後編
「え? どういうこと?」
「どういうことも何も、夕飯の準備は優子の仕事だろ。もう俺、腹ペコだぜ」
私のヒモ状態に甘んじている、いつもの彼だった。
普通に生きているし、死んだ痕跡も全くない。
ならば……。
私が彼を刺し殺したこと。あれは、悪い夢だったのだろうか?
「うん。わかった……」
納得はいかないが、そう理解して現状を受け入れることにして、
「待たせてごめんね。急いで支度するから、もうちょっと待っててね!」
わざとらしいほど明るく、彼に声をかける。
口では「待たせてごめんね」だったが、心の中では「夢の中とはいえ、殺しちゃってごめんね」という気持ちだ。
謝罪の意味も込めて、今日は腕によりをかけて御馳走を用意しよう。私はそう思った。
――――――――――――
夕飯を食べ終わる頃には、私の胸の内の動揺も、すっかり収まっていた。
おそらく仕事が忙し過ぎて、帰りの電車の中で居眠りして、夢でも見たに違いない。電車から降りた後も寝起きみたいにボーッとしてしまい、夢と現実の区別がつかなかったのだろう。それで「彼を殺してしまった」と思い込んで、近所をウロウロしていたのだ。
お風呂に浸かってリラックスすると、そんな解釈が頭に浮かんでくる。
「なんだか馬鹿みたい。完全に笑い話だわ」
独り言が浴室に響く。
いっそのこと彼にも話して、二人で笑い飛ばしたいくらいだった。
しかし、いくら夢とはいえ「あなたを殺しちゃった」は言わない方がいいだろう。それよりも、一応は罪悪感もあるのだから、今夜はいつも以上に彼に尽くそう。
そう考えて、お風呂を出た後、珍しく私の方から誘ったのだが……。
夜の営みの中。
恐ろしい出来事が起こった。
――――――――――――
「えっ……。何これ……」
「どうした、優子?」
途中で愛撫を止めた私に、不思議そうに声をかけてくる彼。
それに答えることも出来ずに、私はただ一点を凝視していた。
彼の胸に、大きな傷跡があったのだ。ちょうど、手を当てれば心臓の鼓動が感じられる場所だ。
私の視線に気づいて、彼の方が言葉を続けた。
「どうしたんだよ、今さら。その手術痕なら、ずっと前からあっただろ?」
「嘘……」
彼にも聞こえない程度の小声で呟いてから、私は顔を上げて聞き返す。
「手術痕なの、これ……?」
「よくわからないけど、そうだと思うぜ。俺も覚えてないから、よほど小さい頃の手術の跡だろ。そんな病気や怪我があったことすら記憶にないくらい、すごく小さい頃の話だ」
けろっとした口調で語る彼とは対照的に、私は恐怖で固まってしまう。
彼よりも私の方が、真実を理解していたからだ。
これは私が彼を刺し殺した跡なのだ、と。
――――――――――――
どうやら彼は、特異体質だったらしい。いくら殺されても蘇るし、殺されたことも忘れてしまうようだ。
その証拠に……。
「もう許せない!」
「落ち着けよ、優子。包丁は人間に向ける道具じゃないだろ?」
「死ね!」
あれから私は何度も彼を殺してしまったが、いつも無事に復活。何事もなかったかのように、同棲生活は続いているのだから。
(「私は彼を殺してしまった」完)




