱走した三人は夜には戻って来た。暗い表情でみんなの前に姿を現した彼らは、一言呟く。
「海だった」
それだけで意味が解った者は絶望に打ちひしがれていた。意味が解らない者には早坂瞬が更に付け加えて説明する。
「東西南北見渡す限り海。つまりここは島。しかも無人島。だからおれたち以外誰もいないし、ここから抜け出す術もない……」
脱力し、表情を歪めて絶句する。
つい数時間前まで生徒たちに差し込んでいた一縷の光が、ここで途絶えたのだった。




