7話 やっかいな性格
赤尾先輩は肉食系女子だった。
部活中、そこまであからさまな態度は今まで取ってきていなかったと思うが、今日の先輩は違っていた。
「峯森くん、はいタオル」
「峯森くん、はい水筒。あ、スポドリのほうがいい?」
「峯森くん、手首大丈夫? さっきボールぶつかってなかった? 湿布しとこ?」
すべて上目遣い付きのハイトーンボイスである。さすがに部員のみんながみんなニヤニヤしはじめて練習にもまったく集中できない。コーチにまでもニヤつかれて、まじしんどかった。
ほとんど練習にならないまま針地獄のような時間を終えて、体は疲れてもないのにぐったりしたまま着替えも終え、竹井と昇降口を出たところでやっぱり赤尾先輩は待ち構えていた、とびっきりの笑顔で。
「あ、じゃあ峯森、グッドラック!」
「あ! 待て、竹井! おい!」
逃げられた。変なことだけ察しがいいのは、アイツの欠点だな……。
「峯森くん、一緒に帰ろ?」
先輩はクリンクリンしたツインテールをゆらゆら揺らしながら満面の笑みだ。
「いや、あのですね」
俺、ちゃんと断ったよな? 濁してねーよな? 付き合えないって、ちゃんと言ったよな?
「一緒に帰るの、駄目なの? カップルじゃなくても、一緒に帰るのはアリでしょ?」
艶々の唇がそう動く。
なるほど、これは先輩の耳にも噂が届いたと思われる。
「……なんか、話でも、あるんすか?」
「とくにはないけど、なんでも話したいな」
どうやって断わればいいのか、さっぱり浮かばない。いつも一緒に帰る竹井に裏切られた今、「誰かと約束してるんで」なんて手段も使えない。いやそもそも、帰るだけなら断る理由もない、だから浮かばないんだよな。
なにかないかと周囲を見渡せば、好奇の目にガッツリさらされている状態であることに今更気付いた。
部活の終わった時間帯に出入りの多い昇降口で立ち止まったままであった。
顔面がボンッと火照ったのを隠すように俯いて、そのまま足を進めた。先輩もなんのためらいもなくすぐ横に並ぶようについてきてしまった。
俺はもうロボットの気分で、周りの景色を視界に入れないように忠実に足元だけを動かすという作業に集中した。
「峯森くんって、部活ない日は、なにして過ごしてるの?」
「……とくには」
「じゃあ、今度の休み、どっか行かない?」
「なんでですか」
「えーだって、一緒にどこか行きたいじゃん」
「……」
しっかりきっぱりと交際を断ったという俺の記憶が揺らぐほどの潔さであった。
思わず足が止まる。
「……あの、先輩」
「ん? なあに?」
「なんで、そんなに、俺のこと……」
言いにくい。てか、相手に自分の好きな理由聞くことすら、俺の人生であるなんて思わなかった。だけどここまで熱心に追われると、その熱意はどこからくるのか気になってしかたない。
先輩は目の前で、くねくねと照れたように身をよじらせている。
「えへ。だって峯森くんの顔が、超好みだから」
「……」
赤尾先輩という生き物は、清々しいほどにどストレートなひとであった。
そのあと、どう先輩をかわして無事帰路につけたのか。
ずっと考えこんで、気付いたら家だった。
赤尾先輩の明快な理由と解答が、恥ずかしさを通り越して羨ましかった。
顔が好みだから断られてもがんばっている。顔が好みなだけで、あんなに積極的になれる。……理解しがたいけど。
ついでに言うと、「あとね、身長差も絶妙なの。頭いっこ分とか、サイコー」という、明快を通り越して豪快な理由に、俺はなんてちっちゃい人間なんだとさえ思えてきた。
俺は、誰のどこが好きとか、誰のここが嫌いとかなんかじゃなくて、ただ恥ずかしいし意味わかんねーし、っていう感情だけで相手を突っぱねてきている。相手を知ろうとも受け止めようとも、一度だってチャレンジしたことはなかった。
……羽馬は、そんな絶好調にちっちゃい俺に、ずっと滅気ずに挑んでくれていて、そしてきっと、しょーもない俺に幻滅して、円堂先輩という大人な男を選んだんだ。そりゃそーなるわな、と理解した。
「なんだよ、ちくしょう」
今さらこの焦りなんて、なんの役にもたたないのに。今になって、今ならきっと両手を広げてしまうほどにたかぶってしまったこの気持ちが、後悔という名の罰だってのもわかっているのに。
**
水曜日の委員会後、赤尾先輩が待っていて、細切れで繋がっていた羽馬と過ごす時間はなくなった。
先輩が駆け寄ってくるのを見た時の、アイツの「あ」の唇の形は何度も何度も頭に浮かんでは沈んで底にたまっていく。
なんとも言えない喪失感の理由に蓋をして、このまま流されていけばいつかこのやるせない気持ち悪さは薄れていってくれないだろうかと、思ってさえいる。
顔だけが好みなら、こんなしょーもないヤツがどんなに残念だと知られてもなんともない。それだったら、このまま強く塗りつぶしてくれる強い波に呑まれていけば楽になれるかもしれない。
赤尾先輩と、部活が午前終わりの日曜に映画を見に行く約束までした。
この小さな街に映画館などなく、ふたつ隣の都会にある商業施設が目的地で、そこの駅で待ち合わせすることになっていて、一旦家に戻って昼飯食べて着替えてからまた地元の駅に戻った。
まさか、そこで羽馬とかち合うなんて、思ってもなかった。
「あ、峯森くん」
上りのホームで小さな本を読んで電車を待っていた羽馬が、私服でスカートをはいていたことに、なんだかすごくショックを受けて、すぐに反応できなかった。
「……あ、おう……」
会いたかったようで、会いたくなかった。なんで俺はここまで厄介な性格になったんだ。
気付きあったからには別々に待つのも奇妙すぎる。ギクシャクする手足を無理に動かして、なるべく自然に羽馬の横に並んだ。
「峯森くんも、遊びに行くの?」
「……ああ」
頼むから目的地が別であってくれと、今俺の財布の中の小銭を全部賽銭にしていいから神様頼むと、汗ばむ手のひらをジーンズに擦りつけた。
そして、ちらりと横を覗き見る。ひらりとスカートの裾が視界に入った。
中学の頃の羽馬の私服はまるで少年だったのに。「峯森くんも」と言うことは、羽馬も遊びに行くのだろう。誰と? そんなの、決まっている。
「部活、半日だったの?」
「おう、顧問の用事で。バスケも?」
「昨日練習試合で遠出したから、午前中だけで終わった」
「そっか」
先週はあんなにスラスラと自然に楽しく喋れていたはずなのに、なんだこの俺の緊張感は。ちゃんと呂律回って聞こえてるんだろうか。ああ、ドリンク買いてぇ。でも今このタイミングで離れて自販機行くのも、変に思われるか?
「あ、電車来た」
線路の続く先を覗き込む羽馬の髪の毛が、はらりと肩から滑り落ちていく。俺越しに見ようとして、前のめりになったその仕草が、妙にドキドキした。
薄手のシャツの肩口は透け感のあるヒラヒラとした生地で、細い二の腕が太陽の光で白くてかっていた。
自分の手のひらが、勝手に伸びていきそうになって、誤魔化すように額の汗を拭う。
冷房の聞いた車両に乗り込めば、その熱と衝動は治まる、そう願わずにはいられなかった。