14話 約束をかわした仲だからな
「ぎゃーっ! せ、誠司くんがっ、変っ!」
羽馬が飛び上がった拍子に、手元から落ちたペットボトルが見事な音を立てて地面のコンクリートに刺さった。
俺だって自分の口から溢れたとは、にわかに信じられないでいる。だから、羽馬が両腕で自分を抱き締めるようにして驚愕の表情をも隠さず怯えて見てくる様子に、大いなる共感さえある。
「へん、かやっぱ」
「変! だよ! え? なんか変なものでも食べちゃった!?」
今度は心配そうに顔を近付けてきた。本気で心配になってきたのか真剣そのものの表情を無防備に寄せてくるもんだから、たまったもんじゃない。さっきから抑えようとしている心臓の爆音が、自分を煽ってでもいるようで。
「よし!」
喝と気合いを入れるように腿を打ち、立ち上がった。
「羽馬!」
「は、はいっ!?」
お互い向き合い、敬礼でもし合うような背筋の伸び具合である。
「付き合うって、結局どういうことだと思ってる?」
「へ?」
羽馬は瞳をまんまるにしてから、首を捻った。
「えーっと、え?」
「結局さ、俺もまだよくわかってなくてさ」
「うん」
「だから、これからどういうものなのか飛び込んでみようか。ふたりで」
「うん。……え?」
羽馬はいまいち意味を呑み込めていない様子だ。だけど、呑み込まないうちに進めておかなければならない。とにもかくにも一撃必勝なんて技は、今の羽馬には効かないし、俺には扱えない代物。過去の俺が何層にも埋めてきたものを少しずつ掘っていくことが必要なんだと思う。だから、俺たちが時間を共有するチャンスを沢山作らなければならない。
「まずは、毎日登下校を一緒にするっていうの、やってみる?」
これならハードル低いだろう。羽馬も断りにくいだろうし、初心者な俺的にも可能な行動だ。なんせ、そもそも俺のほうが手探り状態なんだから。
羽馬の表情は、見事なくらいクルクルと変化している。ポカンと唇を開いたかと思ったら、眉を押し上げるように瞳を見開き、はたまた犯人でも見てるかのような疑いの視線を投げては、不安そうに首を傾げている。
こうなってくると、こっちもだんだん不安になってきた。今、過呼吸なくらい状態異常の脳みそ熱湯中なため、勢いに任せて押せ押せでいっているが、そもそも今現在の羽馬の俺に対する気持ちがどこに着地しているのかよくわかっていないのだ。
「……俺と、いるの邪魔くさかったら、無理にすることでも――」
「やります!」
羽馬はピョンっと一歩前に跳ねて、敬礼した。
「ぜひ! 一緒に! 登下校お願いします!」
「お、おうっ!」
なんとなく、俺の右手も敬礼のポーズを取っていた。
なんとか、第一歩を踏み出せた。一発ドンッといくよりもジリジリと距離を詰めていけば、羽馬が変に身構えず複雑に考えずにいられるだろう。
「じゃあ、さっそく、一緒に帰ろうか」
「うん! あ! でも美乃里ちゃんと約束してたから一言伝えとかないと」
「げっ」
「え?」
「あ、いや、なんでもない」
やはり避けては通れない、門番を。でもそれさえクリアすれば、これからの羽馬との時間は共有しほうだいなのだ。
羽馬は嬉しそうに歩き出した。その様子にホッとした。嫌じゃないってことだ。俺と帰るということが、むしろスキップするぐらいには嬉しいことであってくれた、ようだ。
俺も思わずスキップしそうになりつつも、校舎内へ戻った。
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「おはよう」
「おっす」
駅のホームで見つけた姿につい頬がゆるむ。まっすぐ俺に向かって笑顔で手を振ったのだ。逃げるでもなく、驚くでも戸惑うでもなく、俺が来るのをわかってて迎えてくれたやつである。それはもちろん、一緒に登下校するという約束をしている仲だからに、ほかならない。
そして鬼の門番、もとい筧の誤解も無事解け、変な邪魔が入ることもないこの平和感。こんなに朝の空気が清々しいものだったとは。
「もう来る感じ?」
「ううん。まだあと15分ある」
確かにホームはまだ人影がまばらだ。田舎な駅なのでそんなに本数がない。だとしても発車の15分も前に到着した俺。いつもギリギリ駆け込みするくせに、今日ときたら俺、まじ浮かれてんな。
「羽馬、早いんだな」
「あ、うん」
いつも駆け込み乗車ばっかりしていたから気付かなかったのか、そういえば朝の通学で羽馬とタイミングが合うことがなかった。入学してもう三ヶ月が来ようとしているのに。
車両は五両しかない。一本早い便か遅い便を使っていたのだろうか? いやでもこれから乗る便が一番登校時間に適しているし、今日だって時間の確認しなくてもこうやって会えたのだ。
「そういえば、この便って約束してなかったけど、いつもこの時間のに乗ってたのか?」
「へ? ……あ、うーん……うん」
なんとも歯切れが悪い。羽馬らしくない。
いや待て。まさか、今まで朝出会ったことないのは、羽馬のほうが俺を回避してきていたってことじゃねーのか? よく考えたら、今まで駅で出会ったのだって、筧と一緒な帰宅時の数回だけだった。おいおいおい。
「誠司くん、なんか顔色悪くない? 大丈夫?」
「お、おい、羽馬」
「ん?」
「今までホームや電車内で、ほとんど会ったことない、よな」
「……そうだっけ?」
「まさか、俺を、避けてた?」
ますます自分という生き物が畜生でならない。どんだけ俺は、羽馬に誠意がない言動を重ねてきていたんだろうか。自分が傷付かないように逃げてきたことで、ずっと羽馬を傷付つけてきていたのかもしれない。最悪だ。
「ち、違うよ? 誠司くん!」
羽馬はワタワタしながら両手をブンブンと目の前で振った。
「あのね、あのね、えーっと、ひ、引かないでね? こ、こっそり見てたのっ」
「……なるほど、先に見つけて姿をくらます作戦か」
俺がやってきた厄災がしっぺ返しで戻ってきたらしい。
「ちがうちがう! 見たくって! えっと、誠司くんを見たくってこっそり……あーん極秘だったのに!」
羽馬は振りまくっていた両手を今度は頬を挟むようにして真っ赤になっている。
「いっぱい、か、観察、見てたくて、いつも誠司くんのうしろをついてまわって、ました!」
「……え」
まもなくホームに列車が入ります、とアナウンスが流れて、列車が滑り込んで、扉が開いて。
なんとなくお互い無言で目も合わせられずに、鈍くなった体を無理矢理車両内へ動かした。
扉が閉まり列車が動き出すまで、それなりの時間があったはずなのに一瞬で。
なんだかたまらなくて羽馬の手のひらを取り繋いでみれば、俺よりも熱を持った小さな手が、わずかにキュッと握り返してきた。
……最高かよ。