土曜日
土曜日。今日は半日だが学校がある。
お弁当を持たずに家を出て駅へ行くが、そこに彼女の姿はいない。
メールをしてみるとすぐに返ってくる。土日は電車の時刻が平日とは違うからもう少し遅れるそうだ。
てっきり今日が学校だって忘れてるんじゃないかと思いましたよと正直失礼なメールを送り、一人学校へ歩き出す。
学校に到着し、本を読みながら朝礼を待っていると携帯電話が震える。彼女からだ。
『もしもーし、今どこにいるの????』
『どこって、教室ですが』
『ええっ!?』
びっくりしたような彼女の声と共に電話が切れ、それから10分程で息を切らせた彼女が教室へ入ってきた。
「な、何で先に学校行っちゃうの!?」
「へ?」
「私暁君待ってて駅ついた後5分くらいその辺うろうろしてて、トイレにでも行ってるのかなあと思って男子トイレの前で待機してたんだからね! 変な人と思われちゃったじゃないのさ!」
「ああ、それはすみませんでした」
彼女の言い分もわかる。
今まで二人で登校していたし、いつも彼女が駅で待っていてくれたのだから、彼女が遅い時は逆に僕が待つべきだろう。
こんなところで僕のデリカシーの無さを露呈してしまうとは。
「むー……お詫びに今日のお弁当のおかずたっぷりちょうだいね」
「今日半日ですからお弁当ありませんよ」
「あ! そうだった……私間違えて自分で作ってきちゃったよ」
あはは……と笑いながらカバンから2つのお弁当を取り出す彼女。
「うわ、何あれ、キャラ作り?」
「ブリっ子ってやつじゃね? きもっ」
その時、クラスの女子がそんな会話をしていたのを僕は聞き洩らさなかった。
彼女は別にキャラ作りをしているわけではない……はずだ。
これでも僕は今まで彼女を眺めていたのだ、彼女は元々こんな間抜けな性格だ。
男の影が無かった頃は、それも個性として認められていたのだ。
彼女を可愛いと評する男子は勿論、女子にもおバカキャラとして認められていたのだ。
しかし男の影があると、どうしてもそれは男に媚びるブリっ子としか見られない。
可愛いからこそ恋愛ができないと嘆いている人間がたまにいるが、なるほどわかる気もする。
アイドルは恋愛禁止なのだ。男からはビッチだと叩かれ、女からはブリっ子だと叩かれる。
「胡桃さん調子乗ってるよね」
「ほんま調子乗っとる。ちょっとさー、痛い目見せた方がよくない?」
「あ、そうだ。次移動教室じゃん。今日お弁当持ってきてるらしいからさ、そのお弁当をさぁ……」
2時間目が終わった直後トイレに行くと、女子トイレの中でクラスメイトがそんな会話をしているのを聞いてしまった。
3時間目は音楽室で音楽の授業だが、授業の時間になってもあの女子達は音楽室にやってこない。
「ちょっとトイレ行ってきます」
「もー、暁君駄目だよ。トイレはちゃんと休憩中に行かないと」
「すみません」
僕の隣に座る彼女にそう断りを入れて、教室へ戻る。
外からこっそり教室の中をうかがうと、今まさに女子達が彼女の作ったお弁当に砂を入れようとしているところであった。
「随分とくだらないことをするんですね」
「あ、暁君!? こ、これは、その」
流石にこれを黙って見ているわけにはいかない、教室に入って彼女達を睨みつける。
「言い訳しても無駄ですよ。ブリっ子よりも陰湿な女子の方が僕は気持ち悪いと思いますね」
「うっ……だって胡桃さんはウチらを裏切った! あ、暁君だって腹立たないの? あの女に」
「腹立ちますね」
「そうでしょ……ってへ?」
あまりにも素で肯定されてしまったのが意外だったのか、素っ頓狂な声をあげる女子達に、不満をぶつける。
「頭は悪いし、喋りはとろいし、歩くのも遅いし。遠巻きに見てる分には可愛かったですけど、実際に付き合ってみたら腹が立ってしょうがないですよ、あの女」
この感想は果たして事実であった。腹は立つ上に、思い込みで勉強だってできる彼女には嫉妬してしまう。
「ちょ、ちょっとそれは言い過ぎなんじゃ。あの子本当はすごくいい子で」
「実を言うと、僕明日で彼女と別れるつもりなんです」
「は、はぁ? まだ一週間しか経ってないじゃん、あんなに胡桃さん暁君にゾッコンだったのに、捨てるつもり? サイッテー」
今まで彼女をけなしていたはずの女子が、明日別れるつもりだと言うと途端に僕を非難し始める。
男に捨てられる女というのは、同情をひくのだろうか?
「付き合ってみてわかりましたけど、僕じゃ胡桃さんとはつりあいませんからね。僕は遠巻きに楽しそうにしている彼女を見るのが好きなんです。友達と仲良く喋っている彼女をね。恋人ができて友達を失い、あまつさえ苛められる彼女なんて、僕は見たくありませんから」
「……」
僕と付き合うことによりクラスメイトに苛められることで、より一層僕に依存するのかもしれない。
あっさり股を開くのかもしれない。けれど、僕はそんな関係望んでいなかった。
「随分トイレ長かったね、大?」
「女の子がそんなこと言うんじゃありません」
「暁君女の子に幻想持ちすぎだよー」
立ち尽くすクラスメイトの女子を置いて、音楽室へ。
そうだね、彼女の言うとおりだ。僕は女の子に幻想を持ちすぎていたのだろう。
案外彼女と付き合ったら、うまくいくんじゃないかって。
「というわけで、作っちゃったもんはしょうがないよね。お弁当食べようよ」
「はい、いいですよ」
放課後になると、彼女が僕を誘って屋上へ連れて行き、そこで自慢げに2つのお弁当を開ける。
砂なんて入っていない、手作り感溢れるお弁当だ。
「野菜もう少し入れましょうよ。揚げ物と肉ばかりって」
「私肉食系女子ですから」
「そうですか」
このまま付き合えば、そのうち彼女が『もー、暁君のせいで太ったじゃんかー!』とか理不尽な事を言ってくるに違いない。その光景がいともたやすく想像できてしまい思わず笑ってしまう。
「笑うほど、私のお弁当美味しかったの? えへへ、頑張った甲斐あったよ」
「そうですね」
本当に笑っちゃうよ。塩と醤油だけで味付けされた肉と、衣だらけでパッサパサの揚げ物。
こんなものを毎日食べていたらすぐにお陀仏しそうだ。
実は彼女は僕を殺す気なのではないだろうか、彼女の将来の旦那さんが心配だ。
……いや、どうせ明日で別れるつもりなのだから、きちんと言っておこう。
「胡桃さん、もう少し料理勉強した方がいいですよ」
「え? 美味しくない?」
「僕が作った方が美味しいですね、間違いなく」
本人のためを思うなら、時には嫌われるのを覚悟で厳しく言わないといけないこともあるだろう。
というよりこの味付けを美味しそうに食べている彼女の味覚が心配になるレベルだ。
「えー酷いなあ、じゃあ暁君の作ったお弁当食べさせてよ」
「しょうがないですね……はっ」
言ってて彼女の口車に乗せられてしまったことに気づく。僕としたことが。
「言ったね? 言ったね? 男に二言はないよね?」
横では彼女が邪悪そうな笑みを浮かべている。
「明日、空いてますか?」
「うん、空いてるよ?」
「じゃあ、デートしましょう。映画見たりしましょう。その時にお弁当作って持っていきますよ」
「デート! えへへ、しかも暁君の手作りお弁当だなんて、私幸せだなあ」
頬を赤らめる彼女は、心から僕に心酔しているようだった。
「それじゃ、明日噴水前でね!」
「はい、また明日」
駅前で彼女と別れる。デートをすると聞いた時から、終始彼女はご機嫌そうだった。
僕は複雑な気持ちだ、明日で彼女と別れなければいけないのだから。
別れるのが辛いのではなく、彼女を悲しませることが。
彼女の偽りの愛が、最早真実の愛に昇華しているであろうことなど、鈍感な僕だって理解はできた。
それは嬉しいことだ。
けれど、僕の偽りの愛は、とうとう偽りの愛のままだったのだ。