Chapter 4:The Hazelnut Veil
「ここで合ってるよね?」
大通り沿いから一本中に入った通りにあるビルの前で困惑しながらスマホの地図と睨めっこしている。
もうすぐ19時になる繁華街は人通りが増えてきて、僕の後ろも沢山の人が通り過ぎていく。
普段足を踏み入れないエリアなだけになんとなく余所者感がして居心地が悪い。
今日は「今度ゆっくり話しをしよう」と伊織に言われ設定されたご飯会だ。
普段外食をほとんどしないため店のチョイスは伊織に任せたのだが、その店が2Fにあるということは看板が出ているので分かる…。
でも…。
何度見渡しても1階は別の飲食店の入口しかない。
「これ、どこから入るんだ?」
「あ、ハチ」
そんな感じでおどおどしていたら後ろから声がかかり、振り返るとキャップを深めに被った伊織が小走りでこっちへやって来た。
「いーくん、良かった。どこから入ればいいのか分からなくて…」
「あー。確かにここ分かりにくいよな。もっとちゃんと説明しておけば良かったな」
そう言いながらビルとビルの間にある階段を軽快に音を立てて登っていく伊織の後をついて行った。
白い木製のガラス扉を開けるとカンツォーネが聞こえ、一気にイタリアの空気に包まれた。
ビルの中とは思えない程広々とした空間の真ん中に高さはそれ程でも無いが、幹が太く、枝を大きく広げたオリーブの木があり、客席はそれを囲むように配置してある。
すでにほとんどの席が埋まっている店内は適度に騒ついていて、時折聞こえてくる店員の声も活気があり居心地がいい。
ゆったりと配置されているテーブル席の横を通り奥へ行くと個室があり、そこへ案内された。
「とりあえずお疲れ様と、ハチとの再会に乾杯〜」
伊織のその言葉でお互いグラスを合わせる。
一口飲んで飲みやすさにびっくりした。スッキリとして口当たりもいい。
そんな僕の反応を見て、伊織が嬉しそうにイタリアのモレッティというビールだって教えてくれる。
最近ハマってるらしく、この店にもよく来てるみたい。
楽しそうな伊織を見て、僕も笑みが溢れる。
伊織がビールと一緒に頼んでくれたハムやチーズを摘みながら、2人でスマホに表示したメニューを覗き込む。
「ハチ、何か食べたいものあったら指さして」
伊織がゆっくりとメニューをスクロールしていく。
そんな伊織を見ながら、久しぶりに会ったとは思えない空気感が嬉しくてニヤニヤが止まらない。
東京で生まれ育って、中学、高校の6年間はこっちで過ごした。もともと社交的なタイプでもないし、小学校の時のイジメが尾を引いていたのか友達は少なかった。だから学生時代の記憶も怪しい。
密度の濃い大阪の専門学校時代の友達は各地へ散らばっているのでたまに連絡を取るぐらいだ。
なので、友達とご飯を食べに行く事自体が久しぶりで妙に浮かれている気がする。
「ん?ハチ?なんでもいいなら適当に頼むぞ?」
スマホの画面から顔を上げ、訝しげに伊織がこちらを見るので、慌ててスマホを覗き込んだ。
テーブルの上に所狭しと並んだ料理はどれも美味しそうで順番に箸を付けていく。
お互いお腹が空いていたみたいで、とりあえず話しよりも食べる方を優先した。
そんななかでも伊織が「これ美味しいよ」と色々と進めてくれるので、いつも以上に食も酒も進んだ。
「ハチはあの時引っ越してからずっとこっちに住んでるの?」
あらかた食べ終わり、お酒を飲みながらまったりしていたら伊織が質問してきた。
「そうだね。専門学校は大阪だったけど、それ以外はずっとかな」
いつの間にか伊織が手に持っているお酒がビールから白ワインに変わっていたが、それに気付かないって事は僕もかなり酔ってるかもな。
そう自覚して、ソフトドリンクを注文した。
伊織はもっと話してって感じでタイミングよく相槌を打って、とっても楽しそうだ。
聞き上手で、僕はいつもあまり自分から喋ることなんてしないが、色んなことを聞いて欲しいって気になる。
「専門学校を卒業して、最初は技術を身につけようと思って父さんが働いているホテルにパティシエとして入ったんだけど、やっぱり自分の店を持ちたいなって思いが出てきたから街中のパティスリーに移ったんだ。そこで店をどう回していくのかっていうノウハウを学んで、今年の春にようやく自分の店をオープンさせたところ」
「そうなんだ。ハチはしっかりした大人になったんだな。もう俺の助けなんて必要ないか…」
ハッとして向かいを見ると、さっきまでの笑顔がどこか淋しげな表情に変わっていた。
「昔はよく助けてもらったよね。いつもいーくんが来てくれると安心したし嬉しかったな。今でも何かあったら助けてくれる?」
伊織を覗き込むように見つめると、途端に嬉しそうな笑顔になりこっちまでつられて笑顔になる。
なんかこんなのんびりした時間って本当に久しぶりだ。
長い間会ってなかったのが嘘のようで、小学校の頃の距離感に戻ってる。
なんだか心がくすぐったい。
「いーくんは?今も東京に住んでるんだよね?」
そもそも、伊織がどうしてここに居るのか。それに、僕も伊織のこれまでの事が聞きたかった。
学生時代、まだ両親と一緒に住んでいた時は母親同士が連絡を取っていたのは何となく知っていた。
もし引っ越したりしていたら教えてくれただろうから今も東京に住んでいるんだとは思うけど…。
「週の大半はこっちに住んでるよ。週末は東京に戻ることが多いけどね」
「うん?いーくん、なんの仕事してるの?」
どう見てもビジネスマンには見えない。
あまりにも変な顔をしていたのか、向かいから笑い声が聞こえてきた。
「週末にモデルの仕事をして、平日はこっちでラジオのDJをしてるよ」
想像もしていなかった答えにぽかんとしてしまった。
確かに男の僕から見てもカッコいいけど…モデルにラジオDJ?
「雑誌やテレビにも出てるし、ラジオはこの4月から平日の帯番組もやってるんだけど…。ハチの目には止まらなかったか…」
「え?あっ、ごめん…。僕、そういうのに疎くて…」
僕の一言で明らかにしょぼんと肩を落とし俯く伊織を見て慌ててフォローするが…。
肩が震えてる…?
そんなに?
「今度調べてみる…」
「ハハハッ。ごめん、ハチの反応が素直すぎてちょっと揶揄ってみただけ」
かなり焦ったが、こう言うやり取りも久しぶりですごく楽しい。
時間があっという間に過ぎていき、気付いたら23時を回っていた。
もっと色んなことを話したいけど、流石に明日も仕事がある伊織を引き止めるのはと思い、そろそろ…と口を開きかけた時。
「ハチ、またご飯誘っていい?」
「もちろん」
間髪入れず返事をしていた。
こっちから言おうと思ってたことを伊織が口にして、びっくりしたがそれ以上に嬉しさが勝った。
まだまだ話したいことはたくさんある。
あれから1週間経つが、すでに2回も一緒にご飯を食べに行ってる。
この前みたいに長い時間ではなく、一緒に晩御飯を食べて、食べ終わったらすぐ解散って感じだ。
短い時間でも食べながらする何気ない会話が楽しいし、居心地が良かった。
休憩時間、お昼を食べ終わってコーヒーを飲みながらソファーでスマホを触っていたら、橘が事務所に入ってきた。
どうやら今から休憩を取るようだ。
「なにか良いことあったんですか?」
「え?」
冷蔵庫からコンビニ弁当を取り出してレンジにかけながら橘がそんなことを聞いてきた。
最近ずっとニコニコと笑みを浮かべているから、何かあったんだろうと思いつつも聞くタイミングがなかったらしい。
「そんなに分かりやすい?」
「ハチさんって何考えてるかすぐ顔に出ますしね」
どうやら分かりやすく浮かれていたらしい。
今日も仕事が終わったら伊織とご飯を食べに行く約束をしている。
さっき橘が入ってきたタイミングで今日の店の詳細がメールで送られてきたから、うん、タイミングが悪かった…。
別に話せない内容でもないからいいんだけど、そんなことで浮かれてると思われるのも…恥ずかしいというか、なんというか複雑な気持ちになる。
「そろそろ戻るね、朔久くんはゆっくり休憩取って」
残っていたコーヒーを飲み干して工房へ戻った。
無事に今日予定していた作業も終わり、工房の片付けも終えた。
後は戸締りをするだけ。
橘はこの後予定があるからと、サクッと帰って行った。
静まり返った工房を見渡し、溜息を吐く。
工房の片付けをする前に伊織にメールをしたが返信がない。
いつもなら「1時間後に」とメールをすると「了解!」と一言だが返信が来る。だが、今日は既読にすらならない。
なんか嫌な予感がするが、口に出したら本当になるっていうし…。
そんな思いを飲み込み、別の方へと思考を巡らせる。
「多分、仕事が忙しいだけ…だよね」
そうだよ、何か急な仕事が入って連絡が出来ないだけだ。
自分の中でそう答えを出し、工房の明かりを消した。
自宅へ移動し、リビングの明かりを点けるとソファーにどさっと崩れ落ちた。
ポケットからスマホを取り出し画面を見るが、まだ連絡はない。
画面のトークアプリをタップして伊織のページを開くと、一瞬躊躇ったが意を決して通話ボタンをタップする。
………
コール音は鳴るが、出る気配はない。
さっき送ったメッセージも未読のままだ。
悪い考えばかりが浮かび、それが頭の中にどんどん溜まっていく。落ち着かなくて、さっきからメッセージアプリを立ち上げては閉じる…を繰り返している。
再度通話ボタンを押そうとメッセージアプリを立ち上げるが、さっきの通話キャンセルの表示から数分しか経っていないことに気付き、またしてもアプリを閉じた。
シーンと静まり返った部屋の空気が重苦しく感じて余計に気分が落ちていく。
自分の溜息がやたら大きく聞こえ不安が募る。
「仕事が忙しくて連絡が出来ないだけだよ」
自分自身に言い聞かせるように、あえて声に出して呟いた。
静かな部屋に声が吸い込まれていく。
「……ぅん?」
手に持っていたスマホの着信に慌てて飛び起きた。画面を確認すると伊織からで、焦りながらも通話ボタンをスライドした。
『ハチ、連絡遅くなってごめんな。ちょっとトラブルがあって…』
「え?トラブルって…。いーくん、何があったの?大丈夫?」
待ち焦がれていた相手の声が聞こえて安堵したものの、耳に入ってくる言葉の不穏な響きにまたしても不安が募る。
ふと、部屋の時計が目に入ったがその時間にびっくりした。
え?22時15分?
伊織と通話しながらも周りを見渡し状況確認するが、どうやら連絡を待っている間にソファーで寝てしまったようだ。
僕が色々と考え事をしてる間も、伊織は何があったのかトラブルの詳細を説明してくれる。
「えっ?火事って…」
とりあえず、こうやって話しができてるから無事なのは分かるんだけど怪我とか大丈夫なの?
心臓に悪すぎなんだけど…。
どうやら伊織は局にいたため怪我とかは一切なかったそうで、それを聞いてホッとした。
火元は隣の部屋で、もう鎮火はしたけど消化活動の影響で部屋の一部が水浸しになって帰れないそうだ。まだ部屋に入っていないが臭いも酷いだろうって言われたらしい。
伊織の部屋ではなかったとはいえ、燃え広がっていたら…と思うと血の気が引いた。
さっきまでは東京から急遽こっちへ飛んできたマネージャーと一緒に今後について話しをしていて、取り敢えず落ち着くまではホテルに泊まるって事で今はタクシーで移動中だって教えてくれた。
「それなら、ホテルに泊まるよりうちにおいでよ」
考えるよりも先に口から言葉が出ていた。
「いーくん、うちに泊まったらいいよ」
『でも…。ハチに迷惑は掛けられない』
声色から本当に迷惑かけたく無いんだって言うことが伝わってくるが、どうしてもうちに泊まって欲しかった。
何よりも僕が伊織の顔を見て安心したかったのもあるんだと思う。
それに…。
「友達が困ってたら助けるのは当然でしょ?僕だっていーくんを助けたい」
少し逡巡していたのか無言が続いた後、スマホの向こうから伊織が溜息を吐いたのが分かった。
『ハチ…。ありがとうな』
「いーくん、いってくるね。戸締りお願いします」
「ん、了解。いってらっしゃい」
まだキッチンでのんびり朝ごはんを食べている同居人に向かって挨拶をし、仕事をするために隣の工房へ向かった。
玄関を出てドアを閉めると笑みが溢れる。
「いってらっしゃい」なんて言われたの、いつぶりだろう。なんだか心がぽかぽかと春のように温かい。
でも、季節は確実に進んでいて、11月も下旬になると朝晩の空気は完全に冬だ。昼間は陽射しのおかげでまだ過ごしやすいが…。
秋の高い空を見上げると今日も見事に晴れ渡っている。大きく伸びをし、深呼吸をしてから工房までのわずか数メートルを歩いて行く。
今日の伊織はようやく安心してぐっすりと眠れたのか、いつもの元気な伊織だった。
先日の火事騒動の後にうちへやって来たときは、疲れ切った顔をしていてすぐにでも休ませてあげないとと気が気でなかった。
伊織自身も状況を整理するのに一杯一杯だと思うのに、移動するタクシーの中で僕のことを説明してくれていた。到着してマネージャーさんに「幼馴染だとお聞きしました。すみませんがお願いします」と丁寧に頭を下げられた時は、アワアワと挙動不審な態度を取ってしまいとても恥ずかしかった。
そんな僕を見て伊織は笑ったが、大変なことがあってずっと緊張しっぱなしだっただろう伊織の笑顔が見れてホッとした。
次の日は前日の疲れのせいなのか、僕が仕事に行く時はまだ寝ていたので顔を合わせなかった。
メールで『泊めてくれてありがとう。今日の番組後にすぐ東京に戻らないといけないから、日曜の夜にこっちに寄るな。その時に改めてお礼を言わせて』と送られてきたのを見て、嬉しいがどことなく寂しさも感じた。
多分、伊織はうちを出ていってしまうだろう。火事の日の夜ですらうちに来るのを躊躇ったぐらいだ。これ以上は迷惑を掛けれないと言う伊織の姿が簡単に想像できた。
僕としてはもっと頼ってくれて良いのにって思う。昔助けてもらったことはもちろんだが、友達なんだから大変な時は力になりたい。
それ以上に、もっと伊織と話しをしたかった。
再会してからまだそんなに経ってはいないが、毎日が楽しくて充実していた。だからなのか、仕事もいつも以上にやる気が出て、先日橘に「最近のハチさんは楽しそうですね」って言われたぐらい。
だから、日曜日の夜に「使わない部屋は傷んでしまうから出来れば使って欲しいんだ」とか、色んな理由を並べて伊織を説得?口説き落として同居することに決まった時は「僕、よくやった!」って心の中で褒めたよね。
確かに部屋は余ってたし、使ってない部屋は順番に物置になっていっちゃって困ってはいたんだけど…。
本当は一緒にいると楽しいからってことは内緒にした。
それに「いってらっしゃい、おかえりなさい」って言える相手が家にいるのがこんなに嬉しいなんて。
思い出しただけで口元が緩み、ついつい締まりのない顔になってしまう。
ダメだ、こんなに浮ついてたらミスしそう。
気合いを入れるため、両手で自分の頬を軽く叩いた。
「ハチさん、何してるんですか?」
「へ?」
後ろから掛けられた声にビックリして変な声が出てしまった。
振り返ると出勤してきた橘がコンビニのビニール袋を手に下げ、不思議そうにこっちを見ていた。
「あっ…。朔久くん、おはよう」
「おはようございます。寒いんですから早く中に入りますよ」
さっきの僕のことなんて無かったかのように横を通り抜け工房へ入っていった。
そんな背中を慌てて追って、僕も工房へ入った。
話しをどこで区切るか迷って結局こうなりました…
あそこで切ると短くなるし…
ここはこっちに入れちゃった方が…とか迷いに迷ってどツボにハマった感じです…




