4話 久しぶり
次の日の学校で昼休みに、竹井が不思議なことを言ってきた。
「なんか、お前のほうが落ち込んでないか? 今日」
「……は?」
どっかのコンビニで買ってきていたらしい昼飯を、ビニール袋から机へと出していく竹井に視線を飛ばす。
そんな竹井のほうが、能面な顔をしているのに。いつも無駄に陽気なお前のほうが、絶対落ち込んでるだろうが。
「俺が、何に落ち込むってんだよ」
「いや知らんけど」
睨んでみれば、竹井のほうはキョトンとして、それから口を尖らせた。
「そもそも昨日の今日だっちゅーのに、オレをひとつも慰めてくれねーじゃんかよ」
「あ、ああ……そういうことか」
何を勘違いしてたんだ俺は。別にコイツは、意味ありげな言葉を投げてきたわけじゃなかったってことだ。……てか、なんだよ"意味ありげ"って。あーっ、もう自分でもわけわかんね!
だが、これだけはわかる。今日は絶好調に絶不調なことを。動作にうつるのものろいし、思考も停滞している。多分このままだと、部活中にボールが頭に直撃する自信すらある。
「お、お前ら!」
わかりやすいほどの足音がして駆け寄ってきたのは、幸太だった。
「どうだった? どうだった?」
「チッ、なんだよ幸せもんは、オレの不幸を笑いにきたのか。お前なんかずっと彼女と弁当でも食って腹痛おこしてトイレへ駆け込めっ」
完全に立派にヘソを曲げている竹井が、シッシとばかりに幸太へ手の甲を振った。
だが、お構いなく幸太は空いている椅子を引っ張り寄せて座ると、グイッと首を伸ばしてきた、俺のほうに。
「誠司、どうだった?」
「……どうもなにも……」
口にしたくないし、俺が言うのも変な気がする。
「てか鈴木てめえ、知ってたんだろ本当は。彼女から聞いてたんだろ。オレをもてあそんで楽しいのか? ああん?」
幸太の肩をガシッと掴んだ竹井は、ユサユサと前後に揺らし始めた。
「知らねえって、ほんとに! 美乃里ちゃんに聞いても、うっすら笑ってるだけだしっ」
「アイツは彼氏のお前にもそんな感じなのか」
筧の薄ら笑いなんて容易に想像できる。
「で? 羽馬は誰と会ってたんだ? 知ってるヤツ? てかそもそも本当に男だったのか?」
俺がソッポ向いたもんだから、幸太は竹井にターゲットを定めた。竹井は発散するかのように口を開いた。
「男だったよ。しかも、すんげーイケメン。なあ? 峯森」
「イケメン! マジか、羽馬が、あの羽馬が」
幸太は幸太で羽馬に男がいるイメージがなかったらしく、激しく驚いている。
「しかもさ、制服があれ、どこだっけ。私立の有名なとこじゃねーかな。なあ峯森、あれどこだっけ?」
「よその高校ってこと? え? どこで出会ったんだ?」
「明らかにオレらより年上だぜ。あ、くそ! 写メ撮ればよかった!」
ふたりはどんどん盛り上がって興奮していくようで。逆に俺が、どんどん沈んでいってるような錯覚さえする。
幸太には、先輩だったことを言いたくなかった。言えば、確定のような気がするから。どこぞのイケメンなら、ただの噂や見間違いや勘違いですむ気がする。けど、先輩だったと認めれば、「ああ、なるほど」ってわかりやすいほどにそれは現実となる。
……ん? それがなんでこんなに、不快なんだ?
「はぁ、新しい恋を、探すかーぁ」
竹井は、ドスンと椅子に座り、思い出したかのように昼飯に取り掛かりはじめた。
そして俺は、目の前の紙パックのジュースを意味もなく指で弾いて、倒れたそれをただボーッと見るだけで休憩を終えてしまった。
**
どう過ごしたのか意識ないまま一週間経って、水曜日。もはや水曜日だと気付くことすら避けたかった。だけど部活はなく、どこか寄り道する気も起きずに竹井と駅までたどり着いた。
先週のリプレイでもしているかのようで、無性にソワソワしていたけれど、竹井は駅で合流した同中の奴らとカラオケに行くと、元気に上りのホームへ向かっていった。
「アイツの神経、鋼かよ」
今日もきっと、上りのホームにいると思われる羽馬の姿を見かけて、心臓縮ませるがいい。と、ダーク化しながら下りのホームへと降りた。
……羽馬がいた。
いや、正確には筧と幸太と三人で列車を待っていた。
今日は、先輩とデートじゃないのか。毎週デートってわけじゃねーのか。
と、ぐるぐる頭の中が余計なことで占めそうになって強く頭を振った。
「あ! 誠司!」
幸太の呼び声にドキリとして大げさなほどの勢いで振り向いてしまった。手を振る幸太の背後をあえて見ないようにしながら「おう」と、いつも通りのトーンで返事した、と思う。
「帰るタイミング合ったな、一緒に帰ろうぜ」
「あ、ああ」
こっちを見ているであろう羽馬と筧の視線にぶつからないように、重い足をなんとか動かした。
息が詰まるかと思ったが、なんも空気を察していない幸太の無駄話のおかげで、違和感なくその場にいられて、やがて列車もホームに入ってきた。
このまま幸太と一緒に帰るかたちになるとホッとして、列車に乗り込んだ。
だが、とんでもない悪魔がいた。
「あ! しまった、学校に忘れ物した!」
筧は下手くそにポンッと手を打ってみせると、乗り込んだばかりの列車からホームへ降りたのだ。
「ごめん千香子、先に帰ってて」
「え? あ、うん」
「ほら、幸太、あんたは降りる!」
「ほえ? え?」
「彼女をひとりで学校に戻らせる気?」
全部一瞬だった。筧は、なんも頭が働いていなかったらしい幸太の腕を引っ張り、列車から降ろすと、羽馬に手を振った。羽馬も、戸惑いつつもつられるようにして手を振り返している。
ニコッと怖すぎる笑顔の筧とキョトンとした幸太に何も対応できないまま、閉まっていく列車のドアを目の当たりにしてから、激しいほどの緊張感と絶望に襲われた。
(はめられた!)
何をしてくれるんだ筧め! 俺と羽馬をふたりっきりにして、いったい何が楽しいんだ!
列車が動き出した反動で揺れた体を支える力がこもらなくて、一歩足を踏み出してふんばる。
ところが横の羽馬も踏ん張れてなかったのか、目の端で大きくよろめいたもんだから、思わず腕を掴んでしまった。
「……っあ、ごめ、ありがと」
「あ、…おう」
すぐ横の手摺に掴まっていたのを見て、パッと腕から手を離した。
咄嗟とはいえ迂闊すぎた。そりゃ、子供じゃないんだから自分で手摺に掴まるよなっ。いらん世話だし、なんならセクハラだし、カッコつけみたいでああクソッ恥ずかし!
自分でさらに地獄の炎に油を注いだ状態だ。暑すぎて、シャツのボタンをひとつ外した。
この沈黙がキツすぎる……。
「……元気だった?」
羽馬に似た小さな幻聴が聞こえた。いや、本人か。聞き間違いじゃなくて、羽馬から沈黙を破ってくれていた。
「おう。なんか久しぶり、だな」
こうやってふたりっきりの状態で会話するのは、思い出そうとしても、高校に入ってからなかったかもしれない。いや、もっと言うと、中学の時だって後半は、なかった……?
「なんか、でっかくなった?」
「は?」
思わず振り向けば、少し視線をおろした先に羽馬の顔があった。
あまり変わらなかった身長は、いつの間にかこんなに違っていた。
「でっかいって、言い方」
「ふふっ」
顔をそらすようにして吹き出し笑う羽馬に、思わず頬がゆるんでしまった。
一気に中学時代に巻き戻った、そんな気さえした。