水曜日
寝る前に彼女に勧められたドラマを見たため、眼が冴えて布団の中でなかなか寝付けず、
結局今日の朝の体調は最悪だ。
「母さん、エビフライ3本くらい入れてよ」
「え? 別にいいけど、あんたそんなにエビフライ好きだったっけ」
「あと野菜はあんまり入れなくていいよ」
「駄目よ牡丹、野菜はちゃんと食べないと」
フラフラ状態ながらリビングへ向かい、お弁当を作っている母親にそう懇願する。
エビフライが好きなのは僕ではなく彼女だし、彼女のお弁当の野菜を僕が食べる羽目になるからなのだが、説明が面倒くさい。
ご飯とエビフライ三本と、申し訳程度に入れられたプチトマトというバランスの悪いお弁当を持って家を出る。昨日同様に、駅前に彼女がいた。
「おはようございます。先に学校に行っていますね」
「あ、違うよ。今日は暁君待ってたんだよ」
言うや否や僕の隣を歩きはじめる彼女。
「友達はいいんですか?」
「友達よりも、恋人の方が大事だよ」
「……胡桃さん、そう思うのは結構ですが、絶対に友達にそんな事言ったら駄目ですよ」
「なんで?」
「友情にヒビが入ります、きっと」
恋人に構いすぎて友人に嫌われてしまい、別れた後もその溝は埋まらなかった……では困る。
僕と別れた後、彼女には付き合う前の日常を送って欲しいのだ。
「そういえば、昨日胡桃さんが勧めてくれたドラマ、ビデオ借りて5話まで見ましたよ」
「えっそうなんだ。でも私もう内容覚えてないや。それより来週からまた面白そうなドラマが始まるんだ!」
「……」
自分から勧めた癖に、僕のレンタルビデオ代と数時間を返せと言いたい。
今まで女の子と付き合ったことはなかったが、彼女に限らず女の子というのはこういうものなのだろうか。
僕はそもそも彼女以前に女性との交際に向いていない人間なのかもしれない。
「でさー、私の弟がすごく馬鹿でね……」
「胡桃さん、僕と喋るのもいいですけど、友達とも喋りましょうよ」
「えー、だって暁君、今は一週間しか私と付き合ってくれないつもりなんでしょ? 友達とはいつでも話せるじゃん、今は暁君をその気にさせるために頑張っちゃうの」
「……はぁ」
学校についても、休憩時間になる度に僕の席まで駆け寄ってきてお喋りを開始する彼女。
休憩時間くらい休みたかったのもあるし、彼女の友人が彼女を怪訝そうな目で見ているのが心配だから忠告しているのだが、本人はこの始末。
何より、彼女といちゃつくことでクラスの男子からの僕の評価が既にかなり下がっているのだ。
僕の理想の恋愛は、教室ではまるで付き合ってなんかいないように振る舞い、
放課後にこっそりと二人で会って会話したりする、そういう慎ましやかな恋愛であった。
恋愛している自分と、自分の恋人を周りに見せつけたいと考えているであろう彼女は、まさに正反対であった。
「それじゃあ、二人組を作って互いの考えを言い合いましょう」
倫理の授業で、二人組を作ることになった。
今日のクラスは男子18人、女子20人。誰も余らない。
比較的僕に嫉妬していなさそうな友人と組もうとそいつの席まで向かおうとするが、
「暁君、私と組も」
彼女にそれを阻止される。
「いや胡桃さん、それは流石に」
「なんで? いいじゃん」
授業の二人組で男女で組むなんて、相当なバカップルだ。
しかも問題はもう1つある。
「僕と胡桃さんが組むことで、もう一組男女のカップルができてしまうんですよ、気まずいでしょう」
余った男子と余った女子が強制的に二人組を作らされてしまう。
同性同士ならともかく、異性で余り者が組まされるというのは、滅茶苦茶きついだろう。
そんな被害者を出すわけにはいかないのだ。
「えー、案外それがきっかけでもう1組カップル成立するかもよ。そしたら私達恋のキューピッドじゃん。とにかく組もう組もう」
「……はぁ」
卑怯だ彼女は。彼女に本気でお願いされたら、僕は断れない。
「……うう」
「はー、マジ最悪」
その結果、クラスでも大人しめの男子と、ギャル系女子が組むことになってしまい物凄く気まずそうなことになってしまう。許せ。
「えーと、お題は日本のODAの是非についてだよね……中目のキャッチャーだっけ?」
「ODAというのは政府開発援助と言って……ていうか胡桃さん、この間の授業聞いてました?」
「難しかったから寝てた」
「はぁ……」
「それより聞いてよ、昨日私のパパがね……」
他のクラスメイトも喋っているので雑談してもばれやしないと彼女は嬉しそうに話をする。
それを聞きながら、自分達が教師に当てられた時のシナリオはどうしようかと考えていた。
「んー、勉強したらお腹空いたね。さて、ご飯ご飯」
「ずっと雑談してただけじゃないですか……」
倫理の授業が終わり昼休憩になるとすぐに彼女はお弁当を持って屋上へ向かおうとする。
「おーおー、可愛い彼女ができて羨ましいですなあ」
彼女を追って屋上へ向かおうとする途中、クラスメイトの男子のそんな声を聞いた。
彼女より先に僕の交友関係がボロボロになりそうだよ、とほほ。
「あ、エビフライ3本もある! ねえねえ、貰っていい?」
「どうぞ」
「わーい」
屋上のベンチで彼女とお弁当を広げると、すぐに彼女が僕のお弁当を見て涎を垂らす。
彼女は僕のお弁当からエビフライを2本抜き取った。普通1本でしょ?
そして無言で彼女のお弁当に入っていた野菜を次々に僕のお弁当に入れていく。
ご飯とエビフライ一本と、たくさんの野菜。バランスの良いお弁当になった。
「そういえばさ、何かクラスの女子が感じ悪くなった気がするんだよね」
「そうなんですか?」
「そうなんだよ」
クラスの女子からすれば、感じ悪くなったのは彼女の方なのだろうけど。
勿論彼女にそんな事は言わない。
お弁当を食べながら彼女の愚痴を聞く。
天使のような彼女の声とはいえ、飯がまずくなる。
この日の授業を終えて帰り道、僕と彼女は学校を出て駅まで歩く。
「あ、猫!」
その途中で、人懐っこい野良猫を見かける。
彼女は興奮しながら猫に駆け寄り、撫でる。
猫と少女というのは絵になるが、野良猫の体はノミやダニだらけなので、触ったらちゃんと手を洗わせないといけない。
「あ、そうだ。チョコ食べるかな」
彼女はカバンの中に入れていたチョコレートを取り出して、猫に与えようとする。
「駄目だよ」
「えっ」
チョコを持つ手を僕は制止する。
「猫にチョコレートは毒なんだよ。それに、人間が野良猫に餌を与えすぎると、野良猫が自分で餌をとれなくなっちゃう。毎日餌をあげるならともかく、その場の親切心で餌なんて与えるべきじゃないよ」
少し怒鳴るように言い放つ。
実は僕は小学校の頃、友達と一緒に捨て猫を学校で飼っていた。
捨て猫も大分大きくなり、もう一人立ちできるだろうと夏休みになったので餌をやらずにいた結果、猫は僕の餌を待ち続けて死んでしまった。それが僕はトラウマなのだ。
だからこそ、この悲劇を繰り返したくなかった。
「うっ……で、でも……」
あまり他人に怒らない僕の怒った顔が怖かったのか、彼女は涙目になりながら、猫を抱えたまま上目遣いで僕を見つめる。
「……まあ、そのくらい人に慣れてるということはきっと地域猫といって、この辺の人間が餌を毎日与えてるんでしょう。それにチョコレートだって、少量なら大丈夫ですよ」
「ほんと? えへへ、はい猫ちゃん、チョコレートだよー」
卑怯だよ。そんな目で見られたら、僕はどうすることもできない。
「電車に乗る前に、トイレでちゃんと手を洗うんですよ。野良猫は衛生面で危険ですからね」
「うん、それじゃあまた明日!」
駅前で彼女と別れる。
もしも彼女が将来、地域猫でもなんでもない野良猫や捨て猫に一時的に餌付けして、結果として猫を殺してしまったとしたら、僕の責任なのだろうか。
彼女が猫を抱えて嬉しそうに笑うシーンを頭の中で思い起こしながら、自分のやったことは間違いではないと言い聞かせる。