11話 モテ期よ永遠に来てくれるな
絶対怒られるのはわかってるけど、絶対本人には言わないけど、思わずにはいられない。
まるで“猫”そのものだった、と。
体育祭が終わってもう数日経っているというのに、ずっとあの日のあの残像が頭にこびり付いている。そんでもってそのたび火照って、顔がだらしなくなる。毎回、美乃里ちゃんに「気持ち悪い」と言われるしまつだ。
「また思い出してるじゃん。その顔モザイク必須なんですけどー」
昼休憩で廊下に並んでボンヤリしていたところ、相変わらず美乃里ちゃんのキツいツッコミが入ってくる。
「だってー、だってー」
まるで勇者のようだったのだ。そして猫のようでもあった。猫の勇者と言っても過言ではない。
「いいか思い出せ。あのまぐれ野郎は最初だけだったことを。二回戦目も三回戦目も我が赤組が勝ち取ったことを。ついでにあのまぐれ野郎はマークされてその後の活躍皆無だったことまでもを」
美乃里ちゃんの台無し節は軽快である。確かに、あのあとの対戦では初っ端に囲まれてハチマキ取られていたけども。
「でもでも、何がすごいって、あの激戦を潜り抜けた直後の選抜リレーにも出場してたことだよ。ひとり追い抜いて一位に躍り出てたもーん」
「くっそー、思い出しても腹が立つ。あそこでもうちょっと稼いでいたら勝てたのに!」
選抜リレーに赤組の一年女子代表で出ていた美乃里ちゃんにとっては屈辱らしい。紅白二組ずつの四レーンで女子のトップを走り抜いて一位だったのが、男子の番で誠司くんに抜かれたので根に持っているのだ。
「いいじゃん、結局赤組が総合優勝したんだし」
「自分のチームが負けたのが悔しい!」
さすがスポーツ女子。握りこぶしに青筋まで立てている。
ぷっと噴き出しつつも、なにげなくB組のほうへ視線を飛ばす。あわよくば誠司くんが目撃できないかという、やましさのかたまりで。
だが残念ながら同じく廊下でたむろしている女子たちがワラワラといて、視界は不良であった。
「千香子。だらしない顔ばっかしてないで、どうにかしたほうがいいと思うよ」
急に声のトーンを落として美乃里ちゃんが囁いてくる。
「この顔はもうどうにもなりませんけど」
「違う、顔じゃなくて。いや、顔もだけど」
渋い顔を作って美乃里ちゃんが耳打ちする。
「まぐれ野郎、人生最大のモテ期に突入しちゃってるよ」
「……へ?」
クイクイとB組へと指す美乃里ちゃんの指先を追って振り返る。よく見るとたむろしているのは同じA組の女子たちだ。キャイキャイ言いながら覗きこんでいる。
「誠司くんのこととは限らないでしょ」
「あんたがそんだけニヤケてるように、同じシーンを見て、ヤツを見直したのが湧いて出てきたという危機感を持て」
「なーにーぃ!?」
とんでもない! わたしだけが知っていればいいと思ってたのに! そりゃそうか、体育祭で全校生徒が出揃ってる場で、目立っちゃったのだ!
浮かれている場合ではなくなった。
**
気だけは焦っているけど、だからといって何をすればいいのか皆目さっぱり見当もついてない。
そういえば最近交換日記も止まってしまっていた。二学期に入ったタイミングで、誠司くんから届かなくなっている。体育祭で忙しいんだと思っていたけれど、ひょっとしてモテ期で忙しくなってる?
改めて気を引き締めて周囲を注視するようになってみれば、確かにテニス部を遠巻きに見学する女子の姿がある。以前はなかったものだ。
部活終わりの帰宅も、たいていテニス部の男女のグループで帰っている。それは以前ならたまに見かけていたものだけれど、最近はほぼ毎日となっている。
「やばい」
ついには、誰かが告白までしちゃったという噂まで耳に飛び込んできた。どこの誰だかわからない猛者におののいた。その告白自体は断られたらしいのだが、自分以外に猛者が現れたことにとてつもない焦りを覚えた。
「やばいやばい」
焦って勢いに乗ってもよくないのはわかってきていた。だけど、自分の性格上、このままジッとしていることが無理だった。
夕暮れ、峯森家を少し通り過ぎた電柱の影に身を潜めてしまった。美術部よりもあとに終わったと思われる誠司くんの帰りを待ち構える。もう完全にストーカーだ。
しばらくして道路の先に人影が見え、それが誠司くんだとすぐにわかった。途中で別れたのか、ひとりで帰ってきていることに少しホッとして、大きく息を吸い込み、飛び出した。
「誠司くん!」
「わ!」
夕闇のせいなのか、もしくは電柱に馴染みすぎていたのか、誠司くんはギョッとしたように心臓を押さえている。
「なんだよ! お前か! ストーカーめ!」
「ごめん! ちょっと忍びすぎた!」
「俺の寿命を返せっ」
「いくらでも差し上げます! わたしのでよければ!」
拝むように熱心に両手を擦り合わせて謝罪を全身でアピールすると、「お前はいったいなんなんだ」と呆れた声が落ちてきた。
「あのさ、久しぶりだよね?」
「そうか? 学校で会うじゃん」
「話、できてないもん」
「そんな話すことなんてあるか?」
「交換日記も止まってるし」
「それの催促か。わりい、なんかずっと書くタイミングっちゅうか渡すタイミング見つかんなくて。あ、今書いて持ってくるわ」
クルンと玄関に向いた誠司くんを慌てて止めた。
「いやそれ絶対、テキトーなひと言書きなぐってくるパターンでしょ! またでいい!」
「そんな遠慮するな。俺の生み出した渾身のサインを見せてやる」
「それ絶対、名字をぐちゃぐちゃに書いて済ませようっていう魂胆じゃん! またでいい!」
誠司くんはケタケタ笑い出して、私は思わず「もー!」っと吠え返した。
いやいや、そんなことを言っている場合ではないと、気を取り直して、ジッと見つめ返す。
「ん? なんだ?」
「誠司くんに、聞きたいことと言いたいことがあります!」
「だから、ノート渡すから」
「誠司くん、モテ期きてますか?」
「は?」
みるみる眉根をわかりやすく寄せていく。典型的な”何言ってんの?”顔である。
「体育祭から、周辺は賑やかになってませんか? なんだったら、告白なんかされちゃったりしてませんか?」
「……地獄耳だな」
「あーやっぱり!」
「なんで女子って、そーゆうの盛り上がるわけ?」
「だって、かっこ良かったもん」
「お前ほんと、口を開けてくれるな!」
ワシャワシャと、部活で汗に濡れた髪の毛を掻き乱し始めた。
「誠司くん」
「まだなんかあんのかよっ」
手の動きをピタリと止めて、前髪の奥から睨みつけてくる彼に、背筋を伸ばした。
「好きです! 付き合ってください!」
「……」
言い切ったはいいけど、怖くて目をつむってしまった。そして、沈黙が怖い。今までなら、すぐにノーのレスポンスが返ってきていたのに。いや、それもそれでダメなんだけど、今日はなんだか間が空きすぎている。
「あのさあ」
ようやく声が聞こえて、知らぬ間に止まっていた呼吸をゼイハアと始めた。目はあけたけど、自分の運動靴から視線を上げられない。
「前も言ったけど、付き合うってなに? 女子ってなんでそれにこだわんの?」
「え?」
思わず視線を上げれば、むくれているというか怪訝そうなというか、微妙な表情があった。
「俺だって、別に、お前のこと、女子の中じゃ一番……遊んでるしさ。付き合うって意味がわかんね」
「ど、独占、とか? ふたりだけの世界、とか、こ、恋人……とか」
自分も本当はよくわかっていない。だからわかりやすく思いついた単語を並べてしまった。だから、誠司くんから返ってきた言葉が、ものすごく深く刺さった。
「だとしたら、俺、お前のこと、そーゆうふうには見れない。てか、想像すらできない」
ふわふわした気持ちを押し付けたからこそ、彼の言葉がとても納得いくものでしかなかったのだ。