17話 君に向かっていく
無事やり切った応援合戦。バチを強く握りすぎたせいか手のひらがジンジン痛む。このあとすぐ一年のリレーが始まってしまうのに。
急いで小道具エリアへ戻り、学ランを脱ぎ捨てながら視線を入場口へさまよわせた。一年女子の入場が始まるからだ。ひと声「がんばれ」と声をかけたかった。いや、恥ずかしくて無理か。でもせめて目配せで、がんばれアピールぐらいはしておきたかった。だってさっきの応援は、羽馬に向けてやったようなもんだから。
なのに。
「ねえねえ、君一年生? 名前教えて? 何組?」
なぜか上級生らしき女子数人に取り込まれた。
「いやちょっと忙しい」
「部活何?」
「あ、テニス部の子じゃない?」
「こっそりスマホ持ってきてるから写真撮らせて」
まるで見世物扱いのような反応だ。
「いや俺、パンダじゃないんで」
一瞬の虚をついて取り囲みから抜け出せば、女子の入場は始まっていた。
俺は誰彼かまわず見られたいんじゃなくて、アイツに見て欲しいだけ。けど、肝心の相手とコンタクトが取れないままになってしまった。グラウンド内に整列している人影の中から羽馬を探す。どうやら中盤あたりで走るらしい。
次の一年男子のリレーの控えで入場口に整列しながらも、ずっと視線を一点に注ぐ。羽馬は緊張しているのか顔が真っ赤にこわばっているように見えた。体の屈伸を始めたけど、なんだかぎこちない。
「位置について、よーい――」
パンッとスターターの破裂音が響いて、それぞれ四色のハチマキを首や頭につけた第一走者が走り出す。羽馬は額に縛る青いハチマキを気にしながら走者の行方を追い懸命に応援していた。
羽馬の緊張が俺に伝染したみたいに、手に力がこもる。どんどん列が縮んで、羽馬が一歩ずつ前に進むたびに心拍が上がっていって、視界もどんどん羽馬だけにフォーカスされ狭まっていく。
羽馬がスタートラインへ並んだ。バトンの行方を不安そうに追っている。一歩、また一歩とジリジリと歩を進め、ピンッと後方へ伸ばした指先から彼女の緊張が届く。
いけ!
バトンを受け、飛び出した羽馬。真剣な表情が一瞬で目の前を通り過ぎて、カーブを駆け抜けていく。
がんばれ、がんばれ。
直線で他チームと拮抗して走っている。順位なんて関係なく、ただひたすら羽馬の姿を追う。だから、最後のカーブで足がもつれるようにして体勢を崩したのが突然で一瞬のようでものすごく長いスローモーションだった。地面に手を着いた羽馬の横を他の走者の足元が駆け抜けていく。
羽馬! 羽馬!
手を着いてそのまま横へコロンと転けて、立ち上がった羽馬。血の気が引いていた体に血流が戻っていくようだった。羽馬は間髪入れずにそのまま走り出したから。
ホッとして気付いた。俺は数人の係と先生に入場口目前で腕を取られ押さえられていた。どうやら無意識に飛び出そうとしていたらしい。
バトンゾーンで、羽馬が次の走者にしっかりバトンを渡しているのを見届けて、俺は足腰から力を無くしてその場に座り込んだ。
あまりにも怖い思いをしたせいか、そのあとの記憶が欠けていて。自分がちゃんとリレーを走り切ったのかよくわからない。バトンは繋いだようなので走ることはできたようだけど。選抜リレーは辞退した。もうタコやイカ並みの脚力しか残っていなかったからだ。
体育祭自体は無事終わって、俺たちA組チームでもない、羽場のD組チームでもない別のチームが優勝して終わった。
片付けをしながら視線を常に走らせる。羽馬もちゃんといて片付けをしている。手を地面へ着いた時に痛めたのか手首に包帯をしているが、あちこち片付けへと駆け回っている姿を見て、ものすごく安堵していた。
「え?」
だから、一緒に帰ろうと思っていたのに幸太が「美乃里ちゃんと羽馬で先帰った」と言われて、しばらく固まってしまった。
「なんか、すごい落ち込んでたみたい」
トボトボと帰路に着きながら、幸太の言葉に相槌すら返せない。
俺だって一緒に帰りながら、俺が羽馬を慰めてやりたかった。大丈夫だったか? よく頑張ったなって、言ってやりたかった。
「羽馬のほうから一緒に帰りたいって言ってきたらしいから、よっぽどだったんだろうな」
「はっ?」
筧からじゃなく、羽馬が選択したってことか? なんで俺じゃないんだよ。辛いときこそ一緒にいたいって思われない俺って、アイツにとってなんなんだよ。
「でもそんな落ち込まなくても、そこまで三位との差なかったのにな?」
「そうなのか?」
「え? 見てねーの?」
いや、見てたさ。羽馬しか見えてない。
「すぐ走り出してたし、むしろ上手に転けたほうだったけど。そんな落ち込まなくてもな?」
「いや、すごく痛かった」
「え?」
羽馬の痛さは俺にも伝わった。きっと誰よりも伝染したと思ってる。必死に走ってる本人にしかわからない、結果じゃなくて経過の失敗の残酷さ。俺はあの時、羽馬と以心伝心したみたいに、悔しさを痛いほど味わった。だから俺しか羽馬を抱擁してやれないと、思っていた、勝手に。
「あーなんか、ムシャクシャする。筧のアホ」
「おいっ、ひとの彼女をっ、なんだよ急にっ」
地元駅に着いてチャリに跨がって全速力で漕いだ。自分ん家を通過しても足は止まらない。そのまま漕ぎ続けた。
漕げは漕ぐほど、頭の中がグルグル思考が散らばっていく。なんでなんだよ、とか、大丈夫なのか、とか、そう言えば昔も、こんなぐちゃぐちゃな感じでチャリ漕いで向かったことあったな、とか色々。
羽馬ん家の手前付近で筧と出くわし急ブレーキをかければ、ニヤリと笑いかけられた。
「あらあら彼氏さんじゃない」
いちいち逆撫でするのが上手いヤツである。
「なんでお前なんだよ」
今の俺は、愚痴しか出てこない。
「ばかね。こんな時だからあんたじゃないのよ」
筧はさも当然とばかりに腕を腰にやって背筋を伸ばす。
「意味がわからん」
チャリから降りて腕で額の汗を拭う。肌に張り付いたシャツがうっとおしい。
そのまま筧の横をチャリを押しながら通り過ぎれば背中に投げかけられる。
「いくの?」
「当たり前だろ」
振り向く気もなく投げ返す。
「じゃあ上手くやってよ。千香子泣かしたら、あんたの残りの高校生活、台無しにしてやるから」
ゾッとして思わず振り返れば、予想外にいい笑顔を向けられていて、余計に怖い。
筧なりの励ましなのか発破をかけられたのか、とにかくいちいち怖い女であるのには違いない。だけど、そんなのが羽馬の横にいると思えば、安心なのか?
羽馬の家の前にチャリを止め、ひと呼吸いや、深呼吸してからチャイムを押す。すぐに羽馬は玄関のドアから出てきた。
「美乃里ちゃん? どうし、……あ」
筧が戻ってきたと思ったらしく、俺を見て顔が固まってしまった。
そのままドアを閉められて拒絶されたらどうしよう、なんて切り出せば逃げられないだろう、と途端に焦りだす。そういえば何も考えていなかった。ただ、会いたくて、顔が見たくて、抱きしめたくて、無計画に衝動的にここまで来ていた自分に、気付いた。
そうなんだ。俺は、羽馬のことになると、無鉄砲に後先考えず、向かっていってしまうんだ。