一時間目「生贄教室」
政府主導の矯正プログラムの一環として、小さな無人島にある学校へ集められた、三十人の少年少女たち。彼らはいずれも、少年法がなければ今頃は豚箱にぶち込まれているであろう、犯罪者予備軍ともいえる非行少年たちだった。
そんな彼らをまとめ上げるのはただ一人、穏やかな笑みと長い黒髪が特徴的な、若い男性教師である。
「皆さん、初めまして。皆さんには今日からの一年間を、この教室で過ごしてもらいます。保護者の方には政府から簡単に説明があったかと思いますが、改めて私から皆さんにもお話を……」
しかし、優しげな語り口調で続いた言葉は、机を蹴り飛ばす音によって遮られた。倒れた机は教卓から見て右側、窓から数えて二列目の最前列だ。
支給された制服──この島にいる生徒はそれ以外の服の持ち込みを許可されていないため、実質的には制服である──を着崩し、ネクタイと共に校則を捨ててきたような服装の男子生徒は、下から突き上げるようにして教師を睨みつけた。
裁縫道具の一つもないために改造できない制服代わりとでもいうように、その襟足だけはやたら長く伸ばされている。
「……いつまで偉そうにくっちゃべってんだよ」
相手を品定めするように見つめていた男子生徒は、柔らかな物腰に穏やかな口調、どこをとっても人畜無害な教師を格下と見做したらしく、本来使うべき敬語も置き去りにしてまくしたてる。
「プログラムだの矯正だの、聞き飽きたっての。要するにあれだろ? 俺たちを人に迷惑がかからねぇ場所で真っ当な人間にするためにってんだろ? 建前ばっか並べやがってよぉ、結局のところ隔離じゃねぇか。俺たちは病原菌か何かか? 非行菌がうつる〜ってな」
「違いますよ。君たちは人間です」
「はっ、どうだか」
淡々と、しかし丁寧に答えた教師の言葉を鼻で笑ったのは、教卓から見てやや左側、廊下から四列目、前から三列目の席の女子生徒だ。こちらも当然のように制服は着崩しており、そのスカートは膝どころか腿が見えるほどの長さだった。ショートカットの毛先から覗く耳には、いくつものピアスホールが見え隠れしている。
「あんたら大人の言う『真っ当な人間』って何だよ。奴隷みたいな扱い受けようが何しようが、ロボットみたいに黙って働くやつのこと言ってんだろ。それなら別にあたしらは真っ当な人間になれなくたって構やしないね」
吐き捨てるようにして女子生徒が口にしたところで、どこからか「ねぇねぇ」と声が上がった。こちらは教卓の正面、教室中央の最前列だ。長い髪をゆるくカールしたその生徒は、整えられた形の爪で毛先を弄びながら教師に声をかける。
「センセイだって仕事で仕方なくやってるんでしょお? 一人で三十人教えるなんて可哀想だしい、授業なんてやらないで、ストライキしちゃおうよ。ここにいるのってえ、国がキョーセイしなきゃいけないくらいの問題児ばっかりなんだしさあ」
生徒から可愛らしくおねだりするように提案されるも、教師は顎に手を当て、何かに納得したように頷くのみ。お願いの効果が薄そうだと踏んだ生徒は、やや不満げに頬を膨らませた。
「なるほど、皆さんは保護者の方や政府側から、このように言われてここに連れてこられたのですね。『これは非行少年である君たちを矯正し、真っ当な大人に育てるためのプログラムだ』と」
教師が再確認として今回のプログラムの目的を述べると、教室のあちこちから今さらな発言を嘲笑うような言葉が飛んでくる。
「あたしらだってそのくらい分かるっての。あたしたちが参加させられる矯正プログラムなんてそういうもんでしょ」
「じゃなきゃぶん殴られて誘拐同然のやり方で連れてこられたりしねぇだろ。まぁ、この島にはサツも何もいねぇみたいだから、願ったり叶ったりだけどな」
「買い物できないのはちょっと不満かもお。スマホも没収されたみたいだしい」
「そうですか……それはいけませんね。プログラムへの参加を促すためとはいえ、当事者がプログラムの目的を知らずにここへ来ているとは」
まるでたった今口にした目的が偽りのものであるとでも言いたげな言葉に、内心首を傾げる生徒たち。そんな彼らに対し、教師は深く頷いて、それから出席簿と共に持参したプリントの束を手に取った。
「よろしい、ではまず自己紹介がてら、今から配るプリントを見てください。初日ですから、まずは皆さんに私のことを知ってもらおうと思って、頑張って作ってきたんですよ。それを作ったときはプリンターも使えない場所にいたので、全部手書きですがね。読みにくかったら教えてください」
朗らかに、当たり前のように言う教師だが、今のこの現代社会でプリンターが使えない場所などごく限られている。この教師は一体どこの辺境からやってきたのかという生徒たちの疑問は、配布されたプリントによって解消されることとなった。
「後ろの方まで行き渡りましたか? 人数分しか作っていませんから、足りなかったり余ったりしたときは後ろで調整してくださいね」
教師が声をかけるが、後ろの列でプリントのやり取りがされる気配はない。どうやら全員分行き渡ったようだと安堵のため息をこぼし、教師は説明を始めた。
「では、無事に手元にプリントがいったようですので、改めて自己紹介を」
教師然とした口調で言った直後、「いやぁ、緊張するなぁ」と手を揉む教師。そこから咳払いを一つして、彼は教卓に手をつき、自己紹介を始めた。
「初めまして。私は称呼番号一二一二番。三十人を殺して死刑執行待ちの囚人です。きっかりこのクラスの人数分殺しました。覚えやすいですね!」
朗らかな口調で言う彼の言葉に口を挟む者はもういない。三十人殺しという冗談のような自己紹介を、誰一人冗談として片付けることがないのは、それが冗談でなかったときに発生する事態を恐れたからなのだろうか。
「今回の矯正プログラムは、皆さんが言うように、非行少年矯正プログラムとしての役割も兼ねています。しかしそれはあくまでついで。本当の矯正対象は私、皆さんにはそれをお手伝いしていただきたいのです」
「皆さんも知っての通り、日本は現在、深刻な人手不足に悩まされています。それこそ猫の手、或いは死刑囚の手も借りたいほど」
「そこで政府は、服役中の殺人犯を非行少年三十人を集めた教室の担任として割り当て、一年間一人も殺すことなく授業を終えることができれば殺人犯を釈放し、一人でも殺せば即死刑、という矯正プログラムを考案しました」
「もちろん、過去の経歴は全て消され、顔を変え名前を変え、ほとんど別の人間として生きていくことになりますがね」
まるでテストの注意事項を説明するような口調で行われる説明に対し、生徒たちがただ沈黙を守る中、そんな沈黙を真っ先に破る者が一人。
「ふざけんな! じゃあ俺らは一年間、三十人も殺した殺人犯と一緒の教室で過ごせってことなのかよ!」
先ほど、机を蹴り飛ばして教師に噛みついた男子生徒である。激昂する男子生徒に対し、教師はあくまで嬉しそうな笑みをたたえた。
「わぁ、早速私の自己紹介を覚えてくれたんですね。嬉しいです!」
「テメェ、真面目に答えろよ! こんなの俺たちの親が許可するわけねぇだろ!」
「保護者の方からの許可は得ていますよ」
柔らかな笑みから発せられた、冷たい声、残酷な事実。それを突きつけられた男子生徒の声は、あまりにもか細く弱い。
「……そんなわけ」
「ああもちろん、今私がお伝えした内容をそのまま聞いた上で、承諾されました。ここにいる皆さんは全員、保護者の方からプログラム参加の許可を得て集められています。あくまで政府の担当者から聞いた話ではありますが」
生徒からの疑問を解消した教師は、正面を向き直り、説明のまとめに入る。その姿は問題児たちと真摯に向き合い、課題を解決しようとする熱心な教師そのものであり、三十人殺しという事実を信じろという方が無理な話だったが、彼の自己紹介に異を唱える者はいなかった。
それらしい嘘よりも、あり得ない真実の方が恐ろしいということくらいは、十代半ばの彼らにも理解できるのである。
「私を含む全員が一年後に無事島の外へ出るには、皆さんの協力が必要不可欠です。政府からすれば殺人犯を面倒な手続きなしにさっさと死刑にして税金の無駄を減らし、殺人を目の当たりにした非行少年たちが多少大人しくなったらいいなという程度かもしれませんが、そんな思惑に屈してはいけません。私たちは真っ当な人間、人権を保有する一国民なのですから」
真っ当な人間面で人権を語るのは、一国民に紛れて幾人もの人権を踏み躙ってきた殺人犯。そんな彼に口答えする者はいなかったが、代わりに教室の隅、真っ直ぐに挙げられた手が一本。
「先生、質問があるんですけど」
「はい、何でしょう」
指名されて立ち上がったのは、教卓から見て右側、窓際一列目の最後列の男子生徒。眼鏡に規定通り身につけられた制服という真面目を絵に描いたような出立ちの彼は、地味で内気そうな見た目に反し、陸の孤島のようなその場所からでもよく通る声をしていた。
「先生が人を殺したら、先生は即死刑になるって言いましたよね。その『即』ってどのくらいですか?」
生徒からの比較的真っ当な質問に対し、教師は教師らしく「いい質問ですね」と口にしてからそれに応じた。
「私の体には、至る所に超小型爆弾が仕掛けられています。そして皆さんの体には、生体反応を完治するセンサーが埋め込まれている。私がこの中の誰かを殺せば、センサーを通してその事実が伝わり、即座に私の体内に仕掛けられた爆弾が爆発するそうです。つまり、誰かを殺して釈放はないと分かった私が、ヤケになって他の皆さんを殺して回るだけの時間はないと思ってもらえればいいと思いますよ」
物騒だが分かりやすい説明を聞き、男子生徒は暫し沈黙する。数秒ほどの思考が明けたのち、彼は再び口を開いた。
「センサーの反応を偽装したり、爆弾を無効にしたりする手段がないとは限らないって話は一旦置いておくとして、ひとまずこの島の中は安全だと仮定します。それでも島の外はどうですか? 一年後、俺たちと先生が外に出て、各々自由に過ごせるようになった、その後は?」
彼が言及したのは、彼らがこれから殺人犯と共に過ごす一年間ではなく、その後のこと。突然突きつけられた事実に動揺していた生徒たちからすれば、その先のことというのは完全に視野の外に放り投げられていることだった。
「先生が今日からの一年間、一人も殺さなかったとしても、先生が更生したことの証明にはならないと思うんです。外に出て爆弾を取り外した途端、それまでの鬱憤を晴らすみたいに百人殺したら意味ないわけだし、先生が釈放された後、口封じで殺されるのは僕たちかも」
「それは否定できませんね。そうだとしたら、君はどうしますか?」
教師側からの問いかけに、男子生徒は再び教師を見つめたまま黙り込み、数秒かけて練った答えを告げた。
「ここは店も何もないし、外との連絡手段もない。でも先生が僕たちのうちの誰かを殺したら、先生は即死刑、僕たちは解放されるんですよね。それってつまり、この教室の誰か一人を生贄として先生に差し出して殺させれば、二十九人は自由になれるってことじゃないですか?」
それは教師からすれば破滅の誘惑にも等しいものだった。どうぞと差し出された生贄に飛びつけば、彼は先延ばしにされていた死刑を執行され、死に至るのだから。
だが、男子生徒の言葉で震え上がったのは生徒たちの方だった。彼の言葉により、自分を狙う刃が一から二十九に増えたことを実感したからである。
「誰かが先生を殺して、そいつの人生ごとこのプロジェクトを終わらせるでもいいですけど、それより今言ったやつの方が簡単そうですし、一人の犠牲で残りの二十九人が助かるならその方がいいですよね。何よりこの方法なら二十九人は罪に問われることもないし、報復の心配も口封じの心配もない。合理的な判断だと思います」
淡々と、プレゼンをするかのようにそう締め括った男子生徒に対し、教師はただ嬉しそうに「それはそれは、素敵な提案ですね」と、彼の意見を褒め称えた。
「今の彼の発言で、このクラスの皆さんは理解したはずです。たった今、これは私対皆さんの戦いではなく、全員の総当たり戦になったのだと」
総当たり戦と表現されたそれは、少しの疑念で全員の殺し合いにも発展しかねない一触即発の状態を指している。重苦しい表情で教師を見つめる生徒たちとは対照的に、教師はやはり嬉しそうな顔で生徒たちを見つめていた。
「いやぁ、嬉しいですね。私、完全にアウェイの状態で一年を過ごすことになるかと思っていたので安心しました。これで皆さん、本当の意味で平等です」
平等から嫌われた男は、その言葉の新鮮な響きを噛み締めながら、男子生徒に着席を促す。国民として、人間として守るべき道理を投げ捨てた彼も、どういうわけか教師としての役割は果たそうとしているようだった。
教師の皮を被った殺人犯は、刃の代わりににこやかな笑みを生徒たちへ突きつける。
「そういうわけですから、一年間、いい子に頑張ってくださいね。ここでも元いた場所のように非行を繰り返していては、私が殺したくなってしまうかもしれませんし、何よりそういう人は──真っ先に、私への生贄として差し出されてしまうようですから」
そんな言葉と共に出席簿を開いた教師は、教室のに漂う重い空気を吹き飛ばすように、明るい声を響かせた。
「それでは、記念すべき一回目の出席を取ります」