思い出
信二は走って登校していた。校門に着いた時には、時刻は8時45分…登校時刻は40分、5分遅れだ。
廊下を走っていると、誰かに当たった。「いってーな!」
「ごめんなさい!」走りながら謝った。
スライドドアを開けて教室に入った。
「信二君、遅刻だぞ!どうした?」
「寝坊です」
クラス中から笑いが出た。
「信二君ったら意外と不真面目」
「転校早々寝坊とは」
「マジうける」
蛇谷は生徒を黙らせた。「まあいい。席に座れ」
信二は席に座った。
再びスライドドアを開けた。
「うい~す」
「森田!また遅刻だぞ!」
「いいじゃないっすか?」
「規律はちゃんと守れ」
「やで~す。俺の人生俺の好きに生きます」
森田はシャツ出しをして、若干リーゼントヘアーだった。蛇谷は次の授業で使う道具を取りに教室から出た。森田は信二を見た。
「てめー!廊下でぶつかった奴だな!」
クラス中で囁き声が聞こえた。
「森田に当たるなんて」
「転校早々ついてないな」
「可哀そうに」
「終わったな」
真希は信二の耳元で囁いた。「いざとなったら助けてあげる」
「え?」
森田は信二の胸元を掴んだ。
「てめー!痛かったぞ!」
信二は面倒くさかった。「ごめんなさい……って言ったじゃん」
「ごめんで済めば霊柩車は要らん!」
「救急車じゃなくて?」
「なぜ警察や裁判や救急車じゃないと思う?」
「なぜ?」
「てめーが死ぬからだ!」
森田は信二の右頬を殴った。
「慰謝料払え!」
「なんで払わなきゃいけないんだ!別に苦痛レベルじゃないだろ!」
「骨が折れたよ!」森田は右脚で信二の横腹を蹴った。
「ひどい!」
「そこまでにしろよ!」
「うるせーよ!お前らは黙ってろ!」
真希が立った。「そろそろいい加減にしたら?」
「うるせえ坂本!今の俺ならお前に負けないさ」
信二は血が混じった唾を飲んだ。「いいですよ坂本さん。止めなくても」
森田は信二を睨んだ。「ほう、俺に叶うとでも?」
「信二君?」真希は不思議がった。
「森田さん。世間はあなたのことを何と言うと思います?」
森田は首を傾げた。「なんと言うんだ?」
「社会のゴミ」
森田の堪忍袋が切れた。「てめー!殺す!絶対殺す!」
殺す……その言葉を聞いた瞬間、信二はある過去を思い出した。殺意が満ちた過去が……!
「ふ・・・殺すか・・・ふふふ」
信二は笑いながら立ち上がった。
「てめー何がおかしい!マジ殺すぞ!」
「殺す……君ごときが人を殺す」
森田は右手で殴りかかった。だが信二は右手で受け止めた。
「は、放せ!」
だが信二は力を入れた。森田の摑まれた腕に軋む音がした。
「い、痛てー!放せ!」
「お前は人が死ぬ瞬間を見たことがあるか?」
さっきまでの愛想の良い声ではなく、怒りに満ちた恐ろしい声だった。
「ひ、人が死ぬ瞬間!?」
「人はまず、死ぬ瞬間を見ると、放心状態になる。そして放心状態から戻るといろんな感情を感じる。
恐怖や罪悪感や後悔などな。そして、それを克服すると……」
信二は森田の腕を放した。
「人は殺人鬼になる」
森田は信二の目を見た。その瞬間、森田は恐怖を感じた。信二から本気の殺意を感じた。こけ脅しや威嚇や見せ掛けではなく、本当の殺意と殺気を……!
「き、今日は見逃してやる!」
森田は自分の席に戻った。
クラス中の皆が驚いた。
「あの森田が退いた…」
「喧嘩しなかったぞ」
「森田を退かせたのは誰以降だ?」
「真希ちゃん誰も」
信二は黙って席に座った。
蛇谷が戻ってきた。「皆、授業の準備したか?」
真希が信二に話しかけた。
「君、すごいね。あの森田を暴力なしで退かせるなんて」
「あなたも退かせたのでは?」
「ぶちのめしただけ。その日から因縁つけられた」
ぶちのめしたって……女は怖いな。
紀子は真人に話しかけた。「やっぱりあの人は封鎖事件の生還者なんだわ!」
「なぜそうなる?」
「だって、人の死ぬ瞬間って、封鎖事件でも自衛隊が一般生徒を射殺したって。その時のことでしょう」
「結びつけるな」
その日1日はいつも通り授業が終わり、下校の時間が来た。
「あ、そうだ」蛇谷は信二に何か紙を渡した。
「入部届けだ。部活を決めなくちゃな」
「はい」
奈々子が信二の席に来た。「剣道部はどうだ?君ならきっとできる」
聖夜が来た。「いやサッカー部だ。運動神経良さそうだからな」
「考えときます」信二はそう言って教室を出た。真人は信二を追いかけた。
「相沢君!待って!」
信二は真人を見た。「何でしょうか?」
「君、今朝のあれはすごかったね」
「どうも」
「陸上部に来ないか?きっといい成果を出せるぞ。家でゆっくり考えるといい」
「検討しときます」
信二は校門を出た。だが何を考えたか、バスに乗り、駅まで行った。
そして電車でどこかへ行った。
―神奈川県藤沢市―
何度か乗換えをしてたどり着いた。そしてしばらく歩いていくと、ある学校に着いた。
大羽中学校。信二にとって忌むべき場所であり、かつて友人達との思い出の場所。
あの事件以降、この学校は黄色いテープを張ったままだ。
中には入れなかったが、近くで看板を見つけた。
『この学校は、今年11月に取り壊しをします』
「取り壊しか……」
悲しい気もしたが、早く壊れてほしい気もした。ここで<感染>があった。現実のものとは思えぬ感染が……
信二は、しばらく故郷を満喫して帰ることにした。だが、後ろから誰かに話しかけられた。
「信二君?」
後ろを見た。中年の肥満の女が居た。「覚えてる?菊池です。小学校の頃の先生」
思い出した。見た目は不細工だが、結構いい先生だったな。
「小学校の頃に君は物静かな子だったね」
「今もそうです」
「何かおごろうか?」
「いいです。もう帰るんで」
「そう、さようなら」
「さようなら」
信二は菊池と別れを告げて帰った。再び電車に乗り、東京まで帰った。辺りはもう暗かった。
信二は、人気の無い道を歩いていると、何者かの気配を感じた。勇気を振り絞って後ろを見た。
フードを被った男が立っていた。夏なのにマフラーもしている。だが、人間らしい生気が感じられない。
「まさか……な」
男は顔を上げて信二を見た。
その瞬間!
わめき声を上げながら信二に走った。
「嘘だろ!」
信二は男から逃げた。
「まさか!まさか!」
男はわめきながら信二を追った。信二は左の建物と建物の間を通った。間から出ると、真っ直ぐ走った。次の角を左に曲がると、今度は右に曲がった。
だが、無情にも行き着いた先は行き止まりだった。
「誰かに助けを求めるべきだったな」
だが、信二は風邪気味だったため、大声は出せなかった。
信二は道に戻ろうとしたが、追跡者が信二を見つけた。
「絶体絶命!」
信二は、力を振り絞って走った。追跡者もわめきながら信二に向かって走った。そして正面衝突――ではなく、信二は体当たりを繰り出した。追跡者は尻餅をついた。
「今だ!」信二は追跡者の頭を思いっきり蹴った。そして走った。追跡者も立ち上がり、信二を追った。
信二は火事場の馬鹿力で走った。必死の思いで走った。
だが、追跡者は信二に追いついた。
信二は、追跡者の腹部に思いっきり殴った。
そして逃げた。攻撃で体力を削るより、逃げることに専念した。
突然、ある記憶がよみがえった。
大勢の狂暴な人間から逃げていた記憶が…
信二は必死の思いで走った。追跡者のわめき声は遠ざかっていく。
だが、ただひたすら、信二は走った。走っている。それが最後の記憶だった。