8話 記憶よぶっ飛んでいってくれ
お互いに行き先や予定には触れないで、他愛のない話を続けて、やがて目的地の駅のホームへ、電車はたどり着いてしまった。
なんとなく、お互いうかがうように、車両を降りて、ホームに上がって、改札くぐって。タイミングを見計らうようにソワソワして。
即刻「じゃあな」と別れたかった。だけど、この駅に降り立った時点で、俺は色んな方向に呪いの言葉を放った。
地元が一緒の高校一年生の生活圏内や活動範囲なんて、丸かぶりなのだ。上りの列車を待っていた時点で、高校の最寄り駅かこの街の駅が目的地でしかない。そして……。
駅二階の広場で、赤尾先輩はすごく目立っていた。原色の服が飛び込んできたからだ。
「峯森くーん!」
跳ねるように目の前までやってきた先輩は、はたと立ち止まり、羽馬に視線を止めている。その視線があからさまにぶしつけで、さすがに羽馬が一歩後退したのが気配でわかった。
「あ、先輩。あの……地元の幼馴染です」
「あーなーんだ、びっくり」
「こ、こんにちわ」
羽馬の声がさすがにビビって震えている。そして俺も泣きそうだ。あーこれ、絶対誤解される。いやされたな。最悪だ。
「あれ? ひょっとして、この間峯森くんと一緒に帰ったっていうの、この子?」
威嚇している感じではないが、興味津々が全面に出ている先輩の圧に、羽馬は怯みきっている。ちらりと俺を確認するようにうかがってきた。
「小学校から一緒なんで」
頼むから先輩、もうこの地獄のような時間を延長しないでくれ。
「てか、バスの時間が、先輩」
一刻もはやく退散したかった。先輩と一緒のところをいつまでも見られたくなかったし、もうひとつの恐怖からはやく逃げ出したかったんだ。
「じゃあ……」
羽馬の目を見れないまま、雰囲気だけ顔を向けて歩き出そうとして、心臓がビリリと裂ける感覚が鼓膜を伝って落ちてきた。
「あれ、もしかして、誠司くん?」
穏やかで落ち着いた、あの頃より低い声音。それでも俺の心臓をざわつかせるには十分な破壊力だ。
羽馬が呼ばなくなったその呼び名に、一瞬にしてあの時の光景や、色彩や、台詞が巻き戻され蘇る。
目の前で、久しぶりに至近距離で見た円堂先輩は制服姿なのに、男の俺からしてもとてつもなく色っぽくて、かっこよくて、甘やかな雰囲気で。
「ち、ちわっす……」
条件反射で頭を下げた、すべてに敗北で、眩しくて。なにより、俺は勢いにまかせてこの先輩を叩いてしまった黒歴史を抱えている、言わば罪人だ。合わせる顔がなくて、そうするほかなかった。
「やーぁ、懐かしいな。ていうか、すごい背が伸びたね」
円堂先輩は、変わらず穏やかな声音で。だけど、頭を上げてもまともに見ることができない。てか、居たたまれない。
「あの、それじゃ、これで」
俺はとにかく、息苦しさから逃れたくて、なにも見たくなくて。
羽馬と円堂先輩が、仲良く並んで歩いていく姿も、距離が近くて先輩の腕が羽馬の二の腕に触れるかもしれない瞬間も、少し離れた先で手を繋ぐかもしれない仕草からも。とにかく逃げたかった。
「あ、待って、峯森くん!」
赤尾先輩の声がずいぶん後方から聞こえてくる。
俺、そんなにダッシュで尾っぽ巻いて逃げ出したのか。どんだけカッコ悪いんだ。どんだけ惨めな姿、晒してんだろ。
結局、バスで商業施設までは辿り着いたけど、とても映画を見る気分になれなくて。赤尾先輩には悪いことしたけど、とんぼ返りしてしまった。
**
月曜日の赤尾先輩は、あからさまに無視を決めこんできていた。そりゃそうだ、怒って当然だ。どんなに顔がタイプだと言おうが、中身がこんな俺じゃ誰もが呆れ離れると思う。
そんな様子が、今度は先週とまったく逆すぎて、部員もコーチもニヤニヤがさらにパワーアップして、ほんと部活がやりにくいったらありゃしねえ。
けど、そんなのぶっ飛ぶぐらいのことが、火曜日にやってきた。
精神的にヨレヨレの状態で部活終えて、地元の駅に着いた時、小さな待合スペースでスクッと立ち上がった気配に、足がかたまった。
「誠司くん」
「……! え、円堂、先輩?」
なぜ先輩が、という驚きに「いやいや先輩の地元でもあるし、いてもおかしくねーし」と落ち着こうとする反動と、でも「いや、でもここで時間を潰す意味とは!?」と、脳内がパニックだ。
そんな状態で硬直している俺なんか知る由もない先輩は、読んでいたらしい小説を鞄に入れると目の前までやってきた。
「よかったよかった。もう帰ってるかと思った」
「え……え? 俺を、待ってました?」
「うん。少し話そうよ」
嫌、とは言えない。先輩に対して、色んな意味で。
駅を出て右手の小さな商店街の中に、ノスタルジックな古い喫茶店があって、先輩は迷いなく席につき、分厚いメニュー本を開いてくれた。
小さな店なのにメニューは沢山あって目移りしたのか、もはや動揺で目が泳ぐのか、無難なコーラを選んでしまった。
先輩はアイスコーヒーで、なんかそんなところも年上なのを感じて滅入ってしまう。
頼み終えると沈黙になり、それが落ち着かなくてとりあえず口を開いた。
「こんなところがあったんですね。知らなかった」
「落ち着いていいでしょ? 待ち合わせによく使ってたんだよ」
「そーですか」
「誰と、とか気になる?」
「え」
視線がぶつかってしまった。
シャープな目元に何かを含ませて投げかけてくる。スマートで紳士的な見た目とは裏腹に、意外と意地悪なひとのようだ。
「……いえ、別に……」
そして俺は、懐のちっさい人間である。
そのまま黙りこくっても先輩は気にもしていないのか、飲み物が運ばれるまで中学時代の先生の話や高校での様子を聞かれたりして、ますます何を切り出されるのかと汗が止まらない。
コーラをグラス半分一気に飲んでしまった。喉がカラカラなのとモヤモヤを晴らしたいのとで。
「この間はビックリしたなぁ。デートの邪魔、しちゃったかな?」
やっぱりというか、日曜のことに触れられてしまった。できることなら消し去りたい一日なのだが。
「いえ、……デートとかじゃないです、から」
「そうなんだ。じゃあ、これから彼女になるのかな?」
「いえ、ほんと、そーゆうのじゃ、なくて」
「そっか。すごくかわいい子だったけど、残念だね」
「……はぁ……」
円堂先輩は、もう一度グラスに口をつけてから、ゆっくりとテーブルに戻した。
「残念だなぁ。ほんとに残念」
なんとなく、視線を上げた。先輩の意図を探ろうと。
視線が真っ直ぐぶつかる。
「あともうちょっとだったのに。いっそのこと、ヤケになってくれればよかったんだけど。難しいね」
「……なんの、ことですか?」
先輩はしばらくジッと見つめてきて、フッとゆるむように息を吐き出した。
「ごめん、性格悪いね、僕」
多分、先輩が悪いんじゃなくて、俺自身の問題だ。あえて神経を鈍らせて鈍感でいたいのだ。傷付きたくなくて、鎧を着込みまくって身動きすらできないでいる。
先輩は、再びグラスを持ち上げようとして、ストンとその手は力をなくしたように落ちた。
「あのあと、結局デートにならなかったんだよね。すごく、ショックだったんだろうね。君が、誰かとデートしてるって目の当たりにして」
「……え?」
先輩の言葉を、どこかぼんやり遠くのほうで聞いていたためか、すぐに理解できなかった。俺のことをズバリと言われたのかと思って肝が冷えたけど、続く言葉がクリアに飛び込んできた。
「羽馬さんは、君のことが諦められなくて、苦しんでる」
予想もしていなかった言葉に、全身が粟立つ。
アイツが、まだあの頃に近い気持ちを、持っていてくれて、た?
ぐるぐると思考を巡らせてみても、そんな要素はひとつも見つからないのに。明らかに距離を置こうとしていた。最近になってようやく会話するようになったけど、それはあくまで幼馴染として、距離を保った状態で。名字でしか呼ばなくなって、必要がなければ話すこともない。どう考えても中学の頃とはまったく違う大きな溝が間にあるのに。
それでも俺は、アイツがやりきれない気持ちを燻らせて苦しんでくれたということに、高揚していく感覚に、小さく身震いをした。