坂本真希
よほどのことでなければ、真希にとって非日常な事態もすぐに対応できる。ゾンビもどきの感染者と呼ばれる存在程度なら。
しかし、怪物化した信二や、空を飛ぶ怪鳥、そして謎の追跡者など、異形な存在が現れたら、さすがの真希も対応しきれない。なぜなら、前者は素手で勝つ可能性があるが、後者の怪物たち、いや上位生命体とも言うべきか?とにかく、後者には素手での勝ち目はまったくない。
そう、今武器を持たず、脱臼や打撲などの影響で存分に体を動かせない真希には、あの怪物たちと出会ったら最後、死という可能性が大きくなる。
しかし、単独では。
今はジュイというベトナム人と行動を共にしている。彼の戦闘力と言えば、自称ベトナム戦争の生き残りと名乗るほどのものである。現れる感染者を次々と斧で殺し、笑っている。
廊下には、無数の無残な感染者の死体が転がっている。さすがに吐き気は感じたが、まあ、自分が食われないだけマシだった。
もし、感染者に襲われ、上半身と下半身を真っ二つにされ、胃腸がもぎ取られるような状況が起きたら「私の肉で窒息しやがれ!」と叫んでみたいものだ。
しかし、笑いながら感染者を殺すジュイの姿には、さすがにひいてしまう。
「あの、なるべく戦いは避けた方が……」
「お前はゾンビたちの同情してるのか?」
「いえ、そんなわけではぁ……」
感染者=ゾンビの発想は事実上よろしくない。確かに、感染者は人を食べるし、理性も知能もない。しかし、あくまで「生きたまま」ウイルスに感染した人であり、生きる屍ではなく、ちゃんとした生きた人間だ。
文句は言えない、ジュイに助けてもらっているのは事実だ。それは否定できない。
「ここはベトナムだぜ!」
感染者の死体を、斧で解体しているジュイの姿は、やはり引く。
その時、エレベーターがチンとなる。
2人はエレベーターに振り向く。
そこには、あまり親睦深くないが、顔見知りが2人居た。
かつての不良軍団の幹部である猫野良太と須田恵子だった。
「おや?これはいつかのにゃんにゃん娘」
「もっと他にかける言葉ない訳?たとえば、無事でよかったとか?」
2人は笑っていた。前見たときには仲が悪そうだったが………。
ジュイが口を開く「お前さんたち、何のようでこのマンションを彷徨ってる」
「薬が必要でな、薬局に行くところだ」
「薬?」
「そう」
「この階で、薬を買いこんでいた老人が住んでたはずだ」
「「本当か??」」
2人は顔を輝かせた。
「なら、あんな――」
「静かに!」と真希は言う。
気づけば、何か物音がした。それも下から。
「何の音だ?」
全員が下を見る。
その瞬間、真希の床が壊れ、真希は下の階に落ちてしまう。
背中を強打し、血を吐くかと思ってしまった。今日で何回落ちているのかが疑問に思った。
「ねーちゃん、無事か?」
上から、3人が穴から下をのぞいている。
「うん、だいじょ――」
言い終える前に、何かが足に巻きつき、引っ張られた。勢いよく引っ張られ、そして見覚えのある顔が目の前に現れた。
あのブロブという怪物だ。右腕の有刺鉄線のような無数の触手が巻きつきあい、まるで久しぶりに会えた家族のように、真希を見つめた。
まさか、一目惚れとかないよね?
そんな希望はあっさり打ち砕かれた。
ブロブは左腕を振り上げた。
真希は慌てて立ち上がり、すぐにブロブから離れた。
ブロブのパンチは床にあたり、床が壊れた。あれをまともに受けていたら………。考えるだけでぞっとする。
しかし、ブロブは触手を伸ばしてきた。
真希はかわすが、肉も骨も傷ついている今は、かなりの負担な動きだった。いきなり、骨が痛くなった。
「くっ!」
思わず怯んでしまう。
そこを狙われたのか、再び触手を伸ばしてきた。今度もかわしたが、骨がますます痛み、思わず膝をついてしまう。
その隙を見逃さず、ブロブは一気に距離を縮めた。あまりの素早さに、ショックを受け、呆然としていた真希の腹を、ブロブが手の甲で殴る。
真希は廊下の奥まで吹き飛ばされた。
ブロブは前に進み、触手を伸ばした。触手は首に巻きつき、絞め上げ始めた。
真希は戦意喪失した。東京中の都民がゾンビのような存在になり、自衛隊に封鎖された。さらに友人たちも次々と死に、怪物たちも巣食うまさに地獄だ。
こんな状況で、必死に生き残るための希望はあるの?目標は?
有刺鉄線のような触手は強く絞めてきた。苦しく、痛い。まさに苦痛だ。
ブロブは触手で引っ張って来た。初めは引っ張られないように、足に力を入れたが、相手に力に敵わず、引っ張られてしまう。
やがてはバランスを崩し、倒れこむみ、引っ張られる。やがてブロブの足もとまで着くと、ブロブは触手で絞め上げたまま、真希を持ち上げる。
体が空中に浮き、有刺鉄線のような触手が彼女の両手足を捕らえ、四方に引っ張っていく。
まるで、磔のようだ。
両手首足首、そして首から、血が滴り落ちていく。もはや、助かる道はない。
しかし命乞いはしない。それはプライドが許さなかった。その代りの言葉を考えた。しかし、なぜかとあるホラー映画のセリフしか思いつかない。
嫌味な大尉の遺言「俺の肉で窒息しやがれ!」が、頭の中で浮かび上がる。
だが、意識が薄れ、星が見えてきた。もはや、何かを喋ろうとも呻き声しか出せない。自分の短い人生の記憶が、走馬灯のように次々と蘇ってくる。
しかし、突然ズシンという音がする。
同時に、自分を巻きつける触手が、離れていく。
真希は床に倒れ、咳き込み、深呼吸する。血を数滴吐いたが、関係なかった。
真希はブロブを探したが、ブロブの居た床には、大きな穴が開いていた。穴は1階まであった。
「どういう、こと?」
すると、廊下の奥から無数の奇声が聞こえた。まずい!
真希は大急ぎで、穴を飛び越え、そして逃げ道を探した。振り返れば、無数の感染者が真希を求めて走って来た。