保菌者の対面
無症候性キャリア(むしょうこうせい-、無症候キャリア)とは、病原体による感染が起こっていながら、明瞭な症状が顕れないまま、他の宿主(ヒトや動物など)にその感染症を伝染させる可能性のある宿主のこと。特に細菌による感染の場合は、無症候性保菌者、健康保菌者と呼ばれることもある。
さまざまな病原体がその宿主(ヒトや動物など)に感染することで感染症が引き起こされるが、このとき感染が成立しても、その感染症特有の症状がはっきりと判らない、無症候の場合がある。宿主の免疫などの感染に対する防御機構の働きによって発病するに至らない場合(不顕性感染)や、その病原体に特有の性状(慢性疾患の原因であるなど)によって症状の出ない時期がある場合が、これにあたる。
この状態の宿主は、症状が顕れないために外見上は健康で非感染者との見分けがつかないが、その病原体が宿主の体内で増殖している場合があり、特にヒトからヒトに感染する伝染病などでは、本人が気付かないままに感染源としての役割を果たす場合がある。このような状態にある宿主を無症候性キャリアと呼ぶ。
代表的な例の一つに、ヒト免疫不全ウイルス(HIV)感染症(後天性免疫不全症候群、エイズ)の場合がある。HIV感染症では感染直後に一過性の風邪様の症状があらわれるが、その後長い場合では10年間以上、症状の顕れない時期(無症候期)が続き最終的にエイズを発症する。しかし、無症候期の間もHIVは血液中でT細胞に感染しながら徐々に増殖しており、この時期の宿主も感染源として血液や性交渉を介してHIVを伝染させる能力を持った、無症候性キャリアの状態にある。このほか、ヒトT細胞白血病ウイルス(ヒトTリンパ球向性ウイルス)や、慢性ウイルス性肝炎の原因となるB型肝炎ウイルス、C型肝炎ウイルスなど、潜伏感染や慢性感染を起こす病原体による疾患で多く見られる。
HIV感染症のように進行の遅い疾患以外でも、クラミジアや淋菌による性行為感染症では女性に自覚症状が出にくいため、一種の無症候性キャリアとなりうる。またノロウイルスによる食中毒などの流行にも無症候性キャリアが関与している可能性が指摘されている。
無症候性キャリアになった人物としては、腸チフスの原因となるチフス菌が胆嚢に感染した結果、その無症候性キャリアとなったメアリー・マローンが知られる。
ソフィーは、4階の一室に入り、鍵を掛けた。
「また自衛隊が捕まえに来たの。しつこいわね」
彼女は自衛隊を見かければ、自分を捕まえに来たと思っている。それもそのはずだ。彼女を捕まえたのは自衛隊だからだ。
彼女は全てを覚えていた。。大羽中学校で感染し、完成していたワクチンを打たれ発症せずに済んだ。数え切れぬほどの回数に及ぶ、血液や細胞組織が採取され、自由を奪われた体には無数の電極が繋がれ、彼女の肉体に関するありとあらゆるデータが記録された。彼女という生命体はさまざまな計測機器によって丸裸にされ、彼女の知らない情報が恐るべき精度で数値化された。
得体の知れぬ薬剤がひっきりなく投与された。興奮をもたらすもの、死を予感させるまで鎮静させるもの、意識を薄れさせるもの、神経を過敏にし、1秒を10分にも錯覚させる作用を持つものなど。
囚われた彼女の精神は翻弄され、肉体は蹂躪され続けた。ワクチン開発に必死になっていた研究員達は彼女にさまざまな試作段階のワクチンなどを投与していた。彼女にとって、彼等は道徳心も論理観も捨てた無情な人間に見えた。
その中で、とりわけ狂ったように見える女が居た。
人体実験を主導するその女は、彼女を人格を持ったただの実験体ナンバー001としか見ていなかった。常に彼女に笑顔を見せた。狂気の笑顔だ。大澤は彼女を試作段階の抗ウイルス剤の被験体第1号と選んだ。
抗ウイルス剤の完成を待つ間、ソフィーは冷凍保存を施された。その処置が、彼女の運命を大きく変えた。<大羽中学校封鎖事件>以降、治療済みのDEMONYO(悪霊)ウイルスが再び活発化したのだ。その結果、彼女の体に強力な抗体を生み出すきっかけとなった。
それに気づいた大澤は、彼女の体から抗体を摘出し、DEMONYOのオリジナルタイプの毒性を抑えるのに利用した。保菌者となった彼女は、生きがいを感じない生活を続けた。
「もう絶対に捕まりたくない…」
ソフィーは不意に呟いた。
「同感だな」
後ろから、渋い男の声がした。ソフィーは振り向いた。
リビングルームのソファーにトレンチコートを着た、フードを被った男が座っていた。
「お前の気持ちは痛いほど分かるよ」
男は同情だという素振りをした。
「あなたは…誰?」
男はテレビをつけた。テレビからニュースが流れた。
「見ろ、東京に関するニュースが流れてる。可哀相な連中だ。真実を知らされてないなんて」
男は笑った。その笑いは狂っているように感じる。
「質問に答えて」
不思議だった。この男とは、どこかで会った気がした。
「俺か?そうだな、苗字は忘れたから名前だけ教えよう。名前は大輝。大きい輝きと書いて大輝」
大輝…自分にワクチンを打ち、自殺したかつての教師を思い出した。
「お前は俺を知らないだろうが、俺はお前を知ってる」
「ストーカー?」
「違う違う!俺もそこまで変態じゃない!」
「そこまで…つまり変態?」
「言い方が悪かったな…俺は怪しい男じゃない」
「夏なのにコート着てて、よくそうやって断言できるわね」
大輝は立ち上がった。
「つまり、フードをはずせば信じてくれるか?」
「今よりは」
「今よりか…か?」
大輝は迷った。
「まあ、少しは汚名返上しなくてはな」
大輝はフードをはずした。ソフィーは絶句した。
大輝は死体以上に肌が白かった。血管は吹き上がっており、頭…いや、こっと体中の体毛が抜けており、強膜は黒く、虹彩は赤く染まっていた。犬歯が異常に発達しており、爪は鋭くなっており、まるで吸血鬼ノスフェラトウのようだ。もっとも、ノスフェラトウはネズミに似ているが、こっちは狼を連想する顔だ。禿げ上がった頭、狼のような顔、鋭い爪、黒いコート、悪魔的な印象を受ける。
大輝はゆっくりと歩いた。ソフィーはそのたびに下がった。前にも化け物と対峙したことはあるが、こっちのほうが恐ろしい。
「怖がらなくてもいいよ、お嬢さん。俺は何にも危害を加えない」
大輝は紳士的な素振りをした。
「し、信用できない…」
「こんな外見じゃあ仕方ないな。まあ、一杯紅茶でも飲もうや」
大輝は紅茶を入れた。リビングの中央のテーブルに置いた。紅茶の香りを楽しみながら、大輝はゆっくり飲んだ。
「スコーンもあるぞ、食べるか?」
ソフィーは横に首を振った。大輝はスコーンに蜂蜜をかけ、むさぼるように食べた。
「あ、あなたは何者?」
化け物のような外見をしているのに、知能を保っているこの生命体に、ソフィーは恐怖を感じていた。
「俺か?俺はお前と同じ保菌者だ」
これには驚いた。保菌者は自分だけかと思っていた。
「お前と違ってな、俺は毒性の低いウイルスに感染した。体の細胞組織や遺伝子、生体組織、体内色素、あらゆるものが突然変異して、今に至った」
これは気の毒に。そう思った。
「さらに、タイプ2と呼ばれるウイルスにも感染した。これは発症しないで、血液中や唾液中にある」
なるほどね、だから保菌者になったんだ。
「わ、私はこれで失礼します」
「いいのか?外は危険だぞ」
「だ、大丈夫です」
「外には自衛隊と感染者だけだと思ってるのか?違うな、外には発狂者やら、怪物がいるぞ」
聞きなれない用語が出てきた。
「怪物?」
「今はまだ教えない」
大輝は立ち上がった。そして、うなり声を発した。
「た、大輝…さん?」
大輝はどの感染者よりも恐ろしい奇声を発した。
ソフィーは急いでドアを開け、外に出た。
そして、1階まで逃げた。
「はあ、はあ、はあ、何…あの人?」
ソフィーはそのまま信二達の居る学校に向かうことにした。
大輝は、走り去るソフィーを見た。
「ふ、お前さんは期待通りの動きをするな」
大輝は、怪しげな目でソフィーを見守った。
どうも、作者です。ちょっとちんたらしすぎたので、ここから一気に話を進めようと思います。
また、ご感想などいただけたら、まことにうれしいことです。
これからもよろしくお願いします