信二の視点
富士山の遥か頂上から、同年齢のフランス人が笑いながら呼びかけている。「信二君、早くして!まったく、男子が女子より体力が無いってどういうこと?」その笑みは天使だ。
登りつめようとするが、両脚が重かった。「待ってくれ。頼むよ……」
のぼるうちに、辺りが暗くなっている。早く追いつかなくては。
ところが、フランス人に追いつくと、フランス人は赤目で信二を見つめていた。鋭い鮫のような歯を信二に向け、恐ろしい叫び声を上げながら、信二の首筋を噛み付いた。
信二は悪夢からはっと目を覚ました。ちゃんと自室のベッドで寝ている。安心して再び眠りに付こうとベッドに寝転んだが、隣に赤目のフランス人が信二を見つめていた。
再び信二ははっと悪夢から目を覚ました。自分の左頬を抓る。紛れも無い、現実の痛みが感じられた。痛みは本来好きではないが、この痛みは特別好きだ。夢か現実か分かるからだ。
信二は冷房が効いた部屋で寝ていたはずなのに、汗を大量に掻いていた。
「はあ……はあ……今度こそ現実だな……」
自室を出て1階の台所へ行き、冷蔵庫から牛乳を取って飲んだ。
「あの事件から半年以上するのに、なぜこう毎日悪夢を見るんだ?」
また悪夢を見るかもしれない。何か楽しいものが見たい。信二は自室へ戻り、BDで何か面白いものを探した。
「トムとジェリー……これにしよう」
再生機の中にいれ、ディスクを再生した。
見始めてから数分後、何者かが玄関を叩いた。信二は悪態つきながら、玄関に向かった。
「どなたですか?」
返事は無かったが、まだドアを叩いている。
「あの、どなたですか?」
返事は無いがまだ叩いている。
「いい加減にしてください!」
ドアを開けて、来訪者の顔を見た。そこには兄、信一が立っていた。赤目だった。
「はっ!」信二はBDを見ながらいつの間にか寝ていた。
「また悪夢か……」
時計を見た。時刻は午前5時46分。もう寝るのはやめることにした。
信二は顔を洗って、歯を磨いた。パジャマを脱ぎ、制服に着替えて、朝食を作った。
「今日は目玉焼きにしよう」
炊飯器が炊き上がりの音を発した。炊飯器から炊き上がった米を出して、2段弁当の1段目に隙間無く入れた。「おかずは冷凍でいいや」
弁当を完成させ、朝食を食べた。
家中のコンセントを抜き、学校へ行くことにした。
「午前7時28分……間に合うな」
家から出て、しばらく歩いていると、バス停が見えた。バスももうすぐ着きそうだった。
信二は歩きでも学校へ行けるが、今日はなぜかバスに乗りたかった。自分の通う中学校の前にもバス停がある。今日はバスで登校しよう。
朝のバスは席が沢山空いていた。出発してから数分経った。信二は次のバス停の名前は聞いてなかったが、ある言葉が心に響いた。
『心の悩み、問題を解決する吉田心理カウンセラーにお越しの方はこちらが便利です』
信二は無意識に停車ボタンを押した。恐らく心理カウンセラーと言う言葉に引かれたのだろう。
信二はバスを降りた。ちょっと歩いた先に吉田心理カウンセラーという看板をつけた建物が見えた。
「どうしたの君?」
信二は突然後ろから話しかけられた、驚いた。「い、いえ。ここにカウンセラーがあったんだなって」
信二に話しかけた男は、天然パーマの髪を無茶苦茶に掻いた。若い眼鏡の男だ。
「何か悩みでもあるのか?」
「はい…ちょっとね」
「じゃあ、少し話しよう」
「はい?」
「おっと、自己紹介まだだったね。僕は吉田幸三」
「じゃあ、あなたがここの院長?」
「そうだよ」
信二は幸三に連れられて、建物に入った。中は思ったより綺麗だ。
幸三は、紅茶を出した。
「それで、どんな悩みがあるかな?」
信二は紅茶を喉に流し込んだ。正直、紅茶は好きではなかった。「悪夢を見るんです」
「悪夢?」
「…はい。ある日を境に毎日悪夢を見ています」
「どのくらい経つ?」
「半年以上……」
幸三は驚いた。「半年以上も悪夢を見ているのか?」
「はい。いい夢なんか、もう見ていません。悪夢ばかりです」
幸三は興味本位で聞いた。「どんな悪夢だ?」
信二は深く息を吸った。「生々しい夢です。他の人たちが僕を殺しに来る夢です」
「殺しに?」
「ええ。皆赤い目をしてます」
「何か、トラウマになるような出来事はあった?例えば家族から虐待されたとか」
信二はまた深く息を吸った。「……実は、人が死ぬ瞬間を見たんです」
また幸三は驚いた。「人が死ぬ瞬間!?」
「はい……」
幸三は納得した。悪夢を見るわけだ。「どんな光景か覚えてる?」
「ええ……昨日のように覚えてます。心臓麻痺や何かで死ぬ瞬間ではなく、大量の血が流れる生々しい瞬間を……」
幸三は半ば同情した。「君みたいな若い子の心に深い穴が開いたのか。これから暇な時間に来て欲しい。君の事をもっと知りたい」
「分かりました」
「今日はもう学校へ行きなさい」
幸三は信二を見送った。