7話 一番近くにいたいです
夏休みはもう半分を過ぎてしまっている。夏休み前は、あんなに嫌がっていたのに今はどうだ。新学期が目の前をチラついていることに怯えている。とにもかくにも、ふたりっきりで会う、上手くいって遊ぶ、の課題をクリアしておきたい。
四人それぞれの部活の都合を擦り合わせて行われる、不定期の宿題やろう会も十七時にはお開きとなる。図書館前で解散となって、私は美乃里ちゃんに敬礼してすぐ誠司くんの背中を追っかけた。
まだ夕暮れというには明るく、蝉の鳴き声もうだるような熱気も健在だ。
「誠司くん、待って!」
少し走っただけで、おでこから汗が噴き出る。誠司くんは水筒を呷りながら振り返った。
「羽馬? どした?」
「い、一緒に帰ろうっ!」
息が整うのも待てずにお願いした。熱意が通じたのか、ジリッと後退したものの誠司くんは「おう」っと、蝉の鳴き声に負けるほどのか細い返事をくれた。私の聴覚が誠司くん特化型じゃなかったら、聞き逃していたことだろう、あぶないところだった。
「宿題、もう終わっちゃったね」
「そうだな」
「夏休み、まだまだあるのにね」
「やればできるな、俺ら」
そういうことではない。
ダメだ、遠回しに言っても通じないんだから、もっとちゃんとガツンと言おう。
「夏休み中に、もっと誠司くんと会いたい」
「……お前……」
案の定、彼の顔はみるみると赤く染まっていった。
「ふたりっきりで会いたい! そんであわよくば、五年後にできるっていうでっかい遊園地にも一緒に行きたいと思ってる! ふたりで!」
「わー! 声でかい! もう言うな!」
身長変わらないのに歩幅が急に大きくなった誠司くんを、追うために小走りになる。
もう少ししっかりと、日数的なことも具体的な案もちゃんと伝えたかったけども、もう言うなと言われてしまったどうしよう。一回ぽっきりになったりしたら、やだな。どさくさに紛れて願望詰め込んじゃったし。要点分かりづらかったかな、どうしようか。
手段を考えていたら、ピタンと誠司くんが立ち止まって、危うく背中にぶつかるところであった。
「でもさ、夏休みの後半、練習試合やら試合やら目白押しなんだよな部活」
「えー!」
やっぱりテニス部に入るべきだったのかっ。一緒にいるチャンスが奪われるんだな、こういう時に!
しっかり拝めるかなと思って美術部に入ったけど、遠目でしか見れない。しかも動きまわっているから細部を目に焼き付けることも難しくて、“眩い”課題すら終わってないのだ。
ショックすぎて急に足腰に力が入らなくなる。立ちくらみしてヘロヘロと地面にお尻を着地させようとしたところで、ガシッと片腕がホールドされた。誠司くんが、誠司くんの腕が、私の腕に絡まっているっ。どういうことだ、急に腕を組むというボーナスポイントが与えられたんですけど!?
「え! な? へ?」
「さっき走ってバテたのか?」
「あ、いや、ちょっとショックがデカくって……部活という厚い壁にやられて」
「そんな気もした、タイミング的に」
完全に呆れた表情で見おろされている。教科書で見本絵となるくらい、見事な呆れ顔だ。
クイッと腕を引っ張り上げられる仕草をされて、私も生まれたての小鹿なみの脚力に喝を入れる。
「羽馬」
「はい?」
「俺とそんなにいたいか?」
「はい、ぜひ!」
「会ってなにすんだよ」
「なんもしなくていいです! 会いたいだけでっす!」
「ふーん……」
誠司くんはしばし考えたのち、ちらりと私に視線を投げた。
「じゃあ、今度の水曜日の午後、本当は幸太とゲームで遊ぶ予定だったけど、くるか?」
「いく! 幸太くんのかわりにゲームしまっす!」
「わーった。そんなんでいいなら、遊ぼうぜ」
「やったー!」
さっきの小鹿の脚力はどうしたのかというくらい、カンガルー超えのジャンプを披露してみせた。
誠司くんが、クシャリと笑顔になったような気がするけど、すぐ反対側を向いてしまってわからなくなった。
**
なんと、二度とチャンスがないと思われていた誠司くんのお部屋へ、上がり込むことができた。
午前中は部活だったため、昨夜キッチンを貸し切って、とっておきのクッキーを作って持ってきた。
お菓子作りが得意なわけでもないし、まだ作り始めて半年の初心者だけど、誠司くんと、そのご家族に喜んでもらいたい一心で作っている。
彼の家の玄関で、いつも迎えてくれるお母様にもクッキーを渡すために準備をしてきたけど姿が見えなくて、目の前でさっさと階段を上ろうとする誠司くんに「待った」をかけた。
「この時間は仕事行ってる」
こころなしか、振り向いた誠司くんに睨まれている気がする。
「そうなの?」
「いいか、変な気起こすなよ。ヘタなことしたらソッコー追い出すからな!」
階段を壊す気なのかというくらいダンダンッと力強く足音をたてながら、二階に上がっていってしまった。
「変な、気?」
なにもしてないのに、すでになにか怒られたらしい。相変わらず、猫よりも思考が読めない彼である。
彼の部屋の中央に、小さなテーブルが出されてあった。その上にポータブルゲーム機が二台置いてあって、ゲームをする気満々のようだ。
そこに向かい合うように座って、ゲームを始められる前に、クッキーを渡すことにした。
「お前、もう作ってこなくていいってば」
そう言うわりには、包みを広げてくれている。
「作らないと落ち着かないんだから許して。あ、こっちの袋はご家族用です。渡してね」
「この、ハート型、そっちに入れてないだろな」
「そこは抜かりなくやってるから。全部丸形にしておいたよ」
「じゃあ、こっちも丸形にしてくれ」
「ダメだよ。自分に嘘はつけないから」
「……」
誠司くんは口に放ったクッキーをモグモグとしながら、無言で立ち上がった。エアコンのスイッチを押して、温度を上げたか下げたかしたようだ。
「……あっちー。てか、水分持ってかれる。茶持ってくる」
そう言って、あっという間に部屋から消えてしまった。
なかなかゆっくり誠司くんと向き合って座る時間を堪能できない。
失敗した。夏にクッキーはタブーだったか。ゼリーとかにしようかな今度。
あ、そういえばこのクッキーに書いたアルファベットを並べたら、誠司くんの名前になること言い忘れた。いや、あえて言わずに気付いてもらって驚かせるほうが楽しいかな。
「おい、なに、やましいこと企んでるんだ」
部屋の入口に、戻ってきた誠司くんが麦茶とコップを持って立ちすくんでいた。
「え? なにも!」
どうやら、表情になにかしら出ていたみたいだ。アルファベットのことを悟られないようにしなければ。
「あ、そうそう、交換日記持ってきたよ、はい」
手提げかばんからノートを出してテーブルに置くと、誠司くんもやっと腰をおろして麦茶を置いた。
「情報交換ノートな」
「はいはい、交換ノートです」
ページを開いて見せれば、誠司くんは覗き込みながらお茶をコップに注いでくれた。
「なんだこの、質問一覧は」
「誠司くんの好みをしっかり把握しておかないと」
「この、“好きなお菓子ランキング”とか“好きな動物ランキング“とかは、まだわかる。……なんだこの“女の子の好きなタイプや髪型服装、詳細書き込み欄”っちゅーのは」
「気にしない気にしない、上から流れで気楽に回答してくれればいいから」
「するかっ」
うーむ、そろそろ本格的に、かつ自然にデータを取ろうと思ったけど、さすが鉄壁の誠司くんである。
「てかさ、俺への質問とかじゃなくて、もっと自分のこと書けよ」
「え?」
「これじゃ、本当に情報交換どころか、情報流出ノートじゃねーか」
「おお! うまいこと言う」
「あほ」
誠司くんはコップのお茶を、喉を鳴らしながら一気に飲み干した。
「羽馬のほうが、交換日記する気ねーんだろ」
ポータブルゲーム機に手を伸ばして、なにやら操作をし始めると、私にもう一台を押し付けてくる。
「え、誠司くん。私と、交換日記してくれようとしてたの?」
私が感動で思わず中腰になり、前のめりで問えば、誠司くんは綺麗にくるりと背中を向けてしまった。
「ちげーよ! 情報流出ノートになってることが怖いって話だよ! ほら、ゲーム始まったぞ!」
テーブル上のゲーム機の画面が、対戦開始のお知らせをしていた。