12話 衝動は最強
先週までと打って変わった俺がここにいる。
家を出た瞬間から全神経を研ぎ澄まし、羽馬の気配を察知しようとしている。
先週のそれは、いかに身を隠し逃げるかのため。しかし今日は、羽馬がどんな状態なのかを自分の目で一刻も早く確かめるためだ。そしてなんだったら、アイツの目の前に躍り出てもいい。その時の反応で、あのやりとりを流したいものだったのか、そもそもなんにも伝わってなかったのか、わかるんじゃないだろうか。とさえ息巻いている状態だ。
なかったことにしたいのなら、俺はそれを受け入れる。やるべきことはやったのだと言い聞かせる。今までの自分のツケを今払ってるのだからしかたないだろ、と。キツイけど。てか、だいぶ嫌だけど。
そしてそもそも、ちゃんと伝わってなかったのだとしたなら……もう一度? 言えるか? ちゃんと、伝えられるか? わりとあの日の俺、全力を出し尽くしたんだけど、上回れるだろうか?
後ろばかり気にしながら漕いだチャリはいつもよりだいぶ時間がかかった。なんとか電車の出発時刻までに間に合って駅のホーム、そして車両に駆け込む。
ドッと汗が噴き出す。冷房の効いた車両に乗り込んだのに。チャリを後半猛烈に漕いだからでも、駆け込み乗車をしてしまったからでもない。目の前に、大きく目を見開いた羽馬が、いたからだ。
「……はよ」
「はよ……」
どっちから言い出したのか、どのくらいの秒数がかかったのかさっぱりわからないが、学校の最寄り駅までの数十分の乗車が、一瞬で終了したのだけは確かだ。
ホームに降りて改札口を出て、学校までの道のりをなんとなく、お互い付かず離れず、様子をうかがい合うまま、一緒に登校しているようでいてしていないような、微妙に距離を保ったまま歩く。
すでに”目の前に躍り出て反応を確かめる”という意気込みは、ぺちゃんこになっている。そもそも、目の前に躍り出て反応を見られたのは俺のほうな気すらする。なかったことにしようとしてる反応を、している気がする、俺が。
いいのか? いやよくない。けどアレをぶり返すにしたって、心の準備が間に合ってない。あくまで先手で羽馬を発見して、十分な時間と気合いと間合い、さらに覚悟をしっかり膨らませてからの突撃を予定していたのだ。
「峯森くん……あのね」
心臓がヒッと縮こまる。羽馬の声に、思わず肩を竦ませてしまった。
「……ん」
立ち止まるも、すぐ斜め後ろにいるだろう羽馬へ振り向くのに、だいぶ、たっぷり、時間を要した。
「この間の、こと、なんだけど……」
半ば本気で止まっていたかもしれない心臓が、今度は爆音をたてはじめた。
やばい、まさか、羽馬から切り出されるとは、まったく頭になかった。どうしようかっ。この切り出し方、流れ、どっちに転ぶかわからないかんじ、一番きついって! てか、ここで「もう峯森くんのことは、なんとも思ってない」とかズバッと刺されたら、授業受けるどころか、校門すらくぐれねーぞ! ちょ、朝から聞く内容じゃねーぞまじで!
「あっ! いや、その件はだな!」
「あーっ! やっぱダメだ!」
突然、目の前で羽馬が頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「え? は、羽馬?」
男の俺からしても「大丈夫なのかそれ」と思うくらい髪の毛をぐちゃぐちゃにさせている。
「も、もう無理ぃー! 誠司くんの、ばかーっ!」
「ええっ!?」
今度はまさかの激怒をくらって、俺はもう絵に描いたようにアタフタするしかできなくて。
「お? 痴話喧嘩か?」と同じ制服の奴らが通りすがりにニヤニヤしていくのでここが朝の通学路、つまり一番生徒の密度が多い場所であることに思い至った。
「は、羽馬っ、とにかく立とう! ほら、カバン持ったぞ!」
必死だったから為せる技なのか、羽馬の腕を取って引っ張り立ち上がらせつつ、通学路から外れる選択肢を取った。
半ばズルズルと引きずりつつ支えながら移動するが、座れるような場所なんかなく、そのまま抱きかかえている状態でいるしかなくて。通学路から外れたというのに、俺の心臓はどんどん加速と圧力を高めていく。
抱えている羽馬の柔らさと、ほんのり漂ってくるシャンプーの香りに、クラクラして俺のほうが倒れそうだ。
「……なんで?」
俯いた状態の羽馬がモゾッと身じろぎして、顔を上げた。
「なんで誠司くんは、そんなに意地悪なのか」
「……え」
乱れた髪の毛から覗く瞳は少し赤らんでいる、そして睨みつけてきている。猛烈な至近距離で受け止めるには、なかなかの試練だ。
俺の喉がゴクリと鳴りかけたところで、羽馬が腕を突っぱねるようにして、ふたりの密着は呆気なく剥がれた。
「やっぱり、どう頑張っても、私は人間にはなれない。だって、ぐちゃぐちゃなことばっかりなんだもん」
「……人間?」
違うことに気を取られすぎていたが、離れたことで羽馬がさっきからおかしなことを言っているのにやっと気付いた。……人間?
「そうだよ、人間の女の子になりたかったんだよ」
羽馬のほっぺはプーッと見事に膨れている。最近のイメージとは少し違う、いやなんだったら、昔よく見てた変幻自在な表情のひとつだった。
「だけどやっぱ無理だ。もう、いっぱいいっぱいで、頭回んない。誠司くんが鬼すぎてわけわかんないっ」
「鬼……」
どうやら、とにかく俺に怒っているようなのだけはよくわかった。
「あれ、だよな……。俺が、変なこと言ったこと、だろ?」
「そーだよっ、意味わかんないっ。どんなに考えても、ネットで調べても全然意味がわかんないし。好きな人いるとかいないとか、知りたいけど知りたくないし、もう情緒がぶっ壊れたよっ」
羽馬は真っ赤になりながら、俺の手にあったカバンをひったくるようにして胸に抱きかかえた。
そのまま俺の横を走り抜けようとするもんだから、咄嗟に腕を出して捕まえた自分の反応に驚きつつ、勢いにまかせて羽馬を振り向かせた。ものすごく驚いた表情をしているが、きっと、俺も同じ顔をしている。
「待って! ちょっと待ってくれっ」
羽馬が怒っていることで、逆に俺は開き直った。そりゃそうさ、俺はずっと、怒らせるようなことをしてきているんだから。
「お前が怒るのはもっともだ! 今さらぶり返すようなこと言って、いい迷惑だろって、自分でもわかってる。ごめん!」
「……ぶり返す……ぶり返す?」
「もう忘れたい過去のことだもんな」
羽馬の眉が下がったり上がったりとせわしなくなっている。
「過去? えっと、誠司くんの好きだった人、が?」
「お、う」
「だから、その話は聞きたくないっ」
「わるかった」
羽馬の瞳が目一杯ウルウルと今にも涙がこぼれそうで、俺はもうどうすることもできなかった。止められなかった。抱きしめたいというその衝動を。
「ごめん、好きだ。お前のこと、好きなんだ」
あんなに怖がっていたはずの台詞は、意外にも滑らかに落ちていった。今までかたまりまくっていたなにかと一緒に溶け落ちるように、すごく自然に。
なんで今までしっかりとカタチを見つけてあげられなかったのか、なんでそのカタチをぼやかしていたのか不思議なくらい、それはとても大きく育っていた。
抱きしめ触れている皮膚の表面から羽馬の熱を拾って、じわりじわりと染み入るように俺の表面から全身へ広がっていくこの甘さを単語で表現するには、すごく難しい。
だからもっともっとと、腕に力がこもっていく。
腕の中の、きっと迷惑被っていただろう羽馬が、呻いた。
「ど、どーゆうことだーっ」
そしてえーんえーんと、子供のように泣き出してしまった。