遺品
信二は見届けた。
不良の頭がタンクローリーで特攻し、自爆で感染者とバリケードを破壊したとこを。
彼のおかげで道ができ、ワゴン車で走り抜けられた。
不良であった彼も最後はまともな人間として人生の幕を閉じた。
そして合流場所――警察署に着いた。
署内に大勢の未感染者――生存者とも言うべきか――が大勢居た。
信二は心底感動した。まだまともな人間が大勢居たなんて。
外には狂暴な人が走り回り、中はまともな人が体を休めている。
信二はベンチに座った。
警察署の正面玄関はベンチやロッカーで、窓は板やシャッターで塞がれている。
信二のベンチの隣には、妹の茜が座りながら寝ていた。
ありがたいことに、信二が感染者に連れ去られたとき、茜は真人が運んでくれた。
信二は茜をそっと寝かせ、洗面所に向かった。
洗面所で顔を洗っていると、ポケットに何か入っていることに気づいた。
ポケットから出してみると、ミニサイズのカセットレコーダー、封筒、注射器が入っていた。
封筒には信二の名前が書かれている。
封筒をあけ、中の手紙を取り出す。
1通目には単純な文章しか書かれていなかった。
“テープを聴け”
信二は書かれた通りに再生ボタンを押す。
テープが回りだす。
『テープ回ったかな?――』
懐かしい渋い声だ。
黒木大輝――ある意味全ての原因だった男の声だ。今はもう亡き人物だ。
『――今回の記録は俺にとってはうれしい記録だ。なんたってDEMONYOウィルスオリジナルタイプ――今は始祖型と呼称したが――それの症状が判明した。このウィルスは感染した生命体の遺伝子に作用し、適合できれば精神、肉体に損ねることなく知的、肉体的に超強化が施される。つまり適合者に対しては劇的な進化をもたらすものの、反対に不適合であった場合は、このウィルスに感染した生命体は、外的要因を必要とせず自発的な突然変異を続けるため、死ぬまで予測不能な進化を繰り返すようになる』
信二は耳を疑った。
突然変異?強化?適合?
訳が分からない。
『簡単に言うと、感染者のうちこのウィルスに完全な適応能力を持つ者は進化するが、適応能力を持たぬものは突然変異を起こして化け物になる』
突然変異も進化の1つだと信二は言いたかった。
要するに、感染者は超人になるか怪物になるかと言うことか?
『先に予測不能な進化を繰り返すと言ったが、なぜ予測不能かは理由がある』
信二は聞いた。
『知っての通り遺伝子もDNAも個人差がある。遺伝子は基本的に誰でも同じだが、0.1%程度の個人差がある。このウィルスは遺伝子に作用するから僅か0.1%の個人差でどう作用するか人によって変わって来ると言うことだ』
もはやSFの領域だ。
狂犬病に似たウィルスが東京に流行したと思うと、今度は突然変異を起こすウィルスが存在すると言われている。
一体何を信じれば?
手紙の2通目を呼んだ。
“始祖型デモーニョ・ウィルスが及ぼす人類DNAへの影響
生きるに値する優秀な遺伝子を持つ人間は新たな歴史を作る新人類に進化する。
生きるに値しない劣等な遺伝子を持つ人間は地を這う野獣になる。
地球に人間が増えすぎた。
自然界の動物には天敵の関係がある。
草食動物を野獣が食らい、野獣は天敵の襲われ、植物は草食に食われる。
自然界は天敵の関係でバランスを保ってきた。
人間に天敵は居ない。
地球の支配族である人類は血塗られた歴史を作る。
だがもうすぐ終わる。
人類の歴史は幕を閉じる。
新たな人類が生まれる。
東京は新たな歴史の始まりの地となる。
お前はどうする?
コインストと同じ確率の進化。
化け物になるか新人類になるか
それはお前のDNA次第。
それが嫌なら拳銃で頭を撃て。
変異には激痛が伴うぞ。
言っておくがアインシュタインが新人類になれるとは限らない”
病的な手紙だな。
要するに、どんなに天才でもウィルスに適応できるとは限らない。
どんなに馬鹿でもウィルスに適合できない訳ではない。
どうなるかは自分の遺伝子次第。
信二は呆れながら3通目の最後の手紙を読んだ。
“ワクチンは出来なかった。だが抑制剤は作れた。変異が始まったら抑制剤を打て”
ポケットにある注射器のラベルを見る。
“抑制剤”
確かにそう書かれている。
信二は手紙を丸めてゴミ箱に捨てた。
テープは取っておく。黒木の遺品だからな。
封筒の中にまだ何か入ってる。
拳銃だった。
回転式拳銃の弾室にはご丁寧に弾が1発装填されていた。
感染したら自分でけりをつけろてか?
信二は拳銃を腰に納めた。
だがその時だった。
右腕に激痛が走った。
まるで骨を折られている痛みだ。あるいはそれ以上だ。
あまりの痛みに信二は床に倒れこんだ。
右腕を見ると、血管や筋が浮き出ている。
本人の意識関係なく指が勝手に動く。
信二は注射器を本能的に打った。
すると
先の痛みが嘘のように消え、浮き出た血管や筋が元に戻る。
指も勝手に動かず、信二の意思で動く。
だが感じたのは喜びではない。
恐怖だった。
いつの間にか始祖型に感染したのだった。
だがいつかは心当たりが無い。
いや、心当たりが無いと言えば嘘になる。
本当は心当たりはある。
ソフィーが吐血した時、彼女の血が信二の右掌に付着した。
丁度その時、掌に切り傷があった。
ソフィーは始祖型の保菌者だ。
まさかあの時感染したのか?
掌を見る。
傷口は完全に塞がっている。
圧倒的な絶望感が信二を襲う。
超人になるか怪物になるか、宝くじと同じ確率の変異なんて嫌だった。
超人ならまだしも、怪物だけはお断りだ。
信二はゆっくり立ち上がった。
抑制剤があって幸いだった。ワクチンだったらもっと幸いなのに。
そう思いながらポケットにある抑制剤の数を確認した。
残り6本――決して多いとは言えない数だ。
彼は癌を宣言された患者と同じ気分で洗面所に出る。
洗面所で真人が待っていた。
真人は信二の顔を見た。
「大丈夫か?顔色悪いぞ」
信二は頷いた。
「大丈夫だ、ちょっと目眩がしただけだ。すぐに良くなるさ」
「そうか、なあ、ひとつだけ聞いていいか?」
「何だ?」
「癌を完全に克服する方法は?」
「何だって?」
「癌を克服する方法だ。一度癌になった姉が俺に聞いた謎々だ。姉の癌は直ったから、今は答えが聞けないから」
「なぜ今聞く?」
「俺は友人全員に聞いてみた。全員適度な治療と答える。お前なら違うこと答えが出ると思って」
「今は関係ない」
「すまない、だけど休息の時間帯である今はユーモアな会話が必要だろ?」
信二はなるほど、と頷く。
確かに今は楽しい会話をしたい気分だ。
「ああそうだな」
近くのベンチに座り、胸の前で腕を組んで真剣に考える。
癌を克服する方法――治療では感知できない癌も存在する――癌を克服する方法。
分からなかった。
癌を完全に克服する方法なんてあるはずがない。再発の可能性があるからな。
それより今は癌よりウィルスに克服したい気分だ。
今は抑制剤で体内に眠る始祖型デモーニョだが、いつ目覚めるかは分からない。
信二は深呼吸する。
落ち着け、冷静になれ、ここで感染したと悟られたらおしまいだ。
幸運にも真人は信二が真剣に謎々に悩んでいると勘違いした。
「そんなに悩まなくていいよ、また後で答えを聞く」
そう言って歩き出した。
「お前の妹と遊んでくる。お前も兄なら妹の面倒を見ろ」
そう言って真人は茜の所に言った。
信二は苦笑いし、茜の所に向かおうとした。
だが何かを感じた。
何かが警察署内に入り込んでくるのを感じた。
信二は無意識に歩く。
気づけば、そこは警察署の資料保管室だ。
保管室の窓が割れていた。
信二は窓から外を見た。
保管室は2階だ。
何かが壁をよじ登って進入してきたのか?
信二は天井を見た。
それは居た。
形状は人間だった。
だが人間ではなかった。
人間に鋭い大きい無数の爪は生えていない。
人間は背骨を露出しない。
人間は天井を這えない。
人間には鮫の様な牙は存在しない。
そして――人間は筋肉組織を露出しない。
それは信二を見た。
口は耳まで大きく裂けていた。
目は――眼球は黒くなっている。
それはとあるビルで真斗達が遭遇した四足歩行の感染者と同種の存在だ。
信二の目の前に居るのはそれが短期間で進化した種族だった。
この東京で生き残るために短期間で進化した。
長い年月をかけて進化した人類の生態系を捨て、新たな生物に生まれ変わった。
それは新生者だった。
新生者は飛び掛った。
信二は横に飛ぶことで避けた。
だが新生者は凄まじいスピードで信二のところまで這った。
気づけば、信二の足を引っ張った。
信二は振りほどく。
だが新生者は飛び掛る。
信二は新生者の首を締め上げた。
あっさりと振り解かれる。
新生者は逃げるように信二に遠ざかった。
だが再び走ってきた。
信二は右腕に力を入れる。
新生者が飛び掛った。
信二は先生者の顔面目掛けて拳をぶつける。
何かが折れ、砕ける音がした。
新生者は倒れこんだ。
顔面はめり込み、首が不自然に曲がっている。
信二は右腕を見た。
血管と筋が浮き出ていた。
力を抜くと、すーっと元に戻った。
完全に信二は感染者だった。
外に居る自我を失った感染者とは別の存在。
新たな可能性を秘めた感染者だった。