第15話
長針と短針が指し示すのは、午後三時半。
「失礼します」
ドアを三回ノックして、教室の扉をスライドさせる。開けた視界にすぐに入ってきたのは、向かい合った机の向こう側に座る都築さん。
僕は扉を閉めて、都築さんの手によって指示された椅子に座る。僕と都築さんの机は向かい合ってはいたけど、くっ付いてはいなかった。くっつけると距離が近すぎるからか、一メートルくらいは離れていた。
僕たちの面談用にセットされた机と椅子以外は整列していて、脇に例の白い測定器が備わっていた。
「では、早速面談を始める」
僕は彼女の言葉に、無意識に唾を呑み込む。体に程良い緊張が走る。
話を切り出す都築さんは、もう僕には悪の組織か何かの人物にしか見えない。疑念があり過ぎる。
都築さんからの質問は、天音さんが言っていたものとほぼ同じだった。僕の趣味嗜好を問うような、個性を聞き出すような内容。僕は順調にそれに答えていく。都築さんは絶えず手元の紙にペンを走らせる。
「それでは次に、今までで最も印象的だったエピソードを教えてもらおう」
ここからがこの面談の本当の意味を成す。
「最も印象的なエピソードですか……」
僕は腕を組んで考え込む素振りを見せる。そして、閃いたように少し意地悪くニヤリと笑う。
「僕の最も印象的なエピソードは……、この国家プロジェクトの協力者に選ばれた、ってことですかね」
回答としては百点満点だと思う。どう考えたって、十人の高校生しか選出されないのに自分が選ばれたなんて、これ以上印象的なエピソードがあるはずない。
都築さんは眉一つ動かさずにメモを取り続ける。だけど、僕はそんな彼女を見て、ちょっと化けの皮を剥がしてやりたくなった。本当に何かの皮を被っているのかなんて定かじゃないけど、僕にはもう悪の組織の人間としか映ってないから。
「だって僕って、町内会のくじ引きでもポケットティッシュしか当たったことがなかったんです。そんな僕が、こんなレアな抽選で当たりくじを引くなんて、基本、有り得ない話だと思うんですよね。もう奇跡ですよ。こんなことってあるんですかねって、実際にあるから驚きなんですけど」
僕は少し捲し立てるように、訊かれてもいないことをペラペラと話し始める。就職活動中の学生だったら、確実に内定は遠退くだろう。
都築さんは初め、僕の発言に顔色一つ変えなかったが、きっと我慢していたのだろう。ボールペンを動かす手を止め、僕の瞳を真っ直ぐ見つめてきた。
「……何が言いたい?」
彼女の声は鋭かった。
この一言で、都築さんが凄く真っ直ぐな人間だということが判明。普通、こんな高校生のあからさまな挑発に気付かない大人なんていない。それが都築さんのようなエリートなら尚更。だって僕の台詞を要約するとそれは、〝僕がこのプロジェクトの協力者に選ばれたのは必然〟だから。それが判っていて、それでもなお僕の誘いに乗ったのだとしたら、それは都築さんが自分の感情や思考を相手に言わないと気が済まない性格、ということ。そして、声のトーンからして、彼女が何かを隠しているのは明白。思い当たる節があって、それを悟られまいと牽制しているということが窺える。
でも、僕にはそれが判っただけで充分。僕は都築さんと同じレベルに下がって会話を続けるほどアホじゃない。これ以上会話を深堀りして、こちらが不利になる状況は避けなくてはならない。そのためには、〝こいつ何か気付いているのか?〟くらいに思わせておいて、相手の出方を窺うのが得策。
「いえ、何も」
僕の回答に不服らしく、都築さんは口をきつく結んで片眉を吊り上げた。だけど、諦めたのか軽く息を吐くと、次の不思議体験の話に移った。
「不思議体験ですか……。そんなことあったらテレビ番組に投稿してますよ、きっと」
僕はしれっと言う。本当はそんな体験していても、きっと誰にも言わないけど。
都築さんは、そうか、と小さく呟くと、顔を上げた。彼女は美しい顔を少し歪め、ニヤリと笑う。嫌な予感がした。
「最後の質問だ」
「!?」
天音さんからも涼葉からも航輝からも聞いたけど、質問は今のもので終わりのはず。後は測定器の中に入って面談は終了。一体何を質問する気だ……?
僕は身構えて、唾をゴクリと呑み込む。
都築さんは息を吸って、徐に口を開いた。
「もし私たちが、君たちを殺そうとしていたら、どうする?」
「!!?」
息が詰まった。絶句というより、言葉が出せない。彼女の言葉の理解を脳が拒絶し、鼓動がじわりじわりと高鳴っていく。
虚を突かれたような表情をする僕に、都築さんは薄ら笑いを浮かべた。
「冗談だ。気にするな」
全く予測できなかった都築さんの言葉に、僕は狼狽でも戦慄でもなく、唇を噛み締める。
都築さんは冗談だと言っているが、僕たちを殺す発言の真意も真偽も判らない。
仮にその発言が真実だとしたら相当ヤバい。助かるためには、この情報をみんなで共有し、ここから脱出するための方法を練って協力する必要がある。だけど、それを話したところで信じてもらえるかは定かではないし、信じてもらえたとしても、お互い他人同士の今の状況では自分だけが助かろうとして、みんながどんな行動に出るか未知数。特にここには変な能力を持った人間が複数いるみたいだし。つまり、現時点でこの話をするのは得策ではない。
都築さんの発言が嘘だった場合、僕がみんなに情報共有をしてしまって何も起こらなければ、僕は注目したがりの狼少年。何が起こるか判らないこの合宿で、一人だけ孤立してしまうのは避けるべき。仮に何か緊急事態が起きた場合に、狼少年の僕が何を言っても誰も信じてくれない。
つまり、都築さんの発言が真でも偽でも、少なくとも今は、僕はこのことをみんなに話さない。僕は歯を食い縛る。
やられたっ!
僕は都築さんを侮っていた。さっきの発言は、様々なことを僕に想像させる。そして、心理的にも追いつめる。完全に形勢逆転されてしまった。くそっ!!
「では、最後に測定器の使用方法を説明して終わりだ」
都築さんの涼しい顔を見ると、無性に腹が立つ。敗北感に苛まれた僕は、無気力に立ち上がり、白いボックスの前に立った。
ボックスに取り付けられた小さな赤いボタンを押すと、目の前の壁が右にスライド。その中に入ると、自然と扉が閉まった。密閉空間の中は薄暗かった。中央に立っていればいい、と都築さんが言うので、仕方なく大人しく従っていると、すぐに上の方からこの箱の外枠に沿う形状のスキャン装置が下りてきた。四角い枠のそれは赤く細い光線を放ち、頭の天辺からつま先まで、僕の体を順に囲う。
辿った軌跡を戻るように、それは上へ移動し、動かなくなった。すると、扉が自動でスライドした。一気に視界に光が飛び込む。
「この測定器は見ての通り、五台ある。授業が終わる度に測定が必要になるため、生徒全員がスムーズに測定できるように五台用意した。今後は、自分たちで測定を済ませるように。以上で面談は終了だが、何か質問はあるか?」
予想していた都築さんからの逆質問。ここは素直に質問してみるか。単純に疑問に思っていることだし。
僕はそう決心して、口を開いた。
「授業が僕たちにどのような影響を与えるかを調べたいのであれば、脳だけを調べればいいと思うのですが、どうして全身を調べるような装置を用意したんですか?」
「それは単純に、新開発した全身型の測定器を試験運用しているというだけだ。気にするな」
「新開発した機械だったら、不具合もあるかもしれないのに、どうしてそんな正確に測定できるか判らないものをこのプロジェクトに導入したんですか?」
「メーカー側からの強い要望だ。因みにこれは勿論テストは済んでいて、正確に測定できることは確認済みだ。試験運用というか、先行導入という言葉の方が正しいかもしれないな」
これだけスラスラと回答が出てくるのは本当の話だからなのか、それとも誰かが既に質問したからなのか、あるいは想定問答集にでも書かれていたからなのか。
「質問は以上か?」
僕は素直に頷く。
「それでは面談は終了だ。明日からは通常授業が始まる。君には期待しているよ」