16話 ずっとそうだった
建物がボロすぎるからかエアコンが古すぎるせいかわからないが、冷房が効かない図書館には壁のいたるところに扇風機が取り付けられていて、あっちへこっちへと好きずきに首を振り回している。人気はないのに扇風機がビュンビュンと回って、妙な静けさを逆に際立たせているみたいだ。
目の前の羽馬ときたら、黙ったまま何度も瞬きを繰り返すのみで、ものすごく、いたたまれない。
独占欲丸だしの男って、めちゃくちゃカッコ悪いのは百も承知だし、一番縁のないどこか遠い国の言語くらいのものだったはずなのに、喉のどこにもつっかからずにするんとこぼれ出てきやがった。
「いや、えーと、だな……」
どう挽回できるというのか。できないくせに、なにか言い訳を捻り出そうとしている。
「誠司くんって、円堂先輩が苦手なの?」
「ん?」
ようやく動いたと思った羽馬の口からは、なにか微妙にポイントがズレた回答が戻ってきた。
羽馬の中には嫉妬という単語がないのだろうか。まだまだ微妙な関係とはいえ、こっちは告白したし、一緒に登下校もしているし、そんな相手が「別の男とつるんでほしくない」と言うことはイコール嫉妬、という方程式にはならないのだろうか?
「先輩と委員会かなにかで一緒になったことあるの? あ! そういえば中学の時、先輩を殴ったって言ってた! え? 険悪な仲なの?」
そうか、そもそも俺が円堂先輩を強く認識していることを羽馬は知らないのだ。俺と先輩が知らないところで何度か衝突していることも、先輩が羽馬のことをどう思っていたかを誰よりもよく知っているということも、知らないのだ。
俺はパイプ椅子の背もたれから離した背筋をピシッと伸ばした。
「そう、険悪な仲。あの人は下心ありきでお前に近付いてるからな」
しごく真面目に言ったのに、羽馬はひと呼吸置いてプフッと噴き出した。
「先輩が? あの穏便と人畜無害を絵に描いたような人が? 私に近付いてなんの得があるの?」
こっちが驚くほど鈍感な女のようだ。いや、人のことは言えない立場なんだろうけど。
「お前と付き合いたいから、卒業したあとも接触してきたんだろ。あの人、お前のこと好きだったらしいからな」
さすがに面と向かって言えなかったので、長机の尖った角へ意味もなく視線を向ける。
「せ、誠司くんっ、な、なんでそれっ」
残念なことに、あからさまに動揺している。くそっ、鈍感なコイツにしっかり好意を伝えきっていた先輩。やっぱり俺よりあれこれスマートなんだなっ。
「ち、違うの! いや、えっとね! そ、そんな時代もあったかもな話だよ!」
どんな話だよ。
羽馬は腰を浮かせたり椅子に落としたり、両手をワタワタと振っている。
「再会した時に言ってたもん! 高校で好きな人できたんだよーって!」
なるほどそうきたか。そうやって羽馬を油断させて、ちゃっかり友達ポジションという偽ステージを設けたわけだ。
「好きな人がいるわりに、羽馬と何度も会ってたわけだ」
「そんな何度もなんて会ってないよ! 月に一回ぐらいだよ?」
羽馬はパイプ椅子に座って両腕を机についた状態で、ググッと前のめりに迫ってきた。
「誠司くん。絶対先輩のこと何か誤解してるって。何があったか知らないけど、すごく優しい先輩なんだよ?」
その真剣な眼差しに、ついため息を吐き出してしまった。
これは全然、ピンときていないようだ。くそー、ジメジメしたことこれ以上言いたくないのに。
ひとつ、咳払いをした。羽馬に対抗するように背筋を伸ばす。
「もう先輩とは会わないでほしい」
ジメの極限だな。
「先輩が善良だろうがロボットだろうが、羽馬とふたりっきりで会ってるって思うだけで、気分がすぐれん」
ガキの極みだな。あの人は、絶対こんなこと言わないんだろうなくっそ。
羽馬はピタリと動きを止めて、パチパチと瞬きを繰り返す。ついでに唇も開いたり閉じたり。
「……あ、えっと、それって……」
きっと普通なら、これは意味もなくとんでもなく自己チューな発言だ。アイツと仲良くするななんて、他人が言える権利なんてない。少し前の俺ならなおさら言えた義理はない。
だけど、微妙でスレスレラインとはいえ、俺たちは一応付き合っている関係、のはずだ。たぶんこういうことなんだ。独り占めしたいという衝動。ふたりがふたりでいることが当たり前になれるという関係。これが、付き合っているからこそ与えられる特権と約束。
「嫉妬、だな」
顔どころか全身熱い。できれば今すぐにプールへ飛び込みに行きたい。ついでにかき氷の山盛りを頬張ってエアコンの効いた部屋で扇風機の前に陣取りたい。
だけどその猛烈な欲を抑え込めたのは、目の前の羽馬も負けず劣らず真っ赤っ赤になっていたからだ。
「せ、誠司くんが、嫉妬……。私が、ぐちゃぐちゃしてたのと、おんなじ、気持ちなの?」
「ぐちゃぐちゃ?」
「うん。すごく、嫌だった。誠司くんのそばに、誰もよりつかなければいいって、ずっと思ってた。そんなこと考える自分が嫌だった」
「嫌になんなくていいぞ。俺も同じ気持ちだからな」
羽馬の表情は固まったままだが、右手がゆるゆると上がってきて自分の右頬を抓っている。
「いや、夢じゃねーから」
**
期末テストが終わっての体育祭突入は、荒ぶるほど盛り上がっていた。みんな鬱々としたものを発散するかのようだ。
俺はというと、体育委員としての仕事が目白押しなので、わりと縁の下の力持ち的な心境で、粛々と作業や進行に集中している。
そんな慌ただしいなかでも自然と目を追うのは、美化委員としてグラウンド上の整備に明け暮れている羽馬の姿。競技や内容ごとに変わるコーンの配置や小道具の準備などで忙しく駆け回っている姿を見て、癒やされている。
で、大概、いやほとんどの確率で視線が合う。どんなに遠くからでもお互いの視線に気付きあうって、すげーなって思う。これは以前まではなかったものだ。
「うわー。峯森の顔面崩壊、写メ撮りてー」
いつ湧いたのか竹井がそばにいた。
「シッシッ」
「オレは野良犬か」
いや、蚊をイメージして追い払ったがな。
竹井を放置して体育委員の集合場所へ向かう。体育祭ももうすぐ折り返し地点で、全学年の各種競技が終わると、体育委員主導によるチーム対抗応援合戦がある。俺たち黒子のごとく働いていた者たちが表舞台に立つ大事なシーンであり、後半の学年別対抗リレー、チーム対抗リレーへと最高潮の盛り上がりでバトンタッチする重要なターンでもある。
チームカラーの赤ハチマキを額に結んで、長い学ランを羽織る。太鼓用のバチをポケットに突っ込んで深呼吸をする。
誰が好き好んでこんな目立つことを、そしてクソ暑いなか学ラン着て気合いを入れるのか。それは、アイツが見てくれるからだ。
いつだってそうだった。中学時代、視線に気付いていないことなんてなかった。部活でも学校行事でも、校内ですれ違う一瞬だって、ずっと羽馬の視線を拾っていた。
恥ずかしくて、照れくさくて、見て見ぬふりをしてきても、それが自分を奮い立たせていることに、少なからず気付いていた。それはいつしか、アイツの前で少しでも良いところを、カッコイイところを見せたいって気持ちに変わっていったことも。
今もそうだ。俺は精一杯やってやる。羽馬が必ず、俺を見てくれるから。
いや違うな。俺に釘付けになってしまえって、思ってるよ。