4話 神々に感謝します
「ほほーん? 随分進展あったみたいじゃん? 最近のその崩れまくった顔つきは、そゆこと?」
昼休み、交換日記のネタを考え込んでいる私のほっぺたを、美乃里ちゃんはニヤニヤしながら指先でドリルのようにグリグリしてきた。
「えへ、わかる?」
隠しきれないようだ、私のこの幸せオーラは。
「え! そういうことなの!? くっつく可能性が未来永劫皆無だったふたりが、ついにっ!?」
ガタガタと椅子を引きずりつつ前のめりで詰め寄ってきた彼女へ、私はエヘンと胸を張ってみせた。
「大いなる前進しちゃった」
「ま、まさかっ? まさかまさか、お付き合い開始しちゃったの!? 男女別奥手ランキング堂々一位のメダリストふたりがっ!?」
「やだなあ、メダリストだなんて照れちゃう」
「どうやってとらえたの?」
「えへ、交換日記をね、始めたんだけどね、もう一ヶ月も続いてるんだー」
「交換日記? 随分地味なことしてんのね? 週末とかデートしておいて」
「デートだなんてそんなまだぁ」
「デートまだ? じゃあ、一緒に帰るとかしてんの?」
「部活の時間が微妙に違くってぇ」
「……付き合ってる、んだよね?」
「交換日記には付き合ってくれてるよ。すごくない? 誠司くんと私が、交換日記で愛を育んでるんだよ? 夢みたい!」
「……進展なしか」
一気に興味をなくしたのが丸わかりな美乃里ちゃんは、椅子の背へ盛大にもたれた。
「で、その日本書紀なみに古き良き時代の遺物で、気持ちは通じ合ってきてんの?」
「そりゃもうバッチリ。誠司くんの食生活が手にとるようにわかっちゃう」
「はい? なんて?」
「峯森家の食卓に、まるでお邪魔してるように献立教えてもらっちゃってて。ついに気付いてしまったんだけど、どうやら誠司くんのお母さんが決めた一週間の献立がね、曜日ごとに魚料理、豚肉料理、鶏肉料理ってふうに決めてるらしくってね。あ、ちなみに金曜日はカレーなんだよ毎週」
「ダメだこりゃ」
呆れたのか、美乃里ちゃんの首はガクリと後ろへ折れた。
彼女には、この進歩の凄さがわからないらしい。誰も知らないことをお互い伝え合うこのやり取りの特別感。いつも背中の毛を逆立ててるような誠司くんが、ノートを渡してくる時のさりげない仕草や、表情を押し殺して恥ずかしさも抑え込んでそれでも続けてくれている、行動の貴重さを。
「これなら突然耳にした“トーストに粒あん”ぐらいじゃ動揺しないしね。なんせこっちは毎日誠司くんが食べている献立知ってるし、お気に入りの漫画だって知ってるし、その漫画の内容まで教えてもらえちゃってるんだから」
「読書感想文かよ。はいはい、わかりました。もうこうなったら、わたしがひと肌脱いでやろう」
「え、なに?」
美乃里ちゃんのニンマリした顔は怖いけど、何か案があるなら、さらなる進歩を目指して前のめりで取り組みたい。
クイクイと指でいざなわれるようにして顔を寄せれば、美乃里ちゃんはドスの効いた声で囁いた。
「夏休みデート祭りじゃ」
**
うっかりすっかり忘れていたが、夏休みというものがあった。
生徒の大半が喜ぶべきご褒美期間かもしれないが、私にとっては死活問題の地獄である。
廊下で、覗き込んだ教室内で、移動教室での偶然遭遇で、しっかりくっきり目視確認できる距離で拝める、それが学校の良いところである。
なのに夏休みは部活で行けども、残念ながら美術部とテニス部では三階分の距離があって豆粒誠司くんしか拝めないのだ。最悪なのは試合なんて行かれようものなら、拝むどころか応援にも行けないことだ。さすがの私も、あの優しい美術部の部長に「好きな人の試合へ応援行くんで、部活休みます!」なんて言える図太さまでは持ち合わせていない。
ありがとう、持つべきものは美乃里様。
「一生ついていきます」
駅前でスマホをいじっている美乃里ちゃんに両手を合わせて合掌すれば、「一生は無理。面倒見きれない」と却下されてしまった。
「もうすぐ着くって」
夏休みに突入して十三日目、唸るようなセミの鳴き声を浴びながらわずかな日陰にふたり身をよじるようにして入り込み、待つ。
手元のスマホでの操作を終えた美乃里ちゃんが、じっとこちらを眺めてきた。
「てかなにその、格好」
「え? なにが?」
「小学生男子の夏休みみたいな格好はどした。今日がダブルデートだというのを忘れたの?」
美乃里ちゃんに言われて自分の体を見下ろした。
お気に入りの猫キャラプリントTシャツに、暑さ対策のショートパンツと麦わら帽子、買い物対策のリュックを背負っているだけだ。
「何がダメ?」
「テーマがデートじゃない。どこまでも少年の夏休み」
「えー、これ限定グッズだったんだよ。もう手に入らないんだよ?」
縞猫が葉巻に麦わら帽子を被っているデザインTシャツを、つまんでよく見えるように広げたところで背後から声がかかった。
「おっす」
本日、美乃里ちゃんと共犯を組んでくれる幸太君が、ニヤニヤしながら片手を上げて近づいてきた。その半歩後ろに、直射日光に攻撃でもされてるのかというぐらい渋い顔した誠司くんがいた。
ああ、どうしよう。誠司くんの私服姿なんて、小学校ぶり。ボーダーTシャツに半パンとサンダル。まるで私とペアルックみたいじゃない?
「おはよう誠司くん」
「……うっす」
寝起きなのか、すこぶる機嫌が悪そうだ。野良猫のジャムも、朝は触らせてくれないもんな。
「よっし、じゃあ行くか」
幸太くんのほうは、元気いっぱいに片腕を上げている。彼は美乃里ちゃんと誠司くんとはスポ少で一緒だったこともあり、今回のことも彼なくしては決行できなかったけど、多分一番ノリノリである。なぜなら美乃里ちゃんに片想いしてるからだ。
残念ながら美乃里ちゃんに、まだ認めてもらえないらしい。テストで五教科九十点以上取れたら付き合うという、まるでオカンの条件みたいなことを提示されてるとのこと。ほんと、両想いになるって、大変だ。
小さな町なので、駅も小さい。二階にあるホームに上がればすぐに改札口だ。その横には切符売り場があるけど、どうすればいいのかわからなくてかたまってしまう。
美乃里ちゃんと幸太くんは、よく駅を使うのだろう、ICカードを持ってるけど、私は親と昔に利用したっきりの箱入り娘である。買い方があやふやなのにボタンがやたら多くてどうすればいいのかさっぱりだ。
「五百九十円入れればいいよ」
スッと目の前に、割り込むかたちで誠司くんが視界に入ってきた。財布から出したコインを投入口に入れて、ゆっくりとボタンを押していく。
出てきた切符をヒラヒラとさせてから、親指で「ほらやれ」とばかりにクイクイと販売機を指す。
「神!」
言わずにはいられない。
「おう、そうやって崇めとけ」
まんざらでもない様子で誠司くんがニヤリと笑う。
「これ以上惚れさせられてどーしたもんかっ」
「それは受け付けてねーし」
一気に苦虫潰したような表情をつくられてしまった。休日も絶好調にツンデレ神である。
親と一緒ではない町脱出は、とてつもなく特別感があった。友達と電車に乗る行為すら冒険のはじまりのようで、ボロボロの汚れた電車内も、見飽きた質素な町の風景も、キラキラして胸を高鳴らせた。
しかも大好きな人も一緒なのだ。同じ空間に同じ乗り物で同じ景色を味わっているのは、一週間の献立を知るよりも特別度がすごい。
……と思ったら、腕組んで丸くなった誠司くんは、ぐっすりお眠りになっていた……。
「千香子」
通路を挟んだ向こう側の席に移動する美乃里ちゃんにクイクイと手招きされ、誠司くんの横の席からそっちへ移ると、耳を貸せと催促された。
「向こう着いたら別行動しかけるから」
「え? やだ、迷子になる!」
本日の目的地はふたつ向こうの街で、生まれ育った町とはまるで違う都会だ。その街の大型商業施設で、部活関係の買い物しようと誠司くんをみんなで誘ったのだ。
だけど、私も誠司くんも、行き慣れていない場所でもある。
「大丈夫よ、建物から出なけりゃいずれ出会うじゃん」
「そっちのふたりしかスマホ持ってないんだよ? めっちゃくちゃ広いのに、絶対出会えない!」
「むしろ出会わないほうが、ふたりでまわれるじゃん」
「迷子の心配でろくに買い物できそうにないっ」
「迷子のふたりが身を寄せあって手と手を取りあって、結束が強くなるんだよ」
「結束……」
そう、私と誠司くんに足りないもの、結束。
「昼に集合する場所決めとけば安心でしょ?」
美乃里ちゃんの作戦は、スポーツ用品店でバスケ用のものを探す美乃里と幸太チームがゆるやかに離脱するということらしい。私は、テニス用品をチェックするであろう誠司くんから離れなければそれでいいらしい。
「いい? 勝負は午前中のみ。さすがにずっとはぐれると、あのカタブツ男は警戒強くなりすぎるだろうから、これが一日に与えられる限度。わかった?」
どうも誠司くんは、敏腕な美乃里ちゃんにとっても厄介な男の子らしい。
「わかった」
男女の結束を、半日で掴もうではないか。
私は、力強く美乃里ちゃんに頷いてみせた。