初夜で「愛することはない」と旦那様が言ったけど全然問題無く幸せです♡
静かな夜だった。
大聖堂で行われた荘厳な結婚式も、親戚縁者を招いた披露宴も終わり、新婚夫婦のための時間。
豪奢なシャンデリアの灯りが金色に揺れ、磨き上げられた大理石の床と上等な絨毯へ淡い光を落としている。いくつもの祝いの花が部屋のそこかしこに飾られ、甘ったるい香油の匂いと混ざり合っている。
そして整えられた天蓋付きの大きなベッド。
絵に描いたような初夜の寝室。
その中央で、クラウス・アルフェンベルクは心底面倒そうに溜息を吐いた。
「先に言っておく。」
彼はキッチリとした礼服を崩すこともしなければ、寝台に座る花嫁を見もしない。
「君を愛するつもりはない。」
薄く上品な夜着を着た花嫁――ノエルナは一つ瞬きをして花婿を見上げる。
「……はい。」
「私には他に愛している女性がいる。この結婚は家同士の都合だ。君も理解しているだろう。」
この結婚が政略であることなど、ノエルナも理解している。ノエルナの生家であるヴラッドヴィン伯爵家とクラウスのアルフェンベルク伯爵家。両家の当主達の話し合いでこの婚姻は決まった。
ノエルナが結婚の話を聞かされたのは全てが決まって契約書が交わされた後だった。
そして、どうやらクラウスも似たような経緯で有無を言わさず結婚させられたらしい。
「伯爵夫人としての立場は保証する。金にも困らせない。だが余計な期待はするな。私の愛人にも口出しするな。」
まるで事務連絡だった。
ノエルナはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「わかりました。」
クラウスは拍子抜けしたように眉を上げる。
聞いていた歳より少し幼く見える新妻は、控え目な愛想笑いで俯いている。色々と思う所もあるのだろうが、全て飲み込んでくれるというのなら都合がいい。
クラウスは俯くノエルナを数秒見やり、息を付いて少し柔らかな声で言った。
「聞き分けが良くて助かる。」
そして彼はそのまま踵を返した。
「私は別室で休む。君も今日は疲れただろう、このまま休むと良い。」
そして、完全に背を向けた。
その瞬間。
ノエルナの視線が、ベッドの側に置かれた青磁の花瓶へ向く。
2人のためにどこぞから贈られた祝いの花のひとつだった。大輪の赤い花がメインで生けられた、大きく、重そうな壺。
「……。」
ノエルナは、よいしょ、とそれを抱え上げた。
重い。かなり重かった。
でも頑張った。
クラウスは気付かない。
ノエルナは少しよろけながらも、クラウスの後ろ姿へ花瓶を振りかぶる。
「えいっ」
ノエルナの掛け声と共に、鈍い音が寝室に響いた。
「がっ!?」
クラウスの後頭部へ直撃した壺が大きく割れ、水と花が部屋にぶち撒けられる。
クラウスが前のめりに倒れ、その背にすかさずノエルナが乗り上がる。
「な、にを……!?」
混乱し、起き上がろうとしたクラウスの首に細い布が巻かれる。
それは寝室のカーテンを纏めるタッセルだった。大きなベランダの窓、それを覆い尽くす大きなカーテンを纏めるに足る、長くしっかりした作りの布紐だ。
「ごめんなさい!」
ノエルナは謝りながらも全力で紐を引き上げる。
細腕のくせに容赦がないそれは、クラウスの喉を無慈悲に締め上げる。
「ま、待っ……ぎぃ!」
クラウスの悲鳴は無残に潰れて呼吸ごと中断される。必死に紐を外そうと、ノエルナを振り落とそうとするも、ノエルナも必死で振り落とされまいと紐をさらに締め上げる。
「暴れっ、ないで!」
「〜〜〜〜っっ!!!」
クラウスの爪が布紐の食い込む喉を、濡れた絨毯を引っ掻く。
激しく藻掻く足も次第に動きが鈍くなり、締め上げられたクラウスの顔面は鬱血して赤黒くなり、血走った目がグルンと白目を剥く。
ノエルナは額に汗を浮かべながらなお夫の首を絞め続ける。
「も、もうちょっと……!」
クラウスの口からは泡立った唾液が溢れていた。ガクガクとその身体が痙攣する。
クラウスの身体から力が抜けた。
ノエルナはそれに気付かず首を絞め続けていたが、すぐにクラウスがぐったりと脱力している事に気が付いた。
「あ、死にました……か?」
ノエルナは呼吸を整えながら、しばらくそのまま固まっていた。
やがて恐る恐るその背から降りる。
うつ伏せに倒れるクラウスをよっこいしょと転がして仰向けにする。苦痛に歪む死に顔の頬を指でツンツンとつつく。
反応はない。クラウスは死んでしまった。
「……ふぅ」
ノエルナは汗を拭った。
「終わりました!」
達成感に満ちた笑顔だった。
クラウスの死体を見下ろして、今にも小躍りしそうなほどの喜色満面なノエルナはベランダに駆け寄りカーテンを少し開ける。
無警戒に背中を向けてくれて良かった。
夫婦の義務を果たそうと普通に優しく接してくるような人でなくて良かった。
何の罪もない善人を殺すのは、ノエルナだって良心の呵責があるのだ。
「ラヴェル!」
ノエルナは逸る気持ちを抑えて窓を開け、外へ呼びかける。
『ノエルナ。』
ノエルナの名を呼びながら、ひょっこりと窓の外から黒い頭が現れた。
それは黒黒とした艷やかな羽根を持つ鴉だった。
闇より昏いその目玉は知性と混沌を秘め、ノエルナは愛おしそうに鴉を迎え入れる。
鴉はぴょんぴょんと跳ねるように部屋に入った。ノエルナは音を立てずに窓とカーテンを閉める。
「ちょっと手間取りましたけど、やりました。」
『うん。頑張ったね。ありがとう、ノエルナ。』
鴉は優しく褒めた。ノエルナは頬を染め、嬉しそうにはにかむ。
「えへへ……。」
ノエルナは鴉を抱き上げてその羽根に顔を埋めた。鴉はそれに応えるようにノエルナに頭を擦りつける。
そしてひとりと一匹は、動かないクラウスを見下ろした。
「さあラヴェル! 新しい身体ですよ!」
恋人へプレゼントを渡す少女のような声音で、ノエルナは鴉に死体を差し出した。
鴉――ノエルナの恋人であるラヴェルが、本当は一体何なのかはノエルナも知らない。
元々は普通の鴉だったのだ。
ノエルナがまだ幼かった頃、生家の庭で拾った傷付いた小さな幼鳥。
巣から蛇や獣に攫われたのか、辺りに帰せるような巣はなく、憐れに思ったノエルナはこの幼鳥をこっそり自室へ持ち帰り看病した。
幼鳥はノエルナの献身的な看病で元気を取り戻した。すぐに美しい黒羽の鴉に成長した。
鴉も恩人であるノエルナによく懐き、ノエルナは鴉にラヴェルと名付けて可愛がった。
しかし幸せな日々は唐突に終わりを告げる。
ヴラッドヴィン伯爵、ノエルナの父にラヴェルが見つかってしまったのだ。
神話で、鴉は下賤で卑しい悪魔の化身であるとされているのが悪かった。伯爵はノエルナからラヴェルを取り上げ、庭師に命じて叩き殺してしまった。
けれど数日後、泣き暮らすノエルナの元にラヴェルは帰ってきた。
元々賢い子だったが、帰ってきたラヴェルは話せるようになっていたし、魔法のような不思議な力を使えるようになっていたが、そんなことは些細な問題だ。
やがてラヴェルはノエルナの友達から、恋人になった。
ラヴェルは鴉だが、ノエルナにとっては関係なかった。元気になったノエルナに家族も喜んだし、この幸せは今度こそずっと続くと思っていた。
しかし、また伯爵は、ノエルナとラヴェルを引き離そうとした。政略結婚というかたちで。
ノエルナはラヴェル以外と結婚するなんて嫌だった。悲しむノエルナに、ラヴェルは囁いた。
『泣かないで、ノエルナ。大丈夫、僕がノエルナの夫に成り代われば良いんだよ。』
ラヴェルは新鮮な死体であれば、自分のものにできると語った。ノエルナは最初躊躇ったが、ラヴェルに懇願されて覚悟を決めた。
『本当は、僕も人間になりたいってずっと思っていたんだ。ノエルナが綺麗だと言ったこの羽根はもちろん僕の自慢だけど、この羽根じゃノエルナを抱きしめられない。』
『それに、僕もノエルナを他の人に取られたくないよ。お願い、ノエルナ。ノエルナが頑張れば、僕らは本当の夫婦になれるんだ。』
「――どうかな、ノエルナ。」
立ち上がったクラウスは――クラウスの身体を手に入れたラヴェルは優しくノエルナに微笑みかけた。
姿が違ってもノエルナにはわかる。優しくノエルナを見る瞳が鴉のラヴェルのままだ。
「ラヴェル、うまくいったのね!」
「ああ、ノエルナ。君は最高だ。人間の身体なんて何百年ぶりだろう、これで君を抱きしめられる!」
そう言ってラヴェルはノエルナをきつく抱擁する。ノエルナもそれに応え、やがて2人はそのまま口づけを交わした。
口づけはすぐに深くなり、いつしか2人は用意されていた大きなベッドに倒れ込んでいた。
そのまま、ベッドは本来の役割通り使われた。愛の喜びと快楽のなか、ノエルナはラヴェルの艷やかな囁きを耳にした。
「ありがとう、愛しているよノエルナ。愚かで可愛い僕の魔女――。」
翌日、仲睦まじく寝室から出てきた新婚夫婦にクラウスの家族は僅かに驚いたが、夫婦仲が良いのは好ましいことだったので歓迎した。
さらに翌日、クラウスの愛人がラヴェルの元を訪れヒステリックに暴れた後に行方不明になったが、手切れ金を渡されて身を引いたと専らの噂だ。
女遊びの激しかった次期アルフェンベルク伯爵は、最近迎えた新妻を溺愛している、と評判になった。心を入れ替え真面目になった、きっと素晴らしい妻に感化されたのだろうと。
余談だが、この結婚からアルフェンベルク伯爵家の使用人や近隣住民が行方不明になるようになったが、不確かな噂であり真偽はわからない。
確かなのは、ノエルナが愛する夫ととても幸せに暮らしているということだけである。




