6話 的確すぎる
「きゃーん!」
「キャーンじゃないわ! このバカチンが!」
地元の駅に戻ってきて解散となり、各々の帰路につきはじめた矢先に背後からタックルしてきた美乃里ちゃんに、本日起こった人生の頂点話を嬉々として報告したところ、なぜか怒られたところだ。
「え! だって、特別って言われたんだよ? 私は誰よりも誠司くんのそばにいるってことじゃん。しかもしかも、そのあと、照れくさそうに交換日記出してくれてさっ。ちゃんと持ってきてくれてたんだよ、あの小さなリュックに詰め込んで」
「千香子はこれだから千香子なんだよ。なんで逆に言い負かされて帰ってきてんだ。上手く“付き合わないでいいだろ”ってあしらわれたんだよそれ」
「ほえー?」
確かに結果的には、お付き合いするという状態にはなれないとわかったけれど、あの恥ずかしがり屋な誠司くんの限界ギリギリラインに立たせてもらえてるのがわかって、嬉しいしかないんだけどな。
「千香子いいか」
美乃里ちゃんが両肩をガシッと掴んで揺すってきた。
「アイツは特別とは言ってない。千香子と一番仲良くしてるというのは間違いないけど、いい? あのカタブツの昔気質の時代錯誤な硬派にとっちゃ、あんたみたいにイケイケドンドンじゃないと仲良くできないだけ。あと交換日記は、変に真面目な正確ゆえに律儀に持ってきただけだよ、学校で渡すより外野の視線にさらされないからね!」
「お、おう……」
説得力のかたまりすぎて、なにも反論できない。言われてみればそうであった。
ああ、なんて難しいんだ。誠司くんを解読する参考書を売って欲しいもんだ。
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なんやかんやで夏休みが、日めくりカレンダーを秒速で捲り破っているぐらいの勢いで過ぎていく。誠司くんとの関係にまったく進展はないのに。
確かに、学校以外の場所でも会う機会は与えてもらえた、ポロポロと。でもそれは美乃里ちゃんや幸太くんと四人で、宿題を終わらせるために市立図書館へ集合というもので。まったく特別感がない。いや、私の欲が強すぎるだけか。よくよく考えれば、机隔てただけの向こう側にいる距離で拝めていること自体、たぶん、きっと、私以外いないだろうし。……美乃里ちゃんも該当するけど。
日陰とはいえ、真夏のグラウンドはとても暑い。目の前のテニスコートで練習しているテニス部員や誠司くんを尊敬する。彼らは常に声出ししながら全力でラケットを振り小さなボールを追っている。
暑さで思考もバラバラで、色々思い悩みたいのに眩しい誠司くんを追うことに夢中になるしで、そして結局それだけで満足してしまう。
「どう? 進んでる?」
「あ、円堂先輩」
白シャツも眩しく、真夏を跳ね飛ばすような爽やかな笑顔で、先輩が私の手元を覗き込んできた。
美術部の夏休み課題が“眩しいもの”で、黒鉛筆のみを使って表現せよ、というものだ。
きっと顧問の先生は、黒で陰影の付け方や眩さの表現を練習させようという意図なんだろうけど、私はどストレートに“眩いものそれは峯森誠司”として提出するつもりだ。
円堂先輩は、私の横に並ぶようにしてコンクリートに腰をおろしてきた。
「やっぱり、期待を裏切らないね。これ、彼でしょ?」
先輩は、テニスコートにいる誠司くんを手元で小さく指差している。
「えへへ。でも難しくて。どの瞬間を描こうか悩んでしまって」
「そっか」
「先輩のほうは進んでますか?」
二年、三年生は夏休み明けの体育祭用垂れ幕に取り掛かっている。だからなにげに美術部も夏休みはビッチリ活動しているのだ。一年生はまだゆるいスケジュールだけど。
「今は下書きが終わったところかな。ちょっと息抜きしに出てきちゃった」
先輩はペロッと舌を出してみせる。ちょっと意外にいたずらっ子みたいに見えた。
「大変そうですもんね。人数少ないですしね」
「羽馬さんのその課題終わったら、手伝って欲しいよ」
「あ、そんなに窮地なんですね」
二、三年生合わせても五人しかいないのだ。想像して笑ってしまったが、先輩も笑っている。
「あ、今、彼こっち見てたよ」
「え? 誠司くんですか?」
パッとコートに視線を戻すも、残念ながらちょうど向こう側に歩いていくうしろ姿だった。
動く誠司くんの正面がなかなか拝めないので、手元のスケッチも止まってしまっているのだ、もったいないことをした。
「気になるんだろね」
「そりゃあ、スケッチが進みませんもん」
「ううん、そうじゃなくて、ね」
「ん?」
先輩はニコッと微笑み返すだけで、なんだか濁されたようだ。
両手を後ろについて、長い脚を前に伸ばしてリラックスしはじめた。
「羽馬さん、どう? 彼とは進展した?」
「うーむ、それなんですよー」
さっき暑さで霧散しかけていた思考をまとめようと、相談に乗ってもらうことにした。やっぱり女子力低い自分には、美乃里ちゃんでも手に負えないような男の子相手にするのは難がありすぎる。
先輩は静かにふむふむと何度も相槌を打ってくれて、少し黙った。
「……きっかけが必要なんだろうね、なんか背中をドンと押すような」
「きっかけですか? わりとここぞとばかりに攻めてるつもりなんですけど」
「ははっ、羽馬さんはね。じゃなくて、峯森くんのほうだよ」
「誠司くん、ですか?」
彼に“きっかけ”なぞ必要なのだろうか。きっかけの前に私をまず好きになってもらわなければ、話ははじまらないのに。しかもその、好きになってもらえるチャンスなんてこの先起こる気がしない。会っても宿題にしか取り掛かってないから。
「彼から動き出すことは期待できそうにないから、羽馬さんがやっぱり動くしかないよね」
「ですよね!」
さすがふたつも年上だと、私のつたない報告だけで、現状を把握してくださる。まさにそうなのだ。彼からの何かしらな変化や動きを待ってたら、これまたあっという間に卒業式を迎えてしまうんだ。
「どうしたらいいと思いますっ?」
膝上のスケッチブックを横に放って、先輩へと向き直った。
「うーん。あんまり変わったことはしないほうがいいかな。とにかく、羽馬さんはストレートに伝え続けるべきかな」
「え、それじゃあ、今までと変わりませんよーぉ」
「ちゃんと言った? 夏休み、ふたりっきりで会いたいって」
「あ!」
カミナリに打たれたような閃光が頭に飛び込んだ。
そうだ。ふたりっきりが希望なのに、私はちゃんと伝えてない気がする。それが一番望んでいることなのに。確かに、会うことについてはイエスと応えてくれたけど、あの照れ屋さんが自らふたりっきりで会うシチュエーションなんて、用意するわけないのだ、そうだそうだ。
「せ、先輩! ありがとうございます! そうですよね! そうだそうだ!」
やっぱり先輩に相談してよかった。自分ひとりじゃ気付けないや、先を急ぎすぎてて。
「よかった。僕でも役に立てたようで」
先輩もニコニコしてくれている。なんて優しい人なんだ。先輩の鏡だよ、そりゃモテるよ。
「あ、でも」
「はい?」
ふと、先輩の声がひそめられた。なんとなく耳を寄せる。
先輩はテニスコートのほうに視線を向けたまま、ポツリとこぼした。まるで無意識のように、自然に。
「……それでもダメだったら、考えちゃうけどね」
何をだろうか、別の方法を考えたほうがいいということだろうか。なんだか聞くに聞けない。「もう諦めたら」なんて言われたら、どうしていいかわからなくて暴れちゃうよ。