“分かってるだろ”
目を覚ませば屋上に居た。
信二はゆっくりと起き上がる。今は真夜中だ。
地獄で目を覚ます気分は最高だ。素晴らしいことに外には狂暴な感染者。
中には大勢の市民。
「外側」は無能、「内側」は有能が支配する世界となってしまった。
厳密に言えば「外の連中」が「中」に入ることも容易。それを殺すのも容易。
まったくおかしな世界だ。
また、日本の首都東京も「内側」となってしまった。
巨大な壁が東京を世界から隔離した。
これは危険なウィルスを取り扱う研究所で生物的災害が発生した際に取る措置、封じ込めに非常に似ている。
きっとこれは大規模な<封じ込め>なのだろう。
信二はそう思いながら立ち上がる。
「おや?」
誰かが居た。
中年男性だった。
男性は写真を見ている。
「そこで何をしてるんですか?」
信二は話しかける。
男は振り返る。
「分かってるだろ?」
表情が――笑っている。
現実を受け止められない表情だ。
「はははっこんなことがあるはずがない」
汗をかいている。
目が、明らかに【正常】ではない。
「夢……っそう悪い夢だ!悪夢を見てるんだ!」
やはり現実を受け止めていない。
無理も無い。
「起きよう、起きて職場に行こう」
男はフェンスを上がり、飛び降りた。
信二は止めなかった。
これも彼の選択だ。
頭から落ちればきっと即死だ。
そう思った。
だが現実は甘くなかった。
男は落ちたが、感染者がクッションになってしまった。
男は生きている。
だが、それも一瞬だった。
大勢の感染者が男を食い殺した。
もっとも原始的な本能が彼を食えと命じた。
感染者も死者ではない。食わなければ生きられない存在だ。
信二は聞こえた。
男の悲鳴、肉が裂ける音、感染者の奇声。
自衛隊の真紅計画も今はどうなっているんだろう?中断かな?
そんな思いをしながら屋上の端を見た。
かなり高齢の老夫婦が仲良く立っていた。
信二は近寄った。
「そんな所で何を?」
信二は尋ねる。
夫の方が答える。
「ここは景色がいいね」
「本当にね~」
2人は笑った。
信二は首を傾げた。
「これからわしらは旅立つんだ」
信二は瞬時に理解した。
また自殺か。
俺に止める権限は無い。
そう思って言った。
「どうして?」
「ここの食料は限られている」
夫は空を見た。
「大勢の市民が居る」
目を閉じる。
「自衛隊の救助も難航している」
信二を見た。
「だから、わしらみたいな老い先短い老人は先に行くんじゃよ」
「そうよね」
さっきの男とは違う理由。
他者のために自身たちの身を投げる。
ある種の感動を覚えた。
ソフィーがやって来た。
「信二君そんな所で何をしてるの?」
信二は答えようとした。
「わしらと一緒に星空を見てたんじゃ」
ソフィーは空を見上げる。
「確かに光が少ないから星が良く見えますね」
信二はソフィーの腕を掴むと歩く。
「中に行こう」
「え?」
信二はソフィーを連れて入る。
老夫婦は笑みを見せた。
「かっこいい男の子と綺麗な女の子でしたね~」
「ああ、あんな娘と息子が欲しかった」
2人はいつでも落ちれる体勢にした。
「来世が楽しみじゃ」
「ですね~」
2人は――――
真人はトイレで小便をした。
トイレを流し、手を洗う。
が、物音がした。
振り返る。
誰も居ない。
真人は金属バットを構える。
トイレのドアを1つずつ順番に開ける。
ついに一番端っこに来た。
真人はバットをしっかりと握る。
ドアを開ける。
中にフードを被った大の大人が便所で座っていた。
すぐに襲わないところを見ると感染者ではないそうだ。
真人はほっと一安心する。
が、それは一瞬だった。
男は突然立ち上がり、真人の口を塞いでトイレの個室に入れる。
ドアに鍵を掛け、フードを降ろす。
その時真人は本能的な恐怖を覚えた。
男の毛は禿げ上がり、目を胸膜は黒く、虹彩は赤く染まっていた。
何より恐ろしいのは浮き出る血管と全ての歯が犬歯のように鋭く発達している。
「騒ぐなよ、あんたに頼みがある」
見た目に反して声は渋い普通の人間の声だ。
男はミニサイズのカセットレコーダーを見せる。
「相沢信二を知っているか?」
真人は頷く。
だが後悔した。
学校で知らない人には教えてはいけないと先生に言われていた。
「なら話が早いぞ安藤真人」
こいつ、俺の名前を?
「いいか、相沢に出会ったらすぐにこれを渡すんだ」
カセットレコーダーを渡す。
「それと来るべき時が来たら俺の言う真実を全て相沢に話せ」
男は口を耳元に近づけ、喋りだした。
「俺の名前は岡本大輝。いいか、もうすぐ自衛隊の救助ヘリが来るが――」
立花は眠る茜と亜矢子と言う少女の頭を自分の太腿に乗せた。
愛らしい寝顔――外で恐ろしい出来事が起きていることをすっかり忘れさせる。
はたして最新の情報は信じていいのかしら?
自衛隊が救助ヘリコプターを飛ばした。
まずは各警察署に来るから生存者は警察署に来いと。
はたして信用していいのかしら?
相沢君の真紅計画のこともある。
はたして……
そんなことを考えても無駄だと立花は思った。
実際、今は動けなくなってしまった。
外は感染者の数が未感染者を大きく上回っている。
外での行動は禁物だ。
誰かがテレビをつけた。
そこに若いニュースキャスターが映っていた。
『……です。東京各地で頻発する暴動に対し、政府は緊急対策を施したと発表』
全員テレビに注目した。
『暴動を鎮圧するために警察のみならず特殊部隊SATや消防隊、さらに陸上自衛隊までもが出動しました。東京の周りにも巨大な壁がそびえ立ち、暴動にしてはこの対策は過剰だと言う声も日本各地で見られます』
カメラが周りの様子を映す。
『見てください、東京を出るための検問所に武装した警察隊や自衛隊が厳重に警戒しています。両勢力はガスマスクの様なものを着用し、不安を募らせます』
『最新の情報によりますと、負傷死者は1000名を超えたと――』
その時、自衛隊の誰かが叫んだ。
『感染者だ!』
銃声が響く。
『発砲です!警察隊と自衛隊が何かに発砲しました!繰り返します!ついに発砲が始まりました!状況は不明ですが、検問所に居る市民が混乱を起こし……』
キャスターの顔に恐怖が浮かび上がる。
『ちょっと……何……あれ?』
カメラがバンする。
そこには、血塗れの男性――感染者がバットを持ちながらゆっくりと近寄る。
『お前、止まれ!』
カメラマンが叫ぶ。
同時に感染者も奇声を発しながらカメラマンを殴った。
カメラが落ち、画像が乱れた。
同時に倒れたキャスターの顔が映る。
『ちょっとやめてやめてやめて!!!』
感染者が圧し掛かり、キャスターが首筋を食いちぎられた。
カメラはそれをしっかりと収めた。
感染者が撃ち殺される。
『隊長!ここのカメラが!』
『破壊しろ!』
カメラの映像が途切れる。
代わりにスタジオが映る。
若い男のキャスターが解説を始めた。
『現場の小山アナに何か問題が起きたようです。これからは現場取材が危険なため、スタジオでお送りします』
誰かが叫んだ。
「ふざけるな!暴動って何だよ!」
『ええ~、東京都内に居る住民は屋外は大変危険なため、可能な限り自宅や近くの建物に出ないでください。自宅や近くの建物の窓・入り口はしっかり施錠し、窓などは可能な限り補強を施してください。
東京都外の住民は自宅待機し、東京付近には近寄らないように。日本政府は非常事態宣言を発令しました。東京を最重要隔離地区に指定しました。都内で何らかの理由で建物に入れない場合、指定された避難所に避難するように。今から指定された避難所を発表します――』
感染者は検問所にまで達したのか。
立花は何とも言えない何かを感じた。
最初は小規模封鎖が今や大規模封鎖だ。
この世の終わりを感じてしまう。
感染者達が黙示録を始めた。
手始めに東京を落とそう。
そう考えているのかな?
もはやどうでもいい。
地上で東京を出るには検問を通る必要がある。
だがはたして自衛隊はすんなり通してくれるだろうか?
即射殺、ありえる。
即焼却、ありえる。
即隔離、ありえる。
何でもありえる。
立花は少し眠ろうと目を閉じた。
他の人は無事だろう?
聖夜達は警察署内にいる。
まだ信二たちとは再会してないが、ラジオで警察署に救助ヘリが来ると知ったからだ。
真人は謎の男――岡本に驚愕する話を聞かされた。
「そ、それは本当か?」
岡本は頷く。
「ああ本当だ」
「なら、」
「そうだ」
「今すぐ仲間を集めなきゃ!」
「ちょっと待て」
岡本は別のテープレコーダーを渡す。
「もしもだが、機会があったら大澤博士にこれを渡して欲しい」
「大澤博士?」
「甘い声の美人だ。普段は研究所に居るから渡すのは無理だろうな」
「いつ皆に真実を話せばいい」
「分かってるだろう?」
真人は拳を握り締める。
「これを渡す」
岡本は鍵を渡した。
「これは警察署の武器庫の鍵だ。2階の南東にある部屋だ」
「ありがとう」
「ここを出るのは今から1時間以内にしろ、その間は感染者も襲ってこない」
「ありがとう」
「頼んだぞ」
2人は強く握手をする。
真人はトイレを出た。
仲間を集めに。
岡本は満足したように頷く。
そしてフードを被った。
「さて、信二、感染したお前の決断を見届けさせてもらうぞ」