5話 これってデートですよね
疑いたくなるほど順調だ。
ただいまスポーツ店で、見事に綺麗に美乃里ちゃんペアとはぐれた。しかも、私は誠司くんともはぐれていない。
もっと言うなら、はぐれたことについて誠司くんが、なんの違和感も抱いていない様子なのだ。
「どうせすぐ会えるだろ」と目の前の靴選びに夢中になっちゃっている。しかもしかも、その横顔のなんとキラキラしたことだろう。嬉しいと楽しいが手を繋いでランタッタしている、ああ幸せ。大好きなひとが楽しそうに過ごしているのを、こんなに間近で見放題かつ独り占めしているだなんて、ここは極楽浄土なのか?
「あ、わりい。俺ひとりで満喫してるよなこれじゃ。俺、ここにしばらくいるから、お前も見てまわってこいよ」
ふと振り向いた誠司くんの、なんの警戒も睨みも効かせてない素直な表情をいただいてしまった! え、私こんなに満喫しちゃってるけど、あとからなにか罰ゲームとかあるの?
「ここにいさせてください!」
どんな罰ゲームだろうが受けて立ってやる! この今の幸せを壊せるものなど、この世にあるものか!
「お、おう……」
私の鼻息まじりの決意が思ったよりボリューム大きすぎて、若干誠司くんが仰け反ったものの、おそばにお仕えすることを許していただけた。
「じゃああとで、羽馬の行きたいところまわろう」
どんな徳を積んだのか美乃里様。あなた様のおかげで、もはや恐ろしいほどのご褒美を次から次へと与えられてるんですけどっ! え、待って、極楽浄土の向こうの扉開けたら閻魔大王が腕組んで待ってるとか? いやいや、扉ばっかり気にしてて、落とし穴から地獄へ真っ逆さまパターンか! ううっ、まだもう少しここへいさせてください。楽しそうな誠司くんを目に焼き付けさせてください。貴重なんです、次はいつ拝めるのかわからないんです。あ、カメラ、パパから借りて持ってくればよかった!
「お前の顔、さっきからすごいな」
「え? なに?」
そういえば今朝は興奮しすぎて、いつもより歯磨き粉が山盛りに出てきてしまったし、そのまま口に突っ込んでシャコシャコしているうち妄想に耽りすぎて泡ブクになったのだった。ちゃんと拭き取った記憶もないしな、やばいな。
「歯磨き粉ついたままだった?」
遅ればせながら口元を隠してみる。
「ぶっ」
むせるように誠司くんが噴き出し、笑い始めた。
どうやらなにかのツボにハマったらしく、お腹を押さえて肩を震わせている。
なんにせよ楽しそうなので、私もその姿をしっかり拝み楽しむことにした。
誠司くんが靴とスポーツバッグを購入し終えて、今度は文房具店に入った。地元の商店街やスーパーマーケット内の文具コーナーでは出会えないたくさんの猫グッズを見てしまったが最後、私は持参したすべてのお小遣いを使い果たしてしまった。
足りない。持参金が五千円ぽっちじゃ、足りない。お昼ごはんを抜いたとしても、帰りの電車賃は死守しなければならないのだ。ああ、電車賃を使えば、この見かけたことのない猫イラスト付き蛍光マーカー五色セットが手に入るのに。
「ぐぬぬっ」
「羽馬、これなんだ?」
誠司くんが持ってしげしげと見つめているのは、小さなぶち猫だった。尻尾がくにゃりと長めに巻き上がっている。
「ひゃん、なにこれかわいい!」
飛びつかんばかりに食い入るよう見れば、どうやら尻尾が動く仕組みになっているようだ。
「見て誠司くん! ほら、この尻尾動かせるよ! あ! くりんっておろせた! え! これひょっとしてバッグ掛けできるグッズ!? ひゃーぁかわいいー!」
「バッグ掛けってなんだ?」
「テーブルの端っこに、この猫ちゃん置いて、ここの尻尾下げればバッグが掛けられて、地べたに置かないですむんだよ」
「へー」
「やばい。とてつもなくかわいい便利グッズまであるのか、恐るべし都会。あ待って、ウソー! 千円もするの!? 連れて帰れなーい!」
なんてことだ。こんなことなら、正月のお年玉全部持ち出せばよかった……。
「……羽馬、そろそろ……」
ためらいがちな誠司くんの声がかかって、目の前のぶち猫から視線を奥へ滑らせると、いまだかつてないほど近い距離に誠司くんの赤らんだ顔があった。もっと言えば、どうやら私は興奮した勢いで、ぶち猫を持つ彼の右手首をがっつり掴んでいた。
「ふわっ!」
やばばばい。触れてしまった誠司くんにっ。しかもがっつり握りつぶす勢いで! ていうか、顔近っ! ほっぺた赤いのかわいい! 怒ってもない! 困ってるみたいたけど、怒ってはない!
「手を離せ」
「あ、はい……」
怒られてしまった。
ああ、惜しい。近いことに気を取られて、誠司くんの腕の感触を味わいそこねた。しっかり記憶させ実感したかったのに。誠司くんの表情にドキドキ忙しすぎてままならなかった!
「……お前って、ほんと好きなんだな」
ほっぺたは赤いままだけど呆れたように、私に握りつぶされかけていた手首をグリグリと撫でている。
「うん、好き。ぜひ今後は毎日会っていただきたい。できれば、デートをさせてください」
「俺のことじゃねーよっ、猫のことだよっ」
誠司くんは、頭を抱えて「うおー!」と叫びながら店を出ていってしまった。
恥ずかしがりやさんとの意思疎通は、かなり難しい。野良猫ちゃん相手でも、もうちょっと距離感掴めるのにな。
フードコートに待ち合わせ時間よりも早く到着してしまった、誠司くんの歩調が速すぎて。
さっきまで私の歩くスピードに合わせてくれてた優しさもキュンキュン心臓唸りっぱなしだけど、私を置いていくかのように颯爽と歩くうしろ姿もめちゃんこ格好良くて、惚れの上乗せだ。
どうしよう、たくさん一緒にいればいるほど好きが膨らんでしまうの、やばくないだろか。私の心臓、あと半日持ち堪えるだろうか。
「あいつら、おせーな」
誠司くんが、テーブルに両肘ついて頬杖ついている。ほっぺたが押し上げられてぷっくら膨らんでいる、かわいい。お腹空いてイラついてるんだろうけど、仕草がかわいくて不機嫌感が台無しである。
「約束の時間まで、あと三十分もあるからね」
「三十分……」
絶望的な様子で項垂れてしまった。そんなにお腹が空いたのだろうか。それとも調子悪いのか。さっきから、顔も耳も真っ赤なままだ。
「誠司くん、ひょっとして熱でも出た?」
「俺のことはほっといてくれ」
「無理でっす」
「くっ」
ゴンッと誠司くんのオデコがテーブルに着地した。なかなかの音だったけど、痛くなかったのだろうか、それでも動かず何か呻いている。
「飲み物ぐらいならフライングしてもいいよね? 何か買ってくるね待ってて」
フードコート内の目に入った店舗で、ポテトとシェイクを注文して、急いで戻る。
誠司くんもオデコをさすりながら起き上がってくれた。
「……さんきゅ」
小さな財布から出したお金を私の前に置くと、のっそりとシェイクのストローに吸い付いた。
私もポテトに手を伸ばす。
こんな正面で向かい合って食事だなんて、ほんと学校ではできないことばかりだな今日。それにしても誠司くんの髪の毛って、ほんとサラサラしてるなあ。あ、やっぱり日に焼けてるなあ。だから余計に眼の白さが煌めいて見える。キリッとした目つきかっこいい。こんな真正面から直視するには私の心臓弱っちいすぎる。ああでももったいなくて目をそらせないっ。
「お前さあ……見すぎ」
「へ?」
「さっきからポテト持ったまま動いてねーし」
「お?」
どうやらポテトを口に放り込むのを忘れていたらしい。
なぜか誠司くんのほうが、顔面を両手でワシワシと撫でている。
「お前ってほんと、わかりやすすぎて、こっちが恥ずかしすぎる」
「え? 何が?」
「普通さあ、こーゆうのって、ほら、大っぴらにしないだろ?」
「何を?」
「だから、ほら、お前が、俺のことを、さ……」
今度はモジモジとストローをグリグリまわし始めている。野良猫ジャムも、よく庭先でピンポン玉をこうやってグリグリまわして遊んでいたな。でも、私と遊んで欲しいわけじゃなかったんだよな。ピンポン玉に手を出すと、めっちゃ怒られたしな。
怒られたくないので、じっと我慢して彼の言動を見守る。ますますグリグリとストローをまわしているけど、シェイクの液状化スピードがすごそうだ。
「なんで、こーゆう時は逆に黙るんだよっ」
「えっ」
やはり猫のジャムより難しい、誠司くんの取り扱いは。
「えーっと、え?」
「だから、お前さ、もうちょっと気持ちを内に秘めとけってこと!」
「気持ち? あ、わかった! 私が誠司くんを大好きなことをか!」
「だからそれを大声で言うなっ」
近くの席のお姉様グループがクスクス笑いだした。その途端、誠司くんが立ち上がって歩きはじめてしまったので、慌ててポテトとシェイクを掴んで追いかける。
誠司くんはすぐに、近くにあった吹き抜けの手摺りにもたれるように止まったので、横に並ぶことにした。
横から覗いても真っ赤っ赤である。恥ずかしがりやさんに酷なことをしてしまったようだ。
「ごめんなさい、声のボリューム、気を付けます」
「できればオフっといてくれ」
「うーむ」
「そこ、悩むな」
ズコーッとすごい勢いでシェイクを飲んだ誠司くんは、手摺りから下の階を行き交う人波を覗き込んだ。
「男女で仲良くやるって、難しくね?」
「え?」
「お前に告白されてさあ、付き合うってなんだろって、考えてみたこともあったけどさ。ほら、あそこにいるカップルとか見ても、違いがわかんねえ」
誠司くんの視線の先を追えば、下の階にカップルが何組もいる。仲良く手を繋いで歩いたり、ベンチで話し込んでいたり、やっぱり距離感は近い。
「手を繋いでるよ。あと、休みの日に会えてるってことが大きな違いだよね」
誠司くんは考えているのか、少し沈黙があった。
「……あんなの、誰が相手でも恥ずかしくてできねえし。こうやって、夏休み、遊んでるけど、それでもダメなのか?」
私も実際問題、“お付き合いとは”という難問が解けていた訳ではないので、彼が言いたいことがなんとなくわかってしまった。確かに誠司くんが、あのカップルのように手を繋いだり肩を組んだり、コソコソ耳打ち話しをしたりする甘い絵図が、まったくもって想像できない。
「また、夏休み、会ってくれるなら、それでいい」
独り占めしたい気持ちは消せないけど、誠司くんと夏休み、なんの理由がなくても会えるのなら、それは特別なことなんだ。
「わかった」
誠司くんは、ちらりとこちらに視線を向けてくれたけど、すぐにそらしてしまった。少しおさまりかけていた耳の赤さが戻ってきている。
「言っとくけどな、女子の中で、お前と一番仲良いんだからなっ」