10話 かっこよすぎるよ
誠司くんも先輩たちもいなくなって、周囲のざわめきがふくらんで耳に飛び込んでくる。
あまりにも突然の出来事が立て続けに起きて、体も頭も重たくてその場から身動きできずにいた。
「羽馬さん!」
視界に飛び込んできたのは、息をきらした円堂先輩だった。
「大丈夫? なにがあった?」
いつもゆったりのどかに構えている先輩にしては、落ち着かなく瞳や体を揺らして、あちこちに視線を投げてきた。
「田口さんから聞いて! 三年生に絡まれてるって!」
田口先輩は、美術部の二年生だ。多分、私の前に捕まって三年生たちに取り調べを受けたのかもしれない。
じゃあ、今、円堂先輩がここへ来たのは、それがキッカケであって、誠司くんが言ってたことは違うというわけだ。あれは、彼の、ハッタリだったのだ。
「先輩! ちょっと、部活遅れて入ります! 行ってきます!」
「え? 羽馬さん?」
ついさっき消えてしまった誠司くんのあとを追って、駆け出した。さっきまでの重かった体が嘘のように、つま先がもっと遠くに、もっと早くと伸びていく。
昇降口へ繋がる廊下で、さっきの野球部員に追いついた。
ならきっと、誠司くんも部活へ向かうため、下駄箱へ向かったはずだ。
途中、先生に「廊下を走るな!」と呼び止められそうになったけど、それもすり抜けた。壁の角を掴んで、曲がり角をスピードもゆるめず走り抜けた。
シューズロッカー前で屈んで靴を履き替えている彼の背中があった。
「誠司くん!」
ギョッとしたように、驚いて振り返る彼の前まで滑り込み、息も整えず口を開く。
「誠司くん! ありがとう! 大好き!」
「わっ!」
飛びつくように口元を手のひらで覆われてしまった。
「あ、アホか! お前はほんとに!」
ダッシュしてきた私よりも、真っ赤に汗だくになっている。グリングリンと周囲を見渡して、動きを止めた周りの視線から逃げ出すように、腕を引っ張られて、校内に戻った。
誠司くんは運動靴のままだけど、たぶん気付いていない。
ズンズンと校舎奥まで引っ張られた。どこかしこにも生徒はいるので、とりあえず誰もいない場所は諦めたようだ。
「大声出すなって、あんなことをっ」
声をひそめようとしたのか、誠司くんの声は変に掠れてしまっている。
「つい、顔見たら。ありがとうって言うつもりだったんだけど」
これは本当である。誠司くんが、ダイナミックな告白を嫌うなのはもう十分わかっているので、次からの告白はもっとちゃんとしようと思っていたのだ。
「ああくっそ、あっつー!」
真っ赤な顔に噴き出している汗を、オレンジのシャツで雑に拭いながら、誠司くんは苦々しそうに睨んできた。
「お前は、なんでもかんでも口に出しすぎ! そんなだから絡まれるんだぞ!」
「口に出す前に絡まれたもん」
「火に油、注ぎまくってただろが、さっき、どう見ても」
「あ、やっぱり。だから誠司くん、さっき助けてくれたんだね」
「っ! 助けてねーし! 手元が狂っただけだしっ!」
腕で口元を拭って視線をそらしているけど、顔が真っ赤なの丸見えである。
堂々と「俺が助けてやったんだ、へへん、感謝しまくれ」とか威張って言ってもいいと思うんだけど、やっぱ変なところで"誠司くん"なのである。
「偶然あの場で、たまたま手元が狂ったってこと?」
「ああ! お前、ついてるな!」
「あはは」
笑ったら怒られるのわかってても、こみ上げてくるものに耐えきれず漏れてしまった。
「もういい! 部活間に合わねーし!」
誠司くんは、ズンズンと足を大きく振り上げながら昇降口へ向かって歩き出した。
たぶん、あれで怒りを全面にあらわしているんだと思うと、怒らせたはずなのになぜだか少し、嬉しかった。
**
二学期が始まると、毎日が飛ぶように慌ただしく忙しい。体育祭に向けての準備しか記憶に残っていない。
登校日に起きた先輩たちの嫌がらせも、あれ以降大きなことはなくなった。きっと円堂先輩が上手く言ってくれたのかもしれない。強い視線をいまだ浴びる瞬間はあるけども。
美術部の総力をあげた垂れ幕も二枚、無事出来上がって、グラウンド側の校舎に飾られた。そして体育祭の日がやってきた。
三学年が縦割りで紅白チームに分かれて対戦する体育祭の盛り上がりはすごかった。それぞれのチームカラーのハチマキを、額や頭、腕や首などにつける。チームごとに作られた大ぶりの団扇や看板などで、待機場所は応援合戦が白熱。秋晴れとはいえまだ残暑が強く残るグラウンド上は熱気でムンムンとしている。
自分はというと、運動神経良くもなくそして悪くもないので、割り振られた玉入れ競技を無事終えて一安心したところである。
あとは体育祭も終わりへ向かっていて、一番の盛り上がりを見せる陣取り合戦と選抜リレーの代表に選ばれた美乃里ちゃんと誠司くんを応援するという使命があるだけだ。誠司くんは敵チームだけれども。
クラスのみんなと、手に赤のボンボンを持って応援団とともに掛け声を張り上げる。B組の白チームも負けず声援をかぶせてきて、グラウンド上の士気は高まってきた。
入場音楽がかかって、赤と白のハチマキをつけた二チームが入場口から枝分かれするように左右に広がっていく。
その中に、白ハチマキをつけた誠司くんの姿を見つけて、異様に心臓がバクバクしてしまう。
(やだー! どっちを応援すればいいのー!)
陣取り合戦は、学校独自の進化を遂げた競技になっていて、男子しか参加できないバトル色の強いものらしい。円堂先輩が「僕は一年の時で懲りたから、もう絶対参加しない。見る分には面白くて、女子たちは大興奮するみたいだけど」と言っていた。
うちのクラスの男子たちも、誰が出るのかと長いことメンバー決めに時間をかけていたのだ。
まさか、そんな、過激かもしれない競技に、誠司くんが出るとは思ってもみなかったのだ。だって、まだ彼は発展途上の体格と身長なのだ。絶対もみくちゃにされてしまう。
グラウンド上では、みなが決められた役目の場所につきはじめた。ハチマチを尻尾のようにズボン後ろで垂れさせる。あれを取られると戦闘不能として敵チームで待機することになる。勝つには敵陣地のゴールテープを切ることである。
誠司くんは、ディフェンスではなくてどうやらオフェンス組のようで、念入りに靴紐を縛ったり屈伸している。
「ああどうしよう! 心臓が持たないっ!」
なんだったら、もう口から心臓飛び出してるかもしれない。ジッと見つめることもできず地団駄を踏んで緊張を吹き飛ばそうと試みた。
合戦開始合図の法螺貝音の放送が流れると、一斉に動き出す男子。ガードをするように肩を組む列や、中央線でお互い警戒しあったりフェイントをかけあったり。
誠司くんは何人かでグループを組んでジリジリと敵陣地突破のチャンスをうかがっている。
ドキドキしながらボンボン振るのも忘れ、ギュッと握り潰しつつ地団駄を踏みまくっていると、突然動きがあった。
中央で向き合っていた両チームが、バッとハチマキの取り合いに突入して、誠司くんたちも一気に敵陣地に突入していく。
そっからはもうぐちゃぐちゃに赤白が入り乱れた。あちこちで争奪戦が繰り広げられ「やられた!」と嘆くもの、敵のハチマキを靡かせ疾走するもの、ガードに徹するもの、無謀にも敵チーム陣地を突破するものと、見てるこっちもワーキャー叫んでないとやっていられない興奮度である。
そして誠司くんも、敵のハチマキを持った人を囮にした状態で一気に敵陣地へ攻め入ったのだ。
そこからはもう一瞬のようでスローモーションのようで。
男子にしては小さめの体をしなやかに動かし、赤チームの手を潜り抜け駆け抜けて、そして赤色のゴールテープを切ったのだ。