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タイトル未定2025/07/02 15:57

挿絵(By みてみん)


 その1 手間替(てまが)


 忘れられない風景がある。

 水を張った田んぼに、苗を手にした村人が数人、横一列に並ぶ。前に、等間隔に印をつけた縄が渡されている。村人は一斉に苗を植え始める。その列が植え終わると、両端の人が縄を後ろにずらす。こうして、後退を続けながら、田植えは着々と進行する。

 田んぼは賑やか。冗談を言い合い、笑顔が絶えない。しかし、苗を植える動作には一糸の乱れもない。見事なチームワークだった。


「昔は、茶摘み、田植え、麦蒔きは、みんなで助け合うた。『手間替え』やな」

 長老は感無量の様子だ。手間替え! 何十年ぶりに聞く言葉だろうか。

 一家族だけでシコシコと農作業したのでは、日にちがかかり、時機を逸することもある。それに、効率も悪い。手間替えは農家の知恵から生まれた助け合いだったのだろう。



 その2 棚田米はなぜ美味(うま)


 山間部ゆえ、田んぼ棚田、畑は傾斜畑だった。

 田んぼの収穫量は多くなかった。

「水が冷たいからか、(ぶん)けつが少なかったのよ」

 婦人は稲作りの苦労を語る。

 分けつとは稲の根元から新しい茎が出ることをいう。

 平地ではザックリ、二〇本前後とされる。筆者の知り合いの田んぼでは一二本がやっとらしい。千足(せんぞく)はそこよりも標高が高いので、さらに分けつ数は少ないはずだ。


「でも、棚田で獲れたコメは美味しかったですよね」

 筆者の実感だった。

「確かに!」

 老夫婦は納得の表情だった。


 理由はいくつか挙げることができる。

 成分比などはその筋に任せるとして、昔は(かまど)でコメを炊いた。飯盒(はんごう)もしかりだ。その味と香りは、電気釜の及ぶところでない。

 それだけではない。あまり米食の機会がなかったことを差し引いても、平地のコメにはない何かがあったものと思われる。

 これは山の畑で獲れた野菜にも言えることだ。



 その3 人は踏まれて—


 畑については、金色に輝く麦の穂の印象が強烈だ。

 傾斜畑の土を掻き上げる様子も忘れがたい。

「麦蒔きには六本の歯がついたサラエで畑の土を掻き上げ、(うね)を立てて、麦を蒔いた」

 長老は苦しかった畑仕事を思い出している。つい、何か言葉をかけたくなった。

「麦蒔きの後には、麦踏みが待っていますよね」


 麦踏みは筆者が後年に得た知識だった。ああいう作業に憧れる。

 出てきた麦の芽を踏むことにより、生育を促進する方法である。ある意味、サディスティックで、人間社会にも通じる。人は踏まれて強くなる、とか。

「いやいや、山ではそんなことはせんかった」

 と婦人は言下に否定した。

「芽が出る時期に、こうやって、土をかぶせた」

 婦人は器用に両手で(ふるい)を揺すり、土を振りかけるジェスチャーをした。


 語るに落ちる。農作業の手伝いをほとんどしていなかったことを、白状したようなものだった。

 せっかく上げた土を踏みつければ、また下に寄ってしまう。踏みつけるどころか、千足では篩にかけた細かい土をかぶせていたとは、なんと優しい農法だろう。傾斜地農法には様々なノウハウが蓄積されているのだった。だてに国連の世界農業遺産に認定されていない。


 田んぼでも畑でも、牛は欠かせなかった。

「どこも牛を()うとったなあ。牛で()いて、土を掘り起こしてから、田んぼや畑作りが始まったのよ」

 長老の声は、牛に対する限りない愛情にあふれている。


 牛は家族の一員だった。市場に出される朝、哀しそうに鳴いた、という話は枚挙にいとまがない。

 牛は働き手であったばかりか、その糞は貴重な肥料になった。もっとも、野山の草や人の糞尿も農業に有効利用された。こうした循環型農法が、農家の熱い思いと相まって、あの味を生み出したのではないか。


 何もかもが自前だった。

 収入源は、炭焼き、たばこ栽培、牛の飼育、ほかに山菜のゼンマイ獲りくらい。主食・副食はもちろん味噌・醤油などの調味料も自家製だった。

「買うにも、お金がない時代だったからな」

 婦人はポツリと漏らした。



 その4 鬼婆やーい


 残念ながら、千足でもう、かつての田植えや麦蒔き風景をみる機会はない。家の周囲で細々と、野菜や茶を栽培するだけだ。

 今回のルポで三人の村人に会った。

 父親の従弟(いとこ)の奥さんとはあいさつだけになった。彼女は数年前、夫を亡くしてひとり暮らしている。どうしているか、心配だった。妻によると、電動四輪車に乗っていたらしい。山に生きる高齢者の必需品だ。

 皆さん、明るく、元気だった。寄る年波を感じさせないのは、筆者も同じように年輪を重ねてきたことにほかならない。


 最後に、とっておきのエピソードで座が盛り上がった。これも、虫干ししておきたいメモリーだ。


 筆者の祖母の妹に、一風変わった人がいた。裸足でイガ栗を()いた、とは聞いていた。その日常生活の一端が今回、明らかになった。 


 彼女はいつも草鞋(わらじ)を腰に()わいつけて、裸足で歩いていた。

 長老は七、八歳ころにみた光景を覚えていた。

「草鞋が減るのが、もったいなかったのだろう」

 と長老は心中を察する。

「旦那が、それは頑固者だったなあ」

 新たな情報だった。頭と足の違いはあれ、固さの点では似合いの夫婦と言えなくもない。


 真意はともかく、老婆が腰に草鞋をぶら下げ、イガ栗を素足で剝いていた——などというのは、ゾッとするほど魅力的だ。

 なぜ鬼婆伝説が生まれなかったのか、不思議でならない。彼女はもっと長く、村人の記憶の中で、生き続けることができたのに。


注:表題は、宇和島の段々畑を見た孫文の感嘆「耕して天に至る。ああ勤勉なるかな、貧なるかな」から拝借

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