貴男は私に喜びをくれた
1989年フランスでパトリス・ルコント監督が撮った映画「仕立て屋の恋」を見て思い付いた作品です。
とは言え、ラストがどうなるのか分からない結末だったので、私なりに結末を考えてみました。
私は灰色のシールスキンのコートにガルボ・ハットを被り足元に革製のトランクを置きながら列車が来るのを待ち続ける。
・・・違うわね。
愛しい貴男・・・・・
私に喜びという名の送り物をくれた貴男を待っているのね。
スイス行きの列車が到着した。
でも、貴男は来ない。
一緒にスイスへ行きましょう、と言ったのに・・・・・・・
切符を渡したのに・・・・・・
他の者が列車に乗り込む中、私は彼を待ち続ける。
・・・来なかった。
駅員が私に話し掛けてきた。
「どうかなさいましたか?」
「・・・待っている男が居るんです」
「そうですか。ですが、もう列車は出発しますよ?」
「・・・出して下さい。これは処分して下さい」
切符を渡して私はトランクを持ち上げた。
「・・・分かりました」
駅員は切符を白い手袋越しに握り私に頷いてくれた。
「ありがとう・・・・」
私は礼を言ってからマンションへと戻る。
その時・・・雨が降った。
雨は容赦なく激しく行く人々と車を打ちつけて行く。
傘も差さない私は全身を雨で濡らしながら歩いて行くが誰も見向きもしない。
私は、誰からも見向きもされないような女。
誰も私を必要としてくれない。
一生をそんな風に過ごすと思っていた・・・・・・1ヶ月前までは。
私の住むマンションの直ぐ隣に立つマンション。
私の居る階から見える階---同じ階に貴男は居た。
カーテン越しに私は貴男を見てしまった。
貴男を見た瞬間に心奪われ時めいた。
初めての恋だった、と遅くも気付く。
でも、人見知りで声も掛けられない私は・・・ただ遠目から貴男を見るだけ。
それでも幸せだった。
世間では変質者と言われるけど、私は幸せだった。
貴男という人物を見る。
声を掛けられず名前も知らない。
それでも私には幸せな一時だった。
朝の7時に目を覚まし歯磨きをしてスーツに着替えて会社に行く。
そして午後7時に帰って来たらトレーニングをする。
そのトレーニングをする時の貴男は上半身を惜し気もなく晒し出すから私は眼のやり場に困ったけど、直ぐに見入ってしまったわ。
トレーニングが終わった後は夕食を取りTVを見て就寝する。
休日は読書をしながら誰かと電話をする。
そんな日が続く中である日、貴男が私を見た。
錯覚だと思ったけど、私を見ていると知った時は驚くと同時に嬉しかった・・・・・・
私を見てくれた!?
私と言う女の存在に気付いてくれた!!
それだけで嬉しくて嬉しくて堪らなかった。
でも、直ぐに終わりを告げた。
ある日・・・貴男の部屋に女が来た。
私ではない別の女が・・・・・・
その女は貴男と言い争いを始めて引っ掻いた。
それを見て私は激怒した。
私なら彼をそんな風にしないのに・・・・・・!!
だけど、貴男はそれに怒り首を絞めて・・・殺した。
私は居ても立ってもいられずに直ぐに貴男の下へと向かった。
初めて貴男を間近で見る。
貴男は私が来ても驚きもせずに「死体を捨てるから手伝え」と頼んできた。
切羽詰まっている貴男を見て私は迷わず手を貸した。
共犯者になった・・・・・これで私は貴男の力になれたんだ。
そう思うと論理感など無視して喜んでしまう。
死体は紐が結ばれたまま森の中へ埋めて捨てた。
そして貴男は私に口止めをして去った。
残された私も帰る。
次の日、玄関を叩かれる音がして開けると貴男が花束を持って立っていた。
花束を私に渡して抱き締めてくれる。
「ありがとう。君は優しいね」
そう言って私の頬に手をやり口付けをくれた。
初めての口付けは甘美なワインのように私を酔わせた。
血で汚れているのに・・・彼の手は温かく心地よかった。
それから彼は私と食事をして・・・寝てくれた。
貞操を捧げたけど、後悔などしていない。
喋らないようにする為の口止めだとしても構わない。
私に喜びをくれたのだから・・・・・・・・
何時までも続いて欲しいと願ったけど、そうはいかなかった。
警察が私の所へ来た。
「実は隣の階で失踪人が出ましてね。貴方の階から見えるので宜しいですか?」
戸惑うがそれでも怪しまれないように頷いて私は中へ入れる。
警察は私の部屋を隅々まで見た後・・・出て行った。
その日の夜に貴男は来て私にこう言ったわね。
「警察が来たが何も言わなかったんだろ?」
私は頷いた。
そして思い切って言った。
「一緒に逃げましょう。スイスに行って慎ましく静かに暮らしましょう」
驚く貴男だったけど、直ぐに了承してくれた。
「分かった。それじゃ切符を買って来てくれ」
私は頷いて切符を買いに出掛けた。
それから仕事を辞め身支度を整えて出発の時間になった。
貴男とは別々の時間に家を出て駅で落ち合う約束をした。
私が先に出て貴男を待ったけど・・・来なかった。
トボトボと自宅へ帰る私を迎えたのは警察・・・・・・・
「森から死体が出ました。そして貴方の指紋も出ました」
私はこれを聞いて愕然とした。
誰が言ったの?
この事は貴男と私しか知らない筈なのに・・・・・・・・・
「貴男の隣に居た男が証言したんです。貴方が殺したんだと」
そんな・・・・・・・・・・
どうして?
ねぇ・・・どうしてなの?!
私は貴男を裏切ったりしないのに・・・・・・・・・・
でも、私は真実を話さないと決めたわ。
例え私を裏切ったとしても貴男は私に喜びをくれたから。
それ以上の事を望んでしまったからこそ罰が当たったんだわ。
私は両手を差し出した。
「私が・・・やりました」
警察は無言で手錠を掛けた。
そして連行される。
マンションを出る時、貴男と会った。
私に貴男は喜びを与えてくれた。
それが私を利用しているのが理由だろうと私は構わない。
ただ、死にそうな程・・・心が・・・胸が張り裂けそうな程に切ないの。
でも、それを貴男は理解しないでしょう。
それでも良いの。
手錠を掛けられ連行される私を貴男は冷ややかな眼差しで見ている。
ねぇ・・・今はどんな気持ち?
貴男の罪を私が被るから喜んでいる?
私は貴男の前で立ち止まる。
貴男は驚いたけど、私はそれが嬉しいわ。
貴男の新しい表情が見えたのだから。
そして私は貴男に言う。
「貴男を恨んでなんかいないわ・・・ただ、死ぬほど切ないだけ」
貴男はただ黙っている。
私は刑事に連れられて車に乗り込んで去る。
貴男は黙って見ているけど、直ぐに背を向けてしまった・・・・・
もう、貴男は私に興味が無いのね。
でも、良いの。
私は喜びを胸に死ぬから。
死刑になるのかは分からない。
だから・・・自分で命を断つわ。
橋の手前で信号が赤になり車は止まる。
左右を挟んでいた警察の一人がドアを開けて降りようとした。
今しかない!!
私は力一杯警察を外に押し出して橋に向かって走り出した。
「待て!!」
警察が後を追い掛けて来る。
それでも私は走り橋まで到達した。
迷わず手すりに足を掛けて飛び降りる。
「止めろ!!」
警察が叫ぶももう私の頭上は水面とぶつかる所だった。
そして水面へと私は落ちた。
雨が降った事で川は氾濫しているから助けられない。
恐らく私は死体を見つけられずに書類上で「死亡」となる。
でも、良いの。
これで貴男を護れるのなら・・・・・・・・・
これで・・・良いの・・・・・・
だんだん意識が遠のいて行く。
嗚呼、死ぬのがこれなのね?
もう・・・苦しまなくて良いのね。
なら、もう死なせて。
苦しまない世界へと行きたいの・・・・・・
意識が・・・途絶えた。
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俺は彼女が住んでいたマンションの階に居た。
ここからあの男の階は見える。
・・・ここからならあの階で何が遭ったのか見えた筈だ。
彼女は犯人じゃない。
刑事の勘が囁いていた。
しかし、物的証拠は全て彼女に不利な物ばかりだ。
彼女が被害者を殺す理由は何処を探しても見つからない。
寧ろ男の方が理由を持っている。
男が被害者を殺し女に罪を被せたに違いない。
それなのに証拠が無い。
それだけで犯罪者を野放しにしておくしか出来ない無力さに嘆く。
帰ろうとした時だ。
手すりに何か挟まっている。
それを取ると一通の手紙だった。
開いて読んでみると・・・・・・
「これは・・・・・」
事件の真相が書かれた手紙だった。
そして自分は恐らく罪を擦り付けられるとも分かっていたようだ。
だが、男に対する恨み事は何一つ書かれていない。
ただ一言だけ・・・・・・・・
『貴男は私に初めて喜びをくれた』
それだけ書かれていた。
「・・・喜び、か」
彼女は恐らく男に罪が及ばないように自殺したんだな。
自殺すれば自分が犯人だと思うし証拠も彼女がやったという物ばかりだ。
これで本人が死ねば真相は闇の中・・・・・・・・・・
それもこれも全ては男の為、か。
「・・・一途と狂気は紙一重というがあんたの場合は両方だな」
あの女はどちらもだ。
一途でありながらも狂気を孕んでいる。
初めての恋がこんな結末で満足なのか?
俺には納得できない。
刑事としても・・・男としても・・・
「あんたには悪いが、男を逮捕するよ」
あんたが庇いたい男を俺は許せない。
こんな一途さを利用した男を、な。
必ずあげてやると誓い俺は部屋を出た。
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一人の女性が森で見るも無残な死体になって発見されてから半年が経過した。
犯人は女だと思われていたが、初動捜査をやり直した結果・・・女は犯人ではないと立証された。
共犯者ではあるのだが、実行犯は別に居るという事実は世間に大きな波紋を呼んだ。
共犯者である女は自殺したが実行犯は生きている。
誰だ?と皆は思ったが直ぐに答えは見つかった。
女と付き合っていた男だ。
その男は女が妊娠した事に動揺した結果で口論となり絞殺。
そしてその一部始終を見ていた女に共犯者にした。
女は男に一方的な恋心を抱いていた。
そこに付け込んだのだ。
その上で罪を全て女に擦り付け自身は何もしていない事にした。
所が警察の念入りな捜査によって完全犯罪は崩れ去り逮捕された。
判決は死刑。
皮肉にも殺した女と同じく絞首刑だ。
そして死刑執行日は共犯者であった女が自殺した日だった。
その日は朝から雨が降り人々は女の霊が男を迎えに来たんだと言っていたが、この捜査を任された一人の刑事だけは違っていた。
「泣いているんだな・・・・・」
愛する男が殺されるから。
しかし、これが自分の使命なのだと刑事は死んだ女に告げ男の死刑執行を見届けた・・・・・・・