料理人、虫
「とびっきりの料理を作ってみるよ!」
その冷酷な声と共に信二は目を覚ました。
「殺してやる!くそコック!殺してやる」
誰かがののしり続けた。
ここは何処か厨房のような場所。ホテルの厨房だろうか?
信二は自由の身だった。何にも縛られること無くテーブルに座らされていた。
「あのガキは何で縛らない!?」
「あの子は駄目だ。大事な大事なお客さんなんだから」
縛る?お客さん?意味が分からない……そもそもここは何処だ?
全てを思い出そうと記憶を辿った。
あのビル内で何者かに後ろから注射器を首に刺されて、それで意識が……あれは注射器か何かか?
意識をはっきりさせた。大柄の血塗れエプロンを纏った男が鍋に水を入れていた。
「お客様は神様だ」
「何で俺が<食材>に!!」
食材……?
「お前は清潔だ。外の感染者よりはずっとましだ」
大柄の男は顔に何かを被っていた。
皮だ。
人間の皮を被っていた。
もう1人男が壁に繋がった鎖で手を縛られていた。
「やあ、目が覚めたか?」
大柄の男は信二に気づき、声をかけた。
「僕は浅野進。一流フランス料理人さ」
浅野は肉切り包丁を右手で持った。包丁は怪しげな輝きを見せた。
「頼む!助けてくれ!」
浅野は男に近づいた。
「な、何を……」
「する」と言い終える前に浅野は包丁で男の喉を切り裂いた。
喉の傷口から血が噴水のように噴出した。奇妙なことに、信二は噴出す血が美しく見えた。実に奇妙だ。
男はぐったりと頭を下げた。
「人と豚は同じだ。首を切ればすぐに死ぬ」
浅野は笑いながら男の鎖を解き、男を担ぐと、厨房の中心にある鉄製のテーブルに載せた。
「待っててね、すぐに極上スープを作るから」
浅野は包丁で男の腹を切り、手際よく胃腸などの内臓を取り出した。
信二はここから抜け出したかった。
だが、体の感覚が痺れている。麻酔の効果が残っていた。
「腹が減っては戦が出来ぬって言うね。確かにそうだ」
浅野は男の内臓を抜き終えると、部屋の奥の鉄製の引き戸を開けた。
中から若い女性が飛び出してきた。浅野は女性を見事にキャッチし、肩に担いだ。
「いや!やめて!放して!お願い!」
女性は必死に叫んでいた。
浅野は女性を豚をつるすフックに近づけた。
「何をするんですか……?」
信二は聞いた。
浅野は女性の両肩を掴むと、軽々と持ち上げた。
「やめろ!!」
遅かった。
女はフックにつるされた。生きたまま……
フックが女の背骨に食い込み、自身の体重でフックがめり込み、苦痛が全身に響き渡る。女はフックを抜こうと両手で掴んだが、もがけばもがくほど、フックが食い込む。
「いやあああああっ!!痛い!放して!助けて!」
女は苦痛の叫びを上げた。信二は耳を塞ぎたくなった。
狂ってる…あの料理人は狂ってる!
浅野は手術用メスを取り出し、女の頭に当てる。
鮮やかな手際だった。たちまち頭皮に切れ目を入れた。ペンチを使って皮膚を引き剥がすと、鈍い灰色の頭蓋骨が現れる。女は悲鳴を上げる。
浅野は皮膚の端を鉗子で押さえつけ、固定した。
信二は、ただ見守っていた。
「待っててね、すぐに解体するから」
浅野は工具用電動ドリルをキュイイイインと耳障りな音を出した。
「うるさい音がするから」
女の頭蓋に、金属の先端が突き刺さったのだ。
浅野はドリルをしっかりと腕で固定し、脳に触れないように、慎重に下ろしながら、小さく、4つのポイントを穿った。ほぼ正方形が出来た形だ。穴からたちまち血が――体液が――流れさした。
信二は唾を飲んだ。きっと恐ろしい苦痛だろうな……
ドリルを置き、浅野は続いて、小さな円形の刃が先端に付いている電動ノコギリを手に取った。
「黒板を引っかく音がするから」
信二ははっとした。何じっと見てるんだ俺!
「やめろ!やめるんだ!」
浅野はスイッチを押し、刃を回した。
そして、女の頭蓋骨に近づける。ノコギリの刃が女の頭蓋骨を切断し始めた。女は絶叫を上げた。刃が骨に当たり、黒板を引っかくよりも不愉快な音が響く。切られているのは骨だ。
切断が終わった頃には四角形の穴が繋げられ、脳への入り口の扉が出来た。
頭蓋骨を剥がす。
浅野は鋏を取り出した。
脳と頭蓋の間には、薄い皮膚のようなものが張っていた。それを切り取って、脳を露出した。
女は疲れ果て、絶叫を上げられなかった。
「脳は柔らかいからね。慎重に取り出さなきゃ」
おびただしい体液と共に脳が出口一杯に膨らみ、浅野は慎重に脳を取り出した。
女は反応しなかった。
浅野は鋏で脳と繋がる神経などを切り取り、脳を台に乗せた。
女の頭は文字通り空っぽだ。
浅野は女はフックから降ろし、テーブルに載せた。
「そろそろ出来たかな?」
浅野は煮えている鍋に近づき、ふたを開け、スープを味見した。
「にんにくが足りないな」
信二は自身の足を見た。
右足に足枷が付けられていた。
これじゃ逃げられないな……
浅野はテーブルにステーキを乗せた。
「出来立てだよ、うまいよ、人肉ステーキ」
信二は唖然とした。
人肉ステーキだと?こいつは本当に狂ってる!
「あんたは人を食材にしてるのか!」
「おお、誤解しないでくれ、人肉とチキンは大して変わらない味だよ」
そういう意味じゃ……
「まあ食べてよ、今日はフルコースだ」
その時、厨房の扉が開いた。
「信二、そこに居たか!」
真人だった。
「探した……誰だそいつ!」
浅野は真人を見た。
「君は生きがいい…食材にしよう」
「逃げろ!こいつはいかれてる!」
もう1人厨房に入ってきた。
「信二君そこにいたの」
真希だった。
「探したよ、もう……誰!?」
浅野は真希を見た。
「君、可愛いね…食材にしよう」
「こいつはいかれてる!ステーキ肉にされる!」
「真人君、あの人の相手をして。私はあしかせをはずす」
そう言った瞬間、浅野が突撃し、真人の両肩を掴むと、投げ飛ばした。
真人は壁に勢いよくぶつかり、床に倒れた。
真人はゆっくり立ち上がると、血のたんを吐いた。
「喜んで……」
弱弱しく呟く。
浅野は真人に切りかかった。真人は慌てて近くの消火器で防いだ。
「こいつの相手はするが、早くしてくれ!俺は3分も持たない!」
真希は信二に駆け寄った。
「足枷を付けられてるね…鍵は?」
「持ってればとっくにはずす」
「そうだよね……」
そう言って、電動ノコギリを持ってきた。
「な、何を?」
「電動ノコギリで鎖を切るの!」
信二の返答を待たず、真希はノコギリを回転させ、鎖に近づけた。
「火花で火傷したらごめんね!」
「やめろ!失敗したら足が切れる!」
真希は鎖を切り始めた。
やめろやめろやめろと心で叫んだが、声に出なかった。
神様!俺の脚が無事だったら、毎日祈りをします!どうかご加護を!
真人は厨房の中心のテーブルを回っていた。
浅野は真人を追いかけて、回っていた。
「真希!早くしてくれ!こっ殺される!」
真人は陸上部で鍛えられた足と体力でどうにか逃げていた。
が、浅野がテーブルに乗っかり、真人の前に下りた。
「はっ反則だ!男として最低だぞ!」
真希は急いで鎖を切っていた。
「分かってると思うが、足は切るな!」
「分かってる、切ったら謝るから!」
別に切られるのが怖いわけじゃない。だが、もし足が切られたら、満足に走れず感染者に襲われるのが目に見えてる。東京を出られるなら足なんて1本でもくれてやる。だが、今は失いたくない!
真人は浅野と対峙していた。
「落ち着いてください、ね?こんなことしたら、警察に捕まりますよ」
「今は警察もゾンビになってるよ」
「そ、そうだけど……」
「黙って食材になりやがれ!!」
浅野が始めてみせる荒々しい口調。
同時に手にある肉切り包丁を投げた。
真人は横の跳び、間一髪避けた。
「俺の料理は絶品ものだ!だが新鮮な食材が無ければ味が落ちるんだよ蛸!!」
「だからって俺を食材にしないでください!」
「死ね!」
浅野はチェーンソーを持ち上げ、エンジンを掛けた。
「危ない危ない危ない!」
浅野はチェーンソーを振り上げ、真人に突撃した。
「あと少し……」
真希は鎖を見ていった。
「やばいぜ」
「分かってる」
「いやあんたの相方が」
真希は意味を知らずに鎖を切っていた。
「あと少し……できた!」
鎖は見事に切られた。真希は電動ノコギリを止めた。
「あれ?何で回転音するの?」
「後ろを見れば分かる」
真希は言われたとおり後ろを見た。
浅野がチェーンソーを持って真人を追いかけていた。
「やばっ!」
「そうだろう」
信二は立ち上がり、フライパンを持った。そして投げた。
フライパンは浅野の顔面に直撃した。浅野は倒れこんだ。チェーンソーが浅野の右腿に乗った。
「うぎゃあああああ!」
チェーンソーは浅野の腿を切り裂き始めた。
浅野は慌ててチェーンソーをどかした。腿は半分切れていた。
「痛いよ、ママ!」
浅野の叫びは本当に痛々しい。
浅野は立ち上がり、右足を引きずりながら、厨房を出た。
「大丈夫か?」
信二は真人に駆け寄った。
「肉体面では大丈夫だが、精神面ではアウトだ」
信二はうなずき、肉切り包丁を拾って厨房を出ようとした。
音が聞こえる。
紙袋を無数の針で引っかくような音。
信二は厨房を出た。
そこには、何千何億という虫の群れだった。鈍く輝く背中に触角。外見こそはゴキブリだったが、体長は30センチを優に超えている。
食堂に多い尽くされた虫の群れの中心に、浅野が狂ったように踊っていた。よく見れば、虫に襲われている。
浅野は立っていられなくなり、床に倒れ、虫に覆われた。
絶叫は少しの間だけ聞こえ、右手を天井に伸ばした。
虫の山が、小さくなっていく。
悲惨な死を最期まで観賞するつもりは無かった。信二は逃げろと叫びながら、厨房の扉を閉めた。
「一体どうしたの?感染者?」
「ある意味じゃ感染者よりたちが悪い!でっかいゴキブリだ!」
「マジでか!?」
虫たちが入り込みたいのか、ドアが押されていた。信二は扉を押さえた。まるで大人が数人押して来るような虫の圧力が掛かっている。
「何か引っ掛けるものを!」
信二は叫んだ。厨房の奥に、空気を送り込む大きなファンがあり、歪んだパイプが突き出ていた。真希はそれを取ろうと駆け寄り、パイプを外そうと力を込めた。腕が、肩が、腰がみしみしと音を立てて痛んだ。
信二と真人が必死で押さえている扉の向こうで虫が這う音がした。
「早くとってくれ!」
真人が叫んだ。
「分かってるわよ!はずれた!」
真希はパイプを掴み、ドアへ駆け寄って、3人でドアに挟んだ。
「これでしばらくは安全…だと思う」
「でもな、どうやってここを出る」
信二は天井にある正四角形の金網を指差した。
「エアダクトから脱出する」
「「ご名案」」
2人は同時に言った。
信二はテーブルに乗っかり、網を外した。
そして、梯子を使ってダクトに入った。
「何も無い、安全だ」
次に真人が、最後に真希がダクトに侵入した。
ダクトは人1人は通れる空間だった。
信二がダクトを匍匐で進み、2人は付いて来た。
どれくらい進んだんだろうか?
ダクトを進んでいると、金網が見えてきた。
「もうすぐだ」
信二は少し安心した。
「あっけない脱出だった」
真人が笑った。
と、金属が金属を擦る神経に障る音がした。
信二は用心深く音の方角を推測した。
「処刑人かな?」
真希は呟いた。
がつっと音がした。
ダクトを破って上から剣が突き出てきた。
信じられないほどの巨大な剣だ。きっと大鉈だ。
刃は真希の目の前に現れ、ダクトの下部分を貫通した。
「危なかった…けど進まないニャ」
真希は下がろうと思った。
が、大鉈が引っこ抜かれた。
大鉈が真希の後ろに突き出た。
やばいと考える前にそれは起きた。
ダクトの下は大きく裂けてしまった。
真希の身体は宙に浮いていた。
そして落ちた。
「真希!」
真人が戻ろうとしたとき、ダクトの上部分が落ちてきた。
「危ない!」
信二は真人を引っ張った。
「今は助けられない!後で必ず助けよう!」
「畜生!上に居る奴!お前は必ずぶっ殺してやる!」
信二と真人は前に急いで進んだ。
後ろでは大鉈が突き出ては引っ込みまた突き出ては引っ込む。刃は確実に2人に迫っていた。
信二は正面の行き止まりに当たった。
だが、完全な行き止まりではなく、目の前には金網があった。
信二は両手で金網を殴った。
「開け!この!この!」
「急いでくれ!」
金網が前に飛び出し、ダクトの出口が出来た。
信二は急いでダクトを出た。
真人も急いで出てきた。
そこは暗いビルの廊下だった。
「居たぞ!大丈夫か!」
直人が懐中電灯で2人を照らし、駆け寄った。
「信二君はどこに?」
「食堂に居ました。変なコックに捕まって……じゃなくて、急いで逃げましょう!」
「逃げる?誰に?それより集合地点に――――」
天井から大鉈が突き出てきた。
大鉈は信二と直人の間に伸びた。
「何だこれ!?」
「上に巨人が居るんですよ!」
直人は89式小銃で天井を3発撃った。弾丸は裂け目を通り、上に居る何かにあたった。
上に居る何かは大鉈を引っ込めた。
「走れ!」
3人は廊下の奥に走った。