1話 青天の霹靂
俺という生き物は、コンプレックスの塊みたいなもんだ。
上に姉がふたりもいると、誰でもそうなると思うけど、お下がりが全部女の子仕様。外を歩けば「三姉妹」と言われて、”男らしく”ありたいと強く願うようになるのは自然なことだった。
おままごとが妙に板についていることとか、女の子向けアニメに妙に詳しいとか、そんなのを悟られたくなくてひたすら外遊びに明け暮れた。絶対女子なんかと遊ぶもんか。もっと言うと、絡みたくもないと異様に決意していた時期だってある。
だからそんな俺が、恋愛なんてふわふわした異物に対応できるわけがなかったんだ。
付き合うってなんだ? 一緒に帰りたいんなら、「一緒に帰ろう」でいいし、遊びたいなら「遊ぼう」でいいし、それくらいなら俺だってもう変なこだわりなく「いいぜ」と言ってのけるぐらいには成長したんだ。
成長していたつもりだった。
結局、恋愛という謎のワードに振り回されて、気がつけば大事な何かを見落として、知らないうちに在り処がわからなくなって、今さらどうしようもなくなっている。それが、今の俺だ。
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「いーなー、峯森はさー。モテ期突入かよー」
昼休み、目の前の机を陣取ってユサユサ貧乏ゆすりをしているのは高校に入ってよくつるむようになった竹井賢輔だ。同じテニス部に所属して同じクラスとなって、気も合うやつだけど、こいつは俺と真逆の性格かもしれない。出会ってすぐに「彼女欲しい、とにかくモテたい」と嘆いていた。
「で、どーなったんだよ? 赤尾先輩とどこまでいっちまったんだよお」
「ばかっ、声がでけえ」
周りの女子が振り向くのが見えて、竹井の口を、持っていた菓子パンで塞いだ。
竹井は切れ長の目をさらに細めて、モグモグと口をしっかり動かしゴックンと呑み込んだ。
「マネージャーで先輩で、かわいいとかさ、もう典型的な青春謳歌しちゃってんじゃーん。オレにも幸せを分けてくれ!」
「だから、どーにもなってねーっつーの!」
どこから情報が漏れたのか、先日テニス部の二年生に告白されたことを言ってきているが、俺はその場でしっかり断っているんだ。
「まさか、あの先輩も断ったとかいう、変なマウントオレに取ってんのか! お前、あれもこれも断ってて、あ! そうかお前のターゲットは男? あ、オレ?」
「アホか」
悪いヤツじゃないが、対等に相手していると疲れるヤツではある。
「信じられん。いったいどんな子となら付き合うんだよおめーさんはよっ。いーよなーモテる人生、告白したことないヤツはよーぉ」
竹井は俺の手から残りの菓子パンを奪うと、勝手に食べ始めた。
その豪快な頬張りをぼんやり眺めて、俺は気付かれないように細くため息を吐き出した。
告白まがいのことなら、したことある。あの時は、そんなつもりではなかったかもだけど、今思えば、そういうやつだった。
だから、俺にとっての最大の冒険とピークは、あの時すでに終わりを迎えているんだ。
「おっす。ん? 何事?」
別のクラスに行っていた幸太が戻ってきて、そのへんの椅子を引っ張ってきて座る。
「くそ、幸せ一号か」
竹井のターゲットが、幸太に向いたようだ。
「そうだ。オレは幸せ絶頂期だ」
幸太はニヤニヤして反撃を繰り出し、撃沈した竹井はガックシと項垂れた。
幸太は中学の頃から筧美乃里に告白し続けて、ついに高校入学と同時に付き合うことになった。この高校が合格ギリギリラインだったが、本人曰く「愛の力は偉大じゃ!」と、親をヒヤヒヤさせながらも合格を勝ち取った。
「ということは、竹井はやっぱり玉砕したのか、そーかそーか」
「くっそー! まだオレはここでくたばらんぞ!」
「ん? 玉砕って?」
ふたりの会話に思わず口を挟めば、コーヒー牛乳を一気に吸い込んだ竹井が、深いため息をつく。
「そーだよ、コクったけどダメだったんだよっ」
「いつの間に」
「彼女だよーって驚かせてやろうかと思ったんだよ」
竹井は見るからにスポーツマンな雰囲気で、健康的だし陽気だし、部活はちゃんと真面目なヤツで、そんなヤツでもダメなのかと、わりと正直に驚いた。
そうか、最近の妙な絡みは、それが原因だったのか。
「いいか峯森、抜け駆けはすんなよ? どー考えてもお前には負けそうだけど、オレだってまだ諦めてねーから」
「えー、また告白すんの? てか、相手、誰だったのさ」
幸太も相手は知らないらしく、身を乗り出してきた。
「言ったら、協力するか?」
切れ長の目を、流し目で俺と幸太に飛ばし、竹井はもう言う気満々なのか、続けて言う。
「D組の、羽馬千香子」
「……」
最悪だ。
違和感ありまくりの沈黙に、竹井のほうが落ち着かず、オレと幸太を交互にうかがっている。俺はともかく、幸太までかたまっているからだ。
「え? え? 何? なんでふたり無反応なんだ?」
「あ、いや……」
自分でも、わからない。別に、俺とアイツの間には何もない。かたまる理由も、最悪だと思う理由も、ないはずだろ。
「意外、ていうか、ビックリっていうか、ほら、俺と幸太は同じ中学なんだよ」
「え! まじ!? なんだよー、はやくそれを言ってくれ!」
興奮して立ち上がった竹井は、バンバンと俺と幸太の背中を叩いてきた。
「じゃあさ、オレを紹介してくれ!」
「いやいや、お前、もうフラれたんだろ?」
幸太が身をよじりながら竹井の手から逃れる。
「接触ないまま告白してんだから、そりゃフラれるさ! 知り合ってからまた告白すっぞ!」
「なんて前向き」
そう呟いた幸太と、ふと視線が合った。
「ん?」
「誠司は、いいのか?」
「は?」
いいもなにも……。だから、俺は、関係ないだろが。
「え? 峯森に聞く意味、なに!?」
すごい形相で、視線の間に竹井が割り込んできた。
「ちがう、ほら、アイツ、ガキの頃から知ってるから、誰かの彼女になるイメージないって話だよ、な?」
慌てて幸太に荷物を投げ返せば、幸太は特大の爆弾を投げ返してきた。
「けど、今、すっげえイケメンの彼氏いるって、噂になってるよ?」
「ええ!?」
竹井の叫び声が、まるで自分の発したもののように錯覚するほど、俺は大きなダメージを負ってしまった、ようだ。