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謝辞を

作者: 有未

 私にとって人間とは何であるか、齢八十を越えた今になっても分からない。もしかしたら死ぬまで分からないのかもしれない。この年になるまで、先に旅立った友人と交わした会話を時々、思い出す。友人は、美しい人間、清らかな人間について、ふとした折に私に対して話を振った。

「なあ、美しい人間とは何だろうな」

「外見じゃなくてか?」

「ああ、内面とでもいうのかな、とにかく全てをひっくるめての話だ。清らかな人間と言ってもいい」

「さあ、及びも付かないが。急にどうした」

「うちの担任がたまに言うんだよ。美しい人間、清らかな人間として在りたいものだな、とかなんとか」

「それ、お前は真面目に聞いているのか」

「悪いかよ」

「いや、別に」

「分からないんだよなあ、こうして考えても。言われるたび、考えるんだけれど」

「担任本人に聞けばいいじゃないか」

「聞いたさ。それは各自で考えてくださいと言うんだよ。もやもやするんだよな」

「ふうん」

「あまり興味なさそうだな」

「いや、そういうわけじゃないが。美しく、清らかで在りたいと考えて生きて行けば、自ずとそうなるんじゃないのか。人間ってのは、割合、単純に出来ているらしいからな」

「それ、どこで聞いたんだよ」

「自論」

「ふうん」

「何だよ。興味なさそうにして。お前から振った話題だろ」

「いや、結構、もっともなことを言うなと思ってさ。ありがとな。ちょっと、ちょっとだけな、分かった気がするよ。担任は何を思って俺達にあんなことを言うのかは分からないし真意も分からないけどさ、お前の言いたいことは分かったよ。それと、俺が、どうしたいのかも」

 公園での会話だった。風は少なく、晴天の日。

 友人は五十六歳でこの世を去ったが、死に顔は安らかというよりも、清らかだった。それを見た時、この会話を私は思い出していた。

 今でも思い出す。私も、友人のように死にたいものだ。友人の担任は、今、どこでどうしているか分からないが、伝わらないかもしれないが、謝辞を述べたい。私達にテーマを与えてくれて、ありがとうございます。私達は、あなたの言葉の上に、生きて、死んで行きます。


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お題:清い人間

時間:15分

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