9話 誤解です!
人類の勘違いスキルの力を、なめていた。
部活後帰宅した途端、母親から「美乃里ちゃんが、至急連絡くれですって。電話折り返してって」とせっつかれて、玄関に荷物を放って家の電話で彼女のスマホを鳴らした。
『ちょっと聞いたよーあんたー!』
大興奮であった。耳が壊れるかと思った。咄嗟に受話器を離した自分を褒めてやりたい。
階段に座り直して、彼女の興奮がおさまるのを待とうとしたが、待つ前に機関銃のようにまくしたてられた。
『三年の円堂先輩と付き合ってる、ですってー!? あの先輩、超有名人じゃん! もう一気に噂広がってるよ! 今日、うちの部でも帰りはその話で持ち切りでさ! 信じられないって泣いてる先輩までいたんだから! 伝説らしいよ、あの円堂先輩、どんな人から告られても突っぱねる冷徹の貴公子ってあだ名まで三年のなかじゃあるらしいのに! そのあだ名もなんなんだとは思うけどさ! それよりなにより、あんたと円堂先輩が噂になってるってことのほうが、なんなんだ通り越しておもしろ過ぎるわ!』
ひと呼吸も返事も相槌も打てない勢いで言われたが、要は美乃里ちゃんはまったくその噂を信じてなくておもしろがっているということを伝えたかったらしい。
「はぁ」
なぜ、円堂先輩とお付きあいしていることになるのだ。部活動を一緒に過ごしただけなのに。なぜ、肝心の誠司くんとは噂のひとつも流れないのだ。彼の部屋でふたりっきりで過ごしたことさえあるのに。あ、目撃者がいないからなのか?
『明日は、荒れるよー?』
美乃里ちゃんは、とっても楽しそうにそれだけ言うと、すぐに通話を切ってしまった。言いたいこと言って満足したらしい。
「荒れるって、そんな大げさな」
ツーツーと機械音だけ流れる受話器を眺めた。
とにかく、先輩とはなんでもないのだから、なんの問題もない。
ただ、誠司くんの耳にまで入ったら、嫌だなとは思う。まるで浮気みたいじゃないか。ていうか、どちらとも何も始まっていないんだけど。
そんなことを悠長に考えながら、キッチンにアイスを取りに向かった。
私はまだまだ、呑気すぎる子供だった。
**
翌朝、学校への登校中、同じクラスメイトだけでなく別のクラスの子たちに囲まれる状態になった。みんな大興奮である。まったくしゃべったことのない顔ぶれにまで、根掘り葉掘り質問攻めである。でもみんな、私のキャラをなんとなく知っているためか、「やっぱりね!」「逆に残念」と、単なる噂であることをすぐ理解してくれた。
学校に着いてから、ガラッと空気がかわった。靴箱に、あきらかに上級生と思われる人たちがたむろしていた。
「どれ?」と、私たち一年生のかたまりを物色しているような、あからさまな視線をぶつけてくる。さっきまで、きゃあきゃあと騒いでいた私たちは、居心地悪くその視線の中、上靴に履き替え逃げるように教室に向かう。
休み時間のたびに、二年生、三年生が廊下をうろついてまるで犯人探しでもしているような殺気だった。
美乃里ちゃんが、そっと耳打ちする。
「上級生は必死だねー。あんたのキャラを知らないから、噂信じきってるねー」
そうなのだ。一年生は二時間目が始まる前にはすでに落ち着いたのだ。田舎町で半数が小学校から上がってきた者同士、私を知る人たちは最初、このおもしろすぎるネタに乗っかって大騒ぎしただけであって、すぐに元通りになった。
だけど、上級生たちにそれは通用しない。どうしたものか。
部活の先輩たちに呼ばれたクラスメイトが廊下に出て、やむなくという感じで、わたしに視線を向けている。どの子だと、言われたに違いなく、先輩たちの好奇の目が降り注ぐ。
「よりによって、円堂先輩だからなー。あんたもついてないねえ」
美乃里ちゃんが、わたしに向かって合掌してくる。
「部活が一緒なだけなのに」
「弁当ふたりっきりで食べてたんでしょ? そんなのカップルじゃん」
たまたま合流して食べても、アウトだったらしい。
「はぁ、やだなあ。誠司くんに変に思われてたらどーしよ」
一番はそこである。気の多いヤツだと勘違いされたら困る。こんなに一途に思っているのに。
「そりゃ大丈夫でしょ」
机に伏せった私の頭をポンポンと叩きながら、美乃里ちゃんは慰めてくれた。
「あの鈍感ニブチン男は、あんたのことなんて気にも止めてないだろうよ」
……まったく慰めにはなっていないけど。
**
基本、美乃里ちゃんが常にくっついていてくれてたので、何も起こらなかったけど、バスケ部の彼女と部活でわかれた途端、上級生たちに囲まれてしまった。
美術室に向かう渡り廊下で待ち伏せされていたので、数少ない部員のなかからチェックしていってたのかもしれない。
さすがに怖い。敵意向き出しで睨まれ囲まれてしまって、こわばった足が動かせない。
渡り廊下の向こうでは、野次馬もできているが、おもしろがっているようだ。
「あんた、美術部の一年?」
ひとりの先輩が、忌々しそうに口火を切った。
「……はい」
「うっわ、マジ」
途端に先輩たちが笑いだした。
そのバカにされたような笑い方に、失せていた血の気が煮えたぎるほど熱くなった。
なぜ、そんなふうに笑われなければならないんだ、と。
「すっごいショックー。ただのガキじゃん」
「なに、金でも積んでんじゃない?」
「こっわー」
耳から飛び込むすべてが、信じられないくらい汚くて、泣きたくないのにジワリと目頭が揺れてしまう。
「ねえねえ、美術部やめてくんない? すんごい迷惑」
「円堂くんの視界に入んな、邪魔」
たまたま部活が一緒なだけなのに。たまたま弁当を並んで食べただけなのに。なんで、こんなに悪意をぶつけられなければならないの。
「……やめません」
怒りで震えている自分の拳だけを見ていた。けど、その視線を上にあげた。
見たことのない顔。しゃべったこともない顔。知らないひとたちを、しっかり睨み返した。
「やめません」
言い返してくるとは思ってなかったのか、先輩たちは目を見開いている。
「むしろ、絶対やめません!」
汗はどっどとあちこちから噴き出ている。あまりの熱さに、煮えたぎる血が噴き出してるような気さえする。こんなに気持ちを抑えられないことがはじめてで、どうすればいいのかわからなかった。
「うわー、本性あらわした!」
「すっげー生意気、なにコイツ!」
先輩たちの怒りも爆発したようだ。ほうぼうから罵られ詰め寄られ、逃げ場がなくなった。
ドンッと肩を押されて、弾みで後退すれば、うしろの先輩からも頭を小突かれた。
耳鳴りがするほど、何も聞こえなくなった。先輩たちの声を遮断するように、何も感じないように、まるで石になったみたいに固まった。
ふいに、先輩たちの動きが止まった。視界の先に、なにか茶色い物体が飛び込んできたのと同時に。
ひとりの先輩にぶつかったそれは、ぼとりと床に落ちる。騒ぐ先輩たちの視線の先を追えば、オレンジ色が飛び込んできた。部活着に着替えている誠司くんが、笑って立っていた。
「あ、すいませーん! キャッチボールして遊んでたもんで。な?」
誠司くんは、すぐうしろに隠れるようにして立つ野球部員に振り返っている。
「はあ? ふざけんな、どこで何投げて遊んでんだよ」
先輩たちの足元には、グローブが落ちていた。誠司くんは「すんませーん」と笑いながら、グローブを拾い上げると、ちらりと私に視線を投げてきた。
「あれ、羽馬、ここにいたのか。お前、部活の先輩が探してたぞ」
「え?」
それだけ言うと、さっさと野球部員の元にかけよって、グローブを押し付けて消えていってしまった。
さっきまで殺気立っていた先輩たちも、“部活の先輩”という単語に反応してか、すぐに散らばっていなくなってしまった。
あっという間の、出来事だった。