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恋するキャンバス  作者: 犬野花子
峯森誠司
23/32

9話 勇み足、勇む足

 喫茶店の前で円堂先輩と別れて、なんとなくぼんやりとその後ろ姿を見つめた。

 あの背中を必死で追っかけた、当時の記憶が蘇ってくる。


 あの時の俺は、本当に不思議なくらい見境をなくしていた。

 中学一年生の文化祭で、美術室で見てしまったあの絵の衝撃よりも、俺は激しい衝動を抑えられないでいた。


 一度噂となっていた羽馬と円堂先輩のことは、二度目の炎上レベルが桁違いに猛烈だった。学校全体が揺らぐほど一気に火の手が上がるような、そんな広まり方だった。

 同級生上級生誰もがみな隠す気なんかなく、口々にふたりの話題を持ち上げる。

 俺は、以前あった上級生の攻撃を、羽馬がまた受けるんじゃないかとヒヤヒヤしていたし、なるべくそうならないように彼女の行動を意識していた。だから、あんなにいつも元気一杯だった羽馬の表情がどんどん暗くなっていっているのにも気付いたし、部活もせず帰路についている姿も見てしまった。いつも楽しそうに誰かと喋っていて、部活終わりに筧とワーキャー言いながら帰っていた姿は、パタリと消えてなくなった。

 ひとりでコソコソと逃げるように帰っていく姿を何度目かにして、テニスラケットを握る自分の腕が震えているのに気付いた。


 頭に血がのぼってしまっていたんだろう。その日、初めて部活をサボっていた。美術室に向かって、そこでもう三年生は引退して来ていないと聞いて三年生の教室に向かいなおしても、俺の足は止まることはなかった。

 円堂先輩を、渡り廊下にあえて呼び出した。羽馬が以前、上級生たちに嫌がらせを受けた場所に。


「どーいうつもりですか」


 落ち着こうとすればするほど、声は震えてしまって、もう自分でもコントロールできそうにないと思った。目の前で不思議そうにこっちを見る先輩に、ただただムカムカとしていた。いや、怒りの感情にむしろ身を委ねていたかもしれない。


「なんのことかな?」

「アイツが、どんな目に合うかわかってて、やったんですか?」

「……あぁ、なるほど、ね」


 円堂先輩の表情は変わらない。ある程度、予測していたんだろう。だとしたら、なおさら許せないと思った。


「先輩の勝手な行動で、羽馬がひとり犠牲になってるんです。部活も行けない、逃げるように帰らなきゃいけない。なんであんなことっ」

「じゃあ――」


 俺の言葉を遮るように、先輩は一歩前にきた。


「僕はずっと遠慮していかなくちゃいけないわけだ。周りの目を気にして、目の前のものを奪われるのをただ見守るだけの人形になれっていうの?」

「そんなこと言ってない! あんな目立つやり方、わざわざすることないじゃないですか!」

「ああ、そうだね。確かにね……。でも、あれが僕の精一杯の自制なんだよ」


 先輩はうかがうように、ジッと俺の目を見つめてきた。


「君は、ない? どうしようもなくなること。僕はきっと無理。目の前で気持ちを伝えたら、自分がどうするかわからない」


 なんとなく、その時、あの絵が浮かび上がった。儚げで女性的で……。


「僕は、彼女を抱き締めたいし……なんだったらそれ以上のことをしたいと思ってるよ」


 ガッと鈍い音がして、狭まった視界の中に頬を押さえる円堂先輩の姿があって。

 ジワジワと右手が疼いてきたことで、自分が仕出かしたことを悟った。


 そのまま逃げるように飛び出した三年前のことを、俺は今、先輩の背中を見送りながら思い出してしまったことにうなだれる。


 当時は思い至らなかったけど結局のところ、円堂先輩はなにひとつ悪くない。俺がガキすぎてたったひとつの正義だけで殴ってしまった。あの時も、今だって、先輩はあの行為について怒ってこなかった。先輩は、どこまでいっても俺の前を行く人で、とうてい追い抜くことのできない相手なのだ。この疼きまくる劣等感は、きっと晴れることはないんだろう。


 **


 先輩と対面したせいで、ずっと落ち着かなかった。寝て起きたらどうにかなるほど、俺はノーテンキにできてなかったようだ。

 ずっとザワザワしているざらついた感覚は、顔洗っても朝食流し込んでも歯磨きしてもまとわりつく。学校の騒々しさや授業に集中しようとしたって、頭とは違う場所でずっとザーザーと雑音が流れている。


 どうにかしたいと思った。このまま、気付かぬフリをして有耶無耶にして流してしまえば、鋭い痛みをこうむることはないが、ずっと後遺症のように疼きは残るだろう。中学時代の後半のように、自分が動かなくても必要なら相手が接触してくるだろう。勘違いな行動しなくてすむしな、なんて呑気に時間をドブに捨てていって、結局その時のツケを未来の自分が払うことになるんだったら、やっぱり動くべきなんだと。


 意気地をなくす前に背中を無理矢理押すかのごとく、今日は水曜日だった。委員会の内容がまったく頭に入ってこなかった。ありがたいことに筧は初日以降、俺にまったく興味をなくしてくれたようで近付いてくることもなく。俺は終わると同時にダッシュして理科室に向かった。美化委員会はすでに終了していて羽馬の姿はすでになく、今度は昇降口へ走り出す。靴を適当に履いて外へ出れば羽馬の姿があったけど、その隣には女子がいて明らかに一緒に帰っている様子だった。


 何歩かそのうしろをついていくかたちで、俺はさっきまでの勇み足を弱らせていく。


 呼び止めて、羽馬をひっつかまえて、何をどういうつもりだったか頭を巡らせる。さっきまでパンパンに膨れ上がっていた言葉のかたまりはどこにやったのか、どれも形をとどめていない。

 なにがどう気持ち悪くざわつかせているのか、なにをどう焦って気持ちを持て余しているのか、まったく整理ついていなくてそんなんじゃまとまるわけもなくて。


「あ、れ? 峯森くん?」


 ドキンと跳ね上がった心臓と視線の先に、立ち止まり振り向く羽馬がいた。見つかってしまった……。


「あ、お、おつかれ……委員会……」


 かろうじて絞り出した台詞は、まともに届いただろうか。


「……え、あ、うん。おつかれ……」


 羽馬の声はあきらかに戸惑っている、カタコトだ。

 いよいよどうにも心臓に悪くて、かたまってしまった足を無理矢理動かそうとした。通りすがりに挨拶したテイでいこうと防衛本能が働いたからだ。だけど、それ以上に想像力を働かせた。このまま羽馬の横を、なにもなかったかのように通り過ぎていく自分の、その先を。なにも伝えられなかったと後悔して、ひとり腐っているだろう未来の自分を。


「……あの、さ……ちょっと、話あるんだけど……」

「え……、あ、はい」

「あ、じゃあわたし行くわ、はーちゃんまた」

「あ、うん、ばいばーい」


 この(かん)五秒ほどだったろうが、油汗か冷や汗かもうわかんないやつで、全身ビショビショになった感覚だ。


 ふたりだけになって、いつまでも立ち止まって無言でいるのもおかしいと気付いて、足を必死で動かせば、少しうしろを羽馬はついてきた。

 なんとなくちらりと振り向けば、羽馬はなんともいえない微妙な表情で、横に並ぶように歩幅も合わせてきた。


 どうしよう。

 まじでなんも出てこねえ。


 あの校門を出たら、何かしら切り出そう。あの交差点で立ち止まったら、なんでもいいから単語を発しよう。いやもう駅に着く前に、一瞬でもいいから視線を横に向けよう。


「峯森くん」

「っえ?」


 まさかの向こうから切り出され、体が跳ねるように足を止め振り向いた。

 羽馬は戸惑っているのか、少しぎこちなく人差し指をさしている。


「そっち、駅裏に出ちゃうよ?」

「……あ」


 電車に乗りにきた駅を、そのまま突っ切るように歩いて出ていこうとしていたようだ……。






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― 新着の感想 ―
[良い点] ちゃんと貴公子先輩のことをわかってくれてて何よりです(●´ϖ`●)
[良い点] 熱中症になりかけて家に招かれたエピソード思い出してニヤニヤしました。突撃された側が冷静なのも一緒で仲良しか! [一言] 最後の交換日記に何を書いたかヒントが出揃った感。報われるといいなぁ
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