1話 初恋は猫でした
なんでもかんでも好きになることはないけど、好きになったものには次から次へと興味がわいて、それだけで頭の中いっぱいになって、そのことばっかり考えてもっと知りたいと調べてしまう。
ひとりっ子だったせいもある。子供図鑑が全巻取り揃えられていたのもある。誰にも邪魔されずに好きなことについて、とことん夢中になれる環境はできあがっていた。
数年飼っていたジャンガリアンハムスターや、ある日庭先に迷い込んできた雑種の野良猫。偶然テレビで見かけた動物が主役のアニメなど。
好きなものは突然前触れもなく目の前に転がりこんでくるのだから、毎日が忙しくて充実していた。
だから、人間の女の子としての大切な準備期間をすっ飛ばして、突然人間の男の子に恋してしまったもんだから、失敗の連続がはじまった。
“恋”と書いて“失敗”は、小学校最後の学習発表会で火蓋を切る。
小さな田舎町で一学年一クラスしかない。好きになった男の子はいわゆるずっとクラスメイトだったのに、私の目に飛び込んできたのが小学校生活もほぼ後半のそのタイミングだ。
六年生の演目が“セロ弾きのゴーシュ”で、その子は三毛猫役のうちのひとりになっていた。
そう、猫仕様になったその子の、ふてくされた表情と、もふもふのギャップが、ズバリ私のハートを射ぬいちゃったわけだ。
彼がちょっと動けば「かわいい」。ちょっと尻尾が揺れれば「かわいい」。顔真っ赤になって睨まれても「あーかわいい」と心の声が漏れまくっていたせいで、彼に完膚なきまでにフラれ嫌われたまま、小学校を無事卒業してしまったのだ。
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「うっそ、コクったの?」
「付き合うことなっちゃった」
「えー! すごい!」
中学生になると、途端にこの手の話があちこちで勃発する。
給食を終えて掃除時間。手に箒を持ったまま、彼女達の手は完全に止まっている。仕方ないので、いつもより倍速で箒を動かす、耳だけしっかり傾けて。
「土曜にデートするんだぁ」
「どこいくの?」
「えへへ」
幸せなオーラが甘い匂いになって、プンプン漂ってくるようだ。パンケーキに遠慮なくシロップたっぷりかけた、あの幸せな甘い匂いだ。
「毎日一緒に帰るだけでも嬉しいんだけど、やっぱりデートは特別嬉しい」
「そうだよねー。いいなー」
「いつだっけ? 何年か後に、でっかい遊園地できるじゃん?」
「その頃にも一緒に行けたらいーなー」
やっぱり“付き合う”っていうものは、とてつもなく男女の団結を強くするらしい。だって、学校以外の場所でもわざわざ時間を作って一緒にいる、ということなんだ。それってすごくない?
A組の私が、不自然かつ無理矢理に用事を作ってB組へ行かなくていいんだよ。偶然を装って廊下ですれ違わなくていいんだよ。部活の時間のほとんどで、テニス部覗かなくていいんだよ。
だって、土曜日にお互い約束してデートに行くんだから。
「やっぱり、告白しかないよね」
箒の柄をギュッと握りしめ決意をあらたにしてみれば、すぐ近くにいた我が友、筧美乃里ちゃんが速攻反応した。
「やめときな」
美乃里ちゃんは制服の白シャツが眩しいほど健康的に肌が焼けている。ポニーテールを揺らして少し細目の瞳をさらに細めて、眉根寄せていた。
「木っ端微塵が目に見えている」
美乃里ちゃんは小学校で私が告白して盛大にフラれたのを大っぴらに覗き見しているので、諭す言葉に迷いがない。
「でも私、誠司くんと土曜日も会いたい」
美乃里ちゃんに向き直って、真剣に訴えたのに、真横に結ばれた口元からは相変わらず容赦ない返答が戻ってきた。
「部活で、覗きまくってるでしょうが、土曜日も」
「……」
なぜバレてるんだ。
美乃里ちゃんはバスケ部で、誠司くんはソフトテニス部。そして私は美術部なのに。
美術室のあるグラウンド側の校舎三階からは、ちょうどテニスコートが見おろせるという、その立地のよさで入部した下心がバレていたのか。
「奇妙な顔してるけど、バスケ部がずっと体育館で活動してると思ったら大間違いだよ。外練の時に、三階の窓から落ちそうになるほどテニスコート覗いてる千香子なんて、しょっちゅう見てるわ」
「……なるほど」
今度から気をつけよう。
「だけどね、見るのと会うのとじゃ、違うじゃん? 私は誠司くんともっと親密になりたいの。せめてもうちょっと、懐いてほしいかなと」
そうなのだ。一方的に見てたってなんの進展も起きないのだ。私はもっと誠司くんのことを知りたいし話したいし、なんだったら私のことを好きになってほしい。
「千香子。峯森は猫じゃないんだからね。懐く懐かないのあたりもすでに問題発言だけど、あんたの一番の敗因は、峯森餌付け作戦決行した前科があることだからね」
「あ、うん」
もう忘れてほしいそれ。小学校卒業までの短い期間、焦りまくって毎週土曜日に誠司くんの家にお菓子を持っていって、「俺は猫じゃねー!」と怒らせてしまった“思い出”と書いて“失敗”と読む一ページを。
そして気付かれてはいけない。今もなお、近いことを行っていることを。大事な友達、無くしてしまう。
「えーっと、では、私、ゴミ捨てに行ってこようか、な?」
気取られ悟られないように、笑みをしっかり浮かべつつ箒を美乃里ちゃんに渡すと、ゴミ箱へ向かった。
ずっとジト目で見つめられたままだったけども。
一年A組の教室を素早く出て、美乃里ちゃんの視界から逃げ出しつつ、もはやクセとなっているB組チラ見チェック行為。
残念ながら想い人である峯森誠司くんはご不在のようだ。
三階から外階段を降りて、校舎裏門近くのゴミ捨て場まで、大きなゴミ箱を引きずらないように持ち上げてくてく歩く。
そこで私は運命を感じた。いたのだ、誠司くんが。部活の先輩なのだろうか、同じようにゴミ箱を持ったまま何か話し込んでいた。
これは運命だ。いつも理由をつけて無理矢理目撃することはあれど、こんな偶然で出会うべくして出会うなんて、奇跡通り越して運命でしょ。
急いでゴミ箱の中身を「ていやっ」とゴミ捨て場へ放り入れて、そそっと何気ない場所へ、位置取り完了。あとは、誠司くんの話が終わるのを待てばいい。
ああ、相変わらず可愛らしい。この斜めうしろからの絶景。あの頬の柔かそうな曲線。きれいに切り揃えられた襟足。背筋のピシッと通った立ち姿。どうしてそんなに素敵なの。
先輩の話を真剣に聞いて頷いている、その真面目さ。きっとあの大きな瞳をキリッとさせているんだろう。ああ、見たい。……ちょっと、もうちょっと前側にまわって見よう。だってせっかくのチャンスだよ。こんな近くで長時間拝めることなんてないもんね。
あ、目が合ったかもしれない! いや、今確実に誠司くんの大きな目がさらに見開かれて即座に細められたもん。絶対私を確認したに違いない。あ、ほら、ちょっと背中向けるような立ち位置に動いた。気付いてもらっちゃった。
「じゃあ、また後でな」
「はい、先輩」
話が終わったようだ。手を軽く上げる先輩に対して、誠司くんはきれいにお辞儀をしている。先輩の姿が見えなくなってやっと校舎へ歩きはじめたから、そのままうしろについていった。
「おい」
「はい?」
誠司くんはスタスタと大きなゴミ箱をものともせず歩いていたのに、すぐに止まって振り返ってくれた。
相変わらず、慣れる気のない逆毛状態の猫みたいに私をムスッとした表情で見ている。かわいい。ふんわり柔かそうな頬をさらに膨らませるようにしている、ああかわいい。
「いい加減、俺のストーカーを卒業してくれ」
「え? ムリ」
音が鳴りそうなほど誠司くんの首がガクンと落ちた。
「なんなんだよお前ほんとに……」
うなだれたまま、手のひらを顔に当てて嘆いていらっしゃる。
「とりあえずさ、立ち聞きとかやめてくれ。しかも視界にしっかり入り込む立ち聞きとか、アホなのか」
「安心して。まったく何も耳に入ってないから。誠司くんを拝むことに集中しすぎて、聴覚が機能してなかったから」
「……ああそうかい」
誠司くんはふらりとした足取りで、再び校舎に戻りはじめた。すぐあとをついていく。
今日はすごいミラクルラッキーデイだ。誠司くんといっぱいお話をしてしまった。
中学校に入ってから、私達を引き裂くようにクラスがふたつも存在してて、よっぽどのことがないと会話なんてできりゃしないんだから。ああ、小学校のときなんて授業中ももちろん放課後すらサッカーやドッジボール一緒にやって近くで拝めてたのに。四六時中、拝み放題だったあの頃が尊い。
「お前とはほんと、会話ができない」
ほら、誠司くんも嘆いていらっしゃる。もうツンデレなんだから。態度と言葉がチグハグとか、どんだけ不器用なの。
「ねえ、誠司くん。付き合ってください」
「無理」
「付き合うって、ちょっとそこらへの意味じゃないよ? 男女としてのお付き合いだよ?」
「だからそれが絶対無理」
人間の男心は複雑だ。
野良猫のジャムだって、一年経てばゴロニャン状態になってくれたのにな。
「おい、貸せ」
「ん?」
ツンデレ誠司くんが立ち止まって右手をこちらに伸ばしている。まるで王子様がシャルウィダンスと誘っているようだ。どうしよう、私、踊りに自信がない。
「さっきからゴミ箱、引きずっててゴリゴリ音がうるさいんだよ、貸せ」
プラスチックとはいえ、大ぶりのゴミ箱は背の低い私の半分もあって、ちょっと重い上にその絶妙の高さで持ち上げ歩き続けるには腕がパンパンになるのだ。思考に励んでいるうちに引きずってしまっていたようだ。
誠司くんは私からゴミ箱をブン取ると、大きなゴミ箱ふたつを両肩に背負うようなかたちで持ち上げ歩き出す。
「惚れる」
誠司くんだって、私とたいして身長は変わらない。ていうか男の子にしては低いと彼のコンプレックスでもあるくらいだ。それなのに軽々とふたつを持ち上げてスタスタと歩き始める。それよりもゴミ箱のせいで誠司くんのうしろ姿が見えなくなってしまった、どうしよう。
「頼むから、心の声を漏らすな」
真横に並べば、チラリと流し目をくらってしまった。サラサラの前髪の奥から覗くその瞳はさっきより棘がなくて、呆れられてるようにも見える。
「一応念のためお伝えするけど、今は惚れてないの意味の“惚れる”じゃなくて、これ以上惚れさせてどーすんの、の“惚れる”だからね?」
覗き込むように訴えれば、誠司くんはまたピタリと足を止めてしまった。
目の前には外階段だ。ちょうど降りてきた上級生達がクスクス笑いながらすれ違う。
誠司くんの顔が、いや、耳まできれいに真っ赤になっている。
グリンとこっちを睨んで、何か言いたげに唇を開いたものの、なにも発することはなく、無言で階段を上がりはじめてしまった。
まるでゴミ箱が階段をノッシノッシと登っていくようだ。さすがに横並びは諦めて、落ちないようにうしろから支えることにした。
表紙絵 zakka様