ケースその2
自分が気にいれば、ブランドものである必要はない。
けーすその2 誕生日
久しぶりに一番上の兄から連絡があり、一緒にご飯を食べないかと誘いを受けた。学業とアルバイトに忙しい櫻の都合を優先してくれるということで、櫻は遠慮なく自分に都合のいい日を選択した。
しかし久しぶりに会う長兄は相変わらず寝不足のようで、目の下にクマを作っている。
「忙しいのに、ごめんね」
「いや、昨日がたまたまな」
兄が連れて行ってくれたのは洒落たレストラン。ではなく、櫻の大好きな居酒屋だった。
兄のおごりというから遠慮なく生ビールをジョッキで頼んで乾杯し、つまみを食べながら近状について話していると、鞄のなかから長方形の小さな箱を取り出してきた。
「遅くなったけど、誕生日おめでとう」
箱を開けると、そこには櫻でも知っているブランド物の長財布が入っていた。前に、中学から使っているぼろぼろの財布を買い変えようかどうかを悩んでいたのを知っていたのだろうか。
「桔梗にも一緒に選んでもらったんだ。オレはそう言うのが分からないからな。女性目線で。成人の年だからな、少しいいものをあげたかったんだ」
桔梗というのは長兄の双子の妹だ。そう言えば、前にどんな色が好きなのかとか、形が好きなのかの話をしたことを思い出した。
「ありがとう。一生大事にする」
ブランド物だからというわけではなく、大好きな兄と姉に買ってもらったものだから、大切に使い続けたいと思った。
長兄は笑って「大学を卒業して就職したら、自分で好きなのを買うといい」と言った。
ご飯も食べ終わり、長兄と別れてアパートに帰ってからメールで今日のご飯と、財布のお礼を書いて送信した。長女にもメールで財布のお礼を送った。
早速明日から使い始めようと、いままで使っていた財布からカードやお金を抜きとって新しい財布に入れる。いままで使っていた財布は一旦取っておいて、使わなければ後日捨てることにした。
翌日。早速上の兄弟にもらった財布をもって大学に行った。
普段はお弁当なのだが、財布を使ってみたくてわざわざ学食のランチを食べることにした。
財布をいそいそと取り出して食券を買おうとしていると、その手を誰かに掴まれた。
びっくりしていると「なんだ、その財布」と頭上から低い声が聞こえてきた。低いといっても聞きなれた声で、加賀英志だったから櫻は体から力が抜けた。
「びっくりするでしょ。驚かせないでよ」
「その財布、どうしたんだ」
「財布?もらったの」
兄と姉にもらったことが嬉しくて、笑いながら言うと「なんだそれは!」と加賀は怒鳴りつけた。
「お前、オレからのブランド物の服は断った癖に、財布なら受け取るのか!?」
前に、加賀英志の誕生日パーティーを加賀英志の自宅でするからと招待状を渡された時に服がないからと断ったことがあった。本当はアルバイトに行きたかったから、それを理由に断ったのだ。すると、加賀は「服ならオレが買ってやる」と櫻でも知っているブランドショップへと連れていったのだ。
「好きなのを選べ」と言った加賀に、人から納得できない物をもらうのは好きじゃないと言って断ったことがあった。加賀はそれを言っているのだろう。
「あたりまえでしょう?」
兄と姉は大好きな家族でこの財布は二十歳の記念に誕生日プレゼントでくれたのだ。加賀は赤の他人でただの友人だ。ただの友人から高いブランドの服をもらう理由なんてない。お礼を返せる予定もないのだから。
加賀は白い顔を怒気で紅潮させていた。その手が素早く動いて櫻の財布を掴もうとしたので「何するのよ!」と言って、加賀の手を叩いた。
「捨てろ、そんな財布!オレがもっといいのを買ってやる」
「はぁ?なんであんたに買ってもらわなきゃなんないのよ。わたしはこの財布がいいの。」
加賀はその言葉に、ますます怒って怒鳴った。
「誰にもらったんだよ、その財布!」
「誰だっていいでしょ!?」
加賀がわけのわからないことで櫻に怒っているので、櫻も怒鳴り返した。加賀が起こっている理由がさっぱりわからないのだ。
加賀は忌々しげに財布を見ながら舌打ちした。
午後からの授業は最悪だった。
食堂での出来事が広まって、教室の中で、特に女の子たちの視線が櫻に集まっていたからだ。好奇と、嫉妬を含んだような視線を受けて授業を終えて足早に教室を出る。
アルバイトまでの時間を図書館で過ごそうかとも思っていたが、図書館でも同じような状況だとさすがの櫻も辟易するので、一旦アパートに帰ることにした。
携帯電話が軽快な音楽を奏ではじめたので見ると、加賀からの電話だった。櫻は面倒で保留ボタンをおして、マナーモードにした。電源を切らなかったのは、加賀以外からの連絡を断つことを躊躇したからだ。
アパートに帰って、テレビとデッキのない部屋でくつろいでいると、叩きつけるようなノックの音が聞こえてきた。
「いるのは分かってるんだ!さっさとドアを開けろ!壊すぞ!」
と加賀が叫ぶので、櫻は急いでドアを開けた。
「ちょっと、騒がないでくれる?アパートを追い出されたらどうしてくれるのよ」
櫻の言葉など聞かずに、加賀は10万円の革靴を履いたまま部屋の中へと入り込み、あろうことか大学へ持っていっている鞄の中を探りだした。
「ちょっと、なにしてんのよ!!」
櫻は加賀の背に覆いかぶさるようにして鞄を取り返そうとするが、加賀は目的のものが見つかったのかさっさと鞄を投げ捨てた。
加賀の手には真っ黒な財布があった。
「返して!」
伸ばした手は空をきった。
加賀は台所へ向かうと、ガスコンロの火をつけて財布をその上に掲げた。
「誰にもらったんだこの財布。5秒以内に正直に言え」
櫻は加賀を信じられないというような目で見たが、カウントダウンを始めた加賀に向かって叫んだ。
「兄と姉にもらったのよ!」
「おい、うそを言うなよ」
「ウソじゃないわよ。この間、成人のお祝にって兄と姉にもらったの!」
加賀はガスコンロの火をとめた。
櫻は財布に飛びついて、加賀の手から取り戻した。
「誕生日?」
櫻は財布を隅々まで見ており、加賀の言葉が聞こえなかった。
「おい、誕生日ってなんだ」
肩を掴んできた加賀の手をうっとおしげに振り払いながら櫻は言った。
「誕生日は誕生日よ。というか、さっさと脱いでくれないその靴」
「お前、誕生日なんてあったのか」
なんという失礼な質問なのだろう!
「申し訳ないですけど、私にもこの世に生を受けた日はあります」
「いつなんだ」
「6月11日よ」
加賀は、やや驚いたような顔をして言った。
「だって。いや、なんでお前いままで誕生日があることを言わなかったんだ」
「なんでって、聞いてこなかったじゃない」
「聞かなくたって、普通言うだろ?」
「なんで言うのよ」
「なんでって、オレに誕生日プレゼントを買ってほしくないのか?」
「は?なんであんたに買ってもらわなきゃなんないのよ」
茫然とした表情をしてた加賀を、櫻は睨みつけながら言った。
「靴を脱いでくれる?それが出来なければ出ていって」